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急報戦隊サイレンジャー ~呼ばれたら、行く。呼べないなら、見つけに行く~  作者: 智珠
第二巻

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第026話 揺れてます

> 【第七支部 覚知記録】

> 覚知 ── 十月三日 十五時二十六分。

> 入電 ── 携帯電話。発信地 ── 湾岸 六丁目。

> 第一声 ──「揺れてます」

> 出場 ── 第七支部 全隊。


「揺れてます」


 尾花律子は用紙を引き寄せた。時刻を分まで書く。秒は書かない。第一声を、聞こえたとおりに書く。何が揺れているかは、まだ書かない。


「はい、鳴瀬市消防指令センターです。今何処におられるか教えてください」


「湾岸の六丁目、倉庫の建設現場です。埠頭の一つ手前の区画」

「お名前と、何が揺れているかを教えてください」

「白鳥です。職長やってます。クレーンです。マストが揺れてます」


 尾花は書いた。湾岸六丁目、建設現場、クレーンのマスト。三語で足りる。


「そのクレーンに人がいるかどうか教えてください」

「二人います。運転席に一人と、途中の踊り場に一人」

「高さを、分かる範囲で教えてください」

「運転席が四十メートル、踊り場が二十五メートルくらいです」


 尾花は用紙の右へ書いた。二名、四十と二十五。数を先に書く欄がある。高さの欄は無い。無いので、人数の欄の下へ小さく入れた。


「白鳥さん。お二人に、自分で降りようとしないように伝えてください」

「降りた方がよくないですか」

「揺れている梯子は下りられません。安全帯を掛けたまま待つように伝えてください」

「……分かりました」


「白鳥さん。地上の方は全員、クレーンの真下から離れてください」

「離します」

「離す方向は、風下ではなく横です。物は風の向きに落ちません」

「横ですね」


 通話の向こうで、白鳥が誰かに叫んだ。叫んだ声が遠い。遠いのは、電話を口から離しているからになる。


「白鳥さん。今、風はどちらから吹いているか教えてください」

「北です。ずっと北から」

「風が強くなっているか、変わらないかを教えてください」

「強くなってます。さっきより明らかに」


 尾花は欄を一つ飛ばした。あとで埋める欄になる。


「白鳥さん。通話を切らないでください。切ると、上の様子がこちらに来なくなります」

「切りません」


 尾花は左手で当直へ回した。回してから、右手の受話器を持ち替えた。持ち替えても、耳から離さない。用紙の下の欄に、背後の音を書いた。風、鉄、警報。三語になる。


*


 十五時二十六分の整備場は、床が濡れていた。


 五機の泥を落とし終えたのが、この日の午前になる。地下街から持ち帰った泥は、乾いてから落とす方が速い。乾くのに一週間掛かった。


 落とす順は下から上と決めてある。上から落とすと、下へ二度落ちる。二度落ちた泥は、床の目地へ入って取れなくなる。


 戸倉健が、サイレンクレーンのアウトリガーの四本目を掌で押さえていた。押さえて、震えを見ている。


「半拍の遅れは、そのままです」


「そのままにしておいてください。直すと、代わりに別の場所が遅れます」


 宮ヶ瀬佳代は逆から言う。出来ていることを先に言わない。


 梅木あかねが、サイレンウイングの羽の根を指の腹でなぞっていた。三度なぞってから、脚立を下りる。三度で足りない日は、四度目をやらずに人を呼ぶ。呼ぶ相手は戸倉になる。


「当たり、揃いました。夏に換えた部品が、やっと馴染んでます」


 三階では、寺尾剛が汁を火に掛けていた。十月の汁は、夏より濃い。武藤とうふ店の豆腐が、朝と同じ時刻に届いている。


「班長、十月からは何丁ですか」

「四丁だ。あの店は季節で数を変えん。変えるのはこっちの椀の大きさになる」


 二文で言って、蓋を半分ずらした。


 灰谷蒼汰は屋上で索を測っていた。十月の索は硬い。硬いと、結び目が締まりにくい。


「三本とも硬いです。締まるまでに一拍かかります」


 言ってから、結び目を一つ作って、一度だけ引いた。引いてから解いた。三回続けて同じことをして、四回目はやらなかった。


 七尾ひかりは、火群迅の左手の布を替えていた。八日目になる。


「塞がりました。跡は残ります」


「そうか」


 迅は手を握って開いた。四本とも動く。爪の脇まで来ていた二本だけ、開くのが少し遅い。


 遅いことに、この人は気付いていない。気付いていないまま、非常階段の下で靴の紐を結び直した。


 逢坂澪は受信席の斜め後ろに立っていた。手にはコーヒーがある。砂糖も牛乳も入っていない。


 この日の風速を見ていた。北から毎秒十四メートル。午後になって上がってきている。


 十月の北風は、湾岸で一番強く出る。海から来る風ではない。山から下りて、街を抜けて、海へ出ていく風になる。


 旧市街は屋根が低いので、風は上を通る。丘の上は坂に沿って曲がる。川沿いは川に沿って走る。湾岸だけが、正面から受ける。


 抜ける時に、間に建っている物を押す。


 須永が中継塔の記録を持ってきた。


「湾岸、今日は落ちてません。山側は一箇所、まだ落ちたままです」


「柏木の重機は」


「入りました。ただし、直すのは来週です」


 澪はそれ以上訊かなかった。訊かずに、左手を右耳へ当てた。


*


 分析に入ると、澪は喋らない。


 盤面に湾岸六丁目が出る。建設中の物流倉庫が一棟ある。骨組みが五階まで組み上がっていた。


 クレーンは、その建物に沿って立っている。マストは高さ四十八メートル、五メートルごとに継ぎ目がある。継ぎ目は九つになる。


 九つのうち、下の四つは建物と繋がっている。上の五つは、繋がっていない。繋がっていない側が振れる。


 継ぎ目のうち、下から三つ目に、この月の点検の記録が無い。九月の後半の記録が、そこだけ飛んでいた。


 飛んでいる理由は分からない。分からないものを、澪は先に置く。


 風速の記録を重ねた。毎秒十四メートルで、マストの先端は五十センチ振れる。風が二十まで上がると、振れ幅は四倍になる。


 四倍まで行くと、踊り場にいる人は立てない。


「アンサー」


> ── はい。


「湾岸六丁目、この一時間の最大瞬間風速の予測」


> ── 十五時台、毎秒十八。十六時台、毎秒二十三。以降、下がります。


「マストの三つ目の継ぎ目、九月後半の点検記録は」


> ── ありません。理由は、わかりません。


 アンサーは返事の前に一度、上を向いた。頭の受話器の形が、天井を向いてから戻る。


 澪は盤面のクレーンを残して、あとを消した。消してから、三つ目の継ぎ目に印を置いた。


 印の高さは十五メートルになる。踊り場より下で、地上より上になる。


 上の二人は、その継ぎ目を通らないと降りられない。


 澪は左手を下ろした。


「座標、出た」


 五人が動いた。下ろした瞬間に動く。この人の手が下りるまで、誰も一歩も出ない。


「湾岸六丁目、建設中の倉庫、東側のタワークレーン。マストの下から三つ目の継ぎ目、地上十五メートル。上に二名、四十と二十五」


 迅は最後まで聞いていない。「東側のタワークレーン」で走り出している。澪は最後まで言い終えた。


 久遠寺修司が受信席の後ろで立ち上がった。


「風は」

「十六時台に二十三です。回線は五本、空いています」


「第七支部 ── 出場!」


*


 ポールは二本ある。迅が一番に握った。掌が焼ける。焼けるのを毎回やる。一階で装備を背負い、階段で地下三層へ下りる。


 この日は、蒼汰の索を四巻き積んだ。雨は降っていない。それでも四巻きにした。硬い索は途中で替えることになる。


 地下三層の扉が上がった。


「三層、開放!」


 宮ヶ瀬佳代が盤の前に立っていた。この日は風の記録を、盤の隅に出したままにしてある。


「一号から五号、出場!」


 サイレンファイヤーの水槽は半分にしてある。高い場所へ届かせる現場ではない。


 サイレンクレーンのアウトリガーの四本目は、半拍遅れる癖のままになる。


 湾岸までは七分掛かる。市街を抜けると、風が横から来た。車体が押される。押される向きが、この日は一定していた。一定している風は読める。読めるのに危ないのは、読めるからこそ人が動いてしまうためになる。


 現場の入口で車を降りた。降りた先で、風が音を立てていた。


 鉄骨に当たる風の音は、太い。細い場所ほど高く鳴る。太い場所は、鳴らずに震える。


 現場に立つと、鳴っている音と震えている場所が、耳と足の裏で別々に来る。足の裏から来る方が、危ない側になる。


 白鳥が入口に立っていた。四十くらいの男で、電話を耳に当てたままになる。


「消防です。地上の方は」


「全員、横へ離しました。十四人います」


 迅は上を見た。マストが揺れている。振れ幅は、下から見ても分かるほどになる。


 揺れているものを下から見上げると、実際より速く見える。速く見えると、人は先に手を出す。先に手を出すと、たいてい間違える。


 迅は手を出さなかった。出さずに、蒼汰の方を見た。


 運転席が四十メートル。その下、二十五メートルの踊り場に、もう一人いた。


 踊り場の男は、手すりに両手で掴まっていた。安全帯は掛けてある。掛けたまま、動いていない。


 蒼汰がマストの根元へ入った。入って、上を見上げる。


「上、任せろ。十五メートルまで梯子で行きます」


「風は」


「二十三までは行けます。それ以上は、私が振られます」


 蒼汰は索を二本、腰に回した。一本は途中で掛ける分で、もう一本は下ろす分になる。


 下ろす分を先に決めておくのは、山にいた頃からの癖だった。登る前に、降りる道を持っていない人は、上で困る。


 登った。五メートルごとに、索を一度掛ける。掛けたら必ず回収する。回収の一動作を省かない。


 十五メートルの継ぎ目に着いた。


 継ぎ目のボルトは、片側の三本が緩んでいた。緩んでいるというより、締めた記録が無い。


 記録の無いボルトが、実際に緩んでいる。九月の後半に飛んでいた一行が、十五メートルの高さで手に触れる形になっていた。


 蒼汰は、そのことを下へ言わなかった。今言っても、上の二人が降りやすくはならない。


 蒼汰は、そこを締めなかった。締めるための工具を持っていない。持っていても、この風では回せない。


 代わりに、索を継ぎ目の上下へ渡した。渡して、一度だけ引いた。動かなかった。


「三本、緩んでます。索で抱かせました」


 寺尾がマストの根元へハンマーを打った。基礎のコンクリートへ、鉄の柱を三本、内向きに入れる。


「まあ待て。俺が支える。倒れる向きを一つに絞る」


 二文で言って、三本の柱の間に立った。


 立った場所は、倒れる向きの側になる。


*


 風が強くなった。


 強くなった風が、建物の骨組みの隙間を抜けた。抜けた先で、養生のシートが二十枚、一度に外れた。


 外れたシートが、マストの周りで渦を巻いた。巻いた渦の中に、鉄骨の錆と、砂と、外れたボルトが入っている。


 入ったまま、渦が縦に伸びた。伸びる速さは、風の速さより遅い。風より遅いものが、風の中で形を保っている。


 伸びた高さが、マストの半分を越えた。越えてから、マストに巻き付いた。


 迅が左手首の蓋を跳ね上げた。五人が同じ動作をした。


「急報 ── 出場!」


> サイレン ── 起動。〈火群 迅〉。応答、確認。

> サイレン ── 起動。〈逢坂 澪〉〈灰谷 蒼汰〉〈寺尾 剛〉〈七尾 ひかり〉。応答、確認。


 反射帯の光が足元から頭まで走った。装甲が下から順に組み上がる。五つの送話口が、同じ高さで止まった。


 五人が同時に右手を上げた。耳の高さで止めて、掌を外へ向ける。受話器を取る形になる。


> 水を持ってく、火の現場 ─── サイレンレッド!

> 声を持ってく、知の現場 ─── サイレンブルー!

> 綱を持ってく、高の現場 ─── サイレンイエロー!

> 梁を持ってく、圧の現場 ─── サイレングリーン!

> 息を持ってく、生の現場 ─── サイレンピンク!

>

> 特別災害対策機構、第七支部 ──

> 呼ばれたら、鳴らして、行く!

> 急報戦隊、サイレンジャー!


 口上は風に乗って、埠頭の方へ流れていった。流れた先で、船の甲板にいた三人が振り返った。


 迅がブレスを渦へ向けた。


「トリアージ!」


> 判定 ── 黒。要救助者、内部に確認できません。


「黒」


 迅は前に出た。出た先が、マストの根元の柱の内側になる。


 渦がマストを締めた。締めた分だけ、三つ目の継ぎ目が鳴った。


 鳴った音を、蒼汰が一番近くで聞いた。


「継ぎ目、動きました。索は保ってます」


 踊り場の男が、手すりから片手を離した。離した手が、梯子を掴もうとしている。


「動かないでください」


 ひかりの声が、地上から上がった。上がった声は、風で半分削れた。


 男の手が止まった。止まったのは、声が届いたからではない。蒼汰が上から手を上げて、掌を外へ向けたからになる。


 受話器を取る形になる。


 男は、その形を知っていた。街で一度、見たことがある。何処で見たかは、思い出せない。


 思い出せないまま、体の方が先に落ち着いた。


 両手を手すりへ戻した。


 澪がマストの反対側でソナーを構えた。撃つ前に必ず人数を言う。


「十七名。地上に十五、マストに二。渦の中は零。撃てる」


 撃った。低い音が渦の真ん中を通った。通った場所だけ、シートが落ちた。


 落ちたシートが、地上の柵に掛かった。掛かった一枚を、白鳥が反射で手で押さえた。押さえてから、手を離して二歩下がった。


 迅がその穴へ入った。斧は右手一丁になる。左手は、握れる。八日で戻っている。


「サイレンアックス ── 急救斬ッ!」


 斧が渦を横に割った。割れた場所から、錆と砂が地上へ落ちた。


 渦がマストから外れた。外れて、建物の骨組みの方へ移った。


 移った先で、五階の梁を掴んだ。掴んで、そこから大きくなる。大きくなると、風を受ける面が増える。増えた分だけ、この日は速く動いた。


 地下三層で宮ヶ瀬が盤を叩いた。


「風が横から来ます。ウイングは上げられません」


 五機が現場の外の道へ並んだ。サイレンクレーンがアウトリガーを張る。四本目が、半拍遅れて張られた。


 サイレンメディックが入口の内側で止まり、後扉を開けたまま待っている。サイレンウイングは、この日は地面から離れない。


「五機、連結!」


「特災合体 ── サイレンオー!」


 サイレンオーが立った。


 地上の十五人から見上げると、脚と、胴の下半分が見えた。踊り場の男には、左手だけが見えた。


 その左手は、開いていない。握ったままになる。


 渦が骨組みを揺らした。揺れた骨組みの上で、まだクレーンのマストが立っている。


 サイレンオーが左腕を骨組みの中へ差し込んだ。握ったままの左手が、五階の梁を下から支える。


 支えた分だけ、渦が梁から浮いた。


 寺尾の声が回線に入った。


「浮いた。今なら、マストの側には行かない」


 迅が言った。


「今だ」


 右腕の放水砲が開いた。


「サイレンオー ── 全消斬ッ!」


 水が出た。斬るのではなく、押す形で出る。


 押された渦が、骨組みの外へ運ばれていく。運ばれた先は、埠頭の空き地になる。


 空き地で、体が保てなくなる。シートと錆と砂に分かれて、地面へ落ちた。


 落ちたシートは二十枚とも、そこに残った。翌日、現場の者が数えに来る。数えて、二十枚あることを確かめてから、持ち帰った。


 持ち帰ったシートは、もう一度使われる。破れていないからになる。


 風は、まだ北から吹いている。吹いているのに、マストはもう揺れていない。


 揺れない理由は、風が止んだからではない。渦が抱えていた重さが、無くなったからになる。


 同じ風の中で、同じ鉄が、揺れたり揺れなかったりする。地上の十五人には、その違いが見えていない。見えていないまま、上を見上げている。


 十六時四十分に、上の二人が地上へ降りた。


 降りるのに使ったのは、梯子ではない。蒼汰が下ろした索になる。二本目に回した方の索で、登る前から下ろすと決めてあったものになる。


 運転席の男が先に降りた。五十を越えている。降りてから、その場に座った。座ってから、両手を膝の上で握って開いた。三度やってから、立ち上がった。


 踊り場の男が後から降りた。三十くらいで、降りた足がまだ震えている。


「あの」


 男が蒼汰に言った。


「上で、手を上げましたよね」


「上げました」


「あれ、動くなって意味ですか」


 蒼汰は少し考えた。考えてから、答えた。


「違います。こっちがいる、って意味です」


 男は頷いた。頷いてから、自分でも同じ形を作った。作ってから、手を下ろした。


 白鳥が近くで見ていた。見ていたが、何も言わなかった。言う代わりに、二人ぶんのヘルメットを受け取って、両方の顎紐を解いた。


 この人は電話をまだ切っていない。切らないまま、四十分持っている。持っている手が、途中から左に替わっていた。替えたことに、この人も気付いていない。


 尾花はその四十分、一度も相槌を欠かさなかった。欠かさないことを、白鳥は数えていない。数えているのは、この人の側だけになる。


*


 支部へ戻ると、戸倉がサイレンクレーンのアウトリガーの四本目を、また掌で押さえていた。


「今日、少し戻りました。半拍が三分の一拍になってます」


「戻さないでください。三分の一で止めます。全部揃うと、この機体は別の癖を出します」


 宮ヶ瀬は工具を置いた。置いてから、一言だけ足した。


「強い風の中で使える索を、まだ作れていません」


 毎回、作れなかったものを一つ言う。三年、欠かしたことが無い。


 梅木がサイレンウイングの羽を畳んでいた。この日は一度も上げていない。


「上げないと、羽の当たりは出ないんですけどね」


「出ない。それでも今日は上げない方が正しい」


 須永が中継塔の記録を持ってきて、澪に渡した。渡してから、梅木に言った。


「逢坂さん、点検の記録が飛んでる場所を先に見てます。三年、一度も後回しにしてません」


「本人に言ってあげたらどうですか」


「言いません。当たり前の顔をされるので」


 澪は受信席の裏で、湾岸六丁目の記録を出していた。


 クレーンの三つ目の継ぎ目は、九月の後半に点検の予定が入っていた。予定は入っていて、実施の記録が無い。


 実施しなかったのか、記録を付け忘れたのかは、書類からは分からない。


 澪は自分の地図に付箋を一枚貼った。湾岸六丁目、建設現場。これで九枚目になる。


 付箋には何も書いていない。


 九枚のうち、四枚は三年で一件しか通報が来ていない場所になる。二枚は、一度も来ていない場所だった。


 残りの三枚は、点検の記録が飛んでいる場所になる。


 三年前から貼っていた四枚と、この二か月で貼った五枚では、意味が違ってきている。


 澪は、まだそれを誰にも言っていない。言うには、まだ枚数が足りない。


 足りないと分かっているのに貼り続けるのが、この人の三年になる。


 三階の食堂で、寺尾が豆腐を切った。十月の椀は、夏より少し大きい。


 迅は自分の椀の豆腐を、この日も最後に残した。理由を訊かれたことがない。訊かれていないので、答えたこともない。


 食べ終わらないうちに、二階の受信席で、電話が鳴った。


> 【第七支部 出場記録】

> 臨場 ── 十五時三十九分。所要 ── 十三分。

> 保留 ── 一件。最長 ── 三十八秒。

> 未着 累計 ── 零。

> 損壊 ── 湾岸六丁目 建設現場 養生シート 二十枚。五階 梁 一本 変形。

>     同 タワークレーン マスト 第三継手 ボルト 三本 亡失。工期 六か月 遅延。

> 救助 ── 二名。搬送 ── なし。

> 本件、処理 ── 完了。

> ── 入電。

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