↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
急報戦隊サイレンジャー ~呼ばれたら、行く。呼べないなら、見つけに行く~  作者: 智珠
第二巻

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

PR
27/96

第025話 中に人が

> 【第七支部 覚知記録】

> 覚知 ── 九月二十四日 十九時四十一分。

> 入電 ── 携帯電話。発信地 ── 中央駅前 二丁目。

> 第一声 ──「中に人が」

> 出場 ── 第七支部 全隊。


「中に人が」


 尾花律子は用紙を引き寄せた。時刻を分まで書く。秒は書かない。第一声を、聞こえたとおりに書く。何処の中かは、まだ書かない。


「はい、鳴瀬市消防指令センターです。今何処におられるか教えてください」


「中央駅前の二丁目、地下街の二層です。下りのエスカレーターの前」

「お名前と、中というのが何処の中かを教えてください」

「戸沢です。三層です。シャッターが下りてて、その向こうに人がいます」


 尾花は書いた。中央駅前二丁目、地下街三層、防火シャッター閉鎖。三語で足りる。


「何人おられるか、声で分かる範囲で教えてください」

「三人だと思います。掃除の人と、多分、店の人が二人」

「その方たちの声が今も聞こえるかどうか教えてください」

「聞こえます。叩いてます。金属を叩く音がします」


 尾花は用紙の右へ書いた。意識あり、応答あり、三名。ここまでは揃っている。


「戸沢さん。三層に水が来ているかどうか教えてください」

「来てます。エスカレーターの下から上がってきてます」

「今、水は何処まで来ているか教えてください」

「二層の床に届きました。さっきまで届いてなかったです」


 尾花はそこで、書く手の速さを変えた。速くはしていない。書く字を短くした。


「戸沢さん。ご自分は下りないでください。今いる二層から、一層の階段へ上がってください」

「でも、シャッターの向こうに」

「上がってください。上がりながら、周りの人にも上がるように伝えてください」

「……伝えます」


「戸沢さん。上がったら、階段の上から下を見ていてください。通話は切らないでください」

「切りません」


 尾花は左手で当直へ回した。回してから、右手の受話器を持ち替えた。持ち替えても、耳から離さない。用紙の下の欄に、背後の音を書いた。水、金属、放送。三語になる。


 三語目に放送と書いたのは、この日が初めてになる。地下街の放送は、たいてい背後の音に入らない。人の声に消される。


 この日は、人の声が少なかった。


*


 十九時四十一分の三階は、窓が全部閉まっていた。


 秋雨が四日続いている。四日目の雨は、降り方が変わらない。強くもならず、止みもしない。


 こういう雨の日に出場が増えることを、この支部の全員が知っている。知っているので、誰も雨の話をしない。


 話す代わりに、それぞれが自分の持ち場のものを一度ずつ触る。触って、置き直す。置き直す位置は、乾いた日と同じになる。同じにしておくと、暗い場所でも手が届く。


 寺尾剛が汁を火に掛けていた。武藤とうふ店の豆腐が、朝と同じ時刻に届いている。雨でも届く。


「班長、四日続けて雨ですけど」

「届いとる。雨で止める店なら、三年ももたん。うちも同じだ」


 二文で言って、蓋を半分ずらした。


 灰谷蒼汰は索を四巻き、床に並べていた。雨の日は一巻き多く持つ。三年、この数え方を変えていない。


「雨の日は四巻きです。使えるのは三本半になります」


 言ってから、七つ目の器具箱に入れる予備を選んだ。前の出場で使った一巻きは、支部の棚から入れ替えてある。


 この人は、七つ目を空にしない。空にしておくと、次に足りなくなった時に開ける場所が無くなる。


 七尾ひかりは、三階の窓際で封筒を一つ開けていた。


 差出人は宮川になる。丘の上四丁目の公園で、百二十九まで数えた高校生になる。


 中には便箋が一枚だけ入っていた。文字は大きい。書き慣れていない字になる。行の終わりで、いつも一字ぶん余っている。


「おじさん、退院したそうです」


「よかったですね」


 寺尾がそれだけ言って、火を細くした。


 便箋には、もう一行あった。押している間、自分の数が合っていたかどうかを訊く一行になる。


 ひかりは、その一行に返事を書く紙をまだ持っていない。持っていないまま、便箋を畳んで上着の内側へ入れた。


 入れる場所は、手帳と同じ側になる。手帳の最後の頁には、別のものが書いてある。この人以外、誰も見ていない。


 火群迅は非常階段の一番下にいた。立ったまま、靴の紐を結び直している。


 右の掌の切り傷は塞がっていた。塞がった線が、まだ白く残っている。この人は、塞がったことにも気付いていない。


 逢坂澪は受信席の斜め後ろに立っていた。手にはコーヒーがある。砂糖も牛乳も入っていない。


 四日分の雨量を見ていた。合計で百六十二ミリになる。一日あたりで見れば大したことはない。四日で見ると、地面が水を持てなくなる量になる。


 地面が持てなくなった水は、低い方へ行く。この街で一番低いのは、川ではない。


 中央駅前の地下街三層になる。


 速水が地図を出した。中央駅前の一丁目を出していた。


「すみません、隣でした」


 澪は何も言わずに二丁目へ切り替えた。切り替えてから、左手を右耳へ当てた。


 久遠寺修司が地図の前に立った。壁の紙に、今月の数字が自分の字で書いてある。


 九月の出場は、この日で二十二件目になる。八月より四件多い。四件のうち三件が、雨の日に入っている。


 久遠寺は数字の下に、月の残りの日数を書き添える。この月は、あと六日ある。


 この人は数字を書くだけで、意味を言わない。言わないまま、受信席の後ろに立った。


*


 分析に入ると、澪は喋らない。


 盤面に中央駅前の地下街が出る。三層ある。一層が店舗、二層が店舗と通路、三層が駐車場と機械室になる。


 三層の排水は、二基のポンプで汲み上げている。汲み上げた水は、駅の東側の排水路へ流す。


 ポンプの記録を出した。二基とも動いている。動いているのに、水位が下がっていない。


 下がらない理由は二つある。入ってくる量が多いか、出る先が塞がっているかになる。


 澪は排水路の記録を出した。駅の東側の排水路は、九月の頭に点検が済んでいる。異常なしになっている。


 異常なしの記録が、この人は好きではない。異常が無いのではなく、見ていないだけの場合がある。


 三年で、異常なしと書かれた場所から出た通報が、四件ある。四件とも、点検の日付は新しかった。


 四件のうち三件は、この人の地図に付箋が貼ってある。残りの一件は、貼っていない。貼らなかった理由を、澪は自分でも説明できない。


 盤面を切り替えた。市の道路の記録になる。


 中央駅前二丁目の歩道で、この日の十九時二十分に、マンホールの蓋が一枚外れている。通報は入っていない。記録は道路課の巡回から上がっていた。


 外れた蓋の下は、地下街三層の換気口に繋がっている。


 水は、そこから入っている。


「アンサー」


> ── はい。


「中央駅前二丁目、地下街三層。今の水位と、上がる速さ」


> ── 三層の床から百十センチ。毎分、二センチ上がっています。


「防火シャッターの内側の空間、天井までの高さは」


> ── 二百四十センチです。


 澪は計算した。答えは六十五分になる。使ったのは、天井までの高さと、上がる速さの二つだけだった。二つで足りる日は、この人にとって楽な日に入る。


 六十五分というのは、この街の救助では長い方になる。長いということは、途中で数字が変わるということでもある。入ってくる量が増えれば、六十五は四十になる。


 六十五分で、シャッターの内側の天井まで水が来る。三人はそれまで動けない。動けないというのは、閉じ込められているという意味だけではない。歩ける床が、少しずつ減っていくという意味になる。


 シャッターは、火の時に閉まる。閉まると、内側からは開かない。そういう作りになっている。


「アンサー。シャッターが閉まった理由は」


> ── わかりません。火災の信号は出ていません。


 アンサーは返事の前に一度、上を向いた。頭の受話器の形が、天井を向いてから戻る。


 この機械は分からないと言える。便利ではない。便利ではないので、誰も頼り切らない。


 澪は盤面を三枚重ねた。外れた蓋と、動いているポンプと、閉まったシャッターになる。


 三枚とも、この日の十九時二十分から二十五分の間に起きている。五分の中に三つ並ぶのは、偶然の並び方ではない。


 澪は左手を下ろした。


「座標、出た」


 五人が動いた。下ろした瞬間に動く。この人の手が下りるまで、誰も一歩も出ない。


「中央駅前二丁目、地下街三層、東の防火シャッター。歩道のマンホールが一枚外れている。閉じるのが先か、開けるのが先かは、現場で決めて」


 迅は最後まで聞いていない。「東の防火シャッター」で走り出している。澪は最後まで言い終えた。


 久遠寺が受信席の後ろで立ち上がった。


「水位は」

「六十五分です。回線は五本、空いています」


「第七支部 ── 出場!」


*


 ポールは二本ある。迅が一番に握った。掌が焼ける。焼けるのを毎回やる。一階で装備を背負い、階段で地下三層へ下りる。


 地下三層の扉が上がった。


「三層、開放!」


 宮ヶ瀬佳代が盤の前に立っていた。この日は雨具を全員分、車へ積み直させている。


「一号から五号、出場!」


 サイレンファイヤーの水槽は空にしてある。水を持っていく現場ではない。出す現場になる。


 サイレンレスキューの器具箱は七つある。七つ目に、入れ直した予備が一巻き入っている。


 外へ出ると、雨が真っ直ぐ落ちていた。風が無い。風の無い雨は、量が読みにくい。


 中央駅前までは五分掛かる。駅前の道は、雨の夜でも人が多い。


 東口の階段の上で、車を降りた。降りた先の歩道に、人が三十人ほど立っている。


 立っている人は、下を見ていない。駅の方を見ている。地下で何が起きているかを、この人たちはまだ知らない。


 知らないまま、傘の下で電車を待つ。待っている間、足元の格子から水の音が上がってきていた。誰も下を向かなかった。


 階段の上に、人が立っていた。


 傘を差している。黒い傘になる。骨が八本ある。差し方が正しい。傾けかたが、通る人に合わせて動いていた。


 階段を上がってくる人が一人いた。傘を持っていない。


 黒い傘が、その人の上へ動いた。動いてから、少しだけ低くなった。


「ご迷惑ですから」


 声は低い。男とも女とも取れる高さになる。


 傘に入った人は、頭を下げて通り過ぎる。通り過ぎた後、その人は振り返らなかった。


 傘は、その場に残っている。


 迅が階段の上で止まった。止まったのは一歩ぶんになる。


 傘の下から、手が出た。白い手袋をしている。指が長い。


 その手が、歩道のマンホールの縁を軽く撫でた。蓋は、もう外れている。外したのではない。撫でただけになる。


「ご迷惑ですから」


 二度目は、迅に向けて言われた。


 迅は答えない。答えずに、階段を下りた。


 黒い傘は追ってこなかった。追わずに、その場で次の人を待っている。


 一層は明るかった。店は閉まっていない。買い物をしている人がいる。二十一時までの店が、まだ十軒ほど開いていた。


 放送が流れている。


「お客様にお知らせいたします。地下三層は、ただいま立入を止めております」


 二層へ下りると、床が濡れていた。濡れているのは端からになる。


 下りのエスカレーターは止まっていた。止まった段の下から、水が上がってきている。


 階段の上に、戸沢が立っていた。三十くらいの男で、電話を耳に当てたままになる。


「消防です。上がってください」


「上がりました。ここが上です」


 戸沢は二層の階段の三段目にいた。上がったつもりでいる。


 寺尾がその腕を掴んで、一層へ押し上げた。押し上げてから、階段の上で振り返った。


「まあ待て。俺が支える。三段目は上じゃない。ここから上がらん」


 二文で言って、戸沢を一層の柵の内側へ入れた。


 三層へ下りる階段は、水の中にあった。膝の上まで来ている。


 水は濁っていない。地下街の水は、雨のわりに澄む。澄んでいるので、階段の段が数えられる。数えられるということは、下がどれだけ深いかが分かるということになる。


 十四段目まで数えて、そこから先が見えなくなった。


 五人は下りた。下りた先の突き当たりに、防火シャッターがある。


 高さ三メートル、幅六メートルの鉄の板になる。下端が床に着いている。着いた場所が、もう水の下になっていた。


 内側から、叩く音がした。金属を金属で叩く音になる。一定の間隔で、続いている。


 迅がシャッターを掌で叩いた。二度叩いた。


 内側から、三度返ってきた。二度に三度で返すのは、決めごとではない。中の誰かが、そうした方が伝わると思ったことになる。


 三度目が来るまでに、四秒あった。四秒の間、五人とも動かなかった。


「三人、いる」


 迅がそう言って、シャッターの下端に指を掛けた。掛けた場所は、床との隙間になる。隙間は二センチほどある。


 装甲の指を、そこへ入れた。入れた先の鉄が冷たい。水に浸かっているので、外側より冷える。


 水面が持ち上がった。


 シャッターの手前、五メートルほどの場所になる。持ち上がった水の中に、外れた蓋の錆と、排水管の内側の泥が混ざっている。


 混ざったまま、三層の天井まで立った。天井は二百四十センチしかない。柱は、そこで潰れて横に広がった。


 広がった先が、階段の下を塞いだ。


 迅が左手首の蓋を跳ね上げた。五人が同じ動作をした。


「急報 ── 出場!」


> サイレン ── 起動。〈火群 迅〉。応答、確認。

> サイレン ── 起動。〈逢坂 澪〉〈灰谷 蒼汰〉〈寺尾 剛〉〈七尾 ひかり〉。応答、確認。


 反射帯の光が足元から頭まで走った。装甲が下から順に組み上がる。五つの送話口が、同じ高さで止まった。


 五人が同時に右手を上げた。耳の高さで止めて、掌を外へ向ける。受話器を取る形になる。


> 水を持ってく、火の現場 ─── サイレンレッド!

> 声を持ってく、知の現場 ─── サイレンブルー!

> 綱を持ってく、高の現場 ─── サイレンイエロー!

> 梁を持ってく、圧の現場 ─── サイレングリーン!

> 息を持ってく、生の現場 ─── サイレンピンク!

>

> 特別災害対策機構、第七支部 ──

> 呼ばれたら、鳴らして、行く!

> 急報戦隊、サイレンジャー!


 天井が低いので、口上は上へ行かなかった。横へ走って、三層の端まで届いて、返ってきた。


 返ってきた声が、シャッターの内側にも入った。内側の叩く音が、そこで一度、速くなった。


 迅がブレスを柱へ向けた。


「トリアージ!」


> 判定 ── 赤。要救助者、内部に一名。生存反応、あり。危険。


 盤面が赤くなった。


 五人とも、その色を初めて見た。


 誰も、すぐには何も言わなかった。


「赤って」


 蒼汰が言った。声が一段低い。


 澪が答えた。声の高さを変えていない。変えていないので、余計にはっきり聞こえた。


「撃てない。必殺は使えない。開けるだけになる」


「開けるって、どっちを」


「両方」


 シャッターの内側に三人。柱の内側に一人。開ける先が二つある。


 二つのうち、片方は鉄で、片方は水になる。鉄は力で開く。水は力では開かない。


 五人とも、そこまでは一秒で分かった。分からないのは、どちらを先にするかになる。先にした方が助かって、後にした方が助からない場合がある。


 迅は指をシャッターの隙間から抜かなかった。抜かずに、そのまま体重を掛けた。


「寺尾さん」


「分かった」


 寺尾がハンマーを構えた。構えて、シャッターの下端の左右へ、鉄の柱を二本、斜めに打ち込む。


 打ち込んだ柱が、シャッターを下から二センチ持ち上げた。隙間が、その倍まで広がる。


「まあ待て。俺が支える。一気に上げるな。上げた分だけ、水が入る」


 二文で言って、柱の下に自分の肩を入れた。


 迅は指を入れ替えた。広がった隙間へ、両手の指を全部入れる。


 入れてから、引いた。


 鉄が鳴った。鳴った音が、三層の端まで走った。走った先の壁で返って、また戻ってくる。戻ってきた音の方が、大きく聞こえた。


 装甲の指の腹が裂けた。裂けた場所から、赤いものが出た。水に落ちて、すぐ見えなくなる。


 迅は止めなかった。止めずに、もう一度引いた。


 隙間が二十センチになった。


 柱が背中から来た。


 迅は振り返らない。振り返らずに、引き続けた。


 当たる直前で、ひかりが間に入った。入って、両腕を上げた。


 当たった。ひかりの体が横へ飛んで、水の中を三メートル滑る。


 滑った先で、この人は立った。立ってから、七つ数えた。


「息、返すよ」


 数えたのは自分の分になる。三年で、自分に向けて数えたのは数えるほどしかない。


 蒼汰が索を投げた。柱の上、三分の一の高さへ。掛かってから、一度だけ引いた。


「上、任せろ。天井まで二百四十。真横に引きます」


 引いた。引いた場所が裂けた。裂けた隙間から、手が一本出た。


 女の手になる。指に軍手をしている。


 ひかりが水を蹴って走った。走って、その手を掴んだ。掴んでから、七つ数えた。


「息、返すよ」


 引き出した。出てきたのは四十くらいの女で、地下街の清掃の服を着ていた。目は開いている。何も言わない。


 誰も、この人が何故そこにいたのかを訊かなかった。訊く言葉を、六人はまだ持っていない。


 ひかりは女を階段の途中まで運んで、そこへ座らせた。座らせてから、上着を脱いで肩へ掛けた。水に浸かった人は、上がってからの方が冷える。


 シャッターの隙間は、五十センチになっていた。


 中から、人が出はじめた。這って出る。一人目は五十くらいの男。二人目は二十くらいの女。三人目は六十を越えた男になる。


 出る順は、三人が中で決めていた。決め方を、六人は聞いていない。聞かないまま、出てきた順に受け取った。


 三人目が出る時に、迅の指が滑った。


 滑った分だけ、シャッターが五センチ下りた。下りた先に、三人目の背中がある。


 寺尾が肩を入れ直した。入れ直した分だけ、五センチが戻った。


 三人目が出た。出た後で、シャッターは自分の重さで床まで落ちた。


 落ちた音が、三層の水を一度だけ揺らした。揺れた水の面に、天井の非常灯が映って、割れて、また揃った。


 澪が柱の反対側でソナーを構えた。撃つ前に必ず人数を言う。


「八名。三層に八。柱の中は零。撃てる」


 撃った。低い音が、柱の真ん中を通った。通った場所だけ、水が止まる。


 止まった場所へ、迅が入った。斧は右手一丁になる。左手は、握れていない。


 技の名は呼ばなかった。呼ぶ形にならない。片手では、あの構えが取れない。


 振った。刃が柱の腹へ横から入って、水の面と同じ高さで抜けた。


 割れた場所から、外れた蓋の錆が、水の上へ広がった。


 柱は割れたまま、階段の下から上へ抜けた。抜けた先が、一層になる。


*


 地上へ出た人が、最初に見たのは水だった。


 東口の階段から、水が横向きに出てきた。出てきた水が、そのまま歩道の上で立ち上がる。


 立ち上がった高さが、駅前の街路樹を越えた。越えてから、まだ伸びた。


 階段の上に、黒い傘が残っていた。


 迅はそこへ出た。出てから、傘の前で止まった。


 白い手袋の手が、傘の柄を持ち替えた。持ち替えただけで、何もしていない。


「ご迷惑ですから」


 三度目になる。言い方は、一度目と同じ高さだった。


 迅は斧を上げた。上げた腕が、いつもより低い位置から始まった。


 低いのは、左手が使えないからになる。片手で振ると、腕は下から出る。下から出る分だけ、届くまでが遅い。


 遅い方が、当たらない。当たらないと分かっている距離だった。


 振った。


 届いた。


 傘の縁が、三十センチほど切れた。切れた場所から、雨が中へ入った。


 黒い傘の下で、白い手袋が動いた。動いて、切れた縁を指で摘まんだ。摘まんで、そこを見た。


 何も言わなかった。三度目のあと、この声は何も言わない。


 傘が閉じた。閉じてから、雨の中を歩いていった。


 歩き方が速くない。逃げていない。逃げる必要が無い側の歩き方になる。


 三十人ほどが、その背中の前を通り過ぎた。誰も避けなかった。避ける理由が無い。傘を差してくれる人の顔を、この街の誰も覚えていない。


 迅は追わなかった。追えなかったのではない。追う前に、階段から人が上がってきたからになる。


 最初に上がってきたのは、清掃の服の女だった。ひかりが背中を支えている。


 二人目、三人目、四人目が続いた。シャッターの中にいた三人になる。


 六十を越えた男が、階段の上で振り返った。振り返って、下を見た。


 下は、もう水しか見えない。


「あんた」


 男が迅を呼んだ。迅は振り向いた。


「叩いてたの、聞こえてたか」


「聞こえた」


「そうか」


 男はそれだけ言って、頷いた。頷いてから、両手で顔を拭いた。雨で濡れているのか、そうでないのかは分からない。


「ありがとう」


 迅は答えなかった。頷きもしない。頷く形が、まだ体に戻っていなかった。


 左手は、上着の袖の中で握れていない。握れていないことに、この人はまだ気付いていない。


 礼を言われる回と、言われない回がある。この日は、言われた回になった。


 答えずに、階段の下をもう一度見た。


 見た先で、水がまだ上がってきている。上がる速さは、地下にいた時より速い。塞いでいた柱が、抜けたからになる。


 地下三層で宮ヶ瀬が盤を叩いた。


「駅前です。地下のある場所には立てません」


 五機が駅前の道から入ってきた。サイレンクレーンが東口の手前でアウトリガーを張る。四本目が、半拍遅れて張られた。


 サイレンメディックが西口へ回り、後扉を開けたまま待っている。サイレンウイングが雨の中を低く抜けた。


 抜けた風で、水の柱の表面が一度だけ乱れた。


「五機、連結!」


「特災合体 ── サイレンオー!」


 サイレンオーが立った。


 東口の階段の上から見上げた戸沢には、脚と、胴の下半分が見えた。清掃の服の女には、左手だけが見えた。


 その左手は、開いていない。握ったままになる。


 水の柱が、駅の東側へ動いた。動いた先に、排水路の入口がある。九月の頭に点検が済んでいる入口になる。


 迅の声が回線に入った。


「撃たない」


 誰も何も言わなかった。


 サイレンオーは右腕を上げない。上げずに、左腕を排水路の蓋へ差し込んだ。


 握ったままの左手が、蓋の縁に掛かる。掛かった指は、四本とも入らない。三本だけになる。


 三本で、引いた。


 鉄と石の擦れる音が、駅前の広場まで届く。届いた先で、二百人が同じ方を向いた。


 蓋が開いた。開いた先から、水の音が下へ落ちていく。


 水の柱が、そちらへ傾いた。傾いてから、崩れた。


 崩れた水が、排水路へ落ちていく。落ちながら、体を保てなくなった。


 最後に残ったのは、外れた蓋の錆になる。錆は水に浮いて、そのまま流れていった。


 駅前の広場に、二百人ほどが立っていた。傘を差している人と、差していない人がいる。


 誰も拍手をしなかった。この街は、まだ拍手の仕方を知らない。


 二十一時二分に、地下街三層の水位が下がりはじめた。


 下がりはじめたのは、外れた蓋を戻したからではない。蓋は戻していない。戻す前に、排水路が開いたからになる。


 三層は、その夜のうちに閉鎖された。ポンプが二基とも水に浸かっている。動くようになるまで、三週間掛かる。


 閉鎖の掲示は、翌朝に一層の階段の脇へ貼られた。紙は一枚で、理由は書かれていない。書かれているのは、いつまで使えないかだけになる。


 貼られた紙の前で足を止める人は、朝のうちは多い。昼を過ぎると、誰も止まらなくなる。三日目には、掲示があること自体を通行人が忘れる。


 三週間、駅の東側の駐車場は使えない。使えない分だけ、地上の道が混む。混んだ道は、救急車の通りも遅くする。


 この街から、地下に一つ、使える場所が減った。減った分は戻る。三週間で戻る。それでも、戻るまでの三週間は数えられている。


 混むことを、この夜の誰も知らない。


 ひかりが迅の左手を取った。取ってから、装甲の指を一本ずつ外した。


 指の腹が、四本とも裂けている。爪の脇まで来ているのが二本になる。


「痛みが出たら、出たと言ってもらえますか」


「いや」


「痛いです。これは痛いので、痛いと言ってもらえますか」


 迅は何も言わなかった。ひかりは洗って、当てて、巻いた。巻いた端を二度折り返して止める。


「三日で塞がります。跡は残ります」


「分かった」


 迅はその手で、また靴の紐を結び直した。巻いた布の分だけ、指が太い。結ぶのに、いつもの倍かかった。


 結び直してから、階段の上を見た。


 黒い傘のいた場所には、切れた布が三十センチぶん落ちていた。


 澪がそれを拾った。拾ってから、袋へ入れた。


 入れた袋を、この人は宮ヶ瀬へ渡さなかった。自分の机の引き出しへ入れた。


 渡せば調べてもらえる。調べれば、布の織り方くらいは分かる。分かったところで、次に降ってくる雨は止まらない。


 澪は引き出しを閉めた。閉めてから、その上に手を置いて、五秒ほどそのままにした。


 五秒というのは、この人が何かを決めるのに使う長さになる。決めた内容は、口に出さない。出さないので、誰も知らない。


*


 支部へ戻ったのは、二十二時を回ってからになる。


 速水が地下三層で、五機の下へ受け皿を並べていた。五機とも水を持って帰っている。


「五台とも下から落ちてます。床が濡れるので、朝までこのままにします」


 佐波がサイレンファイヤーの下へ潜って、泥の量を見ていた。見てから、出てきた。


「泥が上まで来てます。膝より上です。全部の機体で同じ高さです」


 宮ヶ瀬が工具を置いた。置いてから、一言だけ足した。


「水の中で握れる手を、まだ作れていません」


 毎回、作れなかったものを一つ言う。三年、欠かしたことが無い。


 戸倉と梅木は、この夜は上がっていた。翌朝から五機の泥を落とすことになる。落とす順は、下から上と決めてある。


 速水が佐波に言った。


「レッド、シャッターに指を入れたまま二回引いたそうです。二十センチと、五十センチ」


「本人に言ってやったらどうだ」


「言いません。二十センチのところを訊かれるので」


 澪は受信席の裏で、尾花の用紙を見ていた。


 背後の音の欄に、水、金属、放送、と書いてある。三語目に放送と書いたのは、この日が初めてになる。


 澪は自分の地図に付箋を一枚貼った。中央駅前二丁目、東口。これで八枚目になる。


 付箋には何も書いていない。


 貼ってから、引き出しを開けた。切れた布の袋が入っている。


 閉めた。


 三階の食堂で、寺尾が汁を温め直した。豆腐は形を保っている。


 寺尾は、迅の椀だけ箸を短いものに替えていた。替えたことを言わない。迅も何も言わずに使う。


 六人は、食べ終わらなかった。二階の受信席で、電話が鳴った。


> 【第七支部 出場記録】

> 臨場 ── 十九時四十七分。所要 ── 八十一分。

> 保留 ── 一件。最長 ── 一分五十四秒。

> 未着 累計 ── 零。

> 判定 ── 赤。必殺、不使用。

> 損壊 ── 中央駅前二丁目 地下街三層 全域 冠水。排水ポンプ 二基 水没。復旧まで三週間。

>     同 歩道 人孔蓋 一枚 亡失。

> 救助 ── 四名。搬送 ── 一名。氏名 ── 不詳。

> 傷病 ── 隊員 一名。左手 裂傷。

> 本件、処理 ── 完了。

> ── 入電。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。