第016話 誰も来ない
> 【第七支部 覚知記録】
> 覚知 ── 七月三十日 十九時五十分。
> 入電 ── 携帯電話。発信地 ── 商店街 一丁目。
> 第一声 ──「誰も来ない」
> 出場 ── 第七支部 全隊。
「誰も来ない」
尾花律子は用紙を引き寄せた。時刻を分まで書く。秒は書かない。当直の三階へはまだ知らせていない。知らせる前に訊く順番が決まっている。
背後の音が大きい。太鼓と、人の声と、揚げ物の音が混ざっている。
「はい、鳴瀬市消防指令センターです。今何処におられるか教えてください」
「祭りのとこです。商店街の」
「商店街の何丁目か、看板が見えたら教えてください」
「見えません。人がいっぱいで」
尾花は書いた。商店街、夏祭り、看板見えず。三語で足りる。
「お名前を教えてください」
「荒井です。荒井昭三。七十八になります」
「荒井さん。今、立っていますか。座っていますか」
「座ってます。というか、倒れました」
尾花はそこで欄を一つ飛ばした。あとで埋める欄になる。
「どこか痛むところがあれば教えてください」
「胸じゃないです。目が回って、それで足が」
「頭を打ったかどうか、覚えていたら教えてください」
「打ってません。ゆっくり落ちたので」
背後の音は変わらない。太鼓が続いている。人の声も続いている。
「周りに人はいますか」
「います。たくさんいます」
「その中の誰かに、声を掛けられますか」
「掛けました。三回」
尾花は書く手を止めなかった。
「誰も来ない」
荒井昭三が、もう一度そう言った。今度は電話に向かって言っている。
「聞こえています。今から私たちが行きますので、そのまま待っていてください」
「祭りですから。みんな見てるんです。上を」
「荒井さん。座ったままでいてください。立とうとしないでください」
「立てません」
「立てないなら、そのままでいてください。動かない方が早く見つかります」
尾花は用紙の下の欄に、背後の音を書いた。太鼓、人、油。三語だけになる。
三語のうち二つが、人のいる音になる。人のいる音がこれだけ大きいのに、通報は一本しか来ていない。
祭りの夜は、いつもより通報が減る。減る理由は分かっている。人が多い場所では、誰かがもう呼んだと思う人が増えるからになる。
尾花はその理由を、用紙のどの欄にも書かない。書く欄が無い。
「荒井さん。すぐ近くに、何か大きいものは見えますか」
「提灯が見えます。頭の上に、ずっと」
「その提灯は、赤いですか、白いですか」
「白です。字が書いてあります」
「その字が読めるようでしたら、読めるところまで教えてください」
「かねやま、と読めます」
尾花は書いた。かねやま。それだけで、場所が一つに絞れる。
「荒井さん。着くまで電話を切らないで、持ったままでいてください」
「切りません」
通話は切れなかった。
十九時五十分の三階に、太鼓の音が届いていた。
商店街までは直線で八百メートルある。八百メートル先の太鼓が、窓を開けていると聞こえる。
七月三十日になる。夏祭りは二日ある。この日が一日目になる。
三階の冷房は、二台とも動いていた。先週やっと部品が来た。速水が扇風機を三台とも片付けている。
「班長。もう要らないですね」
「置いとけ。来年また要る」
「来年まで置いておきますか」
「置いとけ。物を捨てると、次に要る時に無い」
寺尾剛が湯を沸かしていた。祭りの日でも沸かす。人数分より一つ多く出す。
「祭りの日は、何が多いんですか」
「けがと、迷子と、火だ。順番でいうと迷子が一番多い」
二文で言って、それきりになった。
灰谷蒼汰は索を巻いていた。祭りの人混みでは索が使えない。使えないと分かっていても、三巻き用意する。
「今日は投げられません。人が多すぎます」
「持っていくのか」
「持っていきます。使わない日も三巻きです」
七尾ひかりは袋を確かめていた。当て布が五枚。先週使った二枚が、翌朝には補充されていた。
迅の前腕に、まだ帯が巻いてある。四日目になる。抜糸はまだ先になる。
ひかりが袋を置いて、そちらへ向いた。
「レッドさん。腕を見せてください」
「見せた」
「昨日見せてもらったのは左です。今日は右を見せてください」
迅は右腕を出した。ひかりは帯を解かない。上から押して、下の様子を指で見る。
「開いていません。今日は使ってくださって大丈夫です」
「使う」
「使ってもいいですが、上まで上げないでください。上げると突っ張ります」
迅は右腕を上げた。肩の高さで止めた。止めた場所が、いつもより低い。
逢坂澪は二階から降りてこない。この人は席にいる。
付箋が十五枚、地図に貼ってある。
*
久遠寺修司が地図の前に立った。
「祭りです」
尾花が言った。声の調子は普段のままになる。
「商店街で七十八歳が倒れています。周りに人はいますが、誰も来ていません」
久遠寺は壁の紙を見た。七月の数字が並んでいる。明日には八月の紙になる。
未着 累計 ── 零。
> 候補、三点ございます。第一、商店街一丁目 八番。第二、同 十二番。第三、商店街二丁目 三番。
「一です」
澪は候補を最後まで聞かずに答えた。
「商店街一丁目八番。かねやま金物店の前になります。白い提灯にその屋号を入れているのは、この一軒だけです」
「人は」
「祭りの一日目で、去年の数字は四千人。今年は暑いので、去年より多いはずです」
「車は」
「入れません。商店街は歩行者だけになります。近くまで行けるのは二丁目の裏口までです」
「裏口から何メートルか」
「三百です。人混みの中を三百」
「提灯は」
「一丁目から三丁目まで、五百二十個。電気ではありません。今年から蝋燭に戻しています」
久遠寺の指が地図の上で止まった。
「戻した理由は」
「記録がありません。商店会の決めごとです」
澪は付箋を一枚めくった。
「座標、出た」
「第七支部 ── 出場!」
地下三層の扉が上がった。
「三層、開放!」
宮ヶ瀬佳代が盤の前に立っていた。この日は寝ていない。祭りの二日は寝ないことにしている。
「一号から五号、出場!」
言ってから、無線を切らずに続けた。
「メディックは二丁目の裏口までだ。中は入れない。人混みを割って進む車は、うちには無い」
「担架は」
「担架も通らない。抱えて出るしかない。三百メートル抱えて走る道具は、まだ作れなかった」
迅はアクセルを踏んだ。踏んでから、返事をしなかった。サイレンファイヤーの真空引きが鳴りきる前に、車体は出ている。
商店街の裏口までは五分掛かる。祭りの夜で、周りの道が全部混んでいた。
「回線、五本使います」
澪の声が耳に入った。
「市民が使えるのは三本。今、掛かっているのは二本です。一本は荒井さん、もう一本は祭りの本部からになります」
二本目は、迷子の照会になる。尾花が両方を持っている。
裏口で車を降りた。降りた先から、音が壁のように立っていた。
太鼓と、笛と、四千人分の足音になる。
迅は走った。走ったが、十歩で止まった。人が前にいる。人は避けない。避けないのではなく、来ていることに気付いていない。
「行くぞ。先に着く」
言ったが、進めない。
ひかりが横に並んだ。並んでから、半歩だけ前へ出る。
「レッドさん。ここは走らないでください。押すと転ぶ人が出ます」
「急ぐ」
「急ぎます。ただし、私が先に行きます。私の方が体が小さいので、隙間を通れます」
ひかりは人の間を抜けた。抜け方が独特になる。肩から入らない。腰から入って、体を斜めにして通る。
迅はその後ろに付いた。付いてから、自分の歩幅を落とした。
三百メートルを進むのに、四分二十秒掛かった。
途中で二度、ひかりが立ち止まった。立ち止まったのは、前に子どもがいたからになる。子どもは大人の腰より低い。低いところを見ながら進むと、速さが落ちる。
落ちた速さの分を、誰も取り返さない。取り返そうとすると、誰かを押すことになる。
かねやま金物店の前に、荒井昭三が座っていた。
店の壁に背中をつけて、足を投げ出している。手に携帯電話を持っていた。周りを人が通っている。通っているだけで、誰も止まらない。
止まらないのは、見えていないからになる。座っている人は、立っている人の視界に入らない。祭りの夜は、みんな上を見ている。
「荒井さん」
ひかりが膝を突いた。突いてから、七つ数える。
「息、返すよ」
脈を見た。速い。皮膚が乾いている。汗が出ていない。
「荒井さん。暑いですか」
「暑くないです。さっきまで暑かった」
「その言い方でいいです。水を飲んでみてください」
「飲めます」
ひかりは水を含ませた。含ませてから、顎で日陰の側を指した。
「日陰へ移してください。抱えていいです。ただし、頭を下げないでください」
迅は荒井を抱えた。右腕に力が入る。帯の下が突っ張った。
突っ張っただけになる。開いてはいない。
人が割れた。抱えている人がいると、人は割れる。座っている人には割れない。
割れた道を通って、日陰まで十五メートル。着いた先は金物店の軒下になる。店主が敷物を出した。出してから、店の奥へ戻っていく。
迅は荒井を下ろした。下ろしてから、自分の右腕を見た。帯は白いままになっている。
*
提灯が落ちたのは、その後になる。
一丁目の端で、白い提灯が一つ落ちた。落ちた先は露店の屋根になる。屋根は布で、その上に落ちた蝋燭が転がった。
布が焦げる。焦げてから、燃えた。
燃えた屋根の下に、揚げ物の鍋があった。
二つ目の提灯が落ちた。三つ目が落ちた。落ちる先が、順に東へ移っていく。
五百二十個のうち、二十個ほどが続けて落ちた。
落ちた火が集まって、通りの真ん中で立ち上がった。人の形は取らない。細長い提灯の骨が、幾つも束になった形になる。骨の間で火が回っていた。
四千人が、そこで初めて下を見た。
迅は前に出た。左手首の蓋を跳ね上げる。五人が同じ動作をした。
「急報 ── 出場!」
> サイレン ── 起動。〈火群 迅〉。応答、確認。
> サイレン ── 起動。〈逢坂 澪〉〈灰谷 蒼汰〉〈寺尾 剛〉〈七尾 ひかり〉。応答、確認。
反射帯の光が足元から頭まで走った。装甲が下から順に組み上がる。五つの送話口が、同じ高さで止まった。
五人が同時に右手を上げた。耳の高さで止めて、掌を外へ向ける。受話器を取る形になる。
> 水を持ってく、火の現場 ─── サイレンレッド!
> 声を持ってく、知の現場 ─── サイレンブルー!
> 綱を持ってく、高の現場 ─── サイレンイエロー!
> 梁を持ってく、圧の現場 ─── サイレングリーン!
> 息を持ってく、生の現場 ─── サイレンピンク!
>
> 特別災害対策機構、第七支部 ──
> 呼ばれたら、鳴らして、行く!
> 急報戦隊、サイレンジャー!
太鼓が止まった。止まったのは、叩いていた人が手を止めたからになる。
迅がブレスを塊へ向けた。
「トリアージ!」
> 判定 ── 黒。要救助者、内部に確認できません。
「黒だ」
サイレンギアを抜いた。柄を半回転させる。ギアが噛んだ。祭りの音の中で、噛む音が聞こえない。
「筒先!」
水を出した。骨の束の根元へ当てる。当たった場所の火が消えて、隣の骨へ移った。
塊は細くなった。細くなった分、動きが速くなる。
「速いです」
澪がソナーを構えた。撃つ前に必ず人数を言う。
「この通りに四千十二名。一丁目に千二百、二丁目に千五百、三丁目に千三百。回線、残り三本」
撃った。音が骨の束を通る。通って、あちこちで跳ね返った。
「中が空です。骨だけです。中身がありません」
「軽いのか」
「軽いです。軽いので、人のいるほうへ流れます」
塊は人混みの方へ寄った。寄った先が二丁目になる。千五百人がそこにいる。
迅が人混みの方を見た。
「逃がすぞ」
「逃がせません」
寺尾が前へ出た。出てから、ハンマーを構えずに人混みの方を見た。
「まあ待て。四千人は逃がせん。三百メートルを走らせたら、それだけで人が転ぶ」
「なら止めるのか」
「止める。ここで止める」
寺尾は柱を打った。打った先は、二丁目の入口になる。人が通る幅を残して、二本を打つ。
二本の間を、人は通れる。塊は通れない。骨の束が横に広がっているからになる。
塊は横へ回った。回った先の路地が暗い。人がいない。
そこで塊が濃くなった。骨の数が増えて、火が強くなる。
「暗いところで太くなります」
「明るいところでは」
「細くなります。人の見ているところでは、形が保てていません」
澪の声が入った。それを聞いてから、迅が路地の入口に立った。
「見せろ」
迅がそう言った。寺尾が振り向く。
「見せる、とは」
「連れ出す。明るいところへ」
寺尾がハンマーを地面に置いた。置いてから、二本目の柱を路地の奥に打つ。
「奥を塞ぐ。塞げば、出口は通りの側だけになる。出てきたところを、四千人が見る」
蒼汰が索を投げた。人混みの上を越して、路地の奥の壁へ噛ませる。噛ませてから、こちらへ引いた。
「索は二本。頭の上を通します」
「高さは」
「二メートルで止めます」
「当たるか」
「当たりません。背の高い人でも指一本分あります」
塊は路地から出てきた。出てきた先が、一丁目の真ん中になる。
提灯の落ちた場所で、四千人がそれを見た。
見られた塊は、細くなった。骨の束がほどけて、間が空く。
澪の声が入った。
「今です」
「入る」
迅は間へ入った。入って、束の内側から外へ向けて斧を振った。
骨が外へ散る。散った骨は、地面に落ちてただの竹になった。
ひかりが荒井昭三の横に戻っていた。戻って、脈をもう一度見ている。
「荒井さん。上、見えますか」
「見えます」
「あれが終わるまで、上を見ていてください」
*
通りの端で、竹が集まったのは、その後になる。
散った骨が全部集まって、そこで立ち上がった。二十倍になる。骨の間に火が回っていて、上から下まで光っていた。
高さが商店街のアーケードを越えた。越えた先で、三丁目の方へ傾く。
「上げろ」
迅が言った。言ってから、四千人の位置を確かめた。四千人は動いていない。動かずに、上を見ている。
地下三層で宮ヶ瀬が盤を叩いた。五機がスロープを昇る。
「三番からだ」
「分かってる」
「商店街の中には入れない。外から腕だけ入れることになる」
「入れる」
返事をしてから、迅は号令を出した。
「五機、連結!」
サイレンクレーンが前へ出た。アウトリガーを張る。一本、二本、三本。四本目が、半拍遅れて張られた。
その半拍で、メディックとウイングが脚に入る。レスキューが右腕になった。クレーンが畳んだアウトリガーを、そのまま左の拳にする。開かない。左の掌は、この日も閉じたままになった。
ファイヤーが上から降りて、胴と頭が乗った。
「特災合体 ── サイレンオー!」
四千人が、一斉に首を反らせた。
アーケードの屋根に穴が開いている。提灯を吊るために、夏だけ外す部分になる。その穴から、四十メートルのものが見えた。
見えたのは頭と、胸の放水口までになる。全部は見えない。
荒井昭三は座ったまま、それを見ていた。座っている人には、屋根の穴の分しか見えない。
右手を耳の高さに上げた。掌を外へ向ける。
誰にも教わっていない。上を見ている四千人のうち、その形を作ったのは一人だけになる。
サイレンオーは商店街の外に立っていた。中には入らない。入ると屋根を壊す。
腕だけを、屋根の穴から入れた。
右腕が入る。掌が開いて、竹の束を掴んだ。
掴んで、そのまま上へ引き抜く。屋根の穴から外へ出した。
外へ出た塊は、商店街の外の駐車場の上に来た。そこには人がいない。
「胸だ」
迅が右腕を引いた。引いた腕を、胸の高さで止める。胸の放水口が全開になった。
「サイレンオー ── 全消斬ッ!」
水が刃の形で出た。斬るのではない。骨の束を上から下へ押し切って、火の回る道を潰す形になる。
竹が真ん中で折れた。折れた先から火が消えて、上から順に灰になった。
灰は駐車場の上に落ちた。商店街の中へは一つも入っていない。
屋根の穴から見ていた四千人が、そこで音を立てた。
太鼓ではない。四千人分の息の音になる。
*
二十時三十分になる。
所要は六分二十秒だった。
商店街一丁目の露店が五つ焼けている。提灯は百二十個。残り四百は無事になる。
荒井昭三は救急の車へ乗った。乗る前に、ひかりの手を掴んだ。
「三回、声を掛けたんです」
「聞きました」
「みんな、悪くないんです。祭りだから」
「はい」
「それでも、電話は繋がりました」
ひかりは答えなかった。答えずに、掴まれた手をそのままにした。
荒井が手を離した。離してから、頭を下げた。
「ありがとうございました」
ひかりは頷いた。頷いてから、車の扉に手を掛けた。
商店会の役員が三人、そこへ来た。半纏を着ている。
「今日は、ここで終いにします」
「明日は」
「明日は、決めていません」
役員はそう言った。言ってから、通りの方を見た。焼けた露店の五つが、まだ煙を出している。
武藤徳三が、その隣に立っていた。この人も屋台を出している。祭りの二日だけ、豆腐を出す。
武藤の屋台は焼けていない。三軒東になる。
「うちは開ける」
「明日ですか」
「明日だ。決めるのは商店会だが、開けろと言われたら開ける」
武藤はそれだけ言って、自分の屋台へ戻った。
寺尾はファイヤーの後ろで装備を降ろしていた。降ろしながら、迅の方を見ない。
この夜も、寺尾は何も言わなかった。
迅は屋根の穴を見上げていた。穴の向こうに、四十メートルのものが立っていた場所がある。今はもう何も無い。
右腕を上げた。肩の高さで止めた。それより上へは、上げなかった。
*
地下二層は油の匂いがする。この夜は、焼けた竹の匂いも入っていた。
梅木あかねがサイレンオーの右腕の掌を見ていた。指の間に、竹の繊維が挟まっている。
「班長。取りますか」
「取れ」
「細かいです。全部は取れません」
「取れるだけ取れ。残ったのはそのままでいい」
宮ヶ瀬佳代はそう答えた。答えてから、図面を見ずに続けた。
「商店街の屋根を壊さずに入れる腕は、まだ作れない」
梅木は面を上げた。上げるのが速い。上げた顔に灰が付いていた。
佐波悠が竹を数えていた。掌から出てきた繊維を、紙の上に集めている。
「何本ありますか」
「数えられません。折れてるので」
「数えなくていい」
「数えます」
佐波は数え始めた。数え終わるのに、二十分掛かった。
三百二十七本あった。数えた本数を紙に書いて、集めた繊維と一緒に袋へ入れる。袋には日付だけを書いた。
誰も見に来ない。見に来ないものを、この見習いは三年ぶん取ってある。
三階では、ひかりが手帳を開いていた。真ん中の頁になる。線を一本足した。
足してから、迅の腕のことを別の頁に書いた。別の頁は前の方にある。線ではなく、字で書いてある。
二階では、澪が付箋を書いていた。十六枚目になる。七月三十日、商店街。
通報 二件。書いてから、地図に貼った。
二件と書いた付箋は、十六枚のうちこれが初めてになる。
上の欄が荒井昭三で、下が祭りの本部からの迷子の照会になる。迷子は見つかった。
誰も呼ばなかった側と、すぐ呼ばれた側が、同じ夜に同じ場所で起きている。
澪はその付箋を、一丁目の位置に貼った。貼ってから、指を離さずに少し置いた。
二階の受信席で、電話が鳴った。
> 【第七支部 出場記録】
> 臨場 ── 十九時五十六分。所要 ── 六分二十秒。
> 保留 ── 一件。最長 ── 一分二秒。
> 未着 累計 ── 零。
> 焼損 ── 商店街一丁目 露店五。提灯 百二十。
> 傷病 ── 一名。熱中症の疑い。搬送。
> 中止 ── 夏祭り 一日目。二日目以降、未定。
> 本件、処理 ── 完了。
> ── 入電。




