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急報戦隊サイレンジャー ~呼ばれたら、行く。呼べないなら、見つけに行く~  作者: 智珠
第一巻

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18/18

第017話 まだ中に

> 【第七支部 覚知記録】

> 覚知 ── 七月三十一日 十五時四十分。

> 入電 ── 携帯電話。発信地 ── 川沿い 五丁目。

> 第一声 ──「まだ中に」

> 出場 ── 第七支部 全隊。


「まだ中に」


 尾花律子は用紙を引き寄せた。時刻を分まで書く。秒は書かない。当直の三階へはまだ知らせていない。知らせる前に訊く順番が決まっている。


「はい、鳴瀬市消防指令センターです。今何処におられるか教えてください」


「川沿いの五丁目です。下水の工事してるとこ」

「お名前と、そこで何をしているか教えてください」

「沼田です。作業員です。掘ってました」


 尾花は書いた。川沿い五丁目、下水道工事、通報者は作業員。三語で足りる。


「まだ中に、というのは人のことか教えてください」

「人です。木戸さんが。溝の中に」

「その方は今、どこまで埋まっているか教えてください」

「腰です。腰から下」

「頭は出ていますか」

「出てます。喋ってます」


 尾花はそこで欄を一つ飛ばした。あとで埋める欄になる。


「その方の周りに、まだ崩れそうな土があるかどうか教えてください」

「あります。片側の壁が全部来ました」

「今、掘り出そうとしている人はいますか」

「三人でやってます」

「一度、全員に手を止めさせてください。掘ると、上がまた来ます」

「止めます」


 背後で声が動いた。止めろ、と言っている声になる。止まるまでに四秒掛かった。


「沼田さん。溝の縁から二メートル離れて、そこで待っていてください」

「木戸さんが」

「木戸さんには声を掛け続けてください。溝には入らないでください」

「はい」


 尾花は用紙の下の欄に、背後の音を書いた。土、金属、蝉。三語だけになる。


 夏の工事の現場は、音が乾いている。雨のあとの現場は音が湿る。この日は乾いていた。


「沼田さん。掘っている機械は止まっていますか」

「止めました。エンジンも切りました」

「そのままにしておいてください。動かすと振動が伝わります」

「動かしません」


 通話は切れなかった。


 十五時四十分の三階は暑い。


 七月の最後の日になる。窓の外に蝉の声がある。


 商店街の夏祭りは、二日目が中止になった。朝に商店会から連絡が来ている。


 武藤徳三はこの日、屋台を出さなかった。豆腐は六時に届いている。祭りの二日目のぶんを、そのまま支部へ置いていった。


「十八ある」

「多いですね」

「多い。出す先が無くなった」


 武藤はそれだけ言って帰った。丁とは言わない。


 寺尾剛が十八を五つに分けていた。分けきれない分を、自分の皿へ寄せる。この日は三つ余った。


「班長。三つも食べるんですか」

「食べる。残すと武藤さんが困る。困らせる方が悪い」


 二文で言って、それきりになった。


 灰谷蒼汰は索を三巻き用意していた。夏の索は硬い。硬いままで、太さは変わっていない。


「太さが同じです。三日続けて」

「同じだと困るのか」

「困りません。三日同じは初めてです」


 七尾ひかりは袋を並べ直していた。上から、手袋、鋏、当て布、それから吸うための管になる。


 迅の右腕の帯は、この日で外れている。抜糸は昨日になる。


「レッドさん。傷を見せてください」

「見た」

「線が残ります。半年で色が薄くなりますが、線は消えません」

「消えなくていい」


 迅は右腕を上げた。上がった。上がりきったところで止めて、それから下ろした。


 逢坂澪は二階から降りてこない。この人は席にいる。


 速水が図面を持って上がってきた。川沿いの工事の図になる。


「先に出しておきました」

「年は」

「去年です」


 久遠寺はそれ以上言わなかった。去年終わった工事の図面になる。今やっているのは別の路線で、正しいほうは壁に貼ってある。


 速水は図面を巻いて、また降りていった。降りる途中で、それに気付いた。



 久遠寺修司が地図の前に立った。


「土です」

 尾花が言った。声の調子は普段のままになる。

「川沿い五丁目。下水の工事で溝が崩れました。一名が腰まで埋まっています」


 久遠寺は壁の紙を見た。八月の紙に替わっている。今月の数字は、まだ一つも入っていない。


 未着 累計 ── 零。


> 候補、三点ございます。第一、川沿い五丁目 四番。第二、同 六番。第三、川沿い四丁目 十一番。


「一です」


 澪は候補を最後まで聞かずに答えた。


「川沿い五丁目四番。市の下水道の入れ替え工事です」

「工期は」

「三月から九月までになります」


「溝は」

「幅が一メートル二十、深さが二メートル八十」

「長さは」

「今のところ四十掘ってあります」


「土は」

「川沿いなので砂が多いです。締まっていません。掘ったところから水が滲みます」


「支えは」

「入れてあります。ただし、掘った先の五メートルだけ入っていません。今日そこを掘っていました」


「上は」

「道です。片側通行にしてあります。溝の縁から民家の塀まで二メートル」


 久遠寺は指を地図に置いた。川沿いの五丁目は、堤防の内側になる。地面の下は、どこも同じ砂になる。


「水は」

「下水の本管が生きています。切ってあるのは支管だけです」


 澪は付箋を一枚めくった。


「座標、出た」


「第七支部 ── 出場!」


 地下三層の扉が上がった。


「三層、開放!」


 宮ヶ瀬佳代が盤の前に立っていた。この日は四時間寝たと言っている。祭りが終わったので寝たらしい。


「一号から五号、出場!」


 言ってから、無線を切らずに続けた。


「グリーン。矢板は六枚だ。五メートル分には足りない」

「足りない分は、俺が持つ」

「持つなとは言わない。ただし持ったら動けない」


 迅はアクセルを踏んだ。踏んでから、返事をしなかった。サイレンファイヤーの真空引きが鳴りきる前に、車体は出ている。


 川沿いまでは六分掛かる。昼過ぎの道は空いていた。空いている道を、五機が縦に並んで走る。


「回線、五本使います」

 澪の声が耳に入った。

「市民が使えるのは三本。今、掛かっているのは一本です。工事現場からの一本になります」


 その一本が、沼田の通話になる。尾花はまだ切っていない。


 現場に着くと、溝が見えた。


 道を横切って、細く長い穴が開いている。穴の片側の壁が落ちていた。落ちた土が、穴の底の半分を埋めている。


 埋まった土の中から、人の上半身が出ていた。


 迅はファイヤーを停めた。停めた場所から溝の縁まで、十メートルあった。


「行くぞ。先に着く」


 走った。走って、縁の手前で止まる。止まったのは、縁が崩れるからになる。


 縁から一歩下がって、そこから覗いた。


 木戸という名は、あとで分かる。五十代で、上半身は動く。動くが、下は動かない。


「聞こえますか」

「聞こえます。すみません」

「謝るな。息は苦しいか」

「苦しくないです。ただ、足が」


 迅は縁から離れた。離れてから、後ろを見る。


「グリーン」

「来た」


 寺尾が矢板を担いで来ていた。六枚を一度に担いでいる。担いだまま、溝の反対側へ回った。


 回ってから、縁に立たなかった。縁から二歩離れて、そこに膝を突く。


 膝を突いてから、掌を地面に当てた。当てて、そのまま動かさない。


「まあ待て。ここはまだ来る。上の土が水を含んでる」


 寺尾は掌を当てたまま、三十秒動かなかった。三十秒の間、誰も何も言わない。


 現場監督が横に立っていた。六十を過ぎている。大久保という名は、あとで分かる。


「分かりますか」

「まだ動いてる。止まるまで待つ」

「待ってる時間が」

「待たないと、二人埋まることになる」


 寺尾は掌を離した。離してから、一枚目の矢板を溝の縁へ入れた。


 入れ方が独特になる。垂直に落とさない。斜めに入れて、途中で立てる。立ててから、上を二度叩く。


 叩いてから、また掌を当てる。


 二枚目を入れる前にも当てた。三枚目の前にも当てる。


 入れる回数より、確かめる回数の方が多い。


 大久保がそれを見ていた。見てから、口を開いた。


「あんた、施設科にいたでしょう」


 寺尾は答えなかった。


 答えずに、四枚目の矢板を入れた。入れてから、また掌を当てる。


 大久保はそれ以上訊かなかった。訊かずに、自分の作業員を後ろへ下げた。


 六枚を入れ終わるまでに、三分掛かった。


 入れ終わったところで、寺尾は溝へ降りた。降りた先は、木戸の上になる。


 落ちた土の壁が、まだ崩れかけている。矢板は六枚しか無い。五メートルのうち、四メートルまでしか入っていない。


 残りの一メートルの下に、木戸がいた。


 寺尾は背中をその壁につけた。つけて、両足を反対側の矢板に突っ張らせる。


 体で支える形になった。


「入っていいぞ」


 寺尾がそう言った。


「動けますか」

「動けん。動いたら来る」


 二文で言って、それきりになった。


 迅とひかりが溝へ降りた。降りた先は、寺尾の作った隙間の中になる。


 幅が一メートル二十しかない。三人が入ると、肩が触れる。


「木戸さん」

 ひかりが膝を突いた。突いてから、七つ数える。

「息、返すよ」


 脈を見た。ある。速くない。皮膚が冷たい。


「足の感覚があるかどうか教えてください」

「あります。痺れてます」

「いつからか、覚えていたら教えてください」

「埋まってからです。二十分くらい」


 ひかりは迅の方を向いた。向いてから、首を横に振る。


「一気に抜かないでください。抜く前に線を取ります」

「時間が掛かるのか」

「掛かります。ただし、掛けないと抜いたあとが危ないです」


 ひかりは木戸の腕に線を取った。取ってから、袋の中の袋を吊るす。吊るす場所が無いので、迅が持った。


 迅は持ったまま、動かなかった。


 寺尾も動かない。背中で壁を支えている。支えている間は動けない。


 蒼汰が上から声を掛けた。


「索を二本、下ろします」

「長さは」

「四メートルと三メートルです」

「掛けるのは」

「脇の下です」

「引くのは」

「私と、上の三人でやります」


 索が下りてきた。ひかりが脇の下へ回す。回してから、留め金を二度確かめた。


「掘るのか」

「掘りません。土を横へ寄せます」


 迅は片手で袋を持ったまま、もう片方の手で土を横へ寄せた。掘ると穴が下へ伸びる。横へ寄せると、上が動かない。


 寄せた土を、上で待っている作業員が袋へ入れる。袋が七つになったところで、木戸の膝が出た。


 膝が出てから、十五分掛かった。腿が出て、脛が出た。


「抜けます」

「ゆっくりお願いします。上の四人で、同じ速さで引いてください」


 木戸が抜けた。抜けきるまでに、四十秒掛かった。


 抜けた木戸を担架に載せて、上へ上げた。上げ終わったところで、寺尾がまだ動かなかった。


「グリーン。上がってください」

「上がる。ただし、全員が上がってからになる」


 寺尾は最後に上がった。上がってから、背中を見せなかった。作業着の背中が、土で真っ黒になっている。



 溝が広がったのは、その後になる。


 六枚の矢板が、内側から押された。押されて、外れた。


 外れた先から、土が上がってきた。人の形は取らない。砂と水が混ざって、柱になって立った。


 柱は道の上へ出た。出た先に、片側通行の車が三台並んでいる。


「車を下げてください」


 大久保が走った。走って、三台の運転手に手を振る。三台が下がった。


 迅は前に出た。左手首の蓋を跳ね上げる。五人が同じ動作をした。


「急報 ── 出場!」


> サイレン ── 起動。〈火群 迅〉。応答、確認。

> サイレン ── 起動。〈逢坂 澪〉〈灰谷 蒼汰〉〈寺尾 剛〉〈七尾 ひかり〉。応答、確認。


 反射帯の光が足元から頭まで走った。装甲が下から順に組み上がる。五つの送話口が、同じ高さで止まった。


 五人が同時に右手を上げた。耳の高さで止めて、掌を外へ向ける。受話器を取る形になる。


> 水を持ってく、火の現場 ─── サイレンレッド!

> 声を持ってく、知の現場 ─── サイレンブルー!

> 綱を持ってく、高の現場 ─── サイレンイエロー!

> 梁を持ってく、圧の現場 ─── サイレングリーン!

> 息を持ってく、生の現場 ─── サイレンピンク!

>

> 特別災害対策機構、第七支部 ──

> 呼ばれたら、鳴らして、行く!

> 急報戦隊、サイレンジャー!


 溝の底へ声が落ちて、そこから上へ返ってきた。返りが遅い。土が音を吸っている。


 迅がブレスを柱へ向けた。


「トリアージ!」


> 判定 ── 黒。要救助者、内部に確認できません。


「黒だ」


 サイレンギアを抜いた。柄を半回転させる。ギアが噛んだ。乾いた日の噛み方で、音が短い。


「斧!」


 迅が柱の根元へ打ち下ろした。当たった。土が割れる。割れた場所へ、上の土が落ちて埋めた。


 埋まるのが速い。割るほど、下から新しい土が来る。


「削れません」

 澪がソナーを構えた。撃つ前に必ず人数を言う。

「この道に十一名。全員、溝から十メートル以上離れています。回線、残り三本」


 撃った。音が柱の中を通る。通って、途中で消えた。


「中は砂です。音が通りません」

「芯は」

「ありません。ただし、下に道があります。溝の底から続いています」


 寺尾が前へ出た。出てから、ハンマーを構えずに溝を見た。


「まあ待て。こいつは溝から出てきてる。出口を塞げば、上には来ない」


「塞ぐのか」

「塞ぐ。ただし、塞いだ側に立つ者が要る。俺が立つ」


 寺尾は柱を打った。打った先は、溝の縁になる。三本を並べて打って、その上に六枚目の矢板を渡した。


 渡した矢板の上に、寺尾が立った。


 立ってから、動かなくなった。


「グリーンが押さえてる間に、上の分を減らします」


 澪の声が入った。蒼汰が索を投げた。二本を柱の上へ噛ませて、横へ引く。


 柱が傾いた。傾いた先が、溝ではない側になる。


「イエロー。もう一本要るか」

「要ります。三本目で止めます」


 三本目が噛んだ。三本で挟んだ形になる。


 柱は倒れなかった。倒れずに、細くなった。細くなった分だけ、上の砂が下へ戻る。


 戻る先が、寺尾の立っている矢板の上になる。


 寺尾は動かなかった。矢板の上に砂が積もる。膝まで来た。


「グリーン」

「まだ持つ」


 迅が声を掛けた。寺尾は二文で答えなかった。この時だけ、四文字で答えた。


 柱が根元まで細くなった。


「今です」


 蒼汰が索を全部引いた。三本を同時に引いて、細くなった根元を締める。


「サイレンワイヤー ── 急救斬ッ!」


 索が締まった。締まった場所で、柱が切れた。


 切れた上半分が、道の反対側へ落ちた。落ちた先は空き地になる。工事のために借りている土地で、何も置いていない。


 残った下半分が、溝の中へ戻っていった。



 溝の底から、それが出てきたのは、その後になる。


 四十メートルの溝が、全部持ち上がった。持ち上がった土が一つになって、道の上で立つ。


 二十倍になる。砂の柱で、表面から水が滲んでいた。


「上げろ」


 迅が言った。言ってから、寺尾の位置を確かめた。寺尾はまだ矢板の上にいる。膝まで砂に埋まっていた。


「グリーン、出ろ」

「出る。ただし、ここを離すと溝が全部落ちることになる」

「落としていい。誰もいない」


 寺尾はそこで初めて動いた。動いて、矢板から降りた。


 降りた瞬間に、溝の四十メートルが全部落ちた。


 地下三層で宮ヶ瀬が盤を叩いた。五機がスロープを昇る。


「三番からだ」

「分かってる」

「地面が砂だ。アウトリガーが沈む」

「沈ませない」


 返事をしてから、迅は号令を出した。


「五機、連結!」


 サイレンクレーンが前へ出た。アウトリガーを張る。一本、二本、三本。四本目が、半拍遅れて張られた。


 その半拍で、メディックとウイングが脚に入る。レスキューが右腕になった。クレーンが畳んだアウトリガーを、そのまま左の拳にする。開かない。左の掌は、この日も閉じたままになった。


 ファイヤーが上から降りて、胴と頭が乗った。


「特災合体 ── サイレンオー!」


 道の端から、十一人がそれを見た。


 大久保が両手を下ろしたまま上を見ていた。木戸は担架の上から見ている。首を横に向けただけになる。


 沼田は携帯電話をまだ握っていた。握ったまま、右手を耳の高さに上げようとして、電話を持っているほうの手だと気付いて持ち替えた。


 サイレンオーが立った。全高四十メートル。装甲は被せていない。消防車がそのまま立っている。


 足元が沈んだ。砂の上に立っている。アウトリガーの四本が、順に下がっていく。


「沈みます」

「沈む前に終わらせる」


 砂の柱が上から倒れてきた。倒れる先が、民家の並ぶ側になる。


 左腕が上がった。開かない拳を、倒れてくる面へ当てる。当てて、そこで止めた。


 止めたまま、動かない。支えている間は、動けない。


 右腕だけが空いている。


「胸だ」


 迅が右腕を引いた。引いた腕を、胸の高さで止める。胸の放水口が全開になった。


「サイレンオー ── 全消斬ッ!」


 水が刃の形で出た。斬るのではない。左腕で支えた面を、右から押し切る形になる。


 砂の柱は、支えられた側から崩れた。崩れた砂が、水と一緒に落ちる。


 落ちた先は、さっきまで溝だった場所になる。四十メートルの穴が、そこで埋まった。


 埋まった道の上に、水が浮いた。浮いた水が引いてから、地面が平らになった。


 工事は、はじめからやり直しになる。



 十六時二十分になる。


 所要は六分四十秒だった。


 木戸は救急の車で運ばれた。足は動く。抜いたあとの経過を見るために、二日入る。


 溝は四十メートルとも埋まった。入れてあった支えも、六枚の矢板も、全部下になった。


 大久保が道に立っていた。立って、埋まった場所を見ている。


「二週間だな」

「二週間ですか」

「掘り直しだ。九月までの工期が、九月に終わらん」


 大久保はそう言って、作業員に指示を出した。出してから、こちらを見た。


「助かった」


 それだけ言った。礼にはならない言い方になる。誰もそれを直さない。


 寺尾は装備を降ろしていた。背中の土は、まだ落としていない。


 大久保がその横に来た。来てから、さっきの続きを言った。


「訊いたのは、悪気じゃない」

「分かってる」

「あの入れ方をする人が、うちの若いのに一人もいない」

「教えれば入る」


 寺尾は二文で答えた。答えてから、次の装備を持ち上げた。


 大久保はそれ以上言わなかった。言わずに、自分の現場へ戻った。


 迅はその横に立っていた。立っていただけになる。何も訊かなかった。



 地下二層は油の匂いがする。この日は、砂の匂いも入っていた。


 戸倉健がクレーンのアウトリガーの底を見ていた。四本とも、板の裏に砂が入っている。


「班長」

「何だ」

「砂が、板の裏まで入ってる」

「抜けるか」

「抜ける。ただ、抜いても隙間は戻らない」


 宮ヶ瀬佳代は図面を見ずに答えた。


「砂の上で沈まない足は、まだ作れない」


 戸倉は掌を当てた。当ててから、四本とも同じ場所に印を付けた。印は次に見る場所になる。


 梅木あかねが、寺尾の装備を洗っていた。背中の面が土で埋まっている。


「班長。これ、洗いますか」

「洗え」

「反射帯が見えなくなってます」

「見えないものは、反射帯とは言わない」


 梅木は面を上げた。上げるのが速い。上げた顔に、砂が付いていた。


 洗ってから、乾かす場所へ掛けた。掛けた背中の反射帯が、また光るようになった。


 宮ヶ瀬は図面を広げていた。市の下水道の路線図になる。市の下水道課から借りてきたものになる。


「今、市内で掘ってある溝は、全部で二千二百メートルある」


 誰にともなく言って、図面を巻いた。


「二千二百メートル分の支えは、うちには無い」


 二階では、澪が付箋を書いていた。十七枚目になる。七月三十一日、川沿い。


 通報 一件。書いてから、地図に貼った。貼った位置は、川沿いの五丁目になる。


 澪はそこで、七月の付箋を数えた。七月だけで五枚ある。四月は二枚、五月は三枚、六月は四枚だった。


 増えている。増え方が、月ごとに一枚ずつになる。


 澪はその数を、何処にも書かなかった。


 二階の受信席で、電話が鳴った。


> 【第七支部 出場記録】

> 臨場 ── 十五時四十六分。所要 ── 六分四十秒。

> 保留 ── 一件。最長 ── 十四秒。

> 未着 累計 ── 零。

> 埋没 ── 川沿い五丁目 下水道工事 掘削面 四十メートル。

> 傷病 ── 一名。下肢圧迫。搬送。

> 工期 ── 同 二週間の遅れ。

> 本件、処理 ── 完了。

> ── 入電。

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