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急報戦隊サイレンジャー ~呼ばれたら、行く。呼べないなら、見つけに行く~  作者: 智珠
第一巻

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第009話 息をしてない

> 【第七支部 覚知記録】

> 覚知 ── 五月二十六日 十九時四十分。

> 入電 ── 携帯電話。発信地 ── 中央町 一丁目。

> 第一声 ──「息をしてない」

> 出場 ── 第七支部 全隊。


「息をしてない」


 尾花律子は用紙を引き寄せた。時刻を分まで書く。秒は書かない。声が高い。子どもの声になる。


「はい、鳴瀬市消防指令センターです。今何処にいますか」


「みどり湯です。中央町の、お風呂屋さん」

「みどり湯ですね。あなたのお名前は」

「三崎悠人です。十二歳です」


 尾花は書いた。みどり湯、中央町一丁目、通報者十二歳。書きながら、地図の上の一点を出す。銭湯の入口は北向きで、道の幅が四メートルある。


「悠人さん。倒れているのはどなたですか」

「知らない人です。おじいさんです」

「今何処にいますか」

「脱衣所です。裸です」


 三階の当直へは、まだ知らせていない。知らせる前に訊くことが決まっていて、その順番を尾花は崩さなかった。手も止まらない。止めずに、次を訊いた。


「肩を叩いて、大きな声で呼んでみてください。返事がありますか」

「呼びました。返事しません」

「胸とお腹を見てください。上がったり下がったりしていますか」

「してません」


 尾花は用紙の欄を一つ飛ばした。飛ばした欄は、あとで埋める欄になる。


「悠人さん。近くに大人はいますか」

「番台のおばさんがいます」

「代わってください。電話は切らないでください」

「切りません」


 受話器の向こうで足音が動いた。動いてから、別の声が出た。息が上がっている。


「篠塚です。みどり湯の篠塚ミキです」

「篠塚さん。今から言うとおりにしてください」

「はい」

「その方を、固い床の上に仰向けに寝かせてください。もう寝ていますか」

「寝ています。板の間です」


 尾花は書きながら喋る。三年、この二つを同時にやる。


「胸の真ん中に、両手の付け根を重ねて置いてください」

「置きました」

「肘を伸ばして、真上から強く押してください。一秒に二回くらいです。止めないでください」

「押します」

「口を付けての息の吹き込みは、しなくていいです。押すのを続けてください」


 押す音が入った。板の鳴る音になる。


「悠人さん。聞こえますか」

「聞こえます」

「声に出して数えてください。おばさんが押すのに合わせて、一、二、三と」

「はい」

「三十まで数えたら、また一に戻ってください」

「戻ります」


 子どもの声が数え始めた。一、二、三。速い。速すぎる。


「悠人さん。もう少しゆっくりです」

「はい」


 数え直した。今度は合っている。


 尾花は用紙の下の欄に、背後の音を書いた。押す音、数える声、湯の音。三語だけになる。


「篠塚さん。そのお店にAEDはありますか」

「ありません」

「近くにありますか」

「商店街の事務所にあります。二軒先です」

「誰か取りに行ける人はいますか」

「常連さんが二人います。行かせます」

「悠人さんは行かせないでください。数える人が要ります」


 尾花はそこで一度だけ顔を上げた。上げてから、また下を向いた。


 この人は、押している人の名前を必ず訊く。訊いておくと、あとで代わる人が呼べる。代わる人が呼べると、押す手が止まらない。三年、この順番で訊いている。


 十九時四十分の三階は暗い。五月の終わりで、日の入りは十八時五十分になる。窓の外はもう青くない。


 当直の五人は夕食のあとだった。武藤の豆腐はこの日も六時に届いている。届いた分は昼で無くなっていた。


 寺尾剛が卓を拭いていた。奥から手前へ、右から左へ。拭いてから、湯を人数分より一つ多く出す。


 七尾ひかりは手帳を閉じたところだった。輪ゴムを掛ける。掛けてから、袋の中の器具を並べ直した。並べる順は決まっている。上から、手袋、鋏、当て布、それから吸うための管になる。


 三年、この順番を変えていない。変えないのは、暗いところで手が迷わないためになる。並べ終わると、袋の口を閉じずに卓の脚へ立て掛けておく。閉じると開ける動作が一つ増える。


 灰谷蒼汰は索の袋を膝に乗せて、口を二度確かめた。確かめてから、卓の下へ置く。


 火群迅は窓の前に立っていた。右腕を上げる。肩の高さより上まで来た。上がりきる手前で止まる位置が、少しずつ変わっている。


 逢坂澪は二階から降りてこない。この人は席にいる。



 久遠寺修司が地図の前に立った。


「心肺停止です」

 尾花が言った。声の調子は普段のままになる。

「通報したのは十二歳です。押しているのは番台の方です」


 久遠寺は壁の紙を見た。五月の数字が並んでいる。


 未着 累計 ── 零。


> 候補、三点ございます。第一、中央町一丁目 三番。第二、同 四番。第三、中央町二丁目 八番。


「一です」


 澪は候補を最後まで聞かずに答えた。


「中央町一丁目三番。みどり湯。入口は北。道幅四メートル。車は入口の前まで着けられます」

「中は」

「脱衣所は入って右。段が一つあります。担架は縦で通ります」

「AEDは」

「商店街の事務所です。二軒先。事務所は十九時で閉まっています」


 久遠寺の指が地図の上で止まった。


「閉まっているのか」

「鍵は隣の乾物屋が持っています。三年前からそうなっています」


 澪は付箋を一枚めくった。


「座標、出た」


「第七支部 ── 出場!」


 地下三層の扉が上がった。


「三層、開放!」


 宮ヶ瀬佳代が盤の前に立っていた。この日は三時間寝たと言っている。誰も確かめていない。


「一号から五号、出場!」


 言ってから、無線を切らずに続けた。


「ピンク。メディックの吸引の管、細いのを一本足した。太いのは使えるが、老人には太い」

「足りますか」

「足りない。老人に合う細さは、まだ作れなかった」


 迅はアクセルを踏んだ。踏んでから、返事をしなかった。サイレンファイヤーの真空引きが鳴りきる前に、車体は出ている。


 中央町までは四分掛かる。夜の商店街は人が出ていた。出ている人の間を、サイレンメディックが先に入って抜けた。


「回線、五本使います」

 澪の声が耳に入った。

「市民が使えるのは三本。今、掛かっているのは一本です」


 その一本が、みどり湯の通話になる。尾花はまだ切っていない。切らないでくださいと言ったのは尾花で、切っていないのはあの子になる。


 みどり湯の前に着くと、暖簾が半分めくれ上がっていた。中から声が聞こえる。数えている声になる。


 ひかりが先に降りた。降りてから、走らずに歩いた。歩く速さを変えない。走って入ると、押している人の手が止まる。


「二十六、二十七、二十八」


 悠人の声が続いていた。数えながら、こちらを見ない。見ずに数えている。


「二十九、三十」


 篠塚ミキは押し続けていた。六十八になる。腕が震えている。震えたまま、肘は伸びていた。


「代わります」


 ひかりが言った。言ってから、篠塚の横に膝を突く。


「三十まで数えたら、代わってください。悠人さん、数えて」

「はい。一、二、三」


 三十まで数えたところで、ひかりが手を置いた。置いた場所は、篠塚が押していた場所と同じになる。押す深さだけが変わった。


「息、返すよ」


 ひかりはそう言って、押し始めた。


 大野という名は、あとで分かる。この時点では誰も知らない。七十四歳で、この銭湯に週四回来る人になる。


 常連の二人が走って戻ってきた。AEDの箱を抱えている。鍵は乾物屋が持っていた。乾物屋の主人が一緒に走ってきて、息を切らして戸口に立った。


「開けました」

「ありがとうございます。そこに置いてください」


 ひかりは押す手を止めない。止めずに、蓋を顎で指した。蒼汰が開ける。


 電源が入った。機械の声が出る。


「離れて」


 ひかりが言った。全員が手を離した。


 電気が流れた。体が一度だけ跳ねる。


 ひかりはまた押し始めた。押しながら、七つ数えた。数える長さは変えない。三年、変わらない長さになる。


 七つ目で、胸の下から音が返ってきた。


 息が入った。


「戻りました」


 ひかりが言った。言ってから、押す手を離さずに脈を見た。ある。


 篠塚ミキが床に座り込んだ。座り込んでから、自分の両手を見た。手の付け根が赤くなっている。番台に座って三十年になる人で、この日まで一度も人を押したことが無い。押し方は電話で聞いた。聞いたとおりにやった。


 悠人はまだ数えていた。数えるのをやめていない。


「悠人さん」

「はい」

「もう大丈夫。数えなくていい」

「はい」


 止めてから、その子は電話をまだ握っていることに気付いた。


「切っていいですか」

「いいよ。ありがとう」


 悠人は切った。切ってから、両手で膝を掴んだ。



 ボイラー室の扉が鳴ったのは、その後になる。


 みどり湯のボイラーは、裏の小屋にある。夜の十九時なら、湯を落としている時刻になる。落としている釜が、また火を入れた。


 煙突から白いものが噴き出した。湯気になる。噴き出した湯気が上がらずに、地面へ降りた。


 降りた湯気は塊になった。人の形は取らない。丸くて、表面が細かく波打っている。波打ちながら、一度だけ縮んだ。


 縮んでから、二倍に膨らんだ。


「外へ」


 迅が言った。常連の二人が篠塚と悠人を連れて、道の向こうへ回った。大野は担架の上で、ひかりが付いている。


 迅は前に出た。左手首の蓋を跳ね上げる。五人が同じ動作をした。


「急報 ── 出場!」


> サイレン ── 起動。〈火群 迅〉。応答、確認。

> サイレン ── 起動。〈逢坂 澪〉〈灰谷 蒼汰〉〈寺尾 剛〉〈七尾 ひかり〉。応答、確認。


 反射帯の光が足元から頭まで走った。装甲が下から順に組み上がる。五つの送話口が、同じ高さで止まった。


 五人が同時に右手を上げた。耳の高さで止めて、掌を外へ向ける。受話器を取る形になる。


> 水を持ってく、火の現場 ─── サイレンレッド!

> 声を持ってく、知の現場 ─── サイレンブルー!

> 綱を持ってく、高の現場 ─── サイレンイエロー!

> 梁を持ってく、圧の現場 ─── サイレングリーン!

> 息を持ってく、生の現場 ─── サイレンピンク!

>

> 特別災害対策機構、第七支部 ──

> 呼ばれたら、鳴らして、行く!

> 急報戦隊、サイレンジャー!


 暖簾の下で、湯の匂いに混ざって上がった。


 迅がブレスを塊へ向けた。


「トリアージ!」


> 判定 ── 黒。要救助者、内部に確認できません。


「黒だ」


 サイレンギアを抜いた。柄を半回転させる。ギアが噛んだ。湿った日の噛み方で、音が丸い。


「斧!」


 迅が塊を横から割った。割れた。割れて、二つになる。


 二つは離れなかった。離れずに、すぐ寄って、また一つになった。寄る速さが、割る速さより速い。


「戻ります」

 澪がソナーを構えた。撃つ前に必ず人数を言う。

「この小屋に人はいません。道の向こうに十九名。回線、残り三本」


 撃った。音が塊の中を通る。通って、途中で消えた。


「中が水です」

「水か」

「水の粒です。粒の間に何もありません」


 迅はもう一度割った。二つになる。また寄った。


 三度目を割ったところで、寺尾が前へ出た。


「まあ待て」

「待てない」

「待てる。今の、寄るまでに一拍あった」


 寺尾はハンマーを地面に置いた。置いてから、割れた二つを見ている。


「一度目より二度目、二度目より三度目の方が、寄るのが遅い」

「冷えてるのか」

「冷えてる。割った分だけ外に触れる」


 ひかりが担架の横から顔を上げた。上げてから、押していた手をまだ拭いていない手で、自分の胸の真ん中を指した。


「離しておけば、戻れません」

「どれくらいだ」

「七つです」


 ひかりはそう言った。数える長さは変えない。


「レッド。割ってください。私が数えます」

「七つ持たせればいいんだな」

「持たせてください」


 迅は四度目を割った。塊が二つになる。


「イエロー」

「両方、噛みました」


 蒼汰が二本の索を投げた。一本ずつ、それぞれの塊へ噛ませる。噛んでから、二本を反対の方向へ引いた。引いた先に、寺尾が柱を二本打ち込んである。索の端をそこへ回す。


「一つ」


 ひかりが数え始めた。


 塊は寄ろうとした。索が張る。張った索が焼けずに持った。湯気は熱いが、火ではない。


「二つ、三つ」


 塊の表面の波が細かくなった。細かくなるほど、外へ触れる面が増える。


「四つ、五つ」


 白かったものが、少し灰色になった。粒が落ち始めている。落ちた粒は地面で水になった。


「六つ」


 蒼汰の索が一本、緩みかけた。緩んだ分だけ塊が寄る。


「引きます」

「引け」


 蒼汰は緩んだ側を巻き取った。巻き取る動作は投げる動作より遅い。それでも間に合った。


「七つ」


 ひかりが数え終わった。


 二つの塊は、寄らなかった。寄る形を作りかけて、途中で崩れた。


 迅はそこへ入った。入って、斧を両手で持ち直す。


「サイレンアックス ── 急救斬ッ!」


 斧が下から上へ抜けた。崩れかけた二つを、下から一度に持ち上げる形になる。持ち上げられた湯気は、上で散った。


 散ったものは雨になって、みどり湯の屋根へ落ちた。屋根の瓦が濡れる。濡れた瓦から湯気が上がって、それは普通の湯気だった。


 蒼汰は索を二本とも回収した。焦げていない。一本は緩んだ側で、そこだけ伸びていた。


「二ミリ伸びました」

「使えるか」

「使えます。ただし、測り直します」



 釜が破れたのは、その後になる。


 小屋の屋根を突き破って、白い塊が出てきた。同じものが、二十倍で立ち上がっている。


 商店街の道に人が出てきた。夜の店が開いている時刻で、閉めかけた店の主人が七人、道の真ん中に並んだ。


「上げろ」


 迅が言った。言ってから、担架の位置を確かめた。担架は道の向こうにある。ひかりが付いている。


 地下三層で宮ヶ瀬が盤を叩いた。五機がスロープを昇る。


「三番からだ」

「分かってる」

「四度目だ。まだ言うぞ」


 迅は返事をしなかった。返事の代わりに、号令を出した。


「五機、連結!」


 サイレンクレーンが前へ出た。アウトリガーを張る。一本、二本、三本。四本目が、半拍遅れて張られた。


 その半拍で、メディックとウイングが脚に入る。レスキューが右腕になった。クレーンが畳んだアウトリガーを、そのまま左の拳にする。開かない。左の掌は、この日も閉じたままになった。


 ファイヤーが上から降りて、胴と頭が乗った。


「特災合体 ── サイレンオー!」


 商店街の七人が、一斉に首を反らせた。


 乾物屋の主人はAEDの鍵をまだ握っている。握ったまま、上を見た。隣の花屋は水を撒いていた手を止めて、ホースを持ったまま反らせている。撒いた水が、そのまま歩道へ流れ続けた。


 サイレンオーが立った。全高四十メートル。装甲は被せていない。消防車がそのまま立っている。


 白い塊は、そこで一度縮んだ。


「縮みました」

「吸ってるのか」

「吸ってます。膨らむ前に、必ず縮みます」


 縮んで、膨らむ。膨らんで、また縮む。二十倍になっても、同じ動きをしている。


「割る」


 サイレンオーの右腕が上がった。掌が開いて、塊の真ん中へ入る。入れてから、横へ払った。


 塊が二つに分かれた。分かれた二つが、寄ろうとする。


 左腕が上がった。開かない拳を、二つの間へ差し込む。差し込んだまま止めた。


「七つ」


 ひかりの声が入った。担架の横から数えている。押していた手はもう離れていて、代わりに大野の脈に指を当てていた。


「一つ、二つ」


 塊は寄れない。拳が間にある。拳は開かないので、押し返す力を全部そこで受けている。


「三つ、四つ」


 二つの表面が灰色になり始めた。粒が落ちる。落ちた粒が、商店街の道へ雨として降った。


「五つ、六つ」


 花屋のホースの水と、上から降った水が、歩道の同じところで混ざった。


「七つ」


 二つの塊は、寄らずに崩れた。


「胸だ」


 迅が右腕を引いた。引いた腕を、胸の高さで止める。胸の放水口が全開になった。


「サイレンオー ── 全消斬ッ!」


 水が刃の形で出た。斬るのではない。寄れなくなった二つを、まとめて外から押し切る形になる。


 押された二つは、真ん中から下へ潰れた。潰れきったところで、白いものが何も残らなくなった。


 崩れて、水になって、道へ落ちた。落ちた量は、消火の一回分ほどしか無かった。夜の商店街に、湯の匂いだけが残る。


 乾物屋の主人が、握っていた鍵を持ち上げた。持ち上げてから、隣の空いた事務所の方を見た。事務所の扉は開いたままになっている。



 救急の車が出たのは、二十時十五分になる。


 大野は目を開けていた。喋れない。喋れないまま、担架の上で天井を見ている。ひかりが横に付いた。


 篠塚ミキが車の後ろまで来た。来てから、手を出しかけて、途中で止めた。


「あの人、助かりますか」

「病院で診ます」

「助かりますか」

「押してもらえたので、可能性はあります」


 ひかりはそう言った。言い切らない言い方になる。


 篠塚は頷いた。頷いてから、頭を下げた。


「ありがとうございました」


 ひかりは答えなかった。答えずに、車の扉に手を掛けた。


 三崎悠人は暖簾の下に立っていた。着替え終わっている。髪がまだ濡れていた。


「あの」

「うん」

「数えるの、合ってましたか」

「合ってた。最初だけ速かった」

「速かったですか」

「速かった。でも直った」


 悠人は自分の指を見た。数えるのに使った指になる。


「ありがとうございました」


 その子はそう言って、頭を下げた。下げてから、走って帰った。走る方向が家と逆で、途中で気付いて戻ってくる。戻ってきた時、もう一度頭を下げた。


 寺尾はファイヤーの後ろで装備を降ろしていた。降ろしながら、迅の方を見ない。見ずに言った。


「今日も間に合ったな」

「間に合った」


 迅はそう答えた。答えてから、みどり湯の暖簾を見た。半分めくれ上がったままになっている。誰も直していない。


 迅は手を伸ばして、暖簾を下ろした。下ろしてから、手を引いた。



 地下二層は油の匂いがする。


 梅木あかねがメディックの吸引の管を並べていた。太いのが四本、細いのが一本ある。細いのは、この日に足した一本になる。


「班長。使いましたか」

「使った」

「一本で足りましたか」

「足りた。次は足りない」


 宮ヶ瀬佳代は図面を見ずに答えた。梅木はそれ以上訊かなかった。訊かずに、太いのを四本とも洗い直した。


 佐波悠が工具を並べていた。並べている途中で、一本落とした。床で二度跳ねてから、排水の溝の縁で止まる。


「四回目です」

「数えてんのか」

「数えてます」

「三回続いた次に落ちるって、言っただろ」

「言われました」


 佐波は拾った。拾ってから、同じ位置へ置き直した。置き直した場所は、落とす前と一ミリも変わらない。


 梅木は笑わなかった。笑わずに、自分の手元へ戻った。


 宮ヶ瀬は図面を広げていた。ボイラーの釜の断面が描いてある。市の設備課から借りてきたものになる。


「夜に湯を落とす釜は、市内に八十六ある」


 誰にともなく言って、図面を巻いた。


「八十六分の冷まし方は、まだ作れない」


 二階では、澪が付箋を書いていた。九枚目になる。五月二十六日、中央町。


 この日の一件は、通報が十二歳だった。付箋の欄に年齢を書く場所は無い。無いので書かない。書かないぶんを、澪は付箋の裏で指の腹に覚えさせる形で押さえた。


 通報 一件。書いてから、地図に貼った。貼った位置は、庁舎の区画のすぐ外側になる。八枚が外へ広がっていて、九枚目だけが内へ寄った。


 澪はその一枚を、指で押さえた。押さえたまま、暫く動かさない。


 押さえていた指を離してから、澪は付箋をもう一枚取った。取って、何も書かずに戻した。


 二階の受信席で、電話が鳴った。


> 【第七支部 出場記録】

> 臨場 ── 十九時四十五分。所要 ── 四分五十秒。

> 保留 ── 一件。最長 ── 十五秒。

> 未着 累計 ── 零。

> 損壊 ── 中央町一丁目 浴場ボイラー小屋 一棟。

> 傷病 ── 一名。心肺再開。搬送。

> 本件、処理 ── 完了。

> ── 入電。

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