第3話 悪党は悪党を知る
翌週、また駒に呼び出された。
「今日も、その格好で来てくれ」
すっかり「助手の制服」になってしまった詰襟とウィッグを身につけ、待ち合わせ場所に向かう。場所は、神楽坂と江戸川橋の間、西五軒町あたりの小さな洋食屋だった。
昭和の匂いが残る店内で、駒は迷わず「カツカレー」を頼んだ。揚げたてのカツに、ちょっと粉っぽい昔ながらのカレー。学食みたいな味だけど、なぜか妙に美味しい。
「今日はどこに……」
「腹ごしらえしとけ。この後、ちょっと胃にもたれる場所に行く」
その「胃にもたれる場所」は、神楽坂の路地から少し入った、古びたビルの中にあった。
神楽坂は、表向きは「風情ある花街」「高級住宅街」「学生街」という、三つの顔を持つ街だ。石畳の路地に、お洒落なフレンチや老舗の料亭が並ぶ。けれど、その同じ路地の奥に、赤坂会という組織の「出張所」があるなんて、私は今日まで知らなかった。
ビルの入り口には、見るからにガラの悪い「お兄さん」が何人もたむろしていた。私は思わず駒の後ろに半分隠れる。
「先生、お久しぶりです」
奥から出てきた、いかにも「支部代表」という雰囲気の男が、駒に向かって深々と頭を下げた。
「先生」――その響きが、まったくこの状況に似合わなかった。私の知ってる駒は、無精髭でそば屋に入り浸る、ただのおじさんだ。
応接室らしき部屋に通される間も、私はずっと現実感がなかった。駒は、闇送金の手伝いや、行方知れずになった人間の捜索など、いわゆる「表の世界」では受けられない依頼を、こういう連中から請け負っているらしい。
「ちょっと、それって……」
「ん?」
「それって、犯罪に手を貸しているってことじゃないですか」
帰りの車の中で、私はずっと我慢していたことを口にした。駒は、ハンドルを切りながら、あっさりと言った。
「それがどうした」
「は?」
「俺は、非人道的なことには手を貸す。でも、犯罪には手を貸さない」
「同じ意味じゃないですか、それ」
「全然違う。犯罪かどうかは、法律が決める。人道的かどうかは、俺が決める」
ちょうどそのとき、ビルの裏手から、怒鳴り声が聞こえた。
見ると、大学生らしい男の子が、赤坂会の下っ端らしいチンピラに、壁際まで追い詰められていた。財布を出せ、というやり取りが聞こえる。
駒は、面倒くさそうにため息をついて、車を停めた。
「ここでは、恐喝の類いはなし。そんなルールも知らないのか」
駒は、チンピラの脇腹を軽く蹴って、地面に転がした。それから、ポケットから何かのバッヂを取り出し、相手の顔の前にちらつかせる。
チンピラは、バッヂを見るなり、顔色を変えて逃げていった。
「……それ、何のバッヂですか?」
「幹部バッヂ」
「駒さんが、幹部……?」
「いや、借り物」
「は?」
「詳しくは言わない」
助けられた大学生は、何度もお礼を言って去っていった。私は、なんだか釈然としないまま、車に戻る。
「さっきの、『ここでは恐喝なし』っていうのも、駒さんが決めたルールってことですか?」
「そう」
「でも、それっておかしくないですか? 結局、強い人が勝手にルールを決めて、それに従わせているだけじゃ」
「だから?」
「だから……それって、人道的って言えるんですか」
駒は、しばらく黙ってハンドルを握っていた。それから、ぽつりと言った。
「偉い人ってのは、たいてい、自分に都合のいいルールを作って、それを『法律』とか『正義』って呼ぶんだよ」
「……」
「法律で縛れば、財産を全部奪っても人道的なのか? 例えば――孫のために切り詰めて百万円貯めてた婆さんが、『百万円も持ってるなら生活できるはずだ』って生活保護を打ち切られて、死んだとする。これは、人道的か?」
私は、答えられなかった。
「人が決めたルールなんて、俺は知らない。俺は、俺が決めたルールに従って動く」
「それ、めちゃくちゃじゃないですか」
「バレなきゃルール違反じゃない、ってのは、どこかの偉い人も言ってたぞ。バレるやつが馬鹿なんだよ」
私は、何か言い返したかった。けれど、うまく言葉が見つからなくて、結局「屁理屈ばっかり」とだけ呟いて、窓の外を見た。
神楽坂の坂を、車はゆっくり下っていく。
さっきの赤坂会の応接室で、支部代表が駒に手渡した一枚の紙が、ずっと気になっていた。横浜、という地名が、ちらりと見えた気がしたのだ。
横浜って、私の家は横浜市保土ケ谷区だよ。




