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【8/28改訂】年下甘えん坊騎士を捨てて戦地へ赴いたら、瀕死の私に狂愛を囁く恋人の真実を知りました  作者: 恋せよ恋


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第7話 ヨーク伯爵令嬢の断罪

 翌朝。第一騎士団詰所の小隊長執務室。

 朝日が差し込む部屋で、レオンは書類の山に向き合っていた。その顔には、昨夜ミレーユに見せていた甘やかな甘えん坊の面影は一切ない。冷徹な騎士としての顔がそこにあった。


 部屋の扉がノックされ、部下の隊員が入ってくる。


「小隊長」


「なに? 例の件、分かった?」


 レオンはペンを止め、鋭い視線を部下に向けた。


「はい。お命じになられていた、王都の大通り近くの診療所へ納品を行っている商会および役所の動きについて調べがつきました」


 部下の騎士は緊張した面持ちで、一枚の調査報告書をレオンの机の上に置いた。


「ここ最近、複数の商会が同時に診療所への納品を停止、あるいは遅延させています。また、衛生局へ提出された過剰な査察要請についても裏を取りました」


「圧力の元は?」


「……ヨーク伯爵家です」


 レオンの指先が、ぴたりと止まった。


「確実な証拠は?」


「はい。商会の者たちは最初、伯爵家の威光を恐れて口を閉ざしていましたが、こちらで正式な騎士団の監査として詰め寄ったところ、白状いたしました。伯爵家の執事が直接商会を訪れ、内密に圧力をかけていたとのことです」


 部下の騎士はさらに、詳細な日時と金銭の流れが記載された書面を差し出した。


「命令内容は『診療所への納品を極力遅らせ、経営を締め上げろ』というもの。衛生局への匿名通報についても、伯爵家の手先となった役人の関与が確認されました」


 静寂が部屋を支配した。


 レオンは何も言わず、ただ眼前の書類を見つめている。


「……小隊長?」


 部下の騎士が恐る恐る声をかける。


「……なるほどね」


 ポツリと漏らされた声は、恐ろしいほど静かだった。氷を溶かした水のように冷たく、感情が一切排されている。


 しかし、長年彼の下で働いてきた部下の騎士は知っていた。怒鳴り散らしている時のレオンなど、まだ可愛いものだ。


 声から一切の感情が消え、冷静になった時のレオンこそが、最も冷酷で、最も容赦のない怒りを抱えていることを。



「衛生局の役人も含めて、関与した人間のリストはこれで全員?」


「はい。手配した使用人の身元も押さえてあります」


「そうか。よくやった」


 レオンは書類をゆっくりと閉じ、綺麗に端を揃えた。そして、椅子から静かに立ち上がる。


「あとは、僕が自分でやるよ」


 ◇


 その日の夕方。陽が傾き、街角が茜色に染まる頃。ミレーユが診療所で一日の仕事を終え、後片付けをしているまさにその時間帯。


 レオンは、重厚な門構えを誇るヨーク伯爵邸を訪れていた。



 第一騎士団小隊長としての正規の訪問手続きを経て、彼が応接室に通されると、知らせを聞きつけたミランダが、パッと顔を輝かせて部屋へ駆け込んできた。


「レオン様!」


 ミランダは胸を躍らせていた。あの夜の冷たい言葉は、きっと何かの間違いだったのだ。こうして向こうからわざわざ自分を訪ねてきてくれたということは、彼も己の過ちに気づき、やり直そうとしてくれているに違いない。


「お一人でいらっしゃるなんて……どうされたのですか? さあ、お茶のご用意を——」


「ミランダ嬢」


 レオンが、彼女の言葉を低く遮った。

 その一声を聞いた瞬間、ミランダの顔から笑みが消え去った。


 レオンの瞳には、かつて彼女に向けられていた社交辞令の優しさすら残っていなかった。そこにあるのは、底知れぬ冷淡さだけだ。



 レオンは無言のまま、手にしていた羊皮紙の束をローテーブルの上に滑らせた。


「……レオン様? これは?」


「確認したいことがあります。これは、あなたがヨーク伯爵家の執事を通じて、各商会へ送った指示の記録です」


 ミランダの顔から、一瞬で血の気が引いた。


「診療所への薬品および資材の納品を遅らせ、衛生局に偽の通報を行って営業を妨害するように……そう命じましたね」


「ち、違いますわ! 私はそのようなこと……何かの誤解です!」


「違わない」


 レオンの言葉には、反論を一切許さない絶対的な重みがあった。


「執事の証言も、取引を受けた商会の記録も、すべて揃っています。言い逃れは不可能です」


「そんな……どうして、使用人が……」


 ミランダの膝がガクガクと震え始める。まさか、たかが平民が利用する診療所への嫌がらせ行為に、第一騎士団の小隊長が直接動くなど思いもしなかったのだ。


「どうして、ミレーユの診療所を狙ったんです?」


「私は……ただ……」


「彼女が気に入らないからですか?」


「……っ!」


「それとも、僕に選ばれなかった腹いせですか?」


 追い詰められたミランダの瞳に、ボロボロと涙が溢れ出した。彼女は叫ぶように言葉を吐き出す。


「だって……おかしいではありませんか! あんな平民の女のどこが良いのですか!? 伯爵家の娘の私の方が、レオン様にはふさわしいのに! それなのに、あんな女を選ぶなんて!」


「ミランダ嬢」


 レオンは、激昂する彼女の言葉を冷ややかに遮った。その声は、怒鳴ることもなく、ただひたすらに静かで、低い。


「あなたは、ミレーユを困らせて僕の気を引くつもりだったのでしょう」


「……」


「ですが、あなたが困らせたのは、ミレーユ一人ではありません」


 レオンが一歩、ミランダへと足を踏み出す。その圧倒的な威圧感に、ミランダは息を詰まらせて後ずさった。


「あの診療所には、毎日治療を必要としている下町の人たちがいる。怪我をした労働者も、病気に苦しむ子どもも、貧しいお年寄りもいるんだ。あなたが止めた薬や包帯は、彼らの命に直結するものだった」


「私は……そんな、人命を脅かすつもりなんて……ただ少し困らせて……」


「あなたの『そのつもり』など、何の意味もなさない」


 レオンの瞳の奥に、暗い炎が揺らめいた。


「あなたは伯爵令嬢だ。己の発言や権力が、平民たちにどれほどの影響を与えるか、理解していなければならなかった。それを己のプライドと嫉妬のために利用した。……醜いとは思わないのですか」


『醜い』という言葉が、鋭利な刃物となってミランダの胸を刺した。


 レオンは一度も声を荒らげなかった。けれど、ミランダは生まれて初めて知ったのだ。自分に向けられていた彼の笑顔が完全に消え去り、本気の怒りと拒絶を向けられた時の恐ろしさを。


「僕は、あなたを絶対に許しません」


 ミランダの目から、溢れ出る涙が止まらない。彼女は震える声で絞り出した。


「……あの女……彼女を選ぶのですか?」


「当たり前だ」


 レオンは迷いなく、即答した。


「僕の、世界で一番大切な人だからね」


 ミランダはもう、崩れ落ちる体を支えることすらできず、その場にへたり込んだ。美しく豪華ドレスが床に広がり、屈辱と敗北感にまみれる。


「今回の件については、すでにヨーク伯爵閣下へすべての証拠を添えて書状を送ってある。正式な処分を求めると同時に、診療所への損害についても、相応の補償をしてもらう」


「お父様に……!? そんなこと……! お父様に知られたら、私は……修道院に送られてしまいます! 謝ります! 彼女にも謝りますから、お願いです、レオン様!」


「それから」


 レオンは、床に座るミランダを冷たく見下ろした。


「二度と、ミレーユの前に現れないでください。もし次に彼女や彼女の周りに手を出すようなことがあれば……僕が騎士としての立場を捨ててでも、あなたと伯爵家を徹底的に潰す」


 それは、脅しではなかった。本気でそう実行するだけの決意が、彼の瞳に宿っていた。


 レオンは一礼すらすることなく、静かに背を向けて応接室を去っていった。残されたミランダは、誰もいない部屋で声を上げて泣き崩れることしかできなかった。


 ◇


「ただいまー!」


 その日の夜。扉が開くと同時に、弾んだ声が響き渡った。


「おかえりなさい、レオン」


 奥の台所からミレーユが顔を出す。その姿を見た瞬間、レオンの整った顔立ちが、まるで氷が解けるようにふにゃりと崩れた。


「ミレーユ〜……」


「ちょっと、どうしたの?」


 レオンは上着を脱ぐのももどかしそうに駆け寄ると、ミレーユの肩に自分の額をすり寄せた。


「疲れたぁ……」


 さっきまで伯爵邸で、冷徹な仮面を貼り付け、一人の令嬢を絶望の淵に突き落としてきた男と同一人物とは到底思えない。今の彼は、まるで大好きな飼い主に甘える大型犬そのものだった。


「お仕事、そんなに大変だったの?」


「うん。すごく頭使ったし、変な奴と話したから疲れた」


「ふふ、お疲れ様。今お夕飯の準備をするからね。今日はレオンの好きなチキンのクリーム煮よ」


 ミレーユが優しく彼の柔らかい髪を撫でてやると、レオンは心地よさそうに目を細め、彼女の腰に腕を回してぎゅっと抱きしめた。


「ねえ、ミレーユ」


「なに?」


「明日からね、診療所の納品、ちゃんと元通りになるからね。遅れていた薬も、全部届くよ」


「えっ? 本当に? どうして分かったの?」


 ミレーユが驚いて顔を上げようとするが、レオンは頭を抱え込んだまま離さない。


「うん、第一騎士団の巡回でちょっと業者に話を聞いたら、行き違いがあったみたいでさ。明日からは大丈夫だって」


「そうなの……? ああ、よかった……! みんなにも教えてあげなくちゃ」


 ミレーユが心から安堵したように息を吐く。


「ねえ、ミレーユ」


「なぁに?」


「もう大丈夫だから」


「……うん」


「じゃあ……もっとぎゅーってして。ミレーユの成分が足りない」


「ふふ、はいはい」


 ミレーユはそれ以上、何も深く追求しなかった。レオンが何かをしてくれたのだということは薄々感づいていたけれど、彼が話さないのであれば、敢えて野暮な質問をするつもりはなかった。ただ、目の前の愛おしい恋人を強く抱き返した。


 そしてレオンも、診療所で起きた嫌がらせの真実や、ミランダに突きつけた冷酷な通告については、何一つ口にしなかった。


 ミレーユの前では、いつだって自分は少し頼りなくて、甘えん坊な年下の恋人でいたかったから。


 けれど、ミレーユの知らないところでは、誰よりも冷静に、誰よりも容赦なく、レオンは最愛の女性を脅かすものすべてに、静かな決着をつけていた。


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