第18話 執着の抱擁と、甘い呪縛
二日半、不眠不休で馬を走らせ続けたレオンが最前線の野戦病院に辿り着いた時、その姿は全身泥と汗に塗れ、立っているのもやっとという有様だった。
レオンは幕舎へ飛び込むと、目の前を通りかかった白衣の女性に縋り付くように声をかけた。
「ミレーユは……! こちらで助手をしていたミレーユ嬢が危篤との知らせを受けて駆けつけました! 頼む、ミレーユに会わせてくれ……っ!」
声をかけられた女性——ミレーユの先輩助手であるアリサは、驚いて目の前の男を見上げた。
泥に汚れた風体ではあったが、整った顔立ちと着ている第一騎士団の制服から、彼が王都の騎士であることが窺えた。
「失礼ですが……あなた様は?」
「あ、私は、王都の第一騎士団で小隊長をしております、レオン・リンドンと申します! ミレーユの危篤を知り、馬で駆けつけました。彼女は無事なんですか!? お願いです、会わせてください!」
なりふり構わず必死に頭を下げる男の名を聞いた瞬間、アリサの目が大きく見開かれた。
生死の境を彷徨うミレーユが、うわ言のように何度も呼び続けている名——『レオン』。その本人が、目の前に立っているのだ。
(この方が、ミレーユさんが呼び続けていた『レオン様』……!)
「あなた様が、レオン様……! 面会ができるか医師に確認してまいります! 私についてきてください!」
アリサは急ぎ病室へと走り、老医師から許可を得てレオンをミレーユのベッドへと案内した。
薄暗い幕舎の奥、ベッドに横たわるミレーユの姿が視界に入った瞬間、レオンの足が止まった。
「ミレーユ……? ああ……嘘だ……ミレーユッ!」
爆風で飛ばされ、頭蓋骨に目立った損傷はなかったものの、頭部を強く打ったことによる重度の脳損傷が疑われ、意識はもう六日も戻っていない。見た目には静かに眠っているようにしか見えないからこそ、その動かない姿が痛ましかった。
レオンの両目から、堰を切ったように涙が溢れ出した。
「ミレーユ! なんで……っ、ミレーユ!!」
レオンはベッドの脇に膝をつくと、ミレーユの右手を両手で包み込み、縋りついた。
「目を覚まして……! 僕だよ、レオンだよ! 頼むから目を開けてよ! 僕を見て……っ! ミレーユ!」
プライドも捨て、幼子のように大声で叫びながら泣きじゃくるレオン。その悲痛な姿を傍らで見守っていたアリサは、目頭を熱くさせながら静かに胸中で呟いた。
(身寄りがいないと言っていたミレーユさん……けれど、レオン様のこの姿を見れば、彼にとってどれほど大切な存在だったのか疑う余地なんてないわ。きっと、話せない何かがあったのね……)
どれほど叫んでもミレーユの瞳が開くことはなく、浅い呼吸の音だけが虚しく響いていた。
しばらく泣き叫んでいたレオンだったが、限界を超えて駆け続けた体はすでに限界を迎えていた。ミレーユの右手を握りしめたまま、安堵したようにその場に崩れ落ち、意識を失ってしまった。
「……このままでは疲れも取れまい。ミレーユさんの隣に横になってもらうとしよう。……これほど想っている男じゃ。声や体温が何かの助けになるかもしれん」
老医師の言葉にアリサも頷き、二人は力を合わせて大柄なレオンの外套だけ脱がせると、ミレーユのベッドへと横たえた。
◇
レオンの到着から遅れること半日。ケビン・フォードがようやく野戦病院に到着した。
息を切らせて病室へ入ったケビンは、ベッドの上でミレーユを抱き込むようにして眠るレオンの姿に、思わず絶句した。
(僕が第一騎士団へ報せを託した時、あいつはまだ訓練中だったはずだ。それなのに……半日も前に着いていたというのか……!?)
どれほどの速度で馬を走らせ、泥まみれになりながら駆け抜けてきたのか。レオンの常軌を逸した執念に、ケビンは戦慄した。
(これほどまでに深くミレーユを愛している男が、なぜあんな残酷な裏切りなんて……)
重症のミレーユが、時折うわ言のように「レオン……」と呟く。すると眠っているはずのレオンもまた、愛おしそうに「ミレーユ……」と返し、お互いの名を呼び合いながら眠っていた。
だが次の瞬間、ケビンの気配を察知したレオンがゆっくりと目を開けた。
自分の腕の中に愛するミレーユがいることを確認したレオンは、涙の跡を残したまま、どこか危ういほど美しい笑みを浮かべた。
レオンは愛おしさを抑えきれない様子でミレーユの髪に顔を寄せ、耳元で深く囁く。
「ミレーユ、愛しているよ。目を覚まして……。もし君が僕を置いていってしまうなら、僕はすぐに君を追いかける。……だから、来世でもずっと一緒だ。二度と君を放さない」
その言葉を耳にした瞬間、ケビンの背筋に冷たい怖気が走った。
それは甘い愛の言葉などではなく、一歩間違えれば死の道連れすら厭わない、深すぎる『執着』の響きだったからだ。
——その直後だった。
固く閉ざされていたミレーユの瞼が、ピクピクと小さく震えた。その微かな変化を見逃さなかったケビンは、医師としての本能で瞬時に叫んだ。
「どけ、レオン! 僕は医師としてミレーユの意識を取り戻させる! 診察の邪魔だ、今すぐどいてくれ!」
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