第11話 さようなら、愛しかった『騎士様』
「愛してるけれど……これ以上、あなたを縛りつけたくないの」
ミレーユの口から出た信じられない言葉に、レオンはまるで世界の終わりかのように目を見開いた。
「ミレーユ……? な、なに言ってるの……? 嘘でしょう? 僕を縛り付けたくないだなんて……僕は君と一緒にいるのが一番幸せなんだよ……っ!?」
泣きじゃくりながら縋りついてくるレオンの手に、ミレーユはそっと手を重ねた後、静かにその手をほどいた。
寝室に向かい、クローゼットから使い古したボストンバッグを取り出す。着替えと身分証、身の回りの最小限の貴重品だけを詰め込んでいく。
両親を亡くして以来、ずっと一人で生きてきた自分にとって、大切な品などこのバッグ一つに収まってしまう程度のものしかなかった。
「ミレーユ! ねえ、ミレーユってば! どこに行くのさ! 僕を置いてどこへ行くのさ!? 行かないでよ、ねえってば!」
手すりにしがみつき、半狂乱になって声を張り上げるレオン。
このままでは彼を余計に追いつめてしまう——そう察したミレーユは、バッグを握りしめ、階段を降りながら静かに声をかけた。
「……今晩は、診療所で宿直をするわ」
「え……?」
その一言に、レオンの表情が一気に安堵へと変わり、立ち尽くした。
「あ……なんだ、お仕事なんだね……? びっくりさせないでよ……。でも、そのバッグは……?」
「着替えが入っているだけよ。……レオン、少し頭を冷やして、お互いの将来を考えましょう」
「……っ!……わかったよ。明日、また話し合おう。僕は絶対にミレーユを離さないから! 世界で一番愛しているんだ!」
背中に届くレオンの必死な叫び声を胸に刻み、ミレーユは扉を開けて外に出た。夜の冷たい空気が、火照った頬に心地良い。振り返ることなく、二人で暮らした小邸をあとにした。
◇
向かった先は、診療所の同僚でもあるケビンの家だった。
ケビンは学園時代からの大切な友人で、今は同じ診療所で働く医師でもある。フォード伯爵家の四男坊だが気取ったところはなく、恋人のオリビエと暮らすこの家には何度か遊びに来ていた。
路地を進み、小さな一軒家の扉を叩く。少しして玄関扉が開いた。
「あれ? ミレーユ、どうしたのこんな時間に?」
エプロン姿のケビンが意外そうな声をあげる。
「ケビン……ごめんなさい。今晩だけでいいから、泊めてもらえるかしら」
ミレーユの手にあるバッグとどこか思い詰めた表情を見つめ、ケビンはすぐに事情を察したように静かに頷いた。
「……いいよ。入って」
室内に招き入れられると、香ばしいスープの匂いが満ちていた。
食卓を挟み、ケビンが淹れてくれた温かいハーブティーの湯気を見つめながら、ミレーユは大通りで目撃したレオンの姿と、彼が自分に隠している『秘密』、封筒や鍵の型について語った。
「彼は私を愛してくれているの。それは嘘じゃないわ。……でも、彼は私に言えない危険な仕事や、貴族社会での重責を背負っている。外で見せる彼の姿は、私には遠すぎる高貴な騎士そのものだったわ」
ケビンは静かに相槌を打ちながら、ミレーユの言葉に耳を傾けていた。
「私と一緒にいることが、彼の足を引っ張っているのよ。彼には彼の生きるべき華やかな世界があるのに、私を安心させようと嘘をついて、二つの世界の間で苦しんでいるの」
「だから……君が身を引くと言うのかい?」
ケビンの問いかけに、ミレーユは寂しく微笑んだ。
「ええ。もう彼に無理をさせたくないの。……私、レオンのもとを去るわ」
その言葉を聞いたケビンは、ミレーユの深い愛と葛藤を理解したように、悲しげに、けれど優しく頷いた。
「……そうか。君がそう決めたなら、僕は全力で君を応援するよ。今夜はゆっくりお休み」
ケビンの温かい気遣いに、ミレーユの胸の奥に灯っていた張り詰めた緊張が、ようやくほどけていくのを感じた。
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