# 第7話 濁った破片と魔光灯
封印箱の前で、ミラ・フォルネは腕を組んでいた。
作業場の空気は、さっきまでより少し重い。
机の上には、銀色の紋様が刻まれた封印箱。
その周囲には、工具、魔石、透明な板、小さな金属環が並べられている。
シュウには、その箱の隙間からまだ薄い濁りが漏れているのが見えた。
昨日、組合倉庫で見たものよりは弱い。
封印布と封印箱で抑えられているのだろう。
だが、完全に消えたわけではない。
(細いけど、まだ動いてる)
濁った流れは、箱の内側で小さく渦を巻いていた。
まるで、何かを探しているように。
「まず確認する」
ミラが短く言った。
「この箱に入っていたものは、申告上は魔石片。低品質の魔石を砕いた補助素材、という扱いだった」
彼女は作業台の横に置かれた帳簿を指で叩く。
「けど、実際には術式片が混ざっていた」
「術式片?」
シュウが聞き返すと、ミラは小さな金属片を一つ持ち上げた。
指先ほどの薄い板。
表面には、細い線が刻まれている。
「魔道具の内部に組み込む部品。魔石から出た魔力を、決まった方向へ流すためのもの」
「流路みたいなものか」
「りゅうろ?」
ミラが眉を寄せる。
シュウは少し考えてから言い直した。
「水や油を通す道みたいなものです。こっちの世界だと……魔力の通り道、という意味です」
「なら、近い」
ミラは頷いた。
「魔道具は、魔石を置けば勝手に動くわけじゃない。魔力をどこへ通すか、どこで弱めるか、どこで光や熱に変えるかを決める必要がある。そのための線や板や輪がある」
「なるほど」
シュウは作業台の上にある小さな魔光灯を見た。
前の世界の機械や配線とは違う。
だが、考え方は少し似ている。
エネルギーがあり、それを通す道がある。
流れが悪ければ、動きが悪くなる。
流れが乱れれば、不良になる。
(ここでも結局、流れか)
そう思うと、少しだけ理解できる気がした。
ミラは封印箱を指さした。
「問題は、この中の破片。魔力を通すだけじゃなく、周囲の魔力を引き寄せるように作られている」
「引き寄せる?」
「そう。昨日、薬草や魔石に寄っていったんでしょ?」
シュウは頷いた。
「はい。魔力を持つものに向かっていたように見えました」
「なら、性質は一致する」
ミラの表情は険しい。
「ただし、分からないことがある」
「何ですか?」
「これ、最初から人を害するためだけに作られたものとは限らない」
セリアが少し驚いた顔をした。
「え? 危険なものなんじゃないの?」
「危険よ」
ミラは即答した。
「でも、危険なものと、最初から悪意だけで作られたものは違う」
その言葉に、シュウは少し引っかかった。
危険なものと、悪意だけで作られたものは違う。
前の世界でも、似たようなことはあった。
コストを下げるための代替品。
不足を補うための暫定処置。
現場を助けるつもりで始めた方法が、管理されないまま広がり、やがて不具合の原因になる。
(善意でも、流れを間違えると事故になる)
シュウは黙って封印箱を見つめた。
ミラは、別の小さな箱から普通の術式片を取り出した。
「これが正常な補助部品。低品質の魔石でも、魔力を安定して流すために使う。安い魔石しか買えない家庭用の魔光灯や、小さな暖房具に使われることがある」
「便利なものなんですね」
「ちゃんと作ればね」
ミラは次に、封印箱の上へ視線を戻した。
「でも、この箱の中の破片は違う。魔力を安定させるというより、周囲から魔力を吸い寄せて、一か所にまとめようとしている」
「それで、薬草や魔石に反応した」
「たぶん」
ミラは小さく息を吐いた。
「もしこれが市場に混ざれば、低品質の魔道具が一時的に強く動くかもしれない。でも、その分、周囲の素材や魔石を濁らせる。最悪、薬草や治癒具にも影響する」
セリアの顔が硬くなった。
「それ、かなりまずいよね」
「かなりまずい」
ミラは工具を置いた。
「だから、見なかったことにはできない」
その言い方は冷たかった。
けれど、冷たいだけではない。
怒っている。
シュウにはそう感じられた。
「ミラさんは、こういう混入に詳しいんですか?」
シュウが尋ねると、ミラの目が一瞬だけ鋭くなった。
聞き方を間違えたかもしれない。
そう思ったが、ミラはすぐに視線を作業台へ落とした。
「詳しくなりたくてなったわけじゃない」
短い答えだった。
セリアが少しだけ心配そうにミラを見る。
ミラは手元の工具を整えながら続けた。
「昔、うちの工房で納めた魔道具に不具合が出たことがある。原因は、外から仕入れた安い術式片の混入。記録上は問題ない部品だった。でも、実際には流れが不安定だった」
「それで?」
「信用が落ちた。うちの工房は、しばらく仕事を減らした」
死んだ誰かがいる、という話ではなかった。
だが、軽い話でもなかった。
職人にとって、信用は命に近い。
一度落ちた信用は、簡単には戻らない。
ミラは淡々と言った。
「だから、出所不明の部品と、説明できない不具合は嫌い」
「……すみません」
「謝らなくていい。あなたが混ぜたわけじゃない」
ミラは顔を上げた。
「それより、見えるなら見て。感覚でもいい。今は情報が欲しい」
その言葉に、シュウは小さく頷いた。
「分かりました」
◇
ミラは封印箱の周囲に、透明な板を四枚立てた。
板には細い紋様が刻まれている。
簡易的な隔離板らしい。
「開けるのは少しだけ。中身に直接触らない。何かあったらすぐ下がる」
「分かりました」
「セリアは入口側。万が一、誰かが近づいたら止めて」
「了解」
セリアは真剣な顔で扉の前に立った。
ミラは封印箱の留め金に工具を差し込み、ゆっくりと蓋をずらした。
ほんの指一本分。
その隙間から、濁った流れが細く漏れる。
シュウは息を止めた。
見える。
箱の中に、魔石片がいくつもある。
その中に混じる、黒灰色の小さな破片。
破片の周囲だけ、流れが渦を巻いていた。
普通の魔石片は、内側に魔力を持っている。
だが、その破片は違う。
周囲へ細い糸を伸ばし、近くの魔力を引き寄せようとしている。
(吸っているというより、絡め取ってる)
シュウは眉を寄せた。
「どう?」
ミラが聞く。
「中の破片から、細い糸みたいな流れが出ています。近くの魔石片に絡んで、魔力を引っ張っています」
「方向は?」
「一方通行ではありません。引っ張って、濁らせて、また戻している感じです」
「循環してる?」
「循環というより……」
シュウは言葉を探した。
頭の中に浮かんだのは、前の世界で見た不良の流出だった。
一つの不良部品が、工程の中で別の部品と混ざる。
どこで混ざったか分からなくなる。
気づけば、不良がいくつものロットに広がっている。
「汚れた流れを混ぜて、周りにも同じ濁りを広げているように見えます」
ミラの表情が動いた。
「汚染拡散型……」
「そういう分類があるんですか?」
「正式な分類じゃない。でも、言いたいことは分かる」
ミラは透明板の向こうから、細い銀の棒を使って破片を少しだけ動かした。
その瞬間、箱の中の流れが乱れた。
「っ」
シュウの目の奥が、軽く痛んだ。
濁った流れが一瞬だけ太くなる。
破片から伸びる糸が、透明板に触れた。
板の紋様が淡く光る。
「反応した」
ミラが低く言う。
「シュウ、流れは?」
「透明板にぶつかって、少し戻っています。でも、左側が弱い」
「左?」
「そこの角です。紋様が途切れているところ」
ミラは即座に視線を向けた。
透明板の左下。
小さな傷があった。
「見落とした」
ミラは舌打ちした。
「セリア、予備板」
「はい!」
セリアが近くの棚から予備の透明板を取る。
ミラが受け取り、左側へ重ねようとした。
その瞬間、箱の中の破片がかすかに跳ねた。
濁った糸が、透明板の傷へ向かって伸びる。
「来ます!」
シュウが叫ぶ。
ミラは手を引いた。
糸が板の傷を抜け、空中に細く漏れる。
その先にあったのは、作業台の端に置かれていた小型の魔光灯だった。
「魔光灯を離して!」
シュウの声より早く、セリアが動いた。
彼女は扉側から駆け寄り、魔光灯をつかもうとする。
「素手で触らない!」
ミラが叫んだ。
セリアの手が止まる。
そのわずかな迷いの間に、濁った糸が魔光灯へ届きかけた。
(まずい)
シュウは作業台の上を見た。
魔光灯の近くに、さっきミラが使っていた銀の棒がある。
「銀の棒で横に払って!」
シュウが叫ぶ。
セリアは即座に棒を取り、魔光灯を横へ弾いた。
小さな魔光灯が作業台の上を転がる。
濁った糸は目標を失い、透明板の内側へ戻った。
ミラがすかさず予備板を重ねる。
紋様が光り、漏れた流れが弱まった。
「蓋を戻す」
ミラは素早く封印箱の蓋を閉じた。
留め金をかける。
銀色の紋様が一度だけ強く光り、箱の中の濁りは再び細く抑え込まれた。
作業場に、しばらく沈黙が落ちた。
「……危なかった」
セリアが息を吐く。
シュウも同じように息を吐いた。
目の奥が少し熱い。
頭の奥に、じんわりした痛みがある。
(見すぎたか)
倒れるほどではない。
だが、体が重い。
セリアがすぐに気づいた。
「シュウ、大丈夫?」
「ああ。少し目が疲れただけだ」
「本当に?」
「本当だ」
セリアは疑うように見た。
その目が近い。
「無理してない?」
「してない」
「昨日も今日も、無理してない人の顔じゃない」
「顔で判断するな」
「顔に出てる」
シュウは返す言葉に詰まった。
(そんなに出てるのか)
ミラが横から水の入った小さな杯を差し出してきた。
「飲んで」
「ありがとうございます」
「礼はいい。倒れられると面倒」
「理由が正直ですね」
「嘘を言っても魔道具は直らない」
ミラらしい言い方だった。
シュウは水を飲んだ。
冷たい水が喉を通り、少しだけ頭の熱が引く。
ミラは封印箱を見つめたまま言った。
「さっきの反応で、少し分かった」
「何がですか?」
「これはただ魔力を吸う部品じゃない。近くの魔力を引き寄せて、自分の流れに巻き込もうとする。もし同じ性質の部品が複数あれば、互いに呼び合う可能性がある」
「呼び合う?」
セリアが不安そうに聞く。
「ええ。離れた場所にあっても、似た流れを持つもの同士が反応することがある。弱いものなら近距離だけ。でも、数が増えれば……」
ミラは言葉を切った。
その先を、シュウは想像した。
低品質の魔道具。
安い部品。
出所不明の素材。
それらが街中に少しずつ混ざっていく。
最初は小さな不具合。
魔光灯がちらつく。
薬草の効きが落ちる。
暖房具の調子が悪くなる。
だが、それがつながれば。
(街の中に、濁った流れが広がる)
背筋が少し冷えた。
「これを作った人は、何がしたいんでしょうか」
シュウが呟くと、ミラは少しだけ考えた。
「可能性は二つ」
「二つ?」
「一つは、悪用。安い魔道具に混ぜて、周囲の魔力を濁らせる。素材の品質を落としたり、魔道具を不安定にしたりするため」
「もう一つは?」
「低品質の魔石でも使えるようにしようとして、失敗した」
セリアが眉を寄せる。
「失敗?」
「魔石は高い。良質な魔石は、もっと高い。貧しい地区では、弱い魔光灯や古い暖房具を無理に使っている家もある。そういう場所では、低品質の魔石を安定させる部品の需要がある」
ミラは封印箱を見つめる。
「最初は、誰かを助けるためだったのかもしれない」
作業場が静かになった。
悪意だけではないかもしれない。
その言葉は、シュウの胸に残った。
もちろん、今ここにあるものは危険だ。
人を傷つける可能性がある。
だが、最初の目的まで断定するのは早い。
(流れを見るなら、入口も見ないとだめか)
どこで作られたのか。
なぜ作られたのか。
誰が混ぜたのか。
どうして組合倉庫に届いたのか。
途中の流れを見なければ、判断を間違える。
リリアの言葉を思い出す。
分からないことを分からないまま進めると危険です。
まったく、その通りだった。
◇
調査が一段落したあと、ミラは一つの壊れた魔光灯をシュウの前に置いた。
「これ、持っていって」
「いいんですか?」
「貸すだけ。壊れている練習用」
ミラは短く言った。
「流れを見る練習に使って。どこで詰まっているか、どこで弱くなるか。気づいたことを記録して」
「俺、文字が読めないし書けません」
「……そうだった」
ミラは少しだけ困った顔をした。
セリアが手を上げる。
「私が書くよ」
「あなた、字は綺麗?」
「普通」
「普通か……」
「今、ちょっと不満そうだったよね?」
「不満じゃない。期待値を調整しただけ」
「それ、不満じゃない?」
セリアがむっとする。
ミラは気にせず、シュウへ向き直った。
「感覚だけの説明は嫌い。でも、見えたものを言葉にして残せば、それは少しずつ説明に近づく」
その言葉に、シュウは小さく頷いた。
「分かりました。やってみます」
「あと、用語も覚えて。流れが変、だけでは分からない」
「努力します」
「努力だけでは足りない。覚えて」
「……覚えます」
セリアが横で笑った。
「ミラも、なかなか厳しいね」
「曖昧な説明で魔道具を触る方が危ない」
「それはそうだけど」
ミラは壊れた魔光灯を布で包み、シュウへ渡した。
「あなたの魔流視は、まだ見えるだけ。でも、見えるだけでも使い方はある」
その言葉は、リリアの言葉と少し似ていた。
見えたものを報告できた。それは仕事です。
見えるだけでも使い方はある。
シュウは魔光灯を受け取った。
「ありがとうございます」
「礼は、記録を持ってきてからでいい」
「分かりました」
ミラはそこで少しだけ視線をそらした。
「それと……さっきは助かった。傷の場所、私だけなら見落としていた」
小さな声だった。
だが、確かに礼だった。
セリアがにやりと笑う。
「ミラが素直にお礼言った」
「セリア」
「はい」
セリアはすぐに口を閉じた。
シュウは少し笑いそうになったが、こらえた。
ミラは封印箱へ視線を戻す。
「この破片の出所は、商会ギルドにも確認する必要がある。どこから入り、誰が運び、なぜ組合倉庫に置かれたのか」
「流通経路ですね」
「そう。そこは魔道具ギルドだけでは追えない」
その時、作業場の入口で軽いノックがあった。
職員が顔を出す。
「ミラさん、組合のリリアさんから伝言です」
「内容は?」
「赤印の箱の持ち込み経路について、商会ギルドから照会の返答が来たそうです」
ミラの表情が引き締まる。
「どこの商会?」
職員は手元の紙を見た。
「ベルシア商会の倉庫名が出ています。ただし、正式な出荷記録には残っていないそうです」
「ベルシア……」
セリアが小さく呟いた。
「知ってるのか?」
シュウが尋ねると、セリアは頷いた。
「大きな商会の一つ。素材や魔道具部品の取引もしてる」
ミラは不機嫌そうに工具を置いた。
「面倒な名前が出てきた」
「問題のある商会なんですか?」
「問題があるというより、関わると話が大きくなる」
その時、入口の向こうから、柔らかい女性の声が聞こえた。
「あら。人の名前を聞いて、面倒だなんて失礼ね」
作業場の空気が変わった。
入口に立っていたのは、上品な雰囲気の女性だった。
年齢は二十代後半くらい。
ゆるく巻いた髪。
落ち着いた色の服。
口元には柔らかな笑み。
だが、その目は笑っていない。
彼女は作業場を見渡し、封印箱、ミラ、セリア、そしてシュウの順に視線を移した。
「カレン・ベルシアよ」
女性は微笑んだ。
「その赤い箱の流れ、商会側でも確認させてもらえるかしら」
シュウは、彼女の背後に細く流れる金色のような魔力を見た。
黒ではない。
白でもない。
だが、複雑に絡み合い、いくつもの方向へ伸びている。
(この人も、流れの中にいる)
赤い印の木箱。
濁った破片。
魔道具ギルド。
商会ギルド。
小さな初依頼から始まった違和感は、少しずつ街の奥へと広がっていた。




