第48話 切断命令の続き
第三環統合が始まるまで、残された時間は一夜。
王宮地下へ入るには、中央核の構造と、白環が十七年前に何を承認したのかを知る必要があります。
記録搬送路の変更書には、オルバス・ノクトと、当時の白環総監アルトゥール・アルカードの署名がありました。
セルヴィスの祖父です。
黒環会と戦ったとされる白環総監は、なぜ中央核へ個人情報を流す書類へ署名したのか。
総監級記録庫に残されていたのは、切断命令だけではありません。
切った後、人と地区をどう戻すのか。
長い間、白環の手順から失われていた「命令の続き」でした。
第48話 切断命令の続き
白環本部の総監級記録庫は、地下ではなく塔の最上階にあった。
「大事な記録は地下に置くものだと思っていました」
螺旋階段を上りながら俺が言うと、イレーネ監察官が振り返った。
「白環本部では、地上の汚染が地下の魔力脈へ流れ込む可能性を想定しています」
「それで上へ?」
「はい。ただし、火災と落雷に備え、同じ記録の一部を地下にも保管します」
「全部ではないんですか」
「同じ場所へ完全な記録を二つ置けば、侵入者が一か所を押さえた時に両方奪われます」
合理的だった。
白環にも、分けて残す考え方はある。
「では、上と下を合わせないと読めない記録も?」
「総監級の共同案件にはあります」
「今日見る記録は?」
「地上側だけで概要を確認できます。術式図や承認条件は、地下保管庫の記録と照合する必要があります」
また一か所では揃わない。
今度は悪意による分断ではない。
一度に奪われないための分割だ。
(分かれていることが問題なんじゃない。必要な時につなげられるかどうかなんだ)
塔へ入る前、俺たちは役割を分けていた。
セルヴィス・アルカードとイレーネが、白環側の封印解除。
リリア・フォルンは、上階の原本記録を確認する。
オスカー・ベルン審査官は物流院へ戻り、地下搬送路と王宮側の工事記録を探す。
カレン・ベルシアは中央市場へ向かい、王宮中央核を止めた場合に影響を受ける物資を洗い出す。
ミラ・フォルネとナディア・エルクは、治療室でエマの接続を保ちながら、第三環統合に使われる術式の構造を解析する。
ノア・ルミナスもエマとナディアのそばに残った。
セリアは俺と一緒だ。
そして、俺の左手首には今日も青い紐がある。
「記録を読むだけですよ」
「昨日も、最初は審査を受けるだけだった」
セリアが紐の端を持ち上げる。
「その前は、地下道を見るだけ」
「結果として色々あっただけです」
「だからつけるの」
「今日は魔流視を使いません」
「うん」
「本当に必要ないと思います」
「うん」
「信じてませんね」
「信じてるよ。だから、使わないって約束を見える形にしてる」
言い返しにくい。
セリアなりの確認方法なのだろう。
◇
総監級記録庫の扉には、三つの白い環が刻まれていた。
一つ目は、監察官の権限。
二つ目は、総監か、その血縁者の魔力印。
三つ目は、記録を開く目的。
「目的まで確認するのですか」
リリアが尋ねる。
「好奇心や私的な調査で開けないためです」
イレーネは細い記録板へ、今回の目的を書いた。
――王宮中央核への個人情報流出経路確認。
――第三環統合術式による生命、人格への危険調査。
――十七年前の共同承認記録の照合。
「これで開く?」
セリアが扉を見る。
「記録庫が、目的を正当と判断すれば」
「誰が正当か決めるの?」
「過去の総監と監察官が定めた条件です」
「昔の人が想定してない問題だったら?」
イレーネの手が止まる。
「開かない可能性があります」
「その時は?」
「追加理由を記録します」
「壊さない?」
「壊しません」
「意外」
「白環を何だと思っているのですか」
「すぐ切る人たち」
イレーネは反論しかけた。
セルヴィスを見る。
俺を見る。
そして、口を閉じた。
「否定しにくいですね」
少しだけ空気が柔らかくなる。
イレーネが一つ目の環へ手を当てる。
白い光。
「監察官、イレーネ。閲覧および不正改変調査の権限を使用します」
一つ目が開く。
セルヴィスが二つ目へ手を当てた。
環はすぐには反応しない。
彼の眉が寄る。
「血縁印が拒否されている?」
「総監家の登録名を」
イレーネが言う。
セルヴィスは低い声で答えた。
「アルカード家、直系第三代。セルヴィス・アルカード」
白い光が、彼の腕を上がっていく。
指。
手首。
肘。
肩。
首元で一度止まる。
そして、二つ目の環が開いた。
「三つ目」
扉の中央に、記録目的が浮かぶ。
白い文字が一行ずつ読み取られていく。
王宮中央核。
個人情報。
人格への危険。
共同承認。
最後に、赤い文字。
――黒環関連記録のため、切断対象として仮判定。
「記録そのものを切るつもり?」
セリアが剣の柄へ手を置く。
「黒環会に関わる文言を検知したためです」
イレーネが言う。
「ここで強制的に開けば、内部記録が焼却されます」
「どうするんですか」
俺が聞く。
「切断対象ではなく、保存対象である理由を追加します」
イレーネは記録板へ書き加えた。
――黒環関与の証拠保全を目的とする。
再判定。
赤い文字は消えない。
リリアが扉を見つめる。
「“黒環関与”という言葉が、切断条件ではないでしょうか」
「使わずに書けと?」
「事実を変えてはいけません。ただ、結論を先に書かない形にします」
新しい目的。
――十七年前の中央分配事業における、設計者、承認者、施工者、運用変更者の確認。
――現行設備との相違点を保全し、人格および生命への危険を評価する。
黒環会という組織名を使わない。
だが、調査内容は狭めていない。
再判定。
赤い文字が白へ変わった。
「目的確認、完了」
三つ目の環が開く。
「言葉を変えただけで開くんですね」
セリアが言う。
「危ない仕組みでは?」
「言葉を偽れば、後の照合で不正になります」
リリアが答えた。
「今回は、最初から犯人を決めた文章を、確認対象が分かる文章へ直しました」
「同じことを調べるのに?」
「はい」
「記録って難しい」
「剣も、握り方で動きが変わるでしょう」
「分かりやすい」
扉が内側へ開いた。
◇
記録庫には、窓がなかった。
壁一面に白い箱が並んでいる。
箱には題名ではなく、日付と承認番号だけが刻まれていた。
内容を外から悟られないためらしい。
「十七年前、王都中央分配事業」
イレーネが番号を探す。
「第八十一号から第九十六号」
該当する箱は、十六個。
だが、棚にあるのは十五個だった。
「一つ足りません」
リリアが番号を追う。
「第八十九号」
「貸出記録は?」
イレーネが壁の台帳を開く。
「ありません」
「廃棄?」
「総監級記録は、廃棄にも総監と監察官の承認が必要です」
「その記録は?」
「ありません」
箱だけが消えている。
「先に残りを確認します」
俺は言った。
「足りない一箱へ引っ張られすぎると、今ある記録を見落とします」
リリアがうなずく。
箱を一つずつ開く。
当時の状況報告。
各地区の汚染記録。
治療用魔石の在庫。
水路の封鎖図。
物流停止による被害予測。
十七年前の王都では、七つの地区で同時に黒い濁りが発生していた。
一つの地区を封鎖すれば、隣の水路へ濁りが流れる。
物資を止めれば、治療院の魔石が不足する。
安全確認を待てば、情報が半日遅れる。
今よりも記録の流れが遅い時代だ。
「死者、二百三十一名」
リリアが古い報告を読む。
「負傷者は、確認できるだけで千人以上」
セリアの表情が変わる。
「そんな事故があったの?」
「白環では、七区同時濁流と呼ばれています」
セルヴィスが答えた。
「祖父が総監になった理由でもある。最初の三日間で、七区のうち四区を切断した」
「人ごと?」
「避難できなかった者もいた」
「それで被害は止まった?」
「王都全体への拡大は止まった」
切断で救われた人もいる。
切断された側で、物資を失った人もいる。
どちらか一方だけでは語れない。
次の箱には、若いオルバス・ノクトの提案書が入っていた。
黒い礼服ではない。
王立魔術研究局の灰色の制服。
役職は、分配術式主任。
提案名。
――緊急時中央照合核。
「黒環大循環ではないんですね」
「当時は、正式な王立事業です」
リリアが内容を読む。
各地区から、汚染、物資、治療状況を中央へ送る。
中央は情報を照合し、危険な重複や不足を知らせる。
地区同士の返答を待たず、全体の変化を把握する。
「まともな提案に見えます」
セリアが言う。
「はい」
俺もそう思う。
現場の情報を集める。
同時に見る。
不足を早く知る。
必要な仕組みだ。
提案書の末尾には、オルバスの言葉があった。
――中央核は判断を代行しない。
――各地区の責任者へ、照合結果と選択肢を提示する。
――命令権限は現地に残す。
現在の中央核とは違う。
「最初から人を支配しようとしていたわけではない?」
俺がつぶやく。
「少なくとも、この提案書では」
リリアが答える。
その次の箱。
白環総監アルトゥール・アルカードの意見書。
中央照合核の使用を、九十日間に限り承認する。
ただし条件があった。
個人名は、危険照合後に白環保管庫へ戻す。
中央核へ残さない。
地区の切断命令は、白環総監一人で出せない。
現地責任者の返答を待てない場合でも、切断後の再接続予定を同時に記録する。
「再接続予定……」
セルヴィスの声がかすれる。
「白環の現行手順にありますか」
俺が聞く。
「ない」
短い答えだった。
「切断条件。浄化条件。解除審査はある」
「解除と再接続は違う?」
「解除は、白環の封鎖を外すだけだ」
物資を戻す。
仕事へ復帰する。
街道をつなぐ。
家族を再会させる。
それは白環の担当ではないとされてきた。
「切った後は、地区側が戻す?」
「そうだ」
「戻す力が残っていなかったら?」
セルヴィスは答えられない。
灯り小路を切り離そうとした時も同じだった。
封鎖を解除すれば終わり。
その後の生活は、地区側で戻す。
だが、流れから外された場所に、戻すための人や物が残っているとは限らない。
「祖父は、再接続まで白環の責任だと書いている」
セルヴィスは意見書を握った。
「なぜ、今の手順にはない」
「続きの記録が、八十九号かもしれません」
リリアが言う。
消えた一箱。
承認条件を実際の手順へ落とす記録だった可能性がある。
◇
十五箱目に、映像記録石が入っていた。
十七年前の会議。
石を起動すると、記録庫の中央に二人の姿が浮かぶ。
一人はオルバス・ノクト。
今より若い。
白髪ではなく、灰色の髪。
目の下には深い疲労の跡があった。
向かいに立つのは、白い外套の男。
アルトゥール・アルカード。
セルヴィスより年上だが、目元が似ている。
『中央へ判断を集めるつもりはないな』
アルトゥールが尋ねる。
『照合だけです』
オルバスが答える。
『七区の記録を人の手で並べていては、次の濁流に間に合いません』
『速さが必要なのは認める』
『ならば承認を』
『九十日だ』
『短すぎます』
『緊急時の仕組みは、便利だから残る』
アルトゥールの声は厳しい。
『期限を決めなければ、誰も元へ戻そうとしない』
『元の遅い仕組みへ戻せと?』
『違う。使った結果を見て、改めて決める。その時には、現場の者を入れろ』
『現場は全体を知りません』
『中央は現場を知らない』
二人の間に沈黙が落ちる。
『どちらも必要だ』
アルトゥールが続けた。
『中央は詰まりを知らせる。現場は、人を見て流れを変える』
『人を見ていては、全体が遅れます』
『全体のために人を消せば、何のための流れか分からなくなる』
オルバスは反論しなかった。
映像の中で、二人は同じ書類へ署名する。
敵同士には見えない。
少なくとも、その時は。
『もう一つ』
アルトゥールが言う。
『切断命令には、必ず続きの紙をつけろ』
『続き?』
『いつ、誰が、どう戻すのか』
『緊急時に、そこまで決める余裕はありません』
『決められないなら、空欄でいい』
『空欄?』
『空欄の責任者を決めろ。切る時点で、戻す仕事が残ると見えるようにする』
前の世界でも、停止命令は早かった。
生産停止。
出荷停止。
設備停止。
だが、再開条件は後回しになる。
誰が確認するのか。
どの在庫から流すのか。
止めていた注文をどの順番で戻すのか。
それを決めないまま止めると、再開する時に別の詰まりができる。
(切る判断と、戻す仕事は一つの命令にしないといけない)
映像の中のオルバスが、小さく息を吐く。
『あなたは、面倒な条件をつける』
『戻す者が一番面倒な仕事をする。命令する側が、それを忘れるな』
記録はそこで終わった。
セルヴィスは、祖父の姿が消えた場所を見つめていた。
「祖父は……切るだけの人ではなかった」
「今の白環が間違っていると?」
イレーネが聞く。
「間違いだけではない」
セルヴィスは首を横に振った。
「切断で救った命もある。俺も、それを見てきた」
「はい」
「だが、続きが抜けている」
切る。
浄化する。
封鎖を解除する。
そこまでは白環の手順に残った。
人と物の流れを戻す。
それだけが、白環の責任から外れている。
「八十九号を探します」
セルヴィスが言った。
「白環の現行手順から、何が消えたのか確認する」
「家の名誉のためですか」
イレーネの問いは厳しい。
セルヴィスはしばらく考えた。
「違う、と言い切れば嘘になる」
正直な答えだった。
「祖父が黒環会へ協力したのではないと、思いたい」
「はい」
「だが、違っていたとしても記録する」
「できますか」
「お前が立ち会え」
イレーネとセルヴィスが見つめ合う。
「承知しました」
◇
消えた八十九号には、貸出記録がなかった。
だが、棚の奥に薄い紙片が挟まっていた。
箱を引き抜く時に破れたのだろう。
リリアが手袋をつけ、慎重に取り出す。
「番号の一部が残っています」
――八十九。
さらに、受取先を示す印。
王宮ではない。
白環本部地下記録庫でもない。
「王立治癒院?」
イレーネが印を読む。
「なぜ治癒院へ?」
「記録の内容が、再接続手順だからでは?」
俺は考える。
切断された地区へ人を戻す。
治療中の人。
魔力が弱った人。
安全確認には治癒師が必要だ。
「十七年前の王立治癒院は、今もありますか」
「建物はあります」
セリアが顔を上げる。
「西部第三治療所?」
「現在は名称が変わっていますが、その前身です」
昨日、境界受け渡しを行った治療所。
王宮から離れた西部。
「明朝までに確認できますか」
俺が聞く。
「使いを出します」
イレーネが連絡石へ指示を送る。
ただし、八十九号だけを追うわけにはいかない。
第三環統合も迫っている。
「王宮地下へ入る方法を整理しましょう」
リリアが新しい紙を出した。
「物流院側の記録搬送路は、洗浄術式の影響で現在使用不能」
「復旧には半日以上かかります」
オスカー審査官から届いた報告を、俺が読む。
「市場側は?」
カレンからの報告。
中央市場の地下搬入口は使える。
だが王宮手前に三重の扉がある。
一つ目は王立物流院の管理印。
二つ目は白環の危険確認印。
三つ目は中央核運用者の接続印。
「一つ目はオスカー審査官が用意できます」
リリアが書く。
「二つ目は?」
「私とイレーネで開ける」
セルヴィスが答える。
「三つ目はテオさん」
「協力すると決めていない」
セリアが言う。
「はい」
「来なかったら?」
「別の入口を探す」
「間に合う?」
「難しいです」
テオ一人を前提にした計画は危険だ。
だが、彼を最初から敵として切り捨てれば、第三の扉を壊すしかなくなる。
「二つの計画を作ります」
俺は言った。
「テオさんが来た場合と、来なかった場合」
「来なかった場合は?」
「第三扉の前まで行き、統合環への魔力供給だけを絞る」
「扉の外から?」
「市場側と白環側の供給記録が分かれば、入口の一部は止められます」
「一部だけでは、統合は止まらないかもしれません」
イレーネが言う。
「完全停止ではなく、開始時刻を遅らせます」
「その間に別の入口を?」
「はい」
止められないなら、時間を作る。
「王宮中央核を丸ごと止めないのですか」
セルヴィスが尋ねる。
「止めた場合の影響は、カレンさんが確認しています」
届いた一覧を開く。
王都内の水路調整。
夜間治療所の魔力補助。
城壁の警報。
共同倉庫の温度管理。
多くが中央核へ接続されている。
「丸ごと止めれば、王都の生活が止まります」
「黒環会は、それを盾にしている」
「盾でもあります。でも実際に使っている人がいる」
壊せば敵が困る。
同時に、街の人も困る。
そこを忘れてはいけない。
「切るのは、第三環統合の入口と出口だけ」
「中央核の照合機能は残す?」
「はい。ただし命令権限は地区へ戻す準備をします」
「一晩で?」
「全部は無理です」
だから、優先順位をつける。
生命に関わる治療と水路は、代替経路を先に作る。
倉庫温度管理は、商会と工房へ人を配置。
城壁警報は、王都守備隊へ手動監視を依頼。
すべてを完全に置き換えるのではない。
中央核が止まっても、朝まで持たせる範囲を作る。
「アルメリアへも記録を送ります」
リリアが言う。
「王都内の記録が削られた場合に備えます」
エルネスト。
ジノ。
ガッシュ。
ハイン。
アルメリアに残る仲間へ。
調査結果。
第三環統合の時刻。
王宮地下への経路。
「届くのは、いつですか」
「最速の連絡具で明朝直前です」
「遅いですね」
「それでも送ります」
間に合わないかもしれない。
それでも、王都だけに記録を残さない。
◇
夜半。
全員の報告が白環本部の小会議室へ集まった。
カレンは王都内の商会と交渉し、中央核停止時の手動管理者を確保。
ミラとナディアは、第三環統合術式の外部接続を三つまで特定した。
黒環の情報収集。
白環の切断判断。
蒼流の分散判断。
三つを一人の身体へ流し込み、中央管理者にする設計だ。
「出口は?」
俺が聞く。
「一つ」
ミラが図へ線を引く。
「統合された判断は、全部中央核へ戻る」
「人へ入れて、また中央へ戻す?」
「人を管理者にするんじゃない」
ナディアが答える。
「人を変換部として使う」
俺とテオの身体。
俺の魔流視で異常を見つける。
テオの接続で中央核へ伝える。
最終判断は中央核。
「統合管理者という名前も偽物ですね」
「本人に管理権限はない」
ミラの声が冷たい。
「使い潰す前提」
俺自身のことなのに、不思議と実感が薄い。
人を機械の部品として見ると、こういう設計になる。
入口。
変換部。
出口。
身体の状態や、本人の意思は、仕様の外。
「切断できる場所は?」
「三つの入口を同時に絞る」
ナディアが示す。
「一つだけ切ると、残り二つの負荷が身体へ集まる」
「三人必要?」
「最低三人。できれば、入口ごとに測定役と操作役」
「六人」
「記録役も」
「七人」
俺一人で止めるものではない。
むしろ、俺が統合環へ入れば作業できなくなる可能性がある。
「シュウは、どうする?」
セリアが聞く。
「入口へ入る前に、全体の順番を決めます」
「中では?」
「テオさんとの接続を拒む」
「どうやって?」
「分かりません」
「分からない?」
「魔流視を使えば、接続の入口が見えるかもしれない。でも、向こうからも俺を見つけます」
すでに仮接続は始まっている。
見ようとすれば、こちらから扉を開くことになるかもしれない。
「使う場合の条件を決めます」
俺は言った。
「三つの入口を二つまで絞った後。テオさんの状態が確認できている。ノアさんが停止判断をする。セリアがそばにいる」
「全部揃わなければ?」
「使いません」
「本当に?」
「記録してください」
リリアがすぐに書く。
言っただけではなく、作業条件にする。
「反動が出た場合は?」
ノアが尋ねる。
「目の痛み、頭痛、吐き気、脱力。このどれか一つで中止」
「私が異常と判断した場合も?」
「中止します」
「“少しだけ”は?」
「ありません」
セリアが満足そうにうなずいた。
◇
会議が終わりかけた時。
窓を小さく叩く音がした。
黒い鳥。
中央核側の連絡具だ。
セルヴィスが術式を構える。
「待ってください」
鳥の脚には、小さな紙が結ばれている。
黒い封印。
その上に、薄い青線。
リリアが手袋をつけ、封を開く。
文字は一行だけだった。
――第三鍵は、私が開ける。
テオからだ。
その下に、もう一行。
――ただし、扉が開いた後の私を信用しないでください。
「どういう意味?」
セリアが紙を見る。
「中央核へ戻れば、命令を上書きされる可能性がある」
ナディアが言った。
「第三鍵を開けるところまでは、自分で決めた。でも、その後は分からない」
「それでも来るんですね」
俺は紙を見つめる。
テオが何を選ぶのか。
まだ決めていないと言っていた。
少なくとも、扉を開けるところまでは決めたらしい。
「信用するなと言われました」
リリアが言う。
「どうしますか」
「信用しません」
俺は答えた。
「でも、協力はします」
「矛盾してない?」
セリアが聞く。
「テオさんが間違える前提で、止める人をつけます」
「誰が?」
「セルヴィスさんとイレーネさん。黒い命令が来たら、テオさんではなく命令の線を止める」
「本人ごと切らない?」
「はい」
テオが扉を開ける。
その後、中央核に従うかもしれない。
だから本人を最初から拘束するのではない。
何をしたら止めるかを決める。
「テオさんへ返事を」
リリアが新しい紙を出す。
「何と書きますか」
「第三鍵をお願いします」
「その後は?」
「あなたの命令ではなく、行動を確認します」
リリアが書く。
さらに一行。
「戻りたい時は、テオ・ラウナーと名乗ってください」
その言葉も加える。
中央核の代表ではなく。
シュウ・サエキでもなく。
自分の名前で戻れる出口を残す。
◇
夜明けまで、あと三刻。
王立治癒院の後継施設から、連絡が届いた。
消えた八十九号記録。
保管されていた。
ただし、白環が知る再接続手順書としてではない。
治療記録の一部として。
表紙に書かれていた題名は。
――切断地区帰還者、長期経過記録。
白環が地区を再接続しなかった結果。
戻った人に何が起きたのか。
誰が仕事を失ったのか。
魔力脈の切断が、何年後まで身体へ影響したのか。
命令書の続きは、手順だけではなかった。
切った後に生きた人たちの記録だった。
「王宮へ行く前に読めますか」
セルヴィスが聞く。
「第一部だけなら、第二鐘前に届きます」
「統合開始は第一鐘です」
「間に合いません」
セルヴィスは目を閉じた。
祖父の判断。
失われた白環の手順。
そのすべてを知ってから動く時間はない。
「要約だけ送ってもらいます」
リリアが提案する。
「患者数。症状。再接続までの日数。長期影響。個人名は不要です」
「また、必要な情報だけ?」
「はい。原本は後で読みます」
「判断を変えるほどの内容があるかもしれない」
「あります」
「それでも?」
「全部を読めないことを、記録した上で判断します」
分からないことが残る。
不完全なまま動かなければならない。
だからこそ、後で見直せる形にする。
「祖父が間違っていた可能性も残す」
セルヴィスが言った。
「はい」
「俺が、それを見落とす可能性も」
「はい」
「記録してくれ」
「すでに」
リリアのペンは動いていた。
◇
東の空が、わずかに白くなる。
王宮へ向かう準備が整った。
三つの鍵。
物流院。
白環。
中央核。
三つの入口を絞る担当者。
代替流路。
撤退条件。
記録の複製先。
すべてを一枚へ集めず、担当者ごとに持つ。
俺は窓から王宮を見る。
高い尖塔。
白い壁。
その地下で、第三環統合室が待っている。
オルバスは、黒環、白環、蒼流を一つへまとめようとしている。
人を変換部にして。
中央核へ判断を戻すために。
(三つの流れをつなぐことと、一つへ潰すことは違う)
違いを示さなければならない。
黒い流れにも、大義があった。
中央照合核は、七区同時濁流を止めるために作られた。
白い流れにも、過ちだけではなく、守ろうとしたものがある。
患者の名前を隠し、差別から守った。
蒼流の環も、今のままでは遅く、不完全だ。
どれか一つだけを正しいことにはできない。
それでも。
人の意思を消して、一つへまとめる答えは選べない。
「シュウ」
セリアが隣へ来る。
「眠れる?」
「一刻くらいなら」
「寝よう」
「寝られると思いますか」
「横になるだけでも違う」
「前にも言われましたね」
「何度でも言うよ」
青い紐が軽く引かれる。
「明日は、私がそばにいる」
「はい」
「見すぎたら止める」
「はい」
「一人で決めようとしたら怒る」
「それも?」
「最重要」
少し笑う。
「分かりました」
「返事だけ?」
「明日の作業条件に入れてください」
近くにいたリリアが、何も言わず記録へ一行追加した。
――シュウ・サエキが単独判断を試みた場合、セリア・グランツが停止する。
「本当に書いたんですか」
「依頼されましたので」
「そこまで正式にしなくても」
「必要でしょう」
セリアが満足そうにうなずく。
もう撤回できない。
俺たちは少しだけ休むことにした。
第一鐘まで、あとわずか。
切断命令には、続きがいる。
止めた流れを、誰がどう戻すのか。
明日、第三環統合を止めるなら。
中央核を壊して終わりにはできない。
止めた後の王都を。
切り離した後のテオを。
俺たち自身の流れを。
どうつなぎ直すのかまで、決めなければならない。
第48話を読んでいただきありがとうございます。
今回は、白環の総監級記録庫で、十七年前の中央照合核と白環の共同承認記録を調べました。
オルバス・ノクトが最初に提案した中央核は、各地区の情報を素早く照合し、選択肢を現場へ返すための仕組みでした。
当初の提案書には、中央が判断や命令を代行しないことも明記されています。
また、当時の白環総監アルトゥール・アルカードも、無条件で中央核を承認したわけではありません。
使用期限を九十日間とし、個人情報を中央へ残さず、切断命令には必ず再接続の予定と責任者を記録する条件をつけていました。
しかし現在の白環には、切断、浄化、封鎖解除までしか残っていません。
人や物、仕事を戻す「再接続」が、白環の責任から抜け落ちています。
消えた第八十九号記録には、切断地区へ帰還した人々の長期経過が残されていました。
それは手順書ではなく、命令の後を生きた人たちの記録です。
一方、第三環統合室へ入るには三つの鍵が必要です。
物流院の鍵。
白環の鍵。
そして中央核運用者であるテオの鍵。
テオは協力を申し出ましたが、扉を開いた後は中央核に判断を上書きされる可能性があります。
シュウたちはテオを無条件には信用せず、行動を確認し、黒い命令だけを止める形で協力することにしました。
次回は第一鐘を前に王宮地下へ入り、第三環統合室でシュウとテオをつなごうとする術式へ向き合います。




