#第4話 初依頼は、薬草と木箱から
翌朝。
シュウは、宿屋の薄い毛布の中で目を覚ました。
天井は木の板張り。
窓の隙間から、朝の光が細く差し込んでいる。
最初の数秒、自分がどこにいるのか分からなかった。
(……会社じゃない)
そう思った瞬間、胸の奥に妙な違和感が広がる。
昨日までなら、目が覚めればスマホの通知を確認していた。
客先からのメール。
現場からの連絡。
上司からの催促。
納期遅れの一覧。
だが、ここにはスマホも、パソコンも、電話もない。
あるのは、粗い木の床と、腰に置いた革袋。
そして、昨日受け取った一枚の木札。
アヴァントゥリースト仮登録木札。
Eランク。
(最弱の新人、か)
シュウは木札を手に取り、しばらく見つめた。
文字は読めない。
だが、そこに自分の名前が刻まれていることだけは分かる。
この世界で、自分がようやく得た最初の足場だった。
扉の外で、軽い足音が止まる。
「シュウ、起きてる?」
セリアの声だった。
「起きてる」
「入っていい?」
「ちょっと待て」
シュウは慌てて上体を起こした。
上着を整え、髪を手ぐしで押さえる。
別に見られて困るほどの状態ではない。
ただ、朝一番に女性が部屋へ来る状況に慣れていない。
(いや、これは普通なのか? この世界では普通なのか?)
判断がつかない。
「いいぞ」
扉が開き、セリアが顔を出した。
「おはよう」
「おはよう」
「顔、硬いね」
「朝はこんなもんだ」
「ふうん」
セリアは少しだけ楽しそうに笑った。
(その顔は、何か見抜いている顔だ)
シュウは視線をそらした。
「今日は組合に行くよ。リリアさんが、シュウ向けの依頼を用意してくれるって」
「いきなり討伐じゃないよな?」
「さすがにないよ。今のシュウを森に放り込んだら、リリアさんが怖い顔する」
「リリアさんが怖い顔をするのは避けたいな」
「でしょ?」
セリアは笑ったが、ふと昨日の確認室でのリリアの言葉を思い出したのか、一瞬だけ表情を落とした。
勇気と無謀は、受付では別の欄に記録します。
その言葉に、彼女は昨日、ほんの少しだけ沈んでいた。
シュウは気づいていた。
だが、まだ聞くべき時ではない気がしていた。
「行こうか」
セリアはすぐにいつもの明るさへ戻った。
「ああ」
シュウは木札を腰に下げ、宿の部屋を出た。
◇
朝のアルメリアは、昨日よりも少しだけ見慣れていた。
石畳の道。
開き始めた店。
荷車を押す男。
野菜を並べる女。
屋台から漂う焼き菓子の匂い。
昨日、門前で会ったリコとルルの姿も見えた。
「あ、弱そうな人だ」
先に気づいたのはリコだった。
「リコ、失礼だよ」
隣でルルが慌てる。
シュウは苦笑した。
「おはよう。弱そうな人だ」
「自分で言うんだ」
リコが少し拍子抜けした顔をする。
「事実だからな」
「むう……そうやって認められると、言いにくいじゃん」
「言わなくてもいいんだぞ」
「言うけど」
「言うのか」
ルルが小さく笑った。
「シュウお兄ちゃん、今日はお仕事ですか?」
「たぶん、初仕事になる」
「頑張ってください」
「ありがとう」
素直にそう言われると、少し照れる。
(子供に応援されるEランク新人。まあ、悪くないか)
リコが腕を組んで言った。
「無茶しないでよね。弱いんだから」
「分かってる」
「別に心配してないけど」
「分かってる」
「分かってるならいいけど」
リコはぷいと横を向いた。
その横で、ルルが小さな紙包みを差し出してくる。
「これ、昨日の残りじゃなくて、今日の焼きたてです」
「いいのか?」
「はい。初仕事のお守りです」
シュウは紙包みを受け取った。
温かい。
「ありがとう。ちゃんと戻ってきて、感想を言う」
そう言うと、ルルの顔がぱっと明るくなった。
「はい!」
リコは横を向いたまま、小さく言った。
「……戻ってこなかったら怒るから」
シュウは少しだけ真面目に頷いた。
「ああ。怒られないように戻る」
セリアが隣で、柔らかく笑っていた。
「行こう、シュウ」
「ああ」
二人は屋台街を抜け、組合へ向かった。
◇
組合の中は、朝から昨日以上に騒がしかった。
依頼掲示板の前には、すでに何人ものアヴァントゥリーストが集まっている。
討伐依頼を選ぶ者。
護衛依頼に目を通す者。
報酬額だけを見て、仲間に止められている者。
シュウは掲示板を見たが、当然読めない。
(文字が読めないのは、想像以上にきついな)
前の世界なら、指示書もメールも図面も読めて当たり前だった。
だが、この世界では掲示板ひとつ満足に確認できない。
自分の弱さは、腕力だけではない。
リリアの窓口に向かうと、彼女はすでにこちらに気づいていた。
「おはようございます、シュウさん。セリアさん」
「おはようございます」
「おはよう、リリアさん」
リリアは手元の書類を整えながら、穏やかに微笑んだ。
「初依頼ですね。無理のないものを二つ用意しました」
「二つですか?」
「はい。一つ目は薬草の仕分け補助。二つ目は倉庫への木箱運搬です」
「討伐ではないんですね」
「討伐を希望されますか?」
リリアが微笑んだまま尋ねた。
声は優しい。
だが、昨日の「弱いからです」を思い出す。
「いえ、薬草と木箱でお願いします」
「賢明です」
横でセリアが小さく笑った。
「まずは組合の中でできる仕事からだね」
「そういうことだな」
リリアは依頼票を二枚取り出した。
「まず薬草仕分けですが、薬師ギルドに回す前の一次確認です。傷み、混入、魔力抜けのひどいものを分けます」
「魔力抜け……」
「薬草にも微量の魔力があります。通常は薬師が確認しますが、組合側でも明らかな不良品を除きます」
シュウは頷いた。
「分かりました」
「分からないものは、判断せずに聞いてください」
「はい」
「分からないまま進めると?」
「危険です」
「よろしいです」
リリアは満足そうに頷いた。
そのやり取りを見て、セリアが笑いをこらえている。
「何だ?」
「いや、もうリリアさんに教育されてるなって」
「否定できない」
リリアは涼しい顔で言った。
「新人教育も受付業務の一部です」
◇
薬草仕分け場は、組合の奥にある小さな作業室だった。
長い机の上に、束ねられた薬草がいくつも並んでいる。
青い葉、細い茎、白い根。
見た目だけなら、ただの草にしか見えないものも多い。
担当の職員が、簡単に説明した。
「こっちが通常品。こっちが傷み。こっちが混入。迷ったら呼べ」
「分かりました」
セリアは横で腕を組んだ。
「私は見てるね。薬草は少し分かるけど、細かい仕分けは得意じゃないし」
「戦闘担当だからか?」
「そう。斬る方が分かりやすい」
「薬草は斬らないでくれ」
「斬らないよ」
セリアは少しむっとした。
シュウは薬草を一束手に取った。
最初は見た目だけで判断しようとした。
だが、どれも似ている。
(これは……難しいな)
葉の先が少し黒い。
茎が折れている。
根に土が多い。
しかし、それが不良なのか、許容範囲なのかが分からない。
(流れは、見えるか)
シュウは軽く意識を集中した。
薬草の束の中に、淡い青い筋が見えた。
月影狼の時ほど強くない。
細く、弱く、今にも消えそうな流れ。
だが、確かにある。
通常品として置かれた薬草は、根から葉先へ、細い流れがゆっくり通っていた。
一方で、傷んだ薬草は途中で流れが切れている。
茎の折れた部分で青い筋が途切れ、葉先がくすんでいた。
(なるほど。見た目より、流れの方が分かりやすい)
シュウは慎重に仕分けを始めた。
流れが通っているもの。
途中で切れているもの。
濁ったように見えるもの。
別の草が混じっていて、流れの色が少し違うもの。
最初は遅かったが、少しずつ手が動くようになった。
セリアが覗き込む。
「分かるの?」
「たぶん。魔力の流れが通ってるものと、切れてるものがある」
「薬草でも見えるんだ」
「ああ。かなり薄いけど」
セリアは感心したように目を丸くした。
「すごいね、シュウ」
「まだ合ってるか分からない」
「でも、見えてるんでしょ?」
「見えてるだけだ」
そう言いながら、シュウは少しだけ胸の奥が温かくなるのを感じた。
すごい、と正面から言われるのは慣れていない。
(やめてくれ。照れる)
顔に出ていないことを願いながら、シュウは薬草を仕分け続けた。
しばらくして、担当職員が確認に来た。
「おい、新人。どこまで終わっ……ん?」
職員は三つに分けられた薬草を見て、眉を上げた。
「これ、お前が分けたのか?」
「はい。ただ、間違っているかもしれません」
職員は薬草を何本か手に取り、根元を見て、葉先を確認した。
「いや……だいたい合ってる。というか、混入までよく分けたな。これ、慣れてない奴は見落とすぞ」
セリアが嬉しそうに笑った。
「やったね、シュウ」
「たまたまかもしれない」
「またそうやって控えめに言う」
職員は腕を組んだ。
「お前、薬草の経験あるのか?」
「ありません」
「じゃあ何で分かる?」
シュウは一瞬、言葉に迷った。
「……流れが違って見えました」
「流れ?」
職員が首を傾げる。
ちょうどその時、リリアが作業室に入ってきた。
「その件は、こちらで確認します」
「あ、リリアさん」
「シュウさんの仕分けは?」
「悪くないです。むしろ、新人にしてはかなりいい」
「そうですか」
リリアは記録板に何かを書き込んだ。
その表情は穏やかだったが、目だけは静かに考えている。
「シュウさん」
「はい」
「見えたものをそのまま全員に説明する必要はありません。聞かれた時は、まず私かセリアさんに確認してください」
「分かりました」
「よろしいです」
リリアはそう言ってから、薬草の束を一つ持ち上げた。
「ただ、仕事としては良い結果です。初依頼の一つ目は合格でよいでしょう」
合格。
その言葉を聞いた瞬間、シュウは少しだけ肩の力が抜けた。
(できたのか)
大きなことではない。
魔物を倒したわけでもない。
だが、この世界で初めて、自分の力で仕事を一つ終えた。
「ありがとうございます」
シュウは素直に頭を下げた。
セリアが隣で小さく拍手した。
「おめでとう、初仕事」
「まだ一つ目だ」
「じゃあ、半分おめでとう」
「半分ありがとう」
リリアがほんの少しだけ笑った。
◇
二つ目の依頼は、組合裏手の倉庫への木箱運搬だった。
薬草仕分けより単純そうに見えたが、実際はそうでもなかった。
木箱は重い。
そして、シュウの筋力は低い。
「……重い」
持ち上げようとして、すぐに分かった。
箱の中身は魔石片や革袋に入った素材らしい。
持てないほどではないが、何度も運ぶにはきつい。
セリアが軽々と一箱持ち上げた。
「これくらいなら大丈夫だよ」
「比べる相手を間違えた」
「え?」
「何でもない」
シュウは小さめの箱を選び、両手で抱えた。
情けない。
だが、無理をして腰をやるよりはましだ。
(前の世界でも、重量物を気合いで持つなって言ってた側だしな)
自分が言われる側になるとは思っていなかった。
倉庫の中は、思った以上に雑然としていた。
木箱が積まれ、布袋が壁際に並び、棚には素材名らしき札がついている。
だが、札が読めない。
職員が説明する。
「この箱は奥の三段目。こっちは左の棚。赤い印がついてるやつは触るな」
「分かりました」
と言ったものの、すぐに困った。
棚の位置。
箱の種類。
印の色。
動線。
頭の中で整理しようとするが、情報が多い。
(こういうのは、流れが悪いと事故る)
前の世界の倉庫を思い出した。
置き場が曖昧で、探す時間が増える。
似た部品が混ざる。
誰かが一時置きしたものが、そのまま定位置になる。
この倉庫も、少し似ていた。
シュウは箱を運びながら、ふと床に見える魔力の跡に気づいた。
箱そのものから漏れる薄い魔力。
何度も人が運んだことで、床に細い流れのような跡が残っている。
よく使われる棚へ向かう流れは濃い。
あまり使われない棚は薄い。
そして、奥の一角だけ、流れが不自然に乱れていた。
(あそこだけ、詰まってる?)
シュウは箱を置きながら、その一角を見た。
赤い印のついた箱がいくつか積まれている。
職員が触るなと言っていたものだ。
箱の隙間から、黒いというほどではないが、濁ったような魔力が漏れていた。
昨日の月影狼から伸びていた黒い糸ほどではない。
だが、普通の素材とは違う。
「シュウ?」
セリアが声をかける。
「どうしたの?」
「いや……あの赤い印の箱は何だ?」
近くにいた倉庫職員が答えた。
「ああ、保留品だ。査定待ちとか、出所確認中の素材だな。触るなよ」
「出所確認中……」
シュウは目を細めた。
見間違いかもしれない。
気のせいかもしれない。
だが、胸の奥がざわついた。
(昨日の黒い糸とは違う。でも、普通でもない)
セリアが少しだけ真剣な顔になる。
「見えるの?」
「少しだけ。濁って見える」
「リリアさんに言った方がいい?」
「たぶん」
シュウが頷いた時だった。
倉庫の入口から、軽い声が飛んできた。
「いやいやいや、朝から真面目だねぇ。新人ってのはもっとこう、初仕事で失敗して、木箱を落として、リリアさんに冷たい目で見られるもんじゃないの?」
振り向くと、小柄な青年が立っていた。
シュウより背が低い。
くしゃっとした茶色の髪。
腰には短剣。
表情はやけに人懐っこい。
青年は片手を上げた。
「俺はジノ。ジノ・バレット。困った時は呼んでくれ。困ってなくても呼んでくれ。暇だから」
セリアがため息をついた。
「ジノ。また余計なこと言いに来たの?」
「余計じゃない。交流だよ、交流。新人との大切な横のつながり」
「仕事は?」
「今から探す」
「つまり暇なんだね」
「そうとも言う!」
ジノはなぜか胸を張った。
シュウは思わず苦笑した。
(何だ、この勢いだけで動いてそうな人は)
ジノはシュウを見て、にやっと笑う。
「で、君が噂の新人か。月影狼の素材を持ち込んだっていう、弱そうなのに妙に話題の男」
「弱そうは余計だ」
「いや、安心しろ。俺も弱そうってよく言われる。つまり仲間だ」
「そこは仲間にしないでほしい」
「冷たい!」
セリアが横で笑った。
倉庫の空気が少しだけ軽くなる。
だが、シュウの視線は、どうしても赤い印の箱へ戻ってしまった。
ジノもそれに気づいたのか、声を少し落とした。
「……お、その箱が気になる感じ?」
「知ってるのか?」
「噂だけな。最近、出所不明の素材が少し増えてるって話。中身は知らねえけど、触るなって言われると触りたくなるよな」
「ならない」
「ならないの? 真面目か」
「真面目でいたい」
ジノは肩をすくめた。
「ま、真面目なのはいいことだ。長生きする。たぶん」
その「たぶん」が少しだけ引っかかった。
倉庫の奥で、赤い印の箱から漏れる濁った流れが、ほんの一瞬だけ揺れた気がした。
(初仕事で、いきなりこれか)
シュウは小さく息を吐いた。
薬草仕分け。
木箱運搬。
簡単な依頼のはずだった。
だが、この世界では、単純な仕事の中にも何かが紛れ込んでいる。
リリアに報告するべきだ。
そう判断して、シュウはセリアに視線を向けた。
「セリア。リリアさんを呼ぼう」
セリアはすぐに頷いた。
「分かった」
ジノが目を丸くする。
「え、なになに? もしかして俺、面白い場面に居合わせた?」
「面白がるな」
「いや、でも、こういうのって大体トラブルの始まりだろ?」
ジノは少しだけ楽しそうに言った。
シュウは赤い印の箱を見つめた。
濁った流れは、まだ細い。
だが、確かにそこにあった。
(トラブルの始まり、か)
否定したかった。
だが、どうにも否定しきれなかった。
初依頼は、薬草と木箱で終わるはずだった。
けれど、シュウの目に映った小さな濁りは、アルメリアの片隅にある別の流れへと、静かにつながり始めていた。




