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納期遅れで死んだ俺、異世界では魔力の詰まりが見えるらしい 〜最弱Eランクだけど、術式を読み替えて世界の流れを変えていく〜  作者: 好山 雪
第1章 月影の森で目覚める

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第37話 一人で回さない流れ

第37話 一人で回さない流れ


黒環大循環の接続率は七十へ到達しました。


その中枢となったのは、ヴァルド・グレイム自身。


彼を倒せば、集められた魔力が街全体へ逆流します。


だからといって放置すれば、アルメリアの物資、情報、魔力は、すべてヴァルドの判断を通さなければ動かせなくなります。


ヴァルドを殺さない。


必要な物資を止めない。


市民を切り捨てない。


三つの条件を守るため、シュウたちは稼働中の流れを止めず、中枢だけを入れ替える方法へ挑みます。

 旧市庁舎の扉が閉じる。


 最後の隙間へ、ミラとセルヴィスが身体を滑り込ませた。


 直後。


 重い音が大広間へ響き、扉の表面を黒い線が覆った。


「ジノとガッシュは外です!」


 ミラが振り返る。


「リリアさんたちも」


「通信は?」


 俺が聞くと、セルヴィスが白い小札を取り出した。


 光らない。


「黒環に遮断されています」


「外と連絡できない?」


「少なくとも、術式通信は」


 広間の中央では、ヴァルド・グレイムが黒い環の中に立っている。


 右手の黒い手袋。


 腕。


 胸。


 旧市庁舎の地下。


 すべてが一本につながり、彼自身を中枢として動き始めていた。


 柱へ刻まれた文字が黒く染まる。


 食料。


 薬。


 魔石。


 街道。


 水路。


 記録。


 アルメリアを動かす流れが、一つずつヴァルドへ集まっていく。


「広場の配給箱が閉じました」


 セリアが窓から外を見る。


 市民の声が聞こえる。


 黒い封印によって、食料や薬の箱が開かなくなった。


「ヴァルド!」


 セリアが彼を睨む。


「物資を止めないって言ったでしょ!」


「私は止めていません」


 ヴァルドは額へ汗を浮かべながら答えた。


「管理下へ置いただけです」


「同じじゃない!」


「配給の優先順位が確定すれば、再び開きます」


「誰が決めるんですか」


 俺は聞いた。


「私です」


「決め終わるまで、全員を待たせる?」


「短い時間です」


「あなたの確認が増えれば、その時間も延びる」


「必要な確認だ」


 ヴァルドは黒い環へ片手を触れた。


 壁に数字が浮かぶ。


 各地区の人口。


 薬の使用量。


 食料の残数。


 魔石の消費。


 広場で銀札へ書かれた情報が、集計されている。


「見なさい」


 数字が目まぐるしく動く。


「灯り小路では食料が不足。北区では治療薬が余っている。南市の魔石消費は平常時の一・四倍」


 情報そのものは正確なのかもしれない。


「このすべてを、あなた方は同じ速さで把握できますか」


「できません」


 俺は答えた。


「認めるのですね」


「でも、全部を同じ人が把握する必要もありません」


「全体を知らずに、全体を動かせると?」


「各場所で判断できることがあります」


「判断が食い違えば?」


「記録をつないで調整します」


「調整している間に、人が死ぬ」


 黒い環が脈打つ。


 ヴァルドの身体がわずかに揺れた。


 ノアが一歩近づく。


「負荷が強すぎます」


「問題ありません」


「顔色が悪いです」


「中枢へ接続した直後だからです。安定すれば――」


 言葉の途中で、ヴァルドが胸を押さえた。


 すぐに手を戻し、何もなかったように立つ。


「それを問題があると言うんです」


 ノアは治療用の布と小瓶を取り出した。


「近づくな」


「治療します」


「必要ない」


「あなたが倒れたら、街へ逆流するんでしょう」


 ヴァルドの動きが止まる。


「なら、あなたの身体はもう、あなただけの問題ではありません」


 ノアの声は静かだった。


 だが、拒否を許さない強さがあった。


「治療を受けてください」


「敵を治すのですか」


「患者です」


 ノアは黒い環の手前で膝をつく。


「中へ入っても?」


「黒環が拒みます」


「では、手を伸ばしてください」


「……」


「早く」


 ヴァルドは困惑したようにノアを見る。


 やがて、左手だけを白い光の中へ差し出した。


 ノアが脈を確認する。


「速すぎます。呼吸を合わせてください」


「私へ命令するつもりですか」


「治療中は従ってください」


 ヴァルドが黙った。


「敵にも容赦ないですね」


 俺が言うと、ノアはこちらを見ずに答えた。


「シュウさんにも同じです」


 よく知っている。


     ◇


 ミラは黒い環の外側を回り、旧市庁舎の床を調べていた。


 工具で黒い板を軽く叩く。


「後から取りつけてる」


「黒い環が?」


「そう。床の下には、もっと古い術式がある」


「市長印の術式ですか」


「それだけじゃない」


 黒い板の隙間へ細い工具を差し込む。


 一部を持ち上げると、その下から六つの小さな環が現れた。


 環は中央を囲むように配置されている。


「これは?」


「旧市庁舎の分配環です」


 セルヴィスが古い文字を読む。


「食糧務、水務、薬務、魔石務、街路務、記録務」


「六つに分かれてる」


 セリアが言った。


「元は、一人で全部を決める仕組みではなかったんですね」


 ヴァルドが答える。


「だから遅かった」


「使われていたことを知っているんですか」


「記録を調べました」


 六つの担当部署。


 それぞれに責任者がいた。


 だが、部署同士の対立で物資の判断が遅れた。


 緊急時に許可がそろわない。


 その欠点を直すため、中央に市長印が追加された。


「そして最後には、市長印を持つ者へ判断が集まった」


 俺は中央の古い台座を見る。


「正確には、誰も判断したがらなくなった」


 ヴァルドが言う。


「市長印が決める。責任は市長が負う。そうして各部署は、自分で考えることをやめた」


 六つへ分かれているだけでは駄目だった。


 互いの情報がつながらなければ、ただの縦割りになる。


 一つへ集めれば速い。


 だが、その一つが詰まれば全部が止まる。


「元の六つへ戻すだけでは、同じ失敗を繰り返します」


 俺は言った。


「では、どうする?」


「六つを互いにつなぎます」


「中心なしで?」


「はい」


 ヴァルドが笑った。


「食料と薬のどちらを優先するか、誰が決める?」


「当事者同士で判断する」


「意見が割れたら?」


「必要な情報を集めて、期限を決めて調整します」


「期限までに決まらなければ?」


「緊急担当が決めます」


「結局、一人が決めるではありませんか」


「ずっと同じ人ではありません」


「責任を交代させる?」


「仕事と時間に合わせて」


 緊急時に判断する人は必要だ。


 だが、その人を永遠の中枢にはしない。


 判断内容を残す。


 後から確認する。


 間違いがあれば直す。


 判断した人だけへ、すべての責任を押しつけない。


「理想論です」


「今から試します」


 俺は六つの環を見る。


「稼働中の流れを、順番にこちらへ移します」


 前の世界でも、設備や管理システムを入れ替える時に、一番危険なのは切り替えの瞬間だった。


 古いものを先に止める。


 新しいものが動かない。


 戻そうとしても、元の状態が分からない。


(新しい流れを先に動かす。確認してから、古い流れを細くする)


「並行して動かします」


「黒環大循環と?」


 ミラが聞く。


「はい。一度に切りません」


「接続できるか調べる」


 ミラは六つの古い環へ工具を当てた。


 入口。


 変換部。


 出口。


 一つずつ確認する。


「古いけど、壊れてはいない。中央の市長印に出口を塞がれてるだけ」


「市長印を外したら?」


「一気に全部へ流れる。負荷の違いで、弱い環が焼けるわね」


「だから順番が必要です」


「でも、外と連絡できない」


 六つの環を動かすには、それぞれの担当が必要だ。


 ここにいるのは五人。


 食料と商流を読むカレン。


 記録を扱うリリア。


 道と運搬を知るジノたちは外にいる。


「物理的な連絡路を探します」


 セリアが広間を見回す。


「窓から叫ぶ?」


「黒い壁が音も遮っています」


「じゃあ扉を壊す」


「逆流するかもしれません」


「また壊せないの?」


 最近、セリアとガッシュには壊すなと頼んでばかりいる。


「旧市庁舎なら、書類を運ぶ道があるはずです」


「書類?」


「各部署から中央へ報告を集めていたなら、人が毎回ここまで来たとは限りません」


 壁。


 床。


 柱。


 小さな荷物や紙を通す場所。


 俺たちは広間を探した。


 セリアが壁際の古い棚を動かす。


 その裏に、四角い金属蓋があった。


 ――文書送管。


「これ?」


「たぶん」


 蓋を開く。


 中は暗い。


 人が通れる大きさではない。


 だが、紙なら送れる。


「外へつながっているか確認します」


 俺は紙へ短く書いた。


 ――中枢の分散を試みる。六務環の記録が必要。


 紙を丸め、管へ入れる。


 横にあったレバーを押す。


 何も起きない。


「壊れてる?」


 セリアが耳を近づける。


「風がない」


「昔は圧縮空気で送っていたはず」


 ミラが管の下を調べる。


「動力線が黒環に塞がれてる」


「別の動力は?」


「手動の送風機があれば」


 床下から、金属を叩く音がした。


 一度。


 二度。


 三度。


「何?」


 セリアが剣を構える。


 今度は、聞き覚えのある声がかすかに届いた。


「おーい! 誰かいるか!」


「ジノ?」


 床の端にある通気格子。


 その下から声がする。


「いるなら返事しろ! いないなら扉を開けろ!」


「います!」


 俺たちは格子へ駆け寄った。


 暗い穴の下に、ジノの顔が見えた。


「何でそこに?」


「逃げ道を探したら、文書送管の保守穴があった!」


「入れますか」


「肩が引っかかる!」


「なら、無理をしないでください」


「もう入ってるんだよ!」


 後ろからガッシュの声も聞こえる。


「こいつが途中で止まった!」


「押すな! 抜けなくなる!」


「お前が進まないからだろ!」


「話を聞いてください!」


 二人の言い争いが、床下へ響く。


 少し安心した。


「ジノ。外へ紙を送れますか」


「小さい筒がある。今、ガッシュが空気を送ってる」


「先に言え!」


 ガッシュの声。


「送風機を回して!」


「だから回してる!」


 壁の文書送管から、空気が吹き出した。


 先ほど入れた紙が吸い込まれる。


「行った!」


 ジノが言う。


「どこへ出ますか」


「知らない!」


「確認してください!」


「今からする!」


 足音が遠ざかる。


「逃げ道を探して、連絡路を見つけた」


 セリアが少し笑う。


「ジノらしいですね」


     ◇


 文書は、旧市庁舎前の記録所へ届いた。


 しばらくして、返事が管を通って戻ってくる。


 リリアの文字だった。


 ――六務環の記録を確認中。


 続いて、カレン。


 ――広場の物資は、配給を止めず手作業へ切り替えた。


 そしてエルネスト。


 ――外は任せろ。中でやれることをやれ。


 短い。


 だが、必要な情報はそろっている。


「担当を決めます」


 俺は紙へ書く。


 食糧務。


 カレンと地区配給担当。


 薬務。


 ノアと治療院。


 魔石務。


 ミラと整備工房。


 街路務。


 ジノ、ガッシュ、組合運搬班。


 水務。


 グレン、マヤ、北水門管理班。


 記録務。


 リリアと冒険者組合。


「セリアとセルヴィスは?」


 セリアが聞く。


「切り替え中の防護です」


「シュウは?」


「全体の切り替え順を管理します」


「中枢になるつもりですか」


 ヴァルドが聞いた。


「違います」


「全体を見て指示するのでしょう」


「切り替えが終わるまでです」


「同じだ」


「終わる時刻を決めます」


「その後、問題が起きれば?」


「その問題に必要な人が集まる」


「では、あなたは何者です」


 少し考えた。


「今は、切り替え担当です」


「小さな役割ですね」


「それでいいんです」


 紙を文書送管へ入れる。


「一人で全部を担当するより、ずっと」


     ◇


 リリアから六務環の起動手順が届いた。


 食糧務。


 水務。


 薬務。


 魔石務。


 街路務。


 記録務。


 本来は六つを順番に起動し、最後に中央印へ流れを集める。


 今回は逆だ。


 中央から、六つへ戻す。


「最初は薬務です」


 俺は言った。


「一番負荷が小さく、緊急性が高い」


「同意します」


 ヴァルドの左手を治療しながら、ノアが答えた。


「広場の治療薬を動かします」


 薬務環の上へ、ノアが片手を置く。


「外の治療院と接続できる?」


 ミラが聞く。


「やってみます」


 ノアは呼吸を整える。


 広場にいる治療師。


 各地区の治療院。


 患者の脈。


 必要な薬。


 一人ずつ思い浮かべ、淡い魔力を流す。


 薬務環が青白く光った。


 同時に、黒い環の一部が揺れる。


 ヴァルドが息をのんだ。


「薬の情報が……」


「何割、移りましたか」


 俺が聞く。


 ミラが測定具を見る。


「一割」


「その状態で配給できますか」


 文書送管へ質問を送る。


 返事を待つ。


 広間では、黒い防護線が動き始めた。


 旧市庁舎の術式が、流れを奪われたと判断したらしい。


「来る!」


 セリアが前へ出る。


 呼吸を整える。


 足裏で床を掴む。


 剣を握り直す。


「守り払い!」


 黒い線を剣の腹で受け、誰もいない壁側へ流す。


 セルヴィスが白い輪を広げた。


「こちらで囲います」


「切らないで」


「承知しています」


 黒い線を白い環の内側へ閉じ込める。


 相変わらず顔は冷たい。


 だが、術式の使い方は以前と違う。


 送管から紙が飛び出した。


 ――薬箱、開封確認。配給継続可能。


「薬務、二割へ」


 ミラが出力を上げる。


 ノアの額に汗が浮かぶ。


 だが、一人で受けているわけではない。


 外の治療師たちへ、流れが分かれている。


「三割」


「問題は?」


 返事。


 ――北区で薬名の重複。現地で照合中。


「止めますか」


 ヴァルドが聞く。


「一件、誤りが出た」


「薬務全体は止めません」


「間違った薬が渡れば?」


「その配給だけ保留します」


 全体を止めず、問題のある場所だけ止める。


 しばらくして次の紙。


 ――表記違いを確認。同一薬。配給再開。


「四割」


 黒い環から薬務へ、流れが移っていく。


「五割」


 ヴァルドの呼吸が、少し楽になった。


 ノアが気づく。


「心臓への負荷が下がっています」


「当然です」


 ヴァルドは答えた。


「薬務の判断が外へ移った」


「なら、続けられます」


「誤りも増える」


「直しました」


「今回はだ」


「次も、直せる記録を残します」


 ノアの声は静かだった。


「七割」


「九割」


「薬務、移行完了」


 黒い柱に刻まれた薬の文字が消えた。


 六つの古い環の一つが、青く灯る。


 一つ目。


     ◇


 次は水務。


 グレンとマヤが、北水門から流れを受ける。


 水位。


 水門。


 井戸。


 排水。


 現場ごとに確認する。


 途中で、南側の水圧が落ちた。


 ヴァルドが言う。


「中央管理なら、すぐ北から回せます」


「原因を確認します」


「待つのですか」


「水圧低下と断水は違います」


 グレンから返事が来る。


 ――南第二弁、半開。現地作業員が調整。


 ガッシュが文書送管の保守穴から向かった。


 力任せに全開にはしない。


 右へ戻し、左へ少しずつ。


 水圧が戻る。


「水務、移行完了」


 二つ目の環が青く灯った。


 食糧務。


 カレンが受領札を地区別の記録へ切り替える。


 灯り小路。


 南市。


 北区。


 余った分を隣へ回す。


 不足した場所は公開する。


 住民自身も運搬へ加わった。


「配給速度が落ちています」


 ヴァルドが言う。


「箱を地区ごとに分けている途中です」


「その間も空腹の者は待つ」


「先に携帯食を配っています」


 カレンから返事。


 ――緊急食の配布継続。通常食は地区別へ移行中。


「止まっていません」


「応急処置だ」


「応急処置を、応急処置として使っています」


 仮の対応を、そのまま恒久運用にしない。


 次に直す人を決める。


「食糧務、移行完了」


 三つ目。


 魔石務。


 ミラが広場の生活用魔石から、銀札の接続術式を外す。


 すべてを一度に外さない。


 十個ずつ。


 出力を確認。


 異常があれば、その組だけ止める。


「入口、正常」


「変換部、正常」


「出口、地区灯へ接続」


 ミラの声と、外の整備士の報告が重なる。


「魔石務、移行完了」


 四つ目。


 街路務。


 ジノが人と荷車の通り道を分ける。


 ガッシュが塞がった荷物を移動。


 ベルクとソマが運搬先を確認する。


 誰かが全経路を決めるのではない。


 各区間の担当が、次の担当へ荷を渡す。


 遅れた場所だけ、別経路へ逃がす。


「一台の荷車が行方不明です」


 ヴァルドが壁の数字を指した。


「中央の追跡から外れた」


 外から紙が届く。


 ――西路地で車輪故障。荷は別車へ積み替え中。


「見えなくなったのではありません」


 俺は答えた。


「見る場所が変わっただけです」


「街路務、移行完了」


 五つ目。


 最後は記録務。


 リリアが、ヴァルドへ集まっていた情報を組合の記録へ移す。


 すべてを公開するのではない。


 健康状態。


 家族構成。


 個人の取引。


 必要のない者からは見えないよう分ける。


「情報を分ければ、全体分析ができない」


 ヴァルドが言う。


「必要な時は、本人へ目的を説明して集めます」


「拒否されたら?」


「使いません」


「それでは正確な需要が分からない」


「分からない部分があると記録します」


「不完全な数字で判断するのか」


「完全に見えていると思い込むよりいい」


 銀札に書かれた情報も、本人が望めば削除する。


 残す者には、目的と期間を伝える。


「記録務、移行五割」


 黒い環が大きく揺れた。


 ヴァルドの身体が傾く。


「負荷が下がったのに、どうして?」


 ノアが脈を確かめる。


「黒環が、中枢を維持しようとしてる」


 ミラが言う。


「流れを取り戻すために、ヴァルドから魔力を吸ってる!」


 黒い手袋が腕へ食い込む。


 灰黒色の筋が、肩へ伸び始めた。


「外してください!」


 ノアが叫ぶ。


「今外せば逆流する」


 ヴァルドは歯を食いしばった。


「ならば、流れを戻せ」


「戻しません」


「私が死ぬぞ」


 その声には、初めて恐怖があった。


「死なせません」


 ノアが両手を胸へ当てる。


「シュウさん!」


「記録務の移行を続けます!」


「本気か!」


 ヴァルドが俺を睨む。


「あなたを生かしたまま、外します」


「できると?」


「一つずつ、ここまで移しました」


 残るのは記録務。


 そして、ヴァルド自身につながる中枢環。


「リリアさん、移行を!」


 送管へ声を入れる。


「続行します」


 紙ではなく、管の中からリリアの声が返った。


 ジノたちが送風口を開き、声を通せるようにしたらしい。


「六割」


 黒い筋がヴァルドの首へ伸びる。


「七割」


 黒環が防護線を何本も放つ。


 セリアが剣を振るう。


「守り払い!」


 一本。


 二本。


 三本。


 正面から止めず、白環の閉鎖領域へ流す。


 セルヴィスの白い輪にも亀裂が入る。


「長くは保ちません!」


「あと少し!」


「八割!」


 床の黒い環が回転を速める。


 市庁舎全体が揺れた。


 天井から石片が落ちる。


 外でガッシュが扉を押さえる音がした。


「中で何してる! 建物ごと壊れるぞ!」


「扉を開けないでください!」


「開かねえんだよ!」


「なら、そのまま押さえて!」


「注文が雑すぎる!」


「九割!」


 ヴァルドが膝をつく。


 ノアが身体を支える。


 敵。


 患者。


 黒環の中枢。


 それでも手を離さない。


「記録務、移行完了!」


 六つ目の環が青く灯った。


 六本の青い線が、互いの隣へ伸びる。


 食料から水。


 水から薬。


 薬から魔石。


 魔石から街路。


 街路から記録。


 記録から食料。


 中央へ集まらない。


 六つが輪になってつながる。


 淡い蒼色の環が、黒い環の外側へ浮かび上がった。


「これは……」


 セルヴィスが見つめる。


 送管の向こうから、リリアの声が聞こえた。


「蒼流の環」


 ペンを走らせる音。


「正式名称として記録します」


「もう決めたんですか」


「現物ができましたので」


 黒い環が激しく明滅する。


 すべての機能を失い、残っているのはヴァルドとの接続だけ。


「ミラ!」


「手袋の入口を外す!」


「出口は?」


「蒼流の環へ逃がす!」


「均等に流さないでください!」


 俺は六つの環を見る。


「残っている流れの種類を確認して、それぞれの担当へ!」


「測る時間がない!」


 目の奥が痛む。


 魔流視を使えば。


 そう考えた瞬間、視界の端に灰黒色の線がちらつく。


 だが、深く見ない。


 もう使えない。


「黒環の壁に分類が出ています!」


 俺は文字を見る。


 食料。


 水。


 薬。


 魔石。


 街路。


 記録。


 ヴァルドが集めた情報が、まだ表示されている。


「表示順に流してください!」


「数字が正しい保証は?」


 ミラが聞く。


「外の担当へ確認する!」


 文書送管を通して、六つの担当へ数を送る。


 返事が戻る。


 薬、一致。


 食料、二箱分の差。


 水、一致。


 魔石、二十個分の差。


 街路、一台分の差。


 記録、銀札の取消分が未反映。


「差があるものだけ保留!」


 全部そろうまで待たない。


 合った流れから移す。


 薬。


 水。


 先に蒼流の環へ。


 食料は二箱を分離して移行。


 魔石は接続術式入りの二十個を外す。


 街路は故障車両を除外。


 記録は銀札の取消処理を先に行う。


「出口、開きます!」


 ミラが工具をひねった。


 黒い手袋から、濁った流れが噴き出す。


 セリアが剣を構える。


「横へ流す!」


「切らないでください!」


「分かってる!」


 守り払い。


 濁りを蒼流の環へ導く。


 六つの青い環が、それぞれ必要な分だけを受け取った。


 一つへ集めない。


 同じ量にも分けない。


 必要な場所へ、必要な分だけ。


 黒い手袋に亀裂が入る。


「外れる!」


 ミラが工具を差し込む。


 だが、最後の一本がヴァルドの胸へ食い込んでいる。


「心臓とつながっています!」


 ノアが叫ぶ。


「ここを無理に抜けば止まります!」


「なら、どうする?」


「心臓側の流れを弱めます。ミラさんは、私の合図で!」


 ノアはヴァルドの呼吸を確かめる。


 脈。


 魔力。


 両手から淡い光を流す。


「息を吐いてください!」


 以前、ハインへ言ったのと同じ言葉。


「黒環へ力を渡さないで!」


 ヴァルドは荒い息を吐く。


「私が……手を離せば……」


「街は動いています」


 俺は言った。


「食料も、薬も、止まっていません」


「一時的だ」


「今は、それでいい」


「明日は?」


「明日の担当が直します」


「間違えれば?」


「記録を見て直します」


「私がいなければ――」


「もう、あなたを通さずに荷が届いています」


 ヴァルドの目が揺れた。


 窓の外。


 黒い封印が外れた木箱から、配給が再開されている。


 人々が物を運ぶ。


 記録板へ数を書く。


 間違いを見つけて戻る。


 別の道へ荷車を回す。


 完璧ではない。


 それでも動いている。


「俺も、自分がいなければ回らないと思っていました」


「……」


「でも、それは仕事ができる証明じゃなかった」


 ヴァルドの黒い手袋を見る。


「仕事を自分のところで詰まらせていただけです」


 ヴァルドの指から力が抜けた。


 黒い線が細くなる。


「今です!」


 ノアが叫ぶ。


 ミラが工具を引く。


 黒い手袋が割れた。


 セリアが流れを横へ払う。


 セルヴィスの白い環が、逆流を外へ漏らさないよう囲う。


 蒼流の環が、六つの出口へ濁りを分ける。


 ヴァルドの胸から、最後の黒い線が抜けた。


 黒環大循環の接続率。


 七十。


 六十九。


 六十。


 四十二。


 数字が一気に下がる。


 十九。


 七。


 零。


 床の黒い環が止まった。


 旧市庁舎を覆っていた黒線が消える。


 扉が外側へ倒れそうになり、ガッシュが慌てて支えた。


「急に開くなあああ!」


 ジノが床下から這い出してくる。


「先に言ってくれ!」


「こちらにも分かりませんでした!」


「何だよ、その顔!」


「どんな顔ですか」


「鼻血出して、真っ青で、立ってるのがおかしい顔!」


 セリアとノアが同時に俺の腕を掴んだ。


「座って」


「今度こそ反論しないでください」


「はい」


 その場へ座る。


 素直に従ったことで、二人が少し驚いていた。


「成長したね」


「倒れる前に座っただけです」


「十分です」


     ◇


 ヴァルドは床へ横たわっていた。


 ノアが治療を続けている。


 命はある。


 脈も少しずつ戻っている。


 エルネストと白環の守り手たちが広間へ入ってきた。


「ヴァルド・グレイム」


 エルネストが低い声で呼ぶ。


「違法魔道具の流通、住民への無断実証、記録改ざん、組合への攻撃、黒環術式による都市機能の掌握。話してもらうことが山ほどある」


 ヴァルドは目を開けた。


「私一人を捕らえて、終わると思いますか」


「思ってねえよ」


「黒環大循環はアルメリアだけではない」


「それも聞いてる」


「では、なぜ安心した顔をしている」


 エルネストは広場を見る。


「今、ここで止めたものがあるからだ」


「一時的な勝利です」


「勝ちは勝ちだ。喜べる時に喜ばねえと、次まで持たん」


 ヴァルドは何も言わなかった。


 白環の守り手が拘束具を用意する。


 セルヴィスが止めた。


「黒い流れが残っていないか、先に確認します」


「私を庇うのですか」


「拘束後に暴走されると困るだけです」


 冷たい返答。


 だが、雑に切り捨てない。


 ミラが割れた黒い手袋を布へ包む。


 内側から、小さな記録石が落ちた。


「まだ何かある」


 測定具を当てる。


「送信専用。こっちの操作にはつながってない」


 記録石が勝手に光った。


 黒い文字が浮かぶ。


 ――黒環接続、解除。


 ――分散接続、成立。


 ――第三環、形成確認。


 その下に、署名。


 オルバス・ノクト。


 広間の空気が冷えた。


「見られていた?」


 セリアが剣へ手を置く。


「おそらく、最初から」


 セルヴィスが答える。


 ヴァルドが薄く笑った。


「アルメリアでの実証は終わりました」


「あなたも実験材料だったんですか」


 俺が聞く。


 ヴァルドの笑みが消える。


 返事はない。


 オルバスにとっては、ヴァルドの共同管理も。


 俺たちが作った蒼流の環も。


 比較するための二つの実証だった。


「第三環を、何に使うつもりですか」


 記録石は答えない。


 最後に、王都の地図が浮かんだ。


 三つの場所に印がある。


 王宮。


 中央市場。


 白環総院。


 黒。


 白。


 そして蒼。


 三色の線が、王都の中心へ向かって伸びていた。


 記録石が砕ける。


「また、利用するつもりですね」


 俺は破片を見る。


 自分たちが作った流れを、オルバスが大循環へ組み込もうとしている。


 けれど、中央分配室で聞いた時とは違った。


 足元が崩れるような感覚はない。


「どうする?」


 セリアが聞いた。


「蒼流の環を使うつもりなら」


 六つの環を見る。


 今も、誰か一人を中心にせず動いている。


「使えない形にします」


「壊すの?」


「いいえ」


 俺は首を横に振った。


「誰かに奪われても、勝手に使えない仕組みを加えます」


「どうやって?」


「これから皆で考えます」


「今すぐじゃなくていい?」


「まず休みます」


 セリアが目を丸くした。


 ノアは満足そうにうなずく。


「本当に成長しましたね」


「そこまで驚かなくても」


 窓の外から、人々の声が聞こえる。


 配給は続いている。


 荷車も動いている。


 俺がここで座っていても。


 ヴァルドが拘束されても。


 流れは止まっていない。


 誰か一人で回さない。


 間違えても、別の場所から直せる。


 黒でも白でもない、蒼い環。


 小さな六つの流れから生まれたその環は、アルメリアの中心で静かに回り始めていた。

第37話を読んでいただきありがとうございます。


今回は、ヴァルド自身を中枢とした黒環大循環を、街の物資を止めずに切り替える回でした。


旧市庁舎には本来、


- 食糧務

- 水務

- 薬務

- 魔石務

- 街路務

- 記録務


という六つの分配環が存在していました。


ただ六つへ戻すだけでは、部署同士の対立によって判断が遅れた過去を繰り返します。


そこでシュウたちは、六つの担当を互いにつなぎ、中央へ集めない環を作りました。


稼働中の黒環を先に止めず、新しい流れを少しずつ動かし、問題のないことを確認してから移す方法です。


シュウは限界に近い魔流視を使わず、ミラの測定、リリアたちの記録、現場からの返答を組み合わせて切り替えを進めています。


こうして誕生した第三の流れが、正式に「蒼流の環」と記録されました。


ヴァルドは生きたまま黒環大循環から切り離され、必要な物資も止まっていません。


しかし、オルバス・ノクトは蒼流の環が形成される過程まで観測していました。


王都では、


- 王宮

- 中央市場

- 白環総院


へ黒・白・蒼の三つの線が伸びています。


次回はアルメリアの被害と制度を整理しながら、蒼流の環を他者に奪われない仕組みと、王都へ向かう準備を進めます。

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