第37話 一人で回さない流れ
第37話 一人で回さない流れ
黒環大循環の接続率は七十へ到達しました。
その中枢となったのは、ヴァルド・グレイム自身。
彼を倒せば、集められた魔力が街全体へ逆流します。
だからといって放置すれば、アルメリアの物資、情報、魔力は、すべてヴァルドの判断を通さなければ動かせなくなります。
ヴァルドを殺さない。
必要な物資を止めない。
市民を切り捨てない。
三つの条件を守るため、シュウたちは稼働中の流れを止めず、中枢だけを入れ替える方法へ挑みます。
旧市庁舎の扉が閉じる。
最後の隙間へ、ミラとセルヴィスが身体を滑り込ませた。
直後。
重い音が大広間へ響き、扉の表面を黒い線が覆った。
「ジノとガッシュは外です!」
ミラが振り返る。
「リリアさんたちも」
「通信は?」
俺が聞くと、セルヴィスが白い小札を取り出した。
光らない。
「黒環に遮断されています」
「外と連絡できない?」
「少なくとも、術式通信は」
広間の中央では、ヴァルド・グレイムが黒い環の中に立っている。
右手の黒い手袋。
腕。
胸。
旧市庁舎の地下。
すべてが一本につながり、彼自身を中枢として動き始めていた。
柱へ刻まれた文字が黒く染まる。
食料。
薬。
魔石。
街道。
水路。
記録。
アルメリアを動かす流れが、一つずつヴァルドへ集まっていく。
「広場の配給箱が閉じました」
セリアが窓から外を見る。
市民の声が聞こえる。
黒い封印によって、食料や薬の箱が開かなくなった。
「ヴァルド!」
セリアが彼を睨む。
「物資を止めないって言ったでしょ!」
「私は止めていません」
ヴァルドは額へ汗を浮かべながら答えた。
「管理下へ置いただけです」
「同じじゃない!」
「配給の優先順位が確定すれば、再び開きます」
「誰が決めるんですか」
俺は聞いた。
「私です」
「決め終わるまで、全員を待たせる?」
「短い時間です」
「あなたの確認が増えれば、その時間も延びる」
「必要な確認だ」
ヴァルドは黒い環へ片手を触れた。
壁に数字が浮かぶ。
各地区の人口。
薬の使用量。
食料の残数。
魔石の消費。
広場で銀札へ書かれた情報が、集計されている。
「見なさい」
数字が目まぐるしく動く。
「灯り小路では食料が不足。北区では治療薬が余っている。南市の魔石消費は平常時の一・四倍」
情報そのものは正確なのかもしれない。
「このすべてを、あなた方は同じ速さで把握できますか」
「できません」
俺は答えた。
「認めるのですね」
「でも、全部を同じ人が把握する必要もありません」
「全体を知らずに、全体を動かせると?」
「各場所で判断できることがあります」
「判断が食い違えば?」
「記録をつないで調整します」
「調整している間に、人が死ぬ」
黒い環が脈打つ。
ヴァルドの身体がわずかに揺れた。
ノアが一歩近づく。
「負荷が強すぎます」
「問題ありません」
「顔色が悪いです」
「中枢へ接続した直後だからです。安定すれば――」
言葉の途中で、ヴァルドが胸を押さえた。
すぐに手を戻し、何もなかったように立つ。
「それを問題があると言うんです」
ノアは治療用の布と小瓶を取り出した。
「近づくな」
「治療します」
「必要ない」
「あなたが倒れたら、街へ逆流するんでしょう」
ヴァルドの動きが止まる。
「なら、あなたの身体はもう、あなただけの問題ではありません」
ノアの声は静かだった。
だが、拒否を許さない強さがあった。
「治療を受けてください」
「敵を治すのですか」
「患者です」
ノアは黒い環の手前で膝をつく。
「中へ入っても?」
「黒環が拒みます」
「では、手を伸ばしてください」
「……」
「早く」
ヴァルドは困惑したようにノアを見る。
やがて、左手だけを白い光の中へ差し出した。
ノアが脈を確認する。
「速すぎます。呼吸を合わせてください」
「私へ命令するつもりですか」
「治療中は従ってください」
ヴァルドが黙った。
「敵にも容赦ないですね」
俺が言うと、ノアはこちらを見ずに答えた。
「シュウさんにも同じです」
よく知っている。
◇
ミラは黒い環の外側を回り、旧市庁舎の床を調べていた。
工具で黒い板を軽く叩く。
「後から取りつけてる」
「黒い環が?」
「そう。床の下には、もっと古い術式がある」
「市長印の術式ですか」
「それだけじゃない」
黒い板の隙間へ細い工具を差し込む。
一部を持ち上げると、その下から六つの小さな環が現れた。
環は中央を囲むように配置されている。
「これは?」
「旧市庁舎の分配環です」
セルヴィスが古い文字を読む。
「食糧務、水務、薬務、魔石務、街路務、記録務」
「六つに分かれてる」
セリアが言った。
「元は、一人で全部を決める仕組みではなかったんですね」
ヴァルドが答える。
「だから遅かった」
「使われていたことを知っているんですか」
「記録を調べました」
六つの担当部署。
それぞれに責任者がいた。
だが、部署同士の対立で物資の判断が遅れた。
緊急時に許可がそろわない。
その欠点を直すため、中央に市長印が追加された。
「そして最後には、市長印を持つ者へ判断が集まった」
俺は中央の古い台座を見る。
「正確には、誰も判断したがらなくなった」
ヴァルドが言う。
「市長印が決める。責任は市長が負う。そうして各部署は、自分で考えることをやめた」
六つへ分かれているだけでは駄目だった。
互いの情報がつながらなければ、ただの縦割りになる。
一つへ集めれば速い。
だが、その一つが詰まれば全部が止まる。
「元の六つへ戻すだけでは、同じ失敗を繰り返します」
俺は言った。
「では、どうする?」
「六つを互いにつなぎます」
「中心なしで?」
「はい」
ヴァルドが笑った。
「食料と薬のどちらを優先するか、誰が決める?」
「当事者同士で判断する」
「意見が割れたら?」
「必要な情報を集めて、期限を決めて調整します」
「期限までに決まらなければ?」
「緊急担当が決めます」
「結局、一人が決めるではありませんか」
「ずっと同じ人ではありません」
「責任を交代させる?」
「仕事と時間に合わせて」
緊急時に判断する人は必要だ。
だが、その人を永遠の中枢にはしない。
判断内容を残す。
後から確認する。
間違いがあれば直す。
判断した人だけへ、すべての責任を押しつけない。
「理想論です」
「今から試します」
俺は六つの環を見る。
「稼働中の流れを、順番にこちらへ移します」
前の世界でも、設備や管理システムを入れ替える時に、一番危険なのは切り替えの瞬間だった。
古いものを先に止める。
新しいものが動かない。
戻そうとしても、元の状態が分からない。
(新しい流れを先に動かす。確認してから、古い流れを細くする)
「並行して動かします」
「黒環大循環と?」
ミラが聞く。
「はい。一度に切りません」
「接続できるか調べる」
ミラは六つの古い環へ工具を当てた。
入口。
変換部。
出口。
一つずつ確認する。
「古いけど、壊れてはいない。中央の市長印に出口を塞がれてるだけ」
「市長印を外したら?」
「一気に全部へ流れる。負荷の違いで、弱い環が焼けるわね」
「だから順番が必要です」
「でも、外と連絡できない」
六つの環を動かすには、それぞれの担当が必要だ。
ここにいるのは五人。
食料と商流を読むカレン。
記録を扱うリリア。
道と運搬を知るジノたちは外にいる。
「物理的な連絡路を探します」
セリアが広間を見回す。
「窓から叫ぶ?」
「黒い壁が音も遮っています」
「じゃあ扉を壊す」
「逆流するかもしれません」
「また壊せないの?」
最近、セリアとガッシュには壊すなと頼んでばかりいる。
「旧市庁舎なら、書類を運ぶ道があるはずです」
「書類?」
「各部署から中央へ報告を集めていたなら、人が毎回ここまで来たとは限りません」
壁。
床。
柱。
小さな荷物や紙を通す場所。
俺たちは広間を探した。
セリアが壁際の古い棚を動かす。
その裏に、四角い金属蓋があった。
――文書送管。
「これ?」
「たぶん」
蓋を開く。
中は暗い。
人が通れる大きさではない。
だが、紙なら送れる。
「外へつながっているか確認します」
俺は紙へ短く書いた。
――中枢の分散を試みる。六務環の記録が必要。
紙を丸め、管へ入れる。
横にあったレバーを押す。
何も起きない。
「壊れてる?」
セリアが耳を近づける。
「風がない」
「昔は圧縮空気で送っていたはず」
ミラが管の下を調べる。
「動力線が黒環に塞がれてる」
「別の動力は?」
「手動の送風機があれば」
床下から、金属を叩く音がした。
一度。
二度。
三度。
「何?」
セリアが剣を構える。
今度は、聞き覚えのある声がかすかに届いた。
「おーい! 誰かいるか!」
「ジノ?」
床の端にある通気格子。
その下から声がする。
「いるなら返事しろ! いないなら扉を開けろ!」
「います!」
俺たちは格子へ駆け寄った。
暗い穴の下に、ジノの顔が見えた。
「何でそこに?」
「逃げ道を探したら、文書送管の保守穴があった!」
「入れますか」
「肩が引っかかる!」
「なら、無理をしないでください」
「もう入ってるんだよ!」
後ろからガッシュの声も聞こえる。
「こいつが途中で止まった!」
「押すな! 抜けなくなる!」
「お前が進まないからだろ!」
「話を聞いてください!」
二人の言い争いが、床下へ響く。
少し安心した。
「ジノ。外へ紙を送れますか」
「小さい筒がある。今、ガッシュが空気を送ってる」
「先に言え!」
ガッシュの声。
「送風機を回して!」
「だから回してる!」
壁の文書送管から、空気が吹き出した。
先ほど入れた紙が吸い込まれる。
「行った!」
ジノが言う。
「どこへ出ますか」
「知らない!」
「確認してください!」
「今からする!」
足音が遠ざかる。
「逃げ道を探して、連絡路を見つけた」
セリアが少し笑う。
「ジノらしいですね」
◇
文書は、旧市庁舎前の記録所へ届いた。
しばらくして、返事が管を通って戻ってくる。
リリアの文字だった。
――六務環の記録を確認中。
続いて、カレン。
――広場の物資は、配給を止めず手作業へ切り替えた。
そしてエルネスト。
――外は任せろ。中でやれることをやれ。
短い。
だが、必要な情報はそろっている。
「担当を決めます」
俺は紙へ書く。
食糧務。
カレンと地区配給担当。
薬務。
ノアと治療院。
魔石務。
ミラと整備工房。
街路務。
ジノ、ガッシュ、組合運搬班。
水務。
グレン、マヤ、北水門管理班。
記録務。
リリアと冒険者組合。
「セリアとセルヴィスは?」
セリアが聞く。
「切り替え中の防護です」
「シュウは?」
「全体の切り替え順を管理します」
「中枢になるつもりですか」
ヴァルドが聞いた。
「違います」
「全体を見て指示するのでしょう」
「切り替えが終わるまでです」
「同じだ」
「終わる時刻を決めます」
「その後、問題が起きれば?」
「その問題に必要な人が集まる」
「では、あなたは何者です」
少し考えた。
「今は、切り替え担当です」
「小さな役割ですね」
「それでいいんです」
紙を文書送管へ入れる。
「一人で全部を担当するより、ずっと」
◇
リリアから六務環の起動手順が届いた。
食糧務。
水務。
薬務。
魔石務。
街路務。
記録務。
本来は六つを順番に起動し、最後に中央印へ流れを集める。
今回は逆だ。
中央から、六つへ戻す。
「最初は薬務です」
俺は言った。
「一番負荷が小さく、緊急性が高い」
「同意します」
ヴァルドの左手を治療しながら、ノアが答えた。
「広場の治療薬を動かします」
薬務環の上へ、ノアが片手を置く。
「外の治療院と接続できる?」
ミラが聞く。
「やってみます」
ノアは呼吸を整える。
広場にいる治療師。
各地区の治療院。
患者の脈。
必要な薬。
一人ずつ思い浮かべ、淡い魔力を流す。
薬務環が青白く光った。
同時に、黒い環の一部が揺れる。
ヴァルドが息をのんだ。
「薬の情報が……」
「何割、移りましたか」
俺が聞く。
ミラが測定具を見る。
「一割」
「その状態で配給できますか」
文書送管へ質問を送る。
返事を待つ。
広間では、黒い防護線が動き始めた。
旧市庁舎の術式が、流れを奪われたと判断したらしい。
「来る!」
セリアが前へ出る。
呼吸を整える。
足裏で床を掴む。
剣を握り直す。
「守り払い!」
黒い線を剣の腹で受け、誰もいない壁側へ流す。
セルヴィスが白い輪を広げた。
「こちらで囲います」
「切らないで」
「承知しています」
黒い線を白い環の内側へ閉じ込める。
相変わらず顔は冷たい。
だが、術式の使い方は以前と違う。
送管から紙が飛び出した。
――薬箱、開封確認。配給継続可能。
「薬務、二割へ」
ミラが出力を上げる。
ノアの額に汗が浮かぶ。
だが、一人で受けているわけではない。
外の治療師たちへ、流れが分かれている。
「三割」
「問題は?」
返事。
――北区で薬名の重複。現地で照合中。
「止めますか」
ヴァルドが聞く。
「一件、誤りが出た」
「薬務全体は止めません」
「間違った薬が渡れば?」
「その配給だけ保留します」
全体を止めず、問題のある場所だけ止める。
しばらくして次の紙。
――表記違いを確認。同一薬。配給再開。
「四割」
黒い環から薬務へ、流れが移っていく。
「五割」
ヴァルドの呼吸が、少し楽になった。
ノアが気づく。
「心臓への負荷が下がっています」
「当然です」
ヴァルドは答えた。
「薬務の判断が外へ移った」
「なら、続けられます」
「誤りも増える」
「直しました」
「今回はだ」
「次も、直せる記録を残します」
ノアの声は静かだった。
「七割」
「九割」
「薬務、移行完了」
黒い柱に刻まれた薬の文字が消えた。
六つの古い環の一つが、青く灯る。
一つ目。
◇
次は水務。
グレンとマヤが、北水門から流れを受ける。
水位。
水門。
井戸。
排水。
現場ごとに確認する。
途中で、南側の水圧が落ちた。
ヴァルドが言う。
「中央管理なら、すぐ北から回せます」
「原因を確認します」
「待つのですか」
「水圧低下と断水は違います」
グレンから返事が来る。
――南第二弁、半開。現地作業員が調整。
ガッシュが文書送管の保守穴から向かった。
力任せに全開にはしない。
右へ戻し、左へ少しずつ。
水圧が戻る。
「水務、移行完了」
二つ目の環が青く灯った。
食糧務。
カレンが受領札を地区別の記録へ切り替える。
灯り小路。
南市。
北区。
余った分を隣へ回す。
不足した場所は公開する。
住民自身も運搬へ加わった。
「配給速度が落ちています」
ヴァルドが言う。
「箱を地区ごとに分けている途中です」
「その間も空腹の者は待つ」
「先に携帯食を配っています」
カレンから返事。
――緊急食の配布継続。通常食は地区別へ移行中。
「止まっていません」
「応急処置だ」
「応急処置を、応急処置として使っています」
仮の対応を、そのまま恒久運用にしない。
次に直す人を決める。
「食糧務、移行完了」
三つ目。
魔石務。
ミラが広場の生活用魔石から、銀札の接続術式を外す。
すべてを一度に外さない。
十個ずつ。
出力を確認。
異常があれば、その組だけ止める。
「入口、正常」
「変換部、正常」
「出口、地区灯へ接続」
ミラの声と、外の整備士の報告が重なる。
「魔石務、移行完了」
四つ目。
街路務。
ジノが人と荷車の通り道を分ける。
ガッシュが塞がった荷物を移動。
ベルクとソマが運搬先を確認する。
誰かが全経路を決めるのではない。
各区間の担当が、次の担当へ荷を渡す。
遅れた場所だけ、別経路へ逃がす。
「一台の荷車が行方不明です」
ヴァルドが壁の数字を指した。
「中央の追跡から外れた」
外から紙が届く。
――西路地で車輪故障。荷は別車へ積み替え中。
「見えなくなったのではありません」
俺は答えた。
「見る場所が変わっただけです」
「街路務、移行完了」
五つ目。
最後は記録務。
リリアが、ヴァルドへ集まっていた情報を組合の記録へ移す。
すべてを公開するのではない。
健康状態。
家族構成。
個人の取引。
必要のない者からは見えないよう分ける。
「情報を分ければ、全体分析ができない」
ヴァルドが言う。
「必要な時は、本人へ目的を説明して集めます」
「拒否されたら?」
「使いません」
「それでは正確な需要が分からない」
「分からない部分があると記録します」
「不完全な数字で判断するのか」
「完全に見えていると思い込むよりいい」
銀札に書かれた情報も、本人が望めば削除する。
残す者には、目的と期間を伝える。
「記録務、移行五割」
黒い環が大きく揺れた。
ヴァルドの身体が傾く。
「負荷が下がったのに、どうして?」
ノアが脈を確かめる。
「黒環が、中枢を維持しようとしてる」
ミラが言う。
「流れを取り戻すために、ヴァルドから魔力を吸ってる!」
黒い手袋が腕へ食い込む。
灰黒色の筋が、肩へ伸び始めた。
「外してください!」
ノアが叫ぶ。
「今外せば逆流する」
ヴァルドは歯を食いしばった。
「ならば、流れを戻せ」
「戻しません」
「私が死ぬぞ」
その声には、初めて恐怖があった。
「死なせません」
ノアが両手を胸へ当てる。
「シュウさん!」
「記録務の移行を続けます!」
「本気か!」
ヴァルドが俺を睨む。
「あなたを生かしたまま、外します」
「できると?」
「一つずつ、ここまで移しました」
残るのは記録務。
そして、ヴァルド自身につながる中枢環。
「リリアさん、移行を!」
送管へ声を入れる。
「続行します」
紙ではなく、管の中からリリアの声が返った。
ジノたちが送風口を開き、声を通せるようにしたらしい。
「六割」
黒い筋がヴァルドの首へ伸びる。
「七割」
黒環が防護線を何本も放つ。
セリアが剣を振るう。
「守り払い!」
一本。
二本。
三本。
正面から止めず、白環の閉鎖領域へ流す。
セルヴィスの白い輪にも亀裂が入る。
「長くは保ちません!」
「あと少し!」
「八割!」
床の黒い環が回転を速める。
市庁舎全体が揺れた。
天井から石片が落ちる。
外でガッシュが扉を押さえる音がした。
「中で何してる! 建物ごと壊れるぞ!」
「扉を開けないでください!」
「開かねえんだよ!」
「なら、そのまま押さえて!」
「注文が雑すぎる!」
「九割!」
ヴァルドが膝をつく。
ノアが身体を支える。
敵。
患者。
黒環の中枢。
それでも手を離さない。
「記録務、移行完了!」
六つ目の環が青く灯った。
六本の青い線が、互いの隣へ伸びる。
食料から水。
水から薬。
薬から魔石。
魔石から街路。
街路から記録。
記録から食料。
中央へ集まらない。
六つが輪になってつながる。
淡い蒼色の環が、黒い環の外側へ浮かび上がった。
「これは……」
セルヴィスが見つめる。
送管の向こうから、リリアの声が聞こえた。
「蒼流の環」
ペンを走らせる音。
「正式名称として記録します」
「もう決めたんですか」
「現物ができましたので」
黒い環が激しく明滅する。
すべての機能を失い、残っているのはヴァルドとの接続だけ。
「ミラ!」
「手袋の入口を外す!」
「出口は?」
「蒼流の環へ逃がす!」
「均等に流さないでください!」
俺は六つの環を見る。
「残っている流れの種類を確認して、それぞれの担当へ!」
「測る時間がない!」
目の奥が痛む。
魔流視を使えば。
そう考えた瞬間、視界の端に灰黒色の線がちらつく。
だが、深く見ない。
もう使えない。
「黒環の壁に分類が出ています!」
俺は文字を見る。
食料。
水。
薬。
魔石。
街路。
記録。
ヴァルドが集めた情報が、まだ表示されている。
「表示順に流してください!」
「数字が正しい保証は?」
ミラが聞く。
「外の担当へ確認する!」
文書送管を通して、六つの担当へ数を送る。
返事が戻る。
薬、一致。
食料、二箱分の差。
水、一致。
魔石、二十個分の差。
街路、一台分の差。
記録、銀札の取消分が未反映。
「差があるものだけ保留!」
全部そろうまで待たない。
合った流れから移す。
薬。
水。
先に蒼流の環へ。
食料は二箱を分離して移行。
魔石は接続術式入りの二十個を外す。
街路は故障車両を除外。
記録は銀札の取消処理を先に行う。
「出口、開きます!」
ミラが工具をひねった。
黒い手袋から、濁った流れが噴き出す。
セリアが剣を構える。
「横へ流す!」
「切らないでください!」
「分かってる!」
守り払い。
濁りを蒼流の環へ導く。
六つの青い環が、それぞれ必要な分だけを受け取った。
一つへ集めない。
同じ量にも分けない。
必要な場所へ、必要な分だけ。
黒い手袋に亀裂が入る。
「外れる!」
ミラが工具を差し込む。
だが、最後の一本がヴァルドの胸へ食い込んでいる。
「心臓とつながっています!」
ノアが叫ぶ。
「ここを無理に抜けば止まります!」
「なら、どうする?」
「心臓側の流れを弱めます。ミラさんは、私の合図で!」
ノアはヴァルドの呼吸を確かめる。
脈。
魔力。
両手から淡い光を流す。
「息を吐いてください!」
以前、ハインへ言ったのと同じ言葉。
「黒環へ力を渡さないで!」
ヴァルドは荒い息を吐く。
「私が……手を離せば……」
「街は動いています」
俺は言った。
「食料も、薬も、止まっていません」
「一時的だ」
「今は、それでいい」
「明日は?」
「明日の担当が直します」
「間違えれば?」
「記録を見て直します」
「私がいなければ――」
「もう、あなたを通さずに荷が届いています」
ヴァルドの目が揺れた。
窓の外。
黒い封印が外れた木箱から、配給が再開されている。
人々が物を運ぶ。
記録板へ数を書く。
間違いを見つけて戻る。
別の道へ荷車を回す。
完璧ではない。
それでも動いている。
「俺も、自分がいなければ回らないと思っていました」
「……」
「でも、それは仕事ができる証明じゃなかった」
ヴァルドの黒い手袋を見る。
「仕事を自分のところで詰まらせていただけです」
ヴァルドの指から力が抜けた。
黒い線が細くなる。
「今です!」
ノアが叫ぶ。
ミラが工具を引く。
黒い手袋が割れた。
セリアが流れを横へ払う。
セルヴィスの白い環が、逆流を外へ漏らさないよう囲う。
蒼流の環が、六つの出口へ濁りを分ける。
ヴァルドの胸から、最後の黒い線が抜けた。
黒環大循環の接続率。
七十。
六十九。
六十。
四十二。
数字が一気に下がる。
十九。
七。
零。
床の黒い環が止まった。
旧市庁舎を覆っていた黒線が消える。
扉が外側へ倒れそうになり、ガッシュが慌てて支えた。
「急に開くなあああ!」
ジノが床下から這い出してくる。
「先に言ってくれ!」
「こちらにも分かりませんでした!」
「何だよ、その顔!」
「どんな顔ですか」
「鼻血出して、真っ青で、立ってるのがおかしい顔!」
セリアとノアが同時に俺の腕を掴んだ。
「座って」
「今度こそ反論しないでください」
「はい」
その場へ座る。
素直に従ったことで、二人が少し驚いていた。
「成長したね」
「倒れる前に座っただけです」
「十分です」
◇
ヴァルドは床へ横たわっていた。
ノアが治療を続けている。
命はある。
脈も少しずつ戻っている。
エルネストと白環の守り手たちが広間へ入ってきた。
「ヴァルド・グレイム」
エルネストが低い声で呼ぶ。
「違法魔道具の流通、住民への無断実証、記録改ざん、組合への攻撃、黒環術式による都市機能の掌握。話してもらうことが山ほどある」
ヴァルドは目を開けた。
「私一人を捕らえて、終わると思いますか」
「思ってねえよ」
「黒環大循環はアルメリアだけではない」
「それも聞いてる」
「では、なぜ安心した顔をしている」
エルネストは広場を見る。
「今、ここで止めたものがあるからだ」
「一時的な勝利です」
「勝ちは勝ちだ。喜べる時に喜ばねえと、次まで持たん」
ヴァルドは何も言わなかった。
白環の守り手が拘束具を用意する。
セルヴィスが止めた。
「黒い流れが残っていないか、先に確認します」
「私を庇うのですか」
「拘束後に暴走されると困るだけです」
冷たい返答。
だが、雑に切り捨てない。
ミラが割れた黒い手袋を布へ包む。
内側から、小さな記録石が落ちた。
「まだ何かある」
測定具を当てる。
「送信専用。こっちの操作にはつながってない」
記録石が勝手に光った。
黒い文字が浮かぶ。
――黒環接続、解除。
――分散接続、成立。
――第三環、形成確認。
その下に、署名。
オルバス・ノクト。
広間の空気が冷えた。
「見られていた?」
セリアが剣へ手を置く。
「おそらく、最初から」
セルヴィスが答える。
ヴァルドが薄く笑った。
「アルメリアでの実証は終わりました」
「あなたも実験材料だったんですか」
俺が聞く。
ヴァルドの笑みが消える。
返事はない。
オルバスにとっては、ヴァルドの共同管理も。
俺たちが作った蒼流の環も。
比較するための二つの実証だった。
「第三環を、何に使うつもりですか」
記録石は答えない。
最後に、王都の地図が浮かんだ。
三つの場所に印がある。
王宮。
中央市場。
白環総院。
黒。
白。
そして蒼。
三色の線が、王都の中心へ向かって伸びていた。
記録石が砕ける。
「また、利用するつもりですね」
俺は破片を見る。
自分たちが作った流れを、オルバスが大循環へ組み込もうとしている。
けれど、中央分配室で聞いた時とは違った。
足元が崩れるような感覚はない。
「どうする?」
セリアが聞いた。
「蒼流の環を使うつもりなら」
六つの環を見る。
今も、誰か一人を中心にせず動いている。
「使えない形にします」
「壊すの?」
「いいえ」
俺は首を横に振った。
「誰かに奪われても、勝手に使えない仕組みを加えます」
「どうやって?」
「これから皆で考えます」
「今すぐじゃなくていい?」
「まず休みます」
セリアが目を丸くした。
ノアは満足そうにうなずく。
「本当に成長しましたね」
「そこまで驚かなくても」
窓の外から、人々の声が聞こえる。
配給は続いている。
荷車も動いている。
俺がここで座っていても。
ヴァルドが拘束されても。
流れは止まっていない。
誰か一人で回さない。
間違えても、別の場所から直せる。
黒でも白でもない、蒼い環。
小さな六つの流れから生まれたその環は、アルメリアの中心で静かに回り始めていた。
第37話を読んでいただきありがとうございます。
今回は、ヴァルド自身を中枢とした黒環大循環を、街の物資を止めずに切り替える回でした。
旧市庁舎には本来、
- 食糧務
- 水務
- 薬務
- 魔石務
- 街路務
- 記録務
という六つの分配環が存在していました。
ただ六つへ戻すだけでは、部署同士の対立によって判断が遅れた過去を繰り返します。
そこでシュウたちは、六つの担当を互いにつなぎ、中央へ集めない環を作りました。
稼働中の黒環を先に止めず、新しい流れを少しずつ動かし、問題のないことを確認してから移す方法です。
シュウは限界に近い魔流視を使わず、ミラの測定、リリアたちの記録、現場からの返答を組み合わせて切り替えを進めています。
こうして誕生した第三の流れが、正式に「蒼流の環」と記録されました。
ヴァルドは生きたまま黒環大循環から切り離され、必要な物資も止まっていません。
しかし、オルバス・ノクトは蒼流の環が形成される過程まで観測していました。
王都では、
- 王宮
- 中央市場
- 白環総院
へ黒・白・蒼の三つの線が伸びています。
次回はアルメリアの被害と制度を整理しながら、蒼流の環を他者に奪われない仕組みと、王都へ向かう準備を進めます。




