第36話 同意のない保証人
黒環術式による次の魔力回収は、正午。
シュウ一人から請求を切り離せば、蒼い流れに参加する別の誰かへ移ります。
残された時間で必要なのは、四十七人へ危険を均等に押しつけることではありません。
何を引き受けるのか説明し、断る権利を残し、魔力を出せない者にも別の役割を用意すること。
黒環会の強制的な管理でも、白環の切断でもない。
誰か一人の命を担保にしないため、蒼い流れに関わってきた人々が、初めて自分たちの意思で一つの環を作ります。
「十分たったよ」
セリア・グランツが言った。
治療所の壁際。
俺は椅子へ座り、目を閉じていた。
本当に十分で声をかけられるとは思わなかった。
「もう少し休め、と言うかと思いました」
「言いたいよ」
「では――」
「でも、正午まで時間がないのも本当だから」
セリアは水の入った杯を差し出した。
「飲んで。立てるか確認して。駄目ならあと五分」
「五分だけ?」
「今は五分が大きいの」
水を飲む。
吐き気は少し残っている。
目の奥も重い。
けれど、足には力が戻っていた。
右手首には、灰黒色の細い輪が浮かんでいる。
正午になれば、地下の下層環が俺から魔力を回収し始める。
俺だけではない。
俺との接続を切れば、蒼い流れに参加する別の誰かが代表保証者に選ばれる。
「歩けます」
立ち上がる。
少しだけ身体が揺れた。
セリアが腕を伸ばしかける。
俺は椅子の背へ手を置き、自分で立った。
「無理してない?」
「支えがあれば大丈夫です」
「椅子も仲間に数えるんだ」
「役に立ってくれるなら」
「じゃあ、私も椅子くらいには頼ってもらえる?」
「椅子以上に頼っています」
言ってから、少し恥ずかしくなった。
セリアも一瞬、目を丸くする。
「……そういうの、急に言うんだね」
「今のは忘れてください」
「無理」
少しだけ頬を緩め、俺の左側へ立つ。
「歩けなくなったら言って」
「はい」
右手首の輪は、まだ細い。
残り時間は、四時間五十分。
◇
四十七人全員を一か所へ集めるのは不可能だった。
荷運び中の者。
店を開けたばかりの商人。
治療所を離れられない者。
灯り小路の井戸を見張る者。
地下水路の仮補修に残る者。
「集合させるだけで昼になります」
リリア・フォルンが参加者名簿を机へ広げた。
「ですので、五つの場所に分けます」
冒険者組合。
ベルシア商会。
灯り小路の集会所。
南市場。
治療所。
「各場所に説明担当と記録担当を置きます。質問と回答は連絡石で共有します」
「同じ説明ができますか」
俺が聞く。
「説明文を統一します」
リリアは新しい用紙の一番上へ、三行だけ書いた。
一、正午に黒環術式が共同保証者から魔力を回収する。
二、参加しなくても処罰、配給停止、不利益はない。
三、参加後も撤回できる。
「最初に危険を説明するんですね」
「利点から話せば、危険を小さく見せることになります」
カレン・ベルシアが用紙を確認する。
「ベルシア商会の契約説明も、この順番に合わせます」
「商会員が断っても?」
「業務評価へ影響させません」
「本当にできますか」
「命令にしないと決めた以上、徹底します」
カレンは少し苦い顔をした。
「ただし、管理職が口では自由だと言いながら、断った者へ冷たく接する可能性はあります」
制度で禁止しても、人の態度まではすぐに変わらない。
「断った理由を上司へ伝えないようにします」
リリアが言った。
「参加の有無だけを記録し、理由は本人が望む場合のみ残します」
「参加しない人の名前も、黒環会には渡さない」
俺が続ける。
「はい」
「でも、同意を取ってる間に回収が始まったらどうする」
ガッシュが腕を組んで聞いた。
彼は地下へ入らず、地上の荷と入口を守っていた。
俺たちが戻ったと聞き、治療所へ駆けつけている。
「間に合わない分は、俺が多く持つ」
「駄目です」
俺とノア・ルミナスの声が重なった。
「何でだよ。俺は身体が強い」
ガッシュが拳を握る。
「シュウより魔力も多い。だったら多く受けるのが普通だろ」
「強い人へ多く押しつければ、最後はその人が潰れます」
俺は前世の現場を思い出す。
仕事ができる人。
頼めば断らない人。
少しくらい増えても回せる人。
そういう人に仕事が集まる。
できるから、また頼まれる。
そして突然来なくなる。
「でも、全員同じ量なら弱い奴が危ないだろ」
「同じ量にはしません」
ノアが答えた。
「負担できる上限を、一人ずつ決めます」
「俺は多くできる」
「その上限を決めるのは、ガッシュさん一人ではありません」
「俺の身体だぞ」
「だから本人の希望も聞きます。でも、無理をしている人は自分の限界を高く言います」
ノアの視線が、また俺へ向く。
「今日はよく見られますね」
「実例が近くにいますので」
「お前、相当信用ないぞ」
ガッシュが笑う。
「最近知りました」
「俺も人のこと言えねえけどな」
ガッシュは少しだけ気まずそうに腕を下ろした。
「じゃあ、できる範囲を決めてくれ。その分はやる」
「はい」
ノアはうなずいた。
強い者が多く背負うのではない。
余裕のある者が、安全に出せる分だけ出す。
魔力を出せない者にも、別の役割がある。
「同意者を三つに分けます」
リリアが説明用紙へ追記する。
魔力提供。
物資、運搬、連絡。
記録、見守り、緊急停止。
「魔力を出さない参加もあるんですか」
治療所の職員が聞く。
「あります」
俺は答えた。
「危険を分けることは、同じ危険を全員へ配ることではありません」
それぞれができることを持つ。
できないことを、罪にしない。
「説明を始めましょう」
◇
最初の連絡石がつながった。
冒険者組合の広間が、淡い光の向こうに映る。
エルネスト・ヴァイスの太い声が響いた。
「こっちは十二名だ。全員聞こえている」
続いてベルシア商会。
南市場。
灯り小路の集会所。
五つの場所が一つの音声でつながる。
俺は説明文を手に取った。
大勢へ話すのは、今でも得意ではない。
前世の会議を思い出す。
悪い報告をする時。
納期が間に合わないと伝える時。
誰が先に責任を問われるか考えながら、言葉を選んだ。
今は、隠す必要がない。
「正午に、黒環術式が魔力回収を始めます」
最初に危険を言う。
「現在の代表保証者は俺です。俺との接続を切れば、蒼い流れに参加している別の誰かへ移ります」
連絡石の向こうがざわめく。
「それを防ぐため、共同で受け止める環を作ります」
「俺たち全員から魔力を取るってことか!」
南市場の男が声を上げた。
「魔力を提供するかは選べます」
「断ったら、今後の配給は?」
「変わりません」
「仕事を外される?」
「外しません」
「今はそう言って、後で困った時だけ助けを求めるんじゃないのか」
厳しい言葉だった。
だが当然の不安だ。
「その可能性をなくすため、参加の有無を仕事の割り振り記録から分けます」
リリアが答えた。
「参加しなかったことを理由に不利益を受けた場合、私の記録へ直接申し出てください」
「リリアさんへ嘘をつく勇気がある上司なら、見てみたいな」
ジノが小さく言う。
連絡石の向こうから、何人かの笑い声が聞こえた。
張り詰めていた空気が少し緩む。
「俺は抜ける」
冒険者組合から、低い男の声がした。
荷運び人のデリク・モーン。
東門から治療用魔石を運んだこともある男だ。
「娘が病気だ。俺の魔力が減れば、今夜の薬草採取へ行けない」
広間が静かになる。
最初の拒否。
ここで反応を間違えれば、後の者は断れなくなる。
「分かりました」
俺は答えた。
「参加しなくても、これまでの扱いは変わりません」
「本当に記録から外すのか」
「黒環会が持つ写しは消せません。でも、こちらの共同環には登録しません」
「もし俺へ請求が来たら?」
「共同環で止めます」
「参加してない俺も守る?」
「参加しなかった罰として命を取らせる仕組みではありません」
デリクは黙った。
「では、撤回記録を作ります」
リリアが新しい用紙へ名前と時刻を書く。
「本人確認、デリク・モーン様。蒼い流れの共同保証から撤回。配給、依頼、報酬への影響なし」
「証人は私が」
エルネストが言う。
「商会側も確認します」
カレンが商会印を押した。
撤回するためにも手順がある。
加入する時だけ同意を取り、抜ける道がない仕組みは、同意とは言えない。
「ほかに、参加しない方はいますか」
リリアが尋ねる。
すぐには声が出なかった。
やがて、一人。
また一人。
合計九人が不参加を選んだ。
理由はさまざまだ。
病気。
家族。
魔力の少なさ。
黒環会への恐怖。
理由を言わない者もいた。
誰も責めなかった。
残った三十八名のうち、魔力提供を選んだのは十六名。
運搬や連絡が十四名。
記録と見守りが八名。
「十六人で足りますか」
セルヴィス・アルカードが聞いた。
彼は右腕の治療を受けながら、部屋の端で話を聞いていた。
「分かりません」
俺は正直に答えた。
「四十七人全員なら計算上は余裕があったはずです」
「同意しない者を数へ入れれば、黒環会と同じになります」
「では、足りなかった時は?」
「魔力だけで受けません」
使用済み魔石。
工房の余剰。
治療所の安全量。
物資の移動。
下層環そのものの停止作業。
人の魔力は、その一部にする。
「準備に時間がかかります」
「はい」
「白環なら、代表保証との接続を今すぐ切れます」
「次の人へ移ります」
「参加者全員を切り離すことも可能です」
「蒼い流れそのものが止まります」
「命は残る」
「仕事と物資が止まれば、その後に失われる命があります」
セルヴィスは黙った。
切断が必要な場面はある。
だが、切ることで起きる被害を、切断の外へ押し出してはいけない。
「あなた方の方法が間に合うか、確認します」
「止めないんですか」
「危険が限界を超えた場合は止めます」
相変わらずだった。
けれど、最初から否定はしなかった。
◇
共同環の組み立ては、五つの場所で同時に進められた。
ミラが中心となる変換具を治療所で組む。
ベルシア商会では、カレンが物資と運搬の保証印を用意する。
冒険者組合では、リリアの指示を受けた職員が参加札と撤回札を分ける。
灯り小路では、ジノが井戸と街灯の避難経路を確認する。
南市場では、ガッシュが共同備蓄の魔石を運んでいた。
「重い箱は俺に回せ!」
連絡石から声が聞こえる。
「全部持たないでください」
ノアが答える。
「持てる!」
「持てるかではなく、持った後も動けるかです!」
「二箱にする!」
「一箱です!」
「間を取って一箱半!」
「箱を半分にしないでください!」
南市場から笑いが起きる。
ガッシュは結局、一箱ずつ運んだ。
正午まで、残り二時間。
俺の手首の灰黒色の輪は、少しずつ太くなっている。
痛みはない。
だが、時々、地下へ引かれる感覚があった。
「魔力提供者の安全上限が出ました」
ノアが十六枚の札を並べる。
「同じ量ではありません。最も多いガッシュさんで五。最も少ない方は一です」
「俺は十でもいける」
連絡石から不満そうな声がする。
「五です」
「七」
「五」
「六」
「五です」
「……五で」
ノアが勝った。
「シュウは?」
セリアが聞く。
「ゼロです」
ノアが答える。
「俺が代表保証者なのに?」
「すでに魔流視の反動があります。安全上限はゼロです」
「では、接続の入口だけ持ちます」
「魔力は流しません」
「はい」
入口になることと、負担を引き受けることは別だ。
俺の役割は、黒い請求を共同環へ導くこと。
自分の魔力で埋めることではない。
「変換具、できた」
ミラが額の汗を拭う。
十二個の使用済み魔石を中心に、三十八枚の参加札が円を描いている。
九枚の撤回札は、円の外に置かれた。
だが、切り捨てられてはいない。
黒い流れが撤回者へ向かった時は、共同環がその入口を遮る。
「撤回者を守るための線まで作るんですね」
治療所の職員が言った。
「抜けた人を守れない仕組みなら、誰も安心して参加できません」
俺は答えた。
「参加する自由だけではなく、抜ける自由も流れの一部です」
ミラが中心の変換具を指す。
「ただし問題が一つ」
「何ですか」
「黒環術式は、負担を一番強い入口へ集める癖がある」
「一番強い人?」
「魔力量だけならガッシュ。術式との接続ならシュウ」
「上限札では止められない?」
「普通の流れなら止められる。黒い環が上限を無視した時は、実際に動かさないと分からない」
安全上限を作った。
でも、それを相手が守るとは限らない。
「緊急停止は誰が?」
リリアが聞く。
「患者と提供者の状態は私が見ます」
ノアが言う。
「術式の異常はミラさん」
「記録上の不正変更は私が」
リリアが続ける。
「三人のうち一人が停止を宣言したら、全体を止めます」
「一人で止められるの?」
セリアが尋ねる。
「止める判断を、多数決にはできません」
ノアの声は静かだった。
「危険を見つけた人が一人でもいれば、止めます」
動かす時は同意がいる。
危険な時は、一人でも止められる。
それが必要だ。
◇
正午まで、残り十分。
五つの場所で、三十八名がそれぞれの札へ手を置いた。
魔力提供者は十六名。
ほかの者は、運搬、記録、監視、避難誘導を受け持つ。
九名の撤回者も、連絡石の近くで状況を聞いていた。
参加をやめた後まで立ち会う義務はない。
それでも、自分たちへ黒い流れが来ないか見届けるため残っている。
「最終確認を行います」
リリアの声が五つの場所へ届く。
「参加は現在も撤回できます。撤回による不利益はありません」
沈黙。
一人の女性が魔力提供から見守り役へ変更した。
誰も責めない。
「役割変更、記録しました」
「ほかに変更は?」
ない。
魔力提供は十五名になった。
「開始します」
ミラが変換具へ工具を入れる。
三十八枚の札を結ぶ線が、淡い青色に光った。
線は完全な円ではない。
物資担当。
運搬担当。
記録担当。
治療担当。
ところどころ太さも色も違う。
九枚の撤回札へは、外側から細い保護線だけが伸びている。
きれいではない。
だが、誰かの意思を消して作った円ではなかった。
「あと一分」
リリアが時刻を読む。
俺の右手首の輪が熱を持ち始めた。
「シュウ」
セリアが隣に立つ。
「痛みは?」
「まだありません」
「引かれる感じは?」
「強くなっています」
「魔流視は?」
「流れが始まってから、入口だけ見ます」
「短く」
「はい」
窓の外から、正午の鐘が鳴った。
一度。
右手首の灰黒色の輪が締まる。
痛みが腕を上った。
「始まった!」
ミラが叫ぶ。
二度目の鐘。
地下から魔力を引く力が来る。
俺の身体を通り、共同環へ向かうはずだった。
だが、流れは分かれない。
右腕へ集まる。
「シュウへ集中してる!」
「上限札が効いてない!」
セリアが俺の肩を掴む。
「切って!」
「まだ入口が分かりません!」
「深く見ない!」
俺は息を細く吐いた。
視界の焦点を、手首の輪より少し奥へずらす。
魔力の入口。
出口。
(流れを見ろ)
色が落ちる。
灰黒色の太い線が、俺の手首から身体へ入ろうとしている。
共同環の青い線は触れている。
だが、変換部で弾かれていた。
理由は、魔力量ではない。
黒環術式が探しているのは代表者。
一人の責任者だ。
三十八人の役割を、それぞれ別のものとして見ている。
円として認識していない。
「中央の札に、代表者が必要です!」
「代表を置いたら、また一人に集まる!」
ミラが叫ぶ。
「人じゃなくて、記録を代表にする!」
「記録?」
「循環票です! 三十八人の役割を一枚にまとめた記録!」
リリアがすぐに動く。
「共同応答記録を中央へ!」
新しく作った記録票を、変換具の中心へ置く。
カレンが正規の封印紐を巻く。
「ベルシア商会、記録の物資保証を行います!」
エルネストの声が連絡石から響く。
「冒険者組合、参加者の本人確認を保証する!」
ノアが三十八名の安全上限票を重ねる。
「治療側、安全上限を確認!」
ミラが変換具を反転させた。
「共同記録を代表入口へ接続!」
青い線が中央へ集まる。
俺の手首から、灰黒色の線が離れ始めた。
まだ見る。
線の一部が、南市場へ向かっている。
最も魔力の強いガッシュを探している。
「上限を無視してガッシュへ流れてる!」
「俺なら受けられる!」
連絡石からガッシュの声。
「受けないで!」
ノアが叫ぶ。
「足元へ流してください! 身体の中で止めない!」
「どうやって!」
「いつもの身体強化と逆です!」
普段は足から腰、腕へ流す。
今は入ってくる黒い力を、身体の中心へ上げず足元へ落とす。
「やってみる!」
ガッシュの札が強く光る。
灰黒色の線が一瞬太くなる。
「うおおっ!」
「脈、上昇!」
南市場の見守り担当が報告する。
「ガッシュさん、上限まで二!」
「まだいける!」
「あと一で停止します!」
ノアの声。
ガッシュは歯を食いしばり、足を開いた。
入ってきた黒い力を、腰へ上げず、片足から共同備蓄の魔石へ流す。
「行けえっ!」
南市場の魔石が青く光る。
灰黒色の線がガッシュの身体から離れ、共同環へ入った。
「流れた!」
「上限内です!」
ノアの声に、皆が息を吐く。
俺は魔流視を切った。
目の奥に鋭い痛みが走る。
視界が戻っても、しばらく立てない。
セリアが背中を支える。
「もう見ない」
「はい」
「本当に?」
「入口は移りました」
「なら終わり」
共同環の中央。
三十八人の意思と役割を記した一枚の記録が、代表入口になっている。
誰か一人ではない。
名前を消して責任を曖昧にしたわけでもない。
誰が何を引き受けたか、すべて残っている。
黒い回収の力が環へ入る。
十五人の魔力提供者へ、安全上限に応じて分かれる。
余った分は使用済み魔石へ。
さらに余れば、工房の共同備蓄へ。
流れが一か所へ詰まらない。
「安定しています」
ミラが測定具を確認する。
「回収量、減少」
リリアが記録する。
「下層環が要求を維持できなくなっています」
三度目の鐘が鳴る。
灰黒色の流れが途切れた。
俺の手首にあった輪も、ゆっくり薄くなっていく。
「終わった?」
ジノが聞く。
「今回の回収は停止しました」
ミラが答える。
「今回?」
「下層環を止めるまでは、また来る可能性がある」
完全に終わったわけではない。
それでも、誰か一人を犠牲にせず正午を越えた。
◇
「俺にも、何かできるか」
連絡石からデリクの声がした。
最初に参加を断った荷運び人だ。
「撤回を取り消しますか」
リリアが聞く。
「いや」
デリクは少し迷ってから答えた。
「魔力は出せない。娘のために残したい」
「それで構いません」
「でも、次に地下へ物を運ぶなら、荷車を出せる」
参加しなかった者が、自分にできる役割を選ぶ。
魔力を出さないことを責められなかったから、戻れる。
「運搬協力として登録しますか」
「頼む」
「共同保証へは戻しません。運搬協力のみです」
「それでいい」
リリアが新しい欄へ記録した。
「この環には、名前が必要ね」
カレンが青く光る参加札を見る。
「共同保証環では、また借金のように聞こえます」
「共同応答環?」
ミラが言う。
「正確ですが、少し硬いです」
リリアが真面目に答える。
「青い輪でいいんじゃない?」
ジノが言った。
「そのまますぎる」
セリアが笑う。
「でも、蒼い流れをつなぐ輪ではあります」
俺は床に広がる線を見る。
完全な円ではない。
参加しない者の場所は空いている。
役割ごとに太さも違う。
それでも、流れはつながっている。
「蒼流の環」
セリアがゆっくり言った。
「そうりゅうの、わ」
言葉にすると、不思議と馴染んだ。
黒い流れを一つへ集める黒環会。
危険な流れを切り離す白環の守り手。
そのどちらでもない。
人が選び、役割を持ち、抜ける道も残しながらつなぐ環。
「正式名称にしますか」
リリアがペンを構える。
「まだ、ここにいる人だけで決めていいのか分かりません」
俺が答える。
「では、暫定名です」
リリアは新しい記録の表題へ書いた。
――蒼流の環。
暫定運用。
参加三十八名。
撤回九名。
魔力提供十五名。
運搬協力、追加一名。
失敗も、断った者も、全部残る。
「白環は、この環を認めません」
セルヴィスが言った。
治療所の空気が少し固くなる。
「黒環術式に触れた者同士が、独自の魔力網を作った。白環本部なら危険術式と判断します」
「セルヴィスさんは?」
俺が聞く。
「私は、結果を記録します」
「壊さない?」
セリアが尋ねる。
「現時点では、人命を守るため機能しています」
「現時点では、ですか」
「流れが濁れば、止めます」
「その時は、止める前に言ってください」
俺は答えた。
「直せるか確認します」
セルヴィスはわずかに目を細める。
「あなたは、いつもそれですね」
「仕事なので」
「Eランク冒険者の仕事ではありません」
「前の仕事です」
セルヴィスには意味が分からない。
けれど、珍しく小さく息を吐いた。
「白環本部への報告では、第三方式として記録します」
「第三方式?」
「黒環による集中管理でも、白環による切断でもない。まだ評価名をつけられません」
リリアが表題を示す。
「暫定名なら、こちらにあります」
セルヴィスは「蒼流の環」という文字を見た。
「採用するとは言っていません」
「記録はしていただけますね」
「……記録はします」
リリアが少しだけ満足そうにペンを置いた。
◇
安堵できたのは、わずかな時間だけだった。
第七区画から救出されたトーラ・メイゼンが、治療師に支えられながら部屋へ入ってきた。
「地下から信号だ」
「誰が送ったんですか」
俺が聞く。
「封印の向こうに残した自動打音器。下層環の流れが変わった時だけ鳴る」
トーラは古い記録片をリリアへ渡す。
短い音と長い音を、地上の治療師が書き取ったものだ。
バルトの翻訳も添えられている。
「下層環、回収失敗」
リリアが読み上げる。
「非常搬送路、開放」
「搬送路?」
ミラが地下図を広げる。
「人の魔力を回収できなかったから、環そのものを移すつもり?」
「そんな大きなものを?」
「全部じゃない。核になる魔石と記録部だけなら運べる」
ヴァルドは、失敗した設備へ固執しない。
使える記録と部品を回収し、次の場所へ移す。
「行き先もあります」
リリアが次の行を読む。
「東旧街道、王都方面」
アルメリアで得た記録。
灯り小路の実証。
治療用魔石の回収。
蒼流の環が負荷を分けた結果まで。
すべてを持って、王都へ運ぶつもりだ。
「出発時刻は?」
「すでに搬送開始」
室内の視線が俺へ集まる。
正午までの回収は止めた。
けれど、その間にヴァルドは次の工程へ進んでいる。
「追います」
立ち上がる。
今度は足が揺れなかった。
セリアが隣へ来る。
「誰が行く?」
「全員では行きません」
蒼流の環を作ったばかりだ。
地上にも、地下にも、残る人が必要になる。
「追跡、治療所、地下監視、街の物流。役割を分けます」
「もう一人で追うって言わないんだね」
「言ったら止めるでしょう」
「うん」
「なら、最初から組みます」
セリアは少し笑った。
リリアが新しい頁を開く。
蒼流の環、最初の運用記録。
黒環会の下層核、東旧街道へ移送。
追跡班編成。
その文字の下へ、さらに一行が加わった。
――ヴァルド・グレイム、王都方面へ逃走の可能性。
誰か一人の保証で回る流れは止めた。
次は、その流れを実験結果として持ち去ろうとする男を止める。
治療所の床では、暫定の蒼い環が静かに光っていた。
黒でもない。
白でもない。
不格好で、空いた場所もある。
けれど、そこには一人ひとりが自分で選んだ流れがあった。
第36話を読んでいただきありがとうございます。
今回は、正午の魔力回収に備え、蒼い流れの参加者四十七名へ危険を説明し、共同で受け止める仕組みを作る回でした。
四十七人を均等に魔力提供者にするのではなく、魔力提供、物資と運搬、記録と見守りという三つの役割に分けています。
参加しないことによる配給停止や仕事上の不利益はなく、参加後も撤回可能です。
九名が不参加を選び、参加した三十八名のうち、最終的に十五名が安全上限の範囲で魔力提供を行いました。
最初に参加を断ったデリクも、魔力は提供せず、後から運搬だけを引き受けています。
正午になると、黒環術式は代表保証者のシュウへ負担を集中させました。
そこで、三十八名の同意、役割、安全上限を記した「共同応答記録」そのものを代表入口へ変更しています。
誰が責任を持つかを消すのではなく、誰が何を引き受けたかを残した上で、一人の命へ負担を集めない形です。
黒い魔力がガッシュへ集中した際も、ノアが安全上限を管理し、ガッシュは身体の中で止めず共同備蓄へ流しました。
正午の回収は停止し、シュウの手首にあった灰黒色の輪も薄くなっています。
そして、この第三の方式に暫定名がつきました。
黒環会の集中管理でも、白環の守り手による切断でもない「蒼流の環」です。
セルヴィスは白環本部が危険視する可能性を示しながらも、現時点では人命を守る第三方式として記録することを決めました。
一方、回収に失敗した下層環は、核となる魔石と記録部を東旧街道から王都方面へ搬送し始めています。
次回は、街に残る役割と追跡する役割を分け、ヴァルド・グレイムが持ち出した下層核を追います。




