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納期遅れで死んだ俺、異世界では魔力の詰まりが見えるらしい 〜最弱Eランクだけど、術式を読み替えて世界の流れを変えていく〜  作者: 好山 雪
第1章 月影の森で目覚める

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第35話 命に請求書を回すな

第七区画から五名を救出した直後、灯り小路の治療所で三人の魔力が急速に失われ始めました。


リク、ボルン、エッダ。


かつて蒼い流れから治療用魔石を受け取った三人です。


黒環会は、その救援を「未返却の貸付」と読み替え、命から魔力を回収しようとしていました。


借りたものは返せ。


一見正しく聞こえる言葉の裏で、返す力のない者から生きる分まで奪ってよいのか。


シュウたちは、治療所へ回された黒い請求を、人が生きられる流れへつなぎ直します。


 灯り小路の治療所へ着いた時、入口には人だかりができていた。


 朝の市場へ向かう途中で足を止めた者。


 水をくみに来た者。


 中に家族がいる者。


 皆、不安そうに窓を見上げている。


「道を空けて!」


 ジノ・バレットが人の間へ入った。


「患者を運ぶ! 見たいのは分かるけど、入口を塞いだら治療師が動けない!」


 普段なら軽口に聞こえる声が、今ははっきりと人を動かしていた。


「壁側へ寄って! 子どもは手を離すな! 荷車は井戸の裏へ!」


 逃げ道を見る力は、危険から離れる時だけのものではない。


 人を通す道を作る時にも使える。


 俺たちは第七区画から救出した五人を、治療所の奥へ運び込んだ。


 白環の治療班がすぐに引き継ぐ。


「黒い流れへ長期間触れています」


 セルヴィス・アルカードが治療師へ言った。


「隔離ではなく、保護区画へ。本人たちの同意なく拘束具を使用しないこと」


 白い外套の治療師が驚いた顔をする。


「しかし、規定では――」


「現場責任者は私です」


 セルヴィスは霜の残る右腕を押さえながら、言い切った。


「判断記録も私の名で残します」


 誰が責任を持つのか。


 それが示されたことで、治療師たちは動き始めた。


 以前のセルヴィスなら、黒い流れを持つ者を先に封じていたかもしれない。


 今は、封じる前に人を見ている。


「シュウ!」


 治療室の奥から、ノア・ルミナスの声がした。


 振り返る余裕もないほど切迫している。


「こちらへ来てください!」


     ◇


 治療室には三つの寝台が並べられていた。


 リク。


 ボルン。


 エッダ。


 三人とも意識はある。


 だが顔色が悪く、唇から血の気が失われていた。


 腕や首筋には、細い灰黒色の線が浮かんでいる。


 まるで身体の内側に、黒い根が張っているようだった。


 ノアはエッダの横で、呼吸と脈を確認している。


「脈が弱くなっています」


 両手を胸元へ当て、白い治癒魔力を流す。


 けれど、光が身体へ入った直後、灰黒色の線に吸い取られた。


「駄目……また持っていかれる」


「治療を増やせませんか」


 セリア・グランツが聞く。


「増やした分まで吸われます」


 ノアは手を離さないまま答えた。


「今は命を保つ最低限だけ流しています。でも、このままでは私の魔力も先に尽きます」


「あたしは後でいいよ」


 エッダがかすれた声で言った。


「若い二人を先にしな」


「三人とも治療します」


 ノアは即座に返した。


「でも、魔石は足りないんだろう」


「足りないから、誰かを後にするとは言っていません」


 声は震えていた。


 それでも、目をそらさない。


「今、止める方法を探しています」


「探してる間に駄目になったら?」


「その時まで手を離しません」


 エッダは何か言おうとして、やめた。


 代わりに、少しだけ笑った。


「あんた、前より言うようになったね」


「皆さんが、言わないと聞かないので」


 ノアの視線が一瞬だけ俺へ向いた。


「なぜ俺を見るんですか」


「心当たりがありませんか」


「あります」


 素直に認める。


 ミラ・フォルネは三人の腕へ順番に測定具を当てていた。


「入口が見つからない」


「身体の中ではない?」


 俺が聞く。


「黒い線はある。でも、外から何かが入っている反応が弱すぎる。遠くから直接吸っているなら、もっとはっきり出るはず」


「出口は?」


「身体の魔力が、どこかへ抜けてる。それ以上は測れない」


 魔流視なら追えるかもしれない。


 そう考えた瞬間、セリアが俺の前へ立った。


「まだ駄目」


「何も言ってません」


「顔が言ってる」


「患者が三人います」


「だから先に、普通に調べる」


 目の奥には、地下で使った反動が残っている。


 ここで深く見れば、必要な時に動けなくなるかもしれない。


「リリアさん、三人の共通点を」


 俺は視線を記録へ向けた。


 リリア・フォルンは、すでに治療所の配給記録を机へ並べている。


「三名とも、最初に治療用魔石を配った対象者です」


「同じ魔石を使った?」


 カレン・ベルシアが尋ねる。


 彼女はベルシア商会から治療用魔石の出庫記録と契約書を持ってきていた。


「いいえ。使用した魔石は別です」


「治療師は?」


「別々です」


「治療日」


「同日ですが、時刻は異なります」


「保証者は?」


 リリアの指が止まる。


「三名とも、蒼い流れの共同保証です」


 カレンが配給票を一枚取った。


「ここです」


 紙の下に、小さな欄がある。


 ――貸与魔力、返却確認。


 空欄だった。


「返却?」


 セリアが眉をひそめる。


「治療用魔石は使い切りではありません」


 カレンが説明する。


「治療後に残った魔力や空の魔石を回収し、工房で再充填します。その物品回収を記録する欄です」


「患者が魔力を返す契約ではない?」


「もちろんです」


 カレンの声が冷たくなる。


「治療を受けた人間の生命力を取り立てる契約など、ベルシア商会は扱いません」


「でも、欄は空白のまま」


 ミラが紙をのぞき込む。


「黒環会は、それを未返却と読んだ?」


「可能性があります」


 記録上、返却確認が終わっていない。


 だから、貸した魔力を回収する。


 紙の意味を勝手に変え、人の命へ請求を回した。


(現場が使う欄と、仕組みが読む欄が違っている)


 前の世界でも、空欄には意味があった。


 未確認。


 対象外。


 単なる記入漏れ。


 それを区別しない仕組みは、空欄をすべて異常として扱う。


 そして最後は、現場へ確認の仕事だけが積み上がる。


「返却済みに書き換えれば止まりますか」


 セリアが聞く。


「紙だけ変えても駄目です」


 リリアが言う。


「黒環会へ送られたのは、組合の記録石に保存された情報です。元の記録を変えても、向こうの写しは残ります」


「では、本当に返せば?」


 ノアが尋ねる。


「何をですか」


「空になった治療用魔石を」


 部屋が静かになる。


「使用済みの石はどこにありますか」


 ノアはエッダの脈を確認しながら続けた。


「患者さんの魔力ではなく、貸し出した物を返せば、記録の出口を変えられませんか」


 ミラが顔を上げる。


「使用済み魔石なら、地下保管庫」


「持ってきます!」


 ジノが扉へ向かう。


「場所分かる?」


「地下は嫌いだけど、治療所の地下なら出口は二つある!」


 嫌いだから把握しているらしい。


     ◇


 ジノが運んできた木箱には、灰色になった魔石が十二個入っていた。


 治療に使われ、ほとんど魔力が残っていない。


 ミラが一個ずつ測定する。


「三人が使った石は、この三つ」


 石の底に、患者の魔力印が薄く残っていた。


 リク。


 ボルン。


 エッダ。


「本来、いつ返却する予定でしたか」


 リリアが治療所の担当者へ聞く。


「今朝、工房へまとめて運ぶ予定でした」


「中央環の起動時刻と同じです」


 黒環会は、空の魔石が返却される前を狙った。


 返却欄が空いている時間。


 記録上は、貸した物が戻っていない。


「返却先の工房は?」


 カレンが聞く。


「北区のフォルネ工房です」


 ミラの実家ではないが、同じ工房組合に属する再充填所だ。


「今から運んでも間に合わない」


 ミラは魔石を並べる。


「それに、向こうの黒い環が紙の返却記録を待つとは思えない」


「石そのものに返却の流れを作れませんか」


 俺は聞いた。


「できなくはない。でも今、石を黒い流れへつないだら、三人から吸われている魔力まで石へ入る」


「それでは同じです」


 ノアが首を振る。


「返すために患者さんを空にしてしまいます」


 借りた量を、今すぐ全部返す。


 相手が生きられるかは関係ない。


 黒環術式が求めているのは、そういう返却だ。


「返却量を変えます」


 俺は言った。


「ゼロにはできない?」


 セリアが聞く。


「ゼロと書き換えれば、向こうは別の経路から取り立てるかもしれません」


「保証者?」


 カレンの表情が険しくなる。


 三人の保証者は、蒼い流れの共同保証。


 患者から取れなければ、運んだ者や保証した者へ流れが移る可能性がある。


「なら、返せる時に返す流れへ変える」


 セリアが言った。


 俺は彼女を見る。


「今すぐ全部じゃなくて、余った分だけ。生活が戻ってから少しずつ」


「それです」


「え?」


「ミラ、空の魔石を一つの返却先ではなく、共同の受け皿にできますか」


 ミラは十二個の魔石を見る。


「三個だけなら、また個人の印を追われる。全部をつないで印を薄めれば……」


「共同備蓄として返す?」


 カレンが続ける。


「個人の債務ではなく、蒼い流れ全体の循環記録にするのですね」


「でも、十二個とも空よ」


 ミラが言う。


「受け皿にしても、黒い環が要求する魔力量には足りない」


「今は空でいいんです」


 俺は配給票を見る。


「返すのは魔力量じゃない。返却先が存在することを伝える」


「黒環術式が認める?」


「認めさせるんじゃなくて、流れの出口を変えます」


 人から抜けている流れを止めるだけではない。


 別の出口へつなぐ。


 空の魔石を共同備蓄として登録し、将来補充される魔力を少しずつ流す。


 今、生きる分は奪わない。


 余った時に戻す。


「返却ではなく、循環です」


 リリアが新しい記録票を取り出した。


「使用者、返却者、保証者を分けるのではなく、共同備蓄へ戻った量を記録する」


「誰が責任を持つんですか」


 治療所の担当者が不安そうに聞く。


「参加者全員です、では曖昧になります」


 俺は答えた。


「記録はリリアさん。物資はカレンさんと工房。患者の安全はノア。術式はミラ。最終判断は俺が持ちます」


「また一人で最後を持つの?」


 セリアが聞く。


「決める責任です。作業を全部持つわけではありません」


 少し前なら、全部自分で背負おうとしたかもしれない。


 今は違う。


 誰が何を受け持つかを明らかにした上で、最後に決める者は必要だ。


「失敗した場合の中止判断は私が持ちます」


 ノアが言った。


 皆が彼女を見る。


「患者さんの脈が危険な状態になったら、作業を止めます」


「止めたら、黒い回収が戻るかもしれません」


「それでも止めます」


 声は小さい。


 けれど迷いはなかった。


「治療の現場では、私が判断します」


「お願いします」


 俺はうなずいた。


     ◇


 十二個の使用済み魔石が、円になるよう床へ並べられた。


 ミラが細い銀線で石同士をつなぐ。


「入口、三つ。変換部、中央。出口、十二個全部」


 工具を当て、一つずつ確認する。


「個人印は消さない。誰の治療に使ったかは記録へ残す。でも、返却要求だけを共同側へ回す」


 カレンは新しい封印紐を用意した。


「ベルシア商会の正規紐です。共同備蓄への移管を保証します」


 リリアが三枚の返却票を一枚の循環票へつなぐ。


「旧記録は消しません。その下へ、黒環術式による不正回収と、共同備蓄への経路変更を追記します」


 ノアは三人の脈を順番に確認した。


「リクさん、弱いですが安定。ボルンさん、やや速い。エッダさんが最も危険です」


「開始できる?」


 ミラが聞く。


「一度だけです」


「途中で止めるかもしれない」


「その時は従います」


 ミラは即答した。


 能力や技術の強い者が、いつも最後を決めるわけではない。


 患者の状態を見ているノアが止める。


 それが、この場の順番だった。


「シュウ」


 セリアが俺の隣に立つ。


「見るの?」


「三人の身体は見ません」


「どこを?」


「使用済み魔石の入口だけです」


 人の中を追えば深くなりすぎる。


 黒い請求が魔石へ切り替わったかだけを確かめる。


「一回」


「はい」


「倒れる前に止める」


「はい」


「返事が素直すぎると、それはそれで不安なんだけど」


「どうすればいいんですか」


「行動で見せて」


「難しい注文ですね」


 それでも、見続けないことならできる。


「始めるわ」


 ミラが中央の変換具へ工具を入れた。


 十二個の魔石が薄く光る。


 三人の身体に浮かぶ灰黒色の線が震えた。


 エッダが苦しそうに息を吐く。


「脈、低下!」


 ノアが叫ぶ。


「まだ入口が切り替わってない!」


 ミラが工具を回す。


「シュウ、今!」


 俺は息を細く吐いた。


 視界の焦点を、魔石の円より少し奥へずらす。


 入口。


 出口。


(流れを見ろ)


 部屋の色が薄くなる。


 三人から伸びた灰黒色の線が、床の下へ吸い込まれている。


 その途中に、十二個の魔石から伸びた青い線が触れていた。


 まだ、つながっていない。


 変換部の向きが逆だ。


 共同備蓄から患者へ送る治療の向きになっている。


「ミラ、中央の変換具を反転! 今は治療側へ向いてる!」


「反転したら、患者から石へ流れる!」


「全部じゃない! 黒い線だけを入口にする!」


「どうやって!」


 灰黒色の線と、患者自身の青い魔力が絡んでいる。


 切り分ける場所。


 身体の外。


 治療記録石に残った、最初の受領印。


「配給票の受領印です!」


「紙?」


 リリアが顔を上げる。


「受領印から黒い線が入ってる! 三枚を循環票の下へ重ねて!」


 リリアは迷わず動いた。


 三枚の配給票を、新しい循環票の下へ差し込む。


 カレンが正規の封印紐で四枚を結ぶ。


「共同移管、保証します!」


 封印紐が青く光った。


 灰黒色の線が患者の身体から離れ、配給票へ移る。


 今だ。


「反転!」


「いく!」


 ミラが変換具を回した。


 黒い請求の流れが、十二個の使用済み魔石へ向きを変える。


 俺はすぐに魔流視を切った。


 目の奥に痛みが走る。


 吐き気が込み上げる。


 床へ手をつく前に、セリアが腕を掴んだ。


「終わり」


「切り替わりました」


「分かってる。だから終わり」


 反論する力も残っていなかった。


「シュウ、座ってください」


 ノアが治療を続けながら言う。


「患者が――」


「患者さんを見ているのは私です」


 はっきり言われた。


「今は座って」


「はい」


 セリアに支えられ、壁際へ座る。


 俺が見なくても、作業は続いている。


「エッダさんの脈、戻り始めました!」


 ノアの声。


「リクさん、黒い線が薄くなっています!」


「ボルンさんも呼吸が安定!」


 白環の治療師たちが報告する。


 十二個の魔石へ灰黒色の線が集まる。


 だが、石から患者の魔力を吸ってはいない。


 空の受け皿へ、返却先だけが移されている。


 床の下で、黒い環が強く引いた。


 使用済み魔石が一斉に震える。


「向こうが拒んでる!」


 ミラが工具を押さえる。


「要求量がゼロだから、経路を戻そうとしてる!」


「補充予定を記録します!」


 リリアが循環票へ書き込む。


「毎日、治療所と工房で余剰魔力を確認。生活維持量を除き、共同備蓄へ補充」


「余剰の基準は?」


 カレンが聞く。


「患者と治療師の安全量をノア様が決定。工房の必要量をミラ様が確認。配分記録を私が公開します」


「ベルシア商会は運搬費を負担します」


 カレンが封印紐へ商会印を押す。


「誰か一人が不足分を負担する契約にはしません」


 循環票が青く光る。


 十二個の魔石を結ぶ線が、円になった。


 黒い流れが、もう一度強く引く。


 青い円は切れない。


 一人の魔力で支えていない。


 記録。


 物資。


 治療。


 工房。


 運搬。


 それぞれの役割をつないだ流れが、要求を受け止めている。


「安定した!」


 ミラが叫んだ。


 灰黒色の線が患者から完全に離れる。


 エッダの腕に浮かんでいた黒い筋が消えた。


 リクが大きく息を吸う。


 ボルンの頬へ、少しずつ色が戻る。


「三名とも脈が戻りました」


 ノアはその場へ座り込みそうになりながらも、最後まで一人ずつ確認した。


「急変なし。魔力の流出、停止」


 その言葉を聞いて、ようやく治療室に息が戻った。


     ◇


「借りたものを返さない仕組みか」


 突然、床に並べた使用済み魔石から男の声が流れた。


 静かで、穏やかな声。


 ヴァルド・グレイム。


 カレンの表情が硬くなる。


 セリアが剣へ手を置いた。


「どこから聞いてる!」


「聞いてはいない。これは記録だ」


 あらかじめ入れられていた音声らしい。


「シュウ・サエキ。あなたなら、回収の流れを変えようとすると思っていた」


 使用済み魔石の一つが黒く光る。


「受けた恩を返す。借りたものを返す。働ける者が、働けない者を支える。社会とは、そうして循環するものだ」


 一部だけ聞けば、間違っていない。


 助けられた者が、余裕を取り戻した後で誰かを助ける。


 それは俺たちが作りたい流れにも近い。


「だが、人は返さない」


 ヴァルドの声が続く。


「返せるようになっても忘れる。自分が受けた分だけを権利と呼び、次の者へ回さない。だから、仕組みが回収しなければならない」


「命を削ってでも?」


 俺は魔石へ向かって言う。


 返事はない。


 ただの記録だ。


「返せるかどうかを、仕組みだけで決めるからです」


 それでも言葉を返す。


「今日食べる分。治療に必要な分。家族を守る分。それを残さずに取り立てたら、次に返す人間そのものがいなくなる」


 前の世界でも、目の前の納期を守るために人を使い切る現場があった。


 今月だけ。


 今回だけ。


 そう言って負荷を前借りする。


 人が倒れた後で、また人手が足りないと言う。


「循環っていうのは、全部を回収することじゃない」


 青い円を見る。


「次も流せる分を残すことです」


 黒く光っていた魔石に亀裂が入る。


 ヴァルドの記録は、最後に短く言った。


「ならば、その仕組みがどこまで耐えられるか、見せてもらおう」


 魔石が割れた。


「また実証のつもり……」


 セリアが低くつぶやく。


「次の回収先があるということです」


 リリアは循環票を調べる。


 黒い流れは止まった。


 だが、紙の下へ細い灰色の文字が浮かんでいる。


「保証先変更」


 リリアが読み上げる。


「個人三名からの回収失敗。共同保証へ移行」


「共同保証は蒼い流れです」


 カレンが言う。


「参加者全員が狙われる?」


 ジノの声が裏返る。


「いいえ」


 リリアが文字を追う。


「代表保証者が指定されています」


 嫌な予感がした。


「誰ですか」


 灰色の文字が、少しずつ濃くなる。


 ――共同保証代表。


 ――シュウ・サエキ。


 偽の緊急指示に使われた俺の名前。


 黒環会は、その偽記録まで保証情報として組み込んでいる。


「シュウ、腕!」


 セリアが叫んだ。


 右手首の皮膚の下に、灰黒色の細い輪が浮かんでいた。


 痛みはない。


 ただ、地下深くから何かに見つけられた感覚がある。


 白環の治療師が測定具を当てる。


「流出は、まだありません」


「まだ?」


「接続先として登録されただけです」


 ミラが循環票と俺の手首を見比べる。


「でも、次に下の環が回収を始めたら、入口はシュウになる」


 セリアが俺の腕を掴んだ。


「切れる?」


 セルヴィスが白い環を取り出す。


「今なら切断できる可能性があります」


「切った場合は?」


 俺が聞く。


「共同保証へ戻り、次の代表者を探すでしょう」


 俺から切れば、別の誰かへ移る。


「なら、今は切らないでください」


「駄目」


 セリアが即座に言った。


「誰かに移るから自分で持つ、は一人で抱えるのと同じ」


「でも、時間は作れます」


「その時間でシュウが倒れたら?」


「まだ流出は始まっていません」


「始まるまで待つ理由になってない」


 強い声だった。


 兄が一人で手動輪へ残った話を聞いたばかりだ。


 同じことを俺にさせるつもりはないのだろう。


「切らずに、分けます」


 ノアが言った。


「三人の回収を共同備蓄へ分けたように、代表保証も一人へ集めない形に変えます」


「可能なの?」


 ミラが聞く。


「今、作った円を使えませんか」


 床には十二個の魔石を結ぶ青い線が残っている。


「すぐには無理」


 ミラは正直に答えた。


「代表者を分けるなら、蒼い流れの参加者が同意して、自分の役割を登録し直す必要がある」


「何人?」


 リリアが参加者名簿を開く。


「現在、四十七名です」


 四十七人。


 一人ずつ説明し、同意を得る。


 時間がかかる。


 だが、勝手に名前を使えば、黒環会と同じになる。


「全員に説明します」


 俺は言った。


「時間がありません」


 セルヴィスが俺の手首を見る。


「下層環の次の起動時刻を確認すべきです」


 リリアが灰色の文字の続きを読む。


「次回回収」


 治療室の全員が息を止める。


「正午です」


 窓の外では、朝の市場が開き始めている。


 正午まで、残り五時間。


 四十七人へ事情を説明する。


 共同保証を、一人へ押しつけない仕組みに作り直す。


 その上で、地下の下層環を止める。


 俺は右手首の灰黒色の輪を見る。


 命へ回された請求書は、三人から離れた。


 けれど、破棄されたわけではない。


 ただ、次の机へ回されただけだ。


(なら、誰かの机で止めるんじゃない)


 請求の意味そのものを変える。


 助けられた人が、余裕を取り戻した時に次の人を助ける。


 返せない者を責めず、返せる者だけに無理をさせない。


 誰か一人の命を担保にしない流れへ。


「正午までに、四十七人を集めます」


 俺は立ち上がろうとした。


 すぐに足から力が抜ける。


 セリアに肩を押さえられ、そのまま座らされた。


「その前に、十分休む」


「五時間しかありません」


「だから十分だけ」


「でも――」


「休むのも工程に入れて」


 返す言葉がなかった。


「……分かりました」


「よろしい」


 セリアは俺の右手首から手を離さなかった。


 灰黒色の輪は、まだ細い。


 けれど、正午へ向かって、少しずつ濃くなり始めていた。



第35話を読んでいただきありがとうございます。


今回は、治療用魔石を受け取ったリク、ボルン、エッダの三名から、黒環術式が魔力を回収しようとする回でした。


黒環会は、治療用魔石の配給票にある「返却確認」の空欄を未返却と読み替え、物品ではなく患者の生命力へ請求を回しています。


治療魔力を追加しても、その分まで吸収されるため、ノアは三人の命を保つ最低限の治療しか行えませんでした。


シュウたちは、使用済みの治療用魔石十二個を共同備蓄として接続します。


患者個人から魔力を回収するのではなく、生活や治療に必要な分を残した上で、将来の余剰分を共同備蓄へ少しずつ戻す「返却ではなく循環」の仕組みです。


リリアが記録、カレンが物資と商会保証、ミラが術式、ノアが患者の安全判断を担当し、誰か一人がすべてを背負わない形で黒い請求の出口を変えました。


三名の魔力流出は止まり、容体も安定しています。


しかし黒環術式は、個人三名からの回収に失敗したため、共同保証の代表者へ請求先を変更しました。


偽の緊急指示に名前を使われていたシュウが代表保証者として登録され、右手首には灰黒色の輪が現れています。


シュウ一人から切断すれば、請求は別の参加者へ移ります。


そこで蒼い流れに参加する四十七名へ事情を説明し、同意を得た上で、一人へ集中しない共同保証へ作り直す必要が生まれました。


次の魔力回収は正午。


残り五時間で四十七名の同意と役割をつなぎ、地下の下層環を止められるのか。


次回は、危険を分けることと押しつけることの違いをめぐり、蒼い流れの参加者たちが初めて自分たちの意思で大きな決断をします。

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