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納期遅れで死んだ俺、異世界では魔力の詰まりが見えるらしい 〜最弱Eランクだけど、術式を読み替えて世界の流れを変えていく〜  作者: 好山 雪
第1章 月影の森で目覚める

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第34話 封印の向こうで続いた夜勤

六年前に白環によって封鎖された第七区画。


その向こうから、生存を知らせる信号が届きました。


しかし、封印をそのまま外せば、地下深くで目覚めた黒い環の濁りがアルメリアへ噴き出します。


扉の向こうには何人いるのか。


どの流れを先に止め、誰から逃がすのか。


そして、二千百九十一日もの間、「L・G」の名で続けられてきた反対制御とは何だったのか。


シュウたちは、封印の向こうで終わらなかった夜勤を引き継ぎます。


 白い封印の向こうから、金属を叩く音が続いていた。


 短く二回。


 長く一回。


 少し間を置いて、三回。


 夜勤長のバルト・ネインは青い管へ耳を当て、目を閉じている。


「何と言っていますか」


 セリア・グランツが聞いた。


「待て」


 バルトは指で回数を数える。


「古い作業符号だ。俺も全部覚えているわけじゃない」


「急いで」


「急かすと数を間違える」


 セリアが唇を噛んだ。


 兄レオンの登録記号が、六年間続いた反対制御の記録に残っていた。


 封印の向こうには、今も人がいる。


 すぐにでも扉へ手をかけたいはずだ。


 それでも彼女は剣を握り、踏み出さずに待っていた。


「分かった」


 バルトが顔を上げる。


「向こう側の圧が高すぎる。封印を外すな。先に逃がし弁を開けろ、と言っている」


「逃がし弁の場所は?」


 ミラ・フォルネが古い設備図を広げる。


「図面にない」


「第七区画は封鎖時に記録から削除されています」


 リリア・フォルンも携帯記録板を確認する。


「白環側の封鎖記録には、区画の内部構造が添付されていません」


「意図的に消されたのですか」


 俺が聞くと、セルヴィス・アルカードが白い封印を見つめたまま答えた。


「断定はできません。ただし、通常の封鎖記録なら内部見取図を残します」


「通常じゃなかった?」


 ジノ・バレットが少し離れた場所から言う。


 彼は逃げ道を確認しながら、拘束したハインも見張っていた。


「何かあった時に、どこへ逃げればいいか分からない記録って、記録する意味ある?」


「ありません」


 リリアが即答した。


「封鎖を正当化するためだけの記録であれば、現場記録とは呼べません」


 セルヴィスの眉がわずかに動く。


 だが、反論はしなかった。


 白い封印の下から、灰黒色の光がまた漏れる。


 床の亀裂が少し広がった。


 ごうん。


 地下深くで、別の環が回る。


 こちらの中央環よりも低く、重い音だった。


「話している時間は少ないわ」


 ミラが測定具を封印へ当てる。


「内側の魔力圧が上がってる。何もしなくても、いずれ封印が割れる」


「完全切断します」


 セルヴィスが白い小環を取り出した。


「第七区画から地上へつながる流れを閉じれば、噴出は防げます」


「中の人は?」


 セリアの声が低くなる。


「封印を維持したまま、別の救出路を――」


「図面にない区画から、どうやって探すの」


「探索します」


「何日かかる?」


 セルヴィスは答えなかった。


 今の圧では、何日も待てない。


 かといって封印を外せば、黒い流れがこちらへ噴き出す。


「切るか、開けるかの二つにしないでください」


 俺は言った。


「では、どうするのです」


「少しだけ開けます」


 セルヴィスが俺を見る。


「白環封印は、完全閉鎖を目的とした術式です」


「中央環も、全部を同時に止めるための設備でした」


「同じではありません」


「でも、一つの動作しか想定していない点は同じです」


 閉じるか、開くか。


 動かすか、止めるか。


 その間がなければ、現場はいつも極端な判断を迫られる。


(前の世界でも、よくあったな)


 設備を動かすなら百パーセント。


 止めるなら全停止。


 一部だけ減らしたいと言っても、制御が対応していない。


 結局、人が無理をして調整する。


「封印に点検口はありませんか」


 俺が尋ねると、セルヴィスは白い金属板の外周を見た。


「通常はありません」


「通常では?」


「封印は五つの固定点で支えています。一つだけ緩めれば、わずかな隙間を作ることは可能です」


「できるんじゃないですか」


「封印強度が崩れます」


「残り四つで支えられる時間は?」


「内圧次第です」


 ミラが測定具を見る。


「今のままなら百息。内側で圧を下げてもらえれば、三百息くらい」


「三百息あれば、人を通せますか」


 ジノが封印の大きさを測るように見る。


「隙間がどれくらいかによる。俺なら通れるかもしれない」


「また俺なら、ですね」


「好きで細いんじゃないからな」


「でも、助かっています」


「そう言われると断りにくいんだよ」


 口では文句を言いながら、ジノは腰の短剣と縄を確認している。


「まず、向こうと手順を合わせます」


 俺はバルトを見る。


「内圧を下げられるか聞いてください」


「やってみる」


 バルトが締め具で青い管を叩く。


 短い音と長い音。


 何度か送り直し、向こうから返事が届く。


「下層弁を三十呼吸だけ閉じられるそうだ」


「三十?」


「それ以上閉じると、向こうの排水路があふれる」


 短い。


 だが、封印へ点検口を作る時間にはなる。


「救出する人数を聞いてください」


 再び信号を送る。


 返ってきた音を数えたバルトの顔が曇った。


「五人だ」


「夜勤表では十二人でした」


 リリアが言う。


「六年間だ」


 バルトは低く答えた。


「全員が残っているとは、俺も思っていなかった」


 セリアは何も言わない。


 五人の中にレオンがいる可能性。


 七人の中に含まれている可能性。


 今は、どちらも聞けなかった。


「救出順を決めます」


 俺は言った。


「歩けない人から。次に、封印の構造が分かる人。最後に向こうの弁を操作する人」


「最後の者が間に合わなければ?」


 セルヴィスが聞く。


「二回に分けます」


「封印が二度の開放に耐える保証はありません」


「一人を残す前提で計画を組まないでください」


 言葉が少し強くなった。


 セルヴィスは黙って俺を見る。


「一回で全員を出す方法を探します。それが無理だと分かってから、次を考えます」


「……承知しました」


 短い返事だった。


 以前なら、合理性を理由に最後の一人を切り離したかもしれない。


 今は少なくとも、探す時間を認めている。


     ◇


 封印を開く準備が始まった。


 ミラは白い金属板へ測定針を当て、五つの固定点を確認する。


 セルヴィスは白環術式を重ね、内圧が変わっても残り四点へ力が偏らないよう調整する。


 バルトは管を叩き、向こう側へ作業の開始時刻を送る。


 リリアは一つずつ記録する。


「点検口開放予定、第三鐘から百二十七息後。内側下層弁、三十呼吸閉鎖。救出予定五名」


「俺は?」


 ジノが聞く。


「先行確認者です」


「もう少し格好いい名前ない?」


「狭所先行確認者」


「長くなっただけだろ」


「記録上は正確です」


「じゃあ、それでいい」


 諦めが早い。


 セリアは点検口を開いた後、金属板が急に外れないよう剣の腹で支える。


 俺は封印の流れを確認する役だ。


 ただし、目の奥には第33話から続く痛みが残っている。


 吐き気も完全には消えていない。


「シュウ」


 セリアが俺の顔をのぞき込む。


「今、痛みは?」


「少しあります」


「吐き気」


「少し」


「足に力は?」


「戻っています」


「見るのは?」


「固定点の入口と、内側の出口だけ」


「一回」


「はい」


「深く追わない」


「はい」


「私が止めたら止める」


「それは状況を――」


「止める」


「……はい」


 セリアは満足したようにうなずく。


「よろしい」


「ノアみたいになってきましたね」


「シュウを見てると、みんなこうなるんだよ」


 否定できないのがつらい。


 バルトが管へ最後の信号を送る。


 向こうから、三回、二回。


「準備完了だ」


 ミラが工具を構える。


「始めるよ」


 俺は細く息を吐いた。


 視界の焦点を、白い封印より少し奥へずらす。


 魔力の入口。


 出口。


(流れを見ろ)


 色が薄くなる。


 白い封印は、一枚の板ではなかった。


 五つの白い流れが互いに支え合い、内側の灰黒色の濁りを押さえている。


 右下の固定点だけ、流れが細い。


 だが、その奥に灰黒色の塊が引っかかっている。


 単に緩めれば、その濁りが点検口から噴き出す。


「右下で合っています。でも、奥に詰まりがある」


「大きさは?」


 ミラが聞く。


「人の頭くらい。固定点と内側の管の間」


「先に崩す?」


「崩したら、こっちへ来ます」


 出口を探す。


 詰まりの下。


 細い排出溝がある。


 白環の力で塞がれている。


「セルヴィスさん、右下の固定点を外す前に、その下の白い線を少し緩めてください」


「そこは封印の漏出防止線です」


「詰まりを下へ落とす道にします」


「黒い濁りが下層へ戻ります」


「向こう側の人に当たりますか」


 焦点をさらに下へ動かしかける。


「シュウ」


 セリアの声がした。


 深く追うな。


 約束を思い出す。


「分かりません」


 俺は正直に答え、魔流視を切った。


 目の奥がずきりと痛む。


 胃の中が持ち上がる。


 膝をつく前に、セリアが肩を支えた。


「ここまで」


「でも、排出先が――」


「向こうへ聞けばいい」


 バルトがすぐに信号を送る。


 詰まり。


 右下。


 排出溝。


 向こうから返事が来た。


「落としていいそうだ。下で受ける」


 俺が見続ける必要はなかった。


 場所を伝えれば、向こうの人が判断できる。


「記録します」


 リリアのペンが動く。


「魔流視、発動一回。範囲、右下固定点。症状、眼痛、吐き気、軽度脱力。追加確認は内部作業員への信号照会で代替」


「最後の一文、大事ですね」


「はい。能力を使わずに確認できた事例として残します」


 次に同じことが起きた時、俺がいなくても作業できる。


 それが記録を残す意味だ。


「作業を続けるわ」


 ミラが右下の固定点へ工具を入れる。


「セルヴィス、漏出防止線を一段だけ緩めて」


「一段です」


「二段はやらない」


 セルヴィスの白い環が回る。


 封印の下に、指一本分の隙間ができた。


 灰黒色の泥のような塊が、そこから下へ落ちる。


 封印の内側で、何かを受け止める金属音がした。


 向こうから信号。


「詰まり、回収」


 バルトが読み上げる。


「よし。固定点を外す!」


 ミラが工具を引いた。


 右下の白い光が消える。


 封印が大きく震えた。


「セリア!」


「支える!」


 セリアが剣の腹を白い金属板へ当てる。


 短く息を吸い、足裏で床を掴む。


 内側から押す力を正面で受けず、床へ流す。


「今、隙間を!」


 ミラが薄い金属楔を差し込む。


 人の腕が入るほどの点検口が開いた。


 冷たい空気と、長く閉ざされていた匂いが流れ出す。


 湿気。


 薬草。


 錆。


 そして、人が暮らしてきた匂い。


「行ってくる!」


 ジノが身体を横にし、隙間へ入る。


「縄を離さないで!」


 セリアが言う。


「分かってる! 離したら帰れなくなるの、俺が一番分かってる!」


 足が封印の向こうへ消える。


     ◇


 待つ時間は短いはずなのに、長く感じた。


 封印の内側から、黒い環の振動が続いている。


 セリアの腕が震える。


 白い金属板を支え続けているからだけではない。


 この向こうに、兄の六年間を知る人がいる。


 縄が二度引かれた。


「合図です!」


 俺とバルトで縄を引く。


 最初に出てきたのは、ジノではなかった。


 やせ細った老女だった。


 右脚に木の添え具を巻き、ジノに背中を押されている。


「ゆっくり!」


 セリアが片手を伸ばし、老女の腕を掴む。


 点検口から引き出す。


 老女は床へ横になり、荒い息を吐いた。


「一人目、救出」


 リリアが時刻と状態を記録する。


「名前を聞けますか」


「トーラ……メイゼン」


 かすれた声だった。


 バルトが目を見開く。


「トーラ」


「遅いよ、バルト」


 老女は弱く笑った。


「六年も交代に来ない夜勤長があるかい」


 バルトが膝をつく。


「すまん」


 それしか言えなかった。


「謝るのは後だ。まだ四人いる」


 トーラが点検口を見る。


 次に若い男が出てきた。


 続いて、片腕を布で吊った中年の男。


 三人目。


 四人目は、十代後半に見える少女だった。


 封鎖された当時は、まだ子どもだったはずだ。


「中で生まれたのですか」


 リリアが聞くと、少女は首を振った。


「封鎖された時、十一歳でした」


 六年間。


 地上へ出ないまま、大人になった。


「食料はどうしていたんですか」


「旧備蓄庫と、地下川の魚。光苔も食べられます」


「出口はなかった?」


「小さな排気坑なら」


「では、なぜ」


 少女は自分の左腕を見せた。


 皮膚の下に、薄い灰黒色の線が浮かんでいる。


「これを持って地上へ出れば、黒い流れも一緒に出ると言われました」


 自分たちが出れば、街を汚染する。


 だから、出られる道を見つけても残った。


「誰に言われたんですか」


 少女の視線がセリアへ向く。


「レオンさんです」


 セリアの呼吸が止まった。


 白い金属板が少し傾く。


「セリア!」


 俺が呼ぶ。


 彼女はすぐに足を踏み直した。


「大丈夫」


 大丈夫なはずはない。


 それでも、今は封印を支える手を離せない。


「レオン・グランツを知っているの?」


「はい」


「兄は……いつまで、ここにいたの」


 少女は答えようとした。


 その時、点検口の奥からジノの叫び声が聞こえた。


「最後の一人が動かない!」


 残り一人。


 内側の弁を操作している者だ。


「何が起きてる!」


 バルトが管を叩く。


 返事はない。


 代わりに、地下深くの黒い環が強く脈打った。


 ごうん。


 点検口から灰黒色の光が噴き出す。


「内圧が上がる!」


 ミラが叫ぶ。


「残り四点が保たない!」


「閉じます!」


 セルヴィスが白い環を回す。


「ジノが中です!」


「このままでは封印全体が破裂します!」


 閉じれば、ジノと最後の一人が残る。


 開けたままでは、黒い濁りが噴き出す。


 また二つの選択肢しかないように見える。


「閉じるんじゃなくて、狭くしてください!」


 俺は叫んだ。


「人が通れなくても、縄だけ残る幅に!」


「点検口の形が崩れます」


「セリアが支える!」


「勝手に決めないで!」


 セリアが言う。


「でも、やる!」


 剣の角度を変える。


 セルヴィスが白い環を回し、点検口を半分まで狭める。


 灰黒色の噴出が弱くなった。


「ジノ! 縄を最後の人へ結べ!」


「もう結んでる!」


「何が動かないんですか!」


「足じゃない! 向こうの操作輪を離さないんだ!」


 最後の一人が内側の弁を離せば、黒い流れが全開になる。


 本人を引けば、区画全体が危険になる。


「代わりに操作輪を固定できないの?」


 ミラが聞く。


「何か挟めば!」


「何かって何だよ!」


 バルトが自分の締め具を見る。


 長年、地下水路で使ってきた鉄の工具。


 彼は迷わず点検口へ差し込んだ。


「ジノ! これを使え!」


「届かない!」


 点検口が狭すぎる。


 セリアが歯を食いしばる。


「少しだけ広げる!」


「内圧が!」


「三息で戻す!」


 セルヴィスが白い環を緩める。


 セリアが剣で金属板を押し上げる。


「一!」


 バルトが締め具を奥へ投げ入れる。


「二!」


 中で金属を受け取る音。


「三!」


 封印を狭める。


 点検口から黒い光が細く噴き出し、セリアの頬をかすめた。


「セリア!」


「かすっただけ!」


 内側で、締め具を操作輪へ差し込む音がした。


「固定した!」


 ジノの声。


「引いてくれ!」


 俺とバルトが縄を掴む。


 リリアも記録板を置き、加わった。


「引きます」


「リリアさんも?」


「手は二本あります」


 どこかでノアが言った言葉と同じだった。


「せーの!」


 三人で縄を引く。


 重い。


 点検口の奥で、身体が石床を擦る音がする。


 ジノの腕が出た。


 続いて、作業着を着た男の肩。


「もう少し!」


 セリアの足元の石が割れる。


 セルヴィスの白い環が震える。


 ミラが残り四つの固定点へ工具を当て、力を分散させる。


「今!」


 最後に強く引く。


 ジノと男が重なるように、こちら側へ転がり出た。


「全員離れて!」


 セルヴィスが点検口を閉じる。


 ミラが右下の固定点を戻す。


 セリアが剣を引いた。


 白い金属板が元の位置へ収まる。


 直後、内側から大きな衝撃が来た。


 白い封印全体が膨らむ。


「固定!」


 セルヴィスの白い光が五点をつなぐ。


 セリアは剣の腹で中央を押さえる。


 ミラが右下の流れを調整する。


 バルトは最後の力で締め具の代わりに予備棒を差し込んだ。


 封印の震えが、少しずつ弱くなる。


 やがて、灰黒色の光が隙間から消えた。


「再封鎖、完了」


 セルヴィスの声がかすれていた。


 右腕だけでなく、首元まで白い霜が上がっている。


「セルヴィスさん、座ってください」


「まだ確認が――」


「座って」


 セリアが睨む。


「……承知しました」


 素直だった。


     ◇


 最後に救出された男は、しばらく咳き込んでいた。


 年齢は四十代後半ほど。


 髪も髭も伸び、顔には深い疲れが刻まれている。


 胸元には、古い金属札が下がっていた。


 ――L・G。


 セリアの視線が、その札へ吸い寄せられる。


「それは……」


 男は札を握った。


「レオンの操作札だ」


「あなたが、兄の名前で反対制御を?」


「俺だけじゃない」


 男は救出された四人を見る。


「動ける者が交代で使った。この札でなければ、古い中央環が操作を受け付けなかった」


「兄は?」


 誰もすぐには答えなかった。


 セリアは待った。


 急かさない。


 けれど、剣を握る指が白くなっている。


 最初に救出されたトーラが、ゆっくり身体を起こした。


「レオンは、封鎖された日に死んだんじゃない」


 セリアの目が揺れる。


「二年、生きた」


「二年……」


「封鎖の下に旧備蓄庫があることを見つけた。食料を分け、地下川の水を濾す方法を考え、黒い流れが地上へ出ないよう反対制御を作った」


 トーラは白い封印を見る。


「あの男がいなければ、あたしたちは最初の冬を越せなかった」


「では、兄はどうして」


「二年目に下の環が暴走した」


 地下深くから、低い振動が届く。


 ごうん。


「誰かが手動輪を回し続けなければ、黒い流れが地上へ上がる状態になった。レオンは一人で残った」


 セリアの唇が震える。


「また、一人で」


「あたしたちが戻った時には、もう立てなかった」


 トーラの声も震えていた。


「最後まで、手は輪から離していなかったよ」


 男が胸元の操作札を外す。


「その後は、俺たちが引き継いだ」


「六年間、毎日?」


「一日でも止めれば、上へ流れる」


 誰にも見られず。


 誰にも評価されず。


 夜勤表では死んだことにされ。


 それでも、地上の人々が知らない場所で作業を続けてきた。


 灯り小路の井戸も、南区の排水も、その作業に守られていた。


「兄は、最後に何か言いましたか」


 セリアが尋ねた。


 トーラは少し考える。


「謝っていた」


「謝る?」


「妹に、帰ると約束したのに守れなかった、と」


 セリアの目から、一筋だけ涙が落ちた。


「馬鹿」


 小さな声だった。


「そんなの……私に直接言いなさいよ」


 誰も慰めようとはしなかった。


 今は、悲しむ時間を奪わない方がいい。


 俺は彼女の隣に立った。


 触れるべきか迷い、結局、少し近くへ立つだけにした。


 セリアは涙を拭わず、こちらを見る。


「何か言って」


「何を言えばいいか分かりません」


「そこは正直なんだ」


「すみません」


「謝らなくていい」


 セリアは少しだけ息を吐いた。


「そこにいて」


「はい」


 それならできる。


 男がレオンの操作札を差し出した。


「これは、あんたが持つべきだ」


 セリアはすぐには受け取らなかった。


「皆さんが使っていた物です」


「もう反対制御には使えん」


「どうして?」


「下の環が、操作権を奪った」


 男の顔が険しくなる。


「三日前、黒い手袋の男が下層へ来た」


「ヴァルド・グレイム?」


 俺が聞く。


「仲間はそう呼んでいた」


 ヴァルドは、白環の封印とは別の道から第七区画へ入った。


 夜勤者たちが知らなかった、さらに深い搬送路。


「何をしたんですか」


「レオンが作った反対制御の図面を持っていった」


「止めなかったの?」


 セリアの声に怒りが混じる。


 男は顔を伏せた。


「五人とも、黒い拘束輪をつけられた。逆らえば下層弁を開くと言われた」


 逃げられなかった。


 また、流れを守ろうとする人間の責任を利用された。


「ヴァルドは何と言っていました」


 リリアが尋ねる。


「失敗した仕組みにも、使える部分はある、と」


 ヴァルドらしい言葉だった。


「レオンの反対制御を、何に使うつもりですか」


「黒い環の流れを止めるためじゃない」


 男が答える。


「逆向きに流して、人から魔力を回収するためだ」


 ミラが救出者の腕に浮かぶ灰黒色の線を調べていた。


 その手が止まる。


「回収対象は?」


「すでに黒環術式へ触れた者。治療用魔石を使った者。補助環の近くにいた者」


 胸の奥が冷たくなる。


 組合から黒環会へ送られた記録。


 すべては止められなかった。


 最初に治療用魔石を届けた三人の名前が流出している。


 リク。


 ボルン。


 エッダ。


「いつ始まるんですか」


 俺が聞く。


「中央環が止まった時に、下の環が起動するよう設定されていた」


 すでに動いている。


 ごうん。


 足元の亀裂から、灰黒色の光が強くなる。


 リリアの携帯記録石が震えた。


「地上から緊急連絡です」


 淡い文字が浮かぶ。


 灯り小路。


 治療所。


 患者三名に、原因不明の魔力低下。


 氏名。


 リク。


 ボルン。


 エッダ。


「もう始まっています」


 リリアの声が低くなる。


 セリアがレオンの操作札を握った。


 涙を拭い、呼吸を整える。


「兄さんの仕組みを使って、人の魔力を奪ってるんだね」


「はい」


「だったら、取り返す」


 怒りに任せた声ではなかった。


 痛みを抱えたまま、次にやることを決める声だった。


「シュウ」


「地上へ戻ります」


 俺は答えた。


「三人の流れを先に切る。その後で、下の環へ入る道を探します」


「第七区画は?」


「五人を治療へ。封印は内圧を監視しながら維持します」


 セルヴィスを見る。


 彼は霜の残る腕を押さえながら、うなずいた。


「白環の治療班へ連絡します。彼らを汚染対象ではなく、救出者として扱わせます」


 以前なら、黒い流れを持つ者として隔離したかもしれない。


「いいんですか」


「六年前の誤りを、同じ手順で繰り返すつもりはありません」


 白い封印の前で、セルヴィスははっきり言った。


 リリアがその言葉も記録する。


「戻ろう」


 ジノが立ち上がった。


 服は破れ、腕には擦り傷がいくつもある。


「俺、今日だけで狭い穴に入りすぎてない?」


「大活躍です」


 俺が言う。


「もっと言って」


「本当に助かりました」


「よし。じゃあ歩ける」


 単純だが、それで足が動くなら何度でも言う。


 救出者たちを支え、俺たちは中央制御室を離れた。


 背後では、白い封印が灰黒色の光を押さえている。


 その下で、二つ目の黒い環が回っている。


 封印の向こうで続いていた六年間の夜勤は、ようやく交代できた。


 けれど、レオンが守るために作った反対制御は、今、人の命を吸い上げる仕組みへ読み替えられている。


(ヴァルド・グレイム)


 俺は冷たい石段を上りながら、その名を心の中で呼んだ。


(人を守るための流れを、人から奪う流れに変えたままにはしない)


 地上では、守ったはずの朝が始まっている。


 その光の下で、三人の命が静かに吸い上げられようとしていた。



第34話を読んでいただきありがとうございます。


今回は、白環によって封鎖された第七区画へ点検口を作り、六年間取り残されていた五名を救出する回でした。


封印をすべて外せば、地下深くの黒い環から濁った魔力が噴き出します。


そこでシュウたちは、内側の作業員と水管の信号で手順を共有し、五つの固定点のうち一つだけを外して、小さな救出口を作りました。


シュウは魔流視で固定点の入口と詰まりだけを確認し、排出先については内側の作業員へ問い合わせています。


能力を使い続けず、現場の知識と記録で補った事例として、リリアも残しました。


救出された五名は、地上へ出ることで黒い流れを広げる危険を知り、自ら第七区画へ残って反対制御を続けていました。


「L・G」は現在の生存者の名前ではなく、レオン・グランツの操作札を交代で使用していた記録です。


レオンは封鎖された後も二年間生き、備蓄庫や地下川を利用して作業員たちを守りました。


そして下層の黒い環が暴走した際、反対制御の手動輪を回し続けて命を落としています。


セリアは兄が帰らなかった本当の理由と、最後まで自分への約束を気にかけていたことを知りました。


一方、ヴァルドは三日前に別の地下道から第七区画へ入り、レオンが作った反対制御の図面を奪っています。


本来は黒い流れを押し返すための仕組みが、黒環術式へ触れた人々から魔力を回収する流れへ読み替えられました。


その最初の対象は、組合から情報が流出していたリク、ボルン、エッダの三名です。


次回は、地上で始まった魔力回収を止めるため、シュウたちが治療所へ急ぎます。


レオンの仕組みを読み替えたヴァルドと、それを元の「守る流れ」へ戻そうとするシュウの対決が始まります。


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