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納期遅れで死んだ俺、異世界では魔力の詰まりが見えるらしい 〜最弱Eランクだけど、術式を読み替えて世界の流れを変えていく〜  作者: 好山 雪
第1章 月影の森で目覚める

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第33話 止める順番を間違えるな

朝の一番鐘まで、残り四十分。


黒環大循環の中央環は、アルメリアの水、魔力、物資、記録を一つの命令で動かそうとしていました。


けれど、中央環を力ずくで壊せば、黒環会だけでなく、治療所や共同井戸、地下水路まで止まってしまいます。


動いている設備を安全に止めるには、止める順番がある。


シュウたちは街の朝を守るため、巨大な黒い環が待つ中央制御室へ踏み込みます。


そして、六年前に封鎖された第七区画から、今も青い流れを送り続けている者の存在へ近づいていきます。



 中央制御室の鉄扉は、低い唸りを上げていた。


 扉の向こうでは、巨大な歯車が回り始めている。


 ごうん。


 ごうん。


 音が鳴るたび、壁に刻まれた六つの円が黒く染まっていく。


 一番鐘まで、あと四十分。


「右上の環だったわね」


 ミラ・フォルネが脚立もない壁へ手を伸ばした。


 扉を固定している術式の入口。


 先ほど魔流視で確認した場所だ。


「セリア、持ち上げて」


「人を道具箱みたいに言わないで」


 文句を言いながらも、セリア・グランツはミラの前で腰を落とした。


「肩、借りるよ」


「最初からそう言って」


 ミラがセリアの肩へ片足を乗せる。


 セリアは短く息を吸い、足裏で濡れた石を掴んだ。


 力が足から腰へ通る。


 ふらつきはない。


「もう少し右」


「どっちから見て?」


「私から見て」


「先に言ってよ」


「今言った」


「そういうところ、シュウと似てきたよ」


「それ、褒めてる?」


「たぶん違うと思います」


 俺が答えると、二人から同時に見られた。


「シュウは黙ってて」


「はい」


 こんな時なのに、少しだけ息が戻る。


 張り詰めたままでは、手元を間違える。


 ミラは細い工具を右上の環へ差し込んだ。


「セルヴィス。流れが漏れたらお願い」


「承知しました」


 セルヴィス・アルカードが白い小環を構える。


 先ほど水門を押さえた右腕には、まだ薄く霜が残っていた。


「本当に腕は大丈夫ですか」


「作業に支障はありません」


「痺れは?」


「残っています」


「では、無理はしないでください」


「あなたに言われるとは思いませんでした」


「俺もです」


 セルヴィスは返事をせず、白い環へ視線を戻した。


 ミラが工具をひねる。


 金属板の奥で、小さな爪が外れる音がした。


「一つ目、解除」


 扉の中央から灰黒色の光が噴き出した。


「白環固定」


 セルヴィスの小環が白く光る。


 灰黒色の流れが、扉の前で薄い輪に押さえ込まれた。


「二つ目を外す!」


 ミラが別の工具を入れる。


 セリアの肩へ力がかかる。


 それでも彼女は動かない。


「三、二、一――今!」


 ミラが工具を引いた。


 鉄扉の中で、何本もの鎖が落ちる。


 ごとり。


 扉が指一本分だけ開いた。


 隙間から熱い風が吹き出す。


 湿った地下道には似合わない、乾いた熱だった。


「開けます」


 俺が扉へ手をかけようとすると、セリアに袖を掴まれた。


「先に触らない」


「でも、入口は切りました」


「入口が一つとは限らないでしょ」


 正しい。


 俺たちは、すでに何度もそれを見てきた。


「私が確認する」


 ミラが測定具を隙間へ差し込んだ。


 小さな針が何度か揺れる。


「拘束術式なし。毒性の煙も今のところなし。ただし、中の魔力圧が高い」


「逃げ道は?」


 ジノ・バレットが聞く。


「入って右側に保守通路があるはずだ」


 夜勤長のバルト・ネインが古い図面を広げる。


「ただし、二十三年前の図面だ。残っている保証はない」


「二十三年前……俺より年上の逃げ道か」


「お前よりは頼りになるかもしれん」


「初対面でひどくない?」


 ジノは口を動かしながらも、扉の隙間を見続けていた。


 怖い時ほど早口になる。


 だが、足は下がっていない。


「扉を開くぞ」


 バルトが反対側へ手をかける。


 俺とセリアも加わった。


「ゆっくりです」


 リリア・フォルンが背後から言う。


「開放時刻も記録します」


「こんな時まで?」


 ジノが聞く。


「こんな時だからです」


 鉄扉が、床を擦りながら開いていく。


 中央制御室の全景が現れた。


     ◇


 部屋というより、地下に作られた工場だった。


 三階建ての建物が収まりそうな空間。


 中央には、黒い金属でできた巨大な環が立っている。


 環の直径は十メートルを超えていた。


 その周囲を無数の歯車と管が取り囲んでいる。


 六方向から伸びた水路と魔力管が、黒い環へつながっていた。


 東門。


 北区。


 南市。


 灯り小路。


 冒険者組合。


 ベルシア商会。


 壁の刻印を見なくても、どの線がどこへ続いているか分かった。


 これまで追ってきた場所ばかりだ。


(全部、ここへ集めるつもりだったのか)


 巨大な環の内側には、黒い液体のような魔力が薄く回っていた。


 まだ満ちてはいない。


 けれど、朝の一番鐘に合わせて街中の魔道具が動き出せば、一気に流れ込むのだろう。


「来たか」


 環の下から男の声がした。


 ハイン・ドルク。


 蒼い流れへ偽の登録で入り込み、ベルクとソマを地下記録庫へ誘導した男だ。


 組合で見た登録画より、実物はずっと痩せていた。


 頬はこけ、左目の下には古い傷がある。


 その手には、黒い操作棒が握られていた。


「待っていたんですか」


 俺が聞くと、ハインは鼻で笑った。


「まさか。ここまで早いとは思わなかった」


「それなら止めてください」


「何を」


「中央環です」


「止めたら、南区の排水も灯り小路の井戸も止まるぞ」


「止め方を変えます」


「できると思っているのか」


 ハインは操作棒で巨大な環を示した。


「街の連中は、今まで何度も決められなかった。水路は誰が直す。費用は誰が出す。荷が遅れた責任は誰が取る。会議を開いて、紙を回して、判を待つ。その間に現場だけが腐っていく」


 バルトの顔が険しくなる。


「だからヴァルド様は、一つにまとめる」


「一人が全部を決めるんですか」


「一人が決めなければ、誰も決めない」


「その一人が間違ったら?」


「少なくとも、何も決まらないよりはましだ」


 迷いのない声だった。


 ハインは黒環会の大義を深く信じているわけではないのかもしれない。


 決めない人間。


 責任を避ける仕組み。


 その中で何度も取り残され、決めてくれる者へ乗った。


「蒼い流れだって、確認する人間を増やしたそうじゃないか」


 ハインが言う。


「記録担当、物資担当、現地担当。二人以上の確認と指示番号。緊急時にそんなことをしていたら、間に合うものも間に合わない」


「だから、同時に確認できるように変えます」


「また仕組みを作るのか」


「はい」


「仕組みを作れば、人が正しく動くと思っている?」


「思っていません」


 ハインの眉が動いた。


「人は間違えます。疲れます。怖くなります。急げと言われれば確認を飛ばすこともある」


 俺自身がそうだった。


 納期に追われ。


 無理だと分かっていても、もう少しだけと仕事を抱えた。


 結果として死んだ。


「だから、一人が間違っても全部が間違わない仕組みにするんです」


「遅いな」


「少し遅くても、やり直せる方がいい」


「きれいごとだ」


「現場で使えるところまで落とし込みます」


 ハインは操作棒を握り直した。


「なら、見せてみろ」


 棒の先端が、黒く光る。


 中央環の六つの歯車が同時に動いた。


「起動を早めた!」


 ミラが叫ぶ。


「一番鐘を待たずに流れを吸い始める!」


 部屋全体が揺れる。


 六方向の魔力管から、青い光が中央環へ引かれ始めた。


「セルヴィス!」


「すべてを切断します」


「待ってください!」


「猶予はありません」


 セルヴィスが白い環を掲げる。


「今、六本を同時に切ったら、流れはどこへ戻りますか」


「各区画です」


「一気に?」


 セルヴィスの動きが止まる。


 流れを吸われ始めた魔道具へ、同じ量が一度に戻る。


 灯り小路で見た補助環と同じだ。


 止めれば終わるのではない。


 止め方を間違えれば、逆流する。


「順番が必要です」


 俺は巨大な環を見る。


「ミラ、普通の測定で分かる範囲は?」


「六本とも流入量が違う。南区が最大。次が北区。灯り小路は細いけど、井戸へ直結してる」


「出口は?」


「分からない。黒い環の裏で絡んでる」


「バルトさん、余分な水と魔力を逃がせる場所は?」


「旧沈殿槽だ。だが、二十年以上使っていない」


「場所は?」


「右の保守通路の先」


 全員がジノを見る。


「また俺?」


「逃がし道を開けられるのは、ジノだけです」


「そういう言い方されると行くしかないだろ!」


 怖い。


 それでも、自分が必要だと分かれば走れる。


 ジノは右の通路へ向かった。


「バルトさん、案内を!」


「分かった!」


 二人が保守通路へ消える。


「リリアさん、止める対象を記録してください」


「はい」


 リリアが記録板を開く。


「セリアはハインを」


「任せて」


 セリアが剣を抜いた。


 短く呼吸を整え、柄を握り直す。


 ハインが操作棒を床へ打ちつけた。


 黒い線が石床を走る。


「足元!」


 俺が叫ぶより早く、セリアは横へ踏み出していた。


 焦って前へ出ない。


 線の外へ回り込み、剣の腹で操作棒を打つ。


 金属音が響いた。


「邪魔をするな!」


 ハインが棒を振る。


 黒い線が荷車の運搬溝へ入り、床の台車を動かした。


 台車がセリアの横から突っ込む。


「守り払い!」


 セリアは台車を真正面から止めず、剣の腹で軌道をずらした。


 台車が中央環の柱へぶつかる。


「兄と同じだな」


 ハインが言った。


 セリアの足が止まる。


「何を知ってるの」


「止めるべき時に止められない。目の前の何人かを助けるために、全体を危険へさらす」


 セリアの剣を握る手に力が入った。


「レオン・グランツは、第七区画を閉じる邪魔をした。だから白環に切られた」


「黙れ!」


 セリアが踏み込む。


 いつもより深い。


 怒りに押された踏み込みだった。


 ハインの口元が歪む。


 セリアの着地点へ、黒い拘束線が集まった。


「セリア、深い!」


 俺の声に、彼女の目が動く。


 前足が床へつく寸前、剣を握り直した。


 呼吸を吐く。


 踏み込みを半歩だけ浅くする。


 黒い線が爪先の先を通り過ぎた。


「兄のことを勝手に使うな」


 低い声だった。


「でも、今はあなたを斬るために来たんじゃない」


 セリアは操作棒へ剣を当てる。


「街を止めないために来た!」


 剣を振り抜く。


 操作棒の先端が折れ、床を転がった。


 ハインの表情から余裕が消えた。


     ◇


「シュウ、どうする!」


 ミラが中央環の前で叫ぶ。


 六本の流れが複雑に絡んでいる。


 普通の目では、止める順番まで分からない。


 魔流視を使う必要がある。


 だが、第七码を見た時の痛みがまだ残っている。


 全体を追えば、確実に深く入りすぎる。


(全部を見る必要はない)


 知りたいのは、入口と出口。


 それから、逆流しない順番だけだ。


「六本を一つずつ見ます」


「発動回数は?」


 リリアが聞く。


「一度です。焦点だけ動かします」


「時間は短く」


「はい」


 セリアはハインと向き合ったまま、こちらへ声を飛ばす。


「戻れなくなる前に切って!」


「分かっています」


「その返事は怪しい!」


「今回は本当に分かっています!」


 俺は息を細く吐いた。


 視界の焦点を、巨大な環の少し奥へずらす。


 入口。


 出口。


 心の中で、静かに意識する。


(流れを見ろ)


 視界の色が落ちた。


 六本の青い流れが、灰黒色へ変わりながら中央環へ吸い込まれている。


 東門の線は、荷車の駆動具につながっている。


 北区の線は、倉庫の保管魔石。


 南区は排水ポンプ。


 灯り小路は共同井戸と街灯。


 組合は記録石。


 ベルシア商会は輸送用の連絡具と荷車。


 六本は同じではない。


 止めた時に戻る先も違う。


 最初に切るべきなのは――。


「ベルシア商会!」


 俺は叫ぶ。


「移動中の荷車へ命令が届く前に切る!」


「どれ!」


「右から二本目、細い二重線!」


 ミラが工具を差し込む。


「切る!」


 黒い線が一本消える。


 流れの一部が中央環へ跳ね返る。


 まだ見る。


 次は組合。


 記録の上書きが始まれば、地上で誰が味方か分からなくなる。


「組合の線! 左上、文字の刻印がある管!」


「了解!」


 リリアが時刻を書く。


「ベルシア商会線、切断。続いて組合記録線」


 ミラの工具が二本目を止める。


 頭の奥で、金属を擦るような痛みがした。


 吐き気が上がる。


 まだ四本。


「シュウ、顔色!」


 セリアの声が飛ぶ。


「あと少しです!」


 南区は切ってはいけない。


 排水ポンプを最初に止めれば、中央環に溜まった流れの逃げ場がなくなる。


 先に旧沈殿槽を開く必要がある。


「ジノ!」


 保守通路の奥へ叫ぶ。


「聞こえてる!」


 遠くから、早口の返事が返る。


「沈殿槽は!」


「錆びてる! 動かない!」


「バルトさんは?」


「二人で回してる!」


 間に合わない。


 中央環へ流れが溜まっていく。


 灰黒色の濁りが膨らむ。


 深く見るな。


 沈殿槽の入口だけを探す。


 焦点を右へずらした。


 細い青い線。


 人の腕ではなく、魔力で補助できる場所がある。


「ジノ! 開閉輪の下に、小さな四角い穴がある!」


「暗くて見えない!」


「手探りで右下!」


「こういう時だけ俺の細さを使うな!」


 音だけが続く。


 俺の視界が揺れる。


 床が傾いたように感じた。


「シュウ、切って!」


 セリアが叫ぶ。


「まだ出口が――」


「見つけたんでしょ! あとはジノを信じて!」


 その言葉で、ようやく気づく。


 俺が見続けなくても、場所は伝えた。


 動かすのはジノとバルトだ。


 俺は魔流視を切った。


 色が戻る。


 同時に膝から力が抜けた。


 リリアが肩を支える。


「発動終了。目の痛み、吐き気、脱力」


「今、記録するんですね」


「後では正確さが落ちます」


「正しいですけど……」


「吐きますか?」


「まだ大丈夫です」


「まだ、も記録します」


 本当に容赦がない。


 保守通路の奥から、ジノの叫び声が聞こえた。


「穴あった! 何か刺さってる!」


「予備の操作棒だ!」


 バルトの声。


「押し込んでから回せ!」


「どっちへ!」


「水が流れたい方だ!」


「分かるか!」


「左だ!」


 重い歯車の回る音が響いた。


 中央環の下で、石の蓋が開く。


 灰黒色の濁りの一部が、床下へ流れ始めた。


「沈殿槽、開放!」


 リリアが記録する。


「今です」


 俺はミラを見る。


「北区を半分まで絞る。止めきらないで、倉庫の魔石を冷ます時間を作る」


「半分ね」


 ミラが調整具を回す。


 北区からの流れが細くなる。


 次は東門。


 荷車の駆動具なら、朝前の今は使用数が少ない。


「東門、切断」


「切る!」


 三本目が消える。


 中央環の回転が、わずかに落ちた。


 残るのは南区、灯り小路、北区。


「灯り小路は最後です」


 俺は言った。


「井戸の流れが細い。先に切ると、黒い濁りが全部そこへ押し戻される」


「では南区を?」


 セルヴィスが聞く。


「沈殿槽へ流しながら少しずつ絞ります。一気に切らないでください」


「白環は切断の術です。細くするためのものではありません」


「できませんか」


 セルヴィスの眉が動く。


「できないとは言っていません」


 白い環を、南区の管へ重ねる。


 右腕の痺れが残っているはずだ。


 それでも、今度は一気に封じなかった。


「白環絞流」


 白い輪が少しずつ縮む。


 南区の流れがゆっくり細くなった。


「そんな使い方もできるんですね」


「今、作りました」


「今?」


「切断量を減らしただけです」


 言い方は淡々としている。


 だが、新しい使い方を試している。


 白環も、切るだけではない。


 流れを残したまま、絞ることができる。


「南区、半減!」


 リリアの声。


「北区をさらに絞って!」


 ミラが調整具を回す。


 中央環の回転が目に見えて遅くなる。


 ハインがセリアを押し返し、床へ落ちた操作棒の先端へ手を伸ばした。


「まだだ!」


「触らせない!」


 セリアが操作棒を蹴り飛ばす。


 ハインは身体をひねり、中央環の支柱にある黒い札へ手を置いた。


「強制全開!」


 札が光る。


 残った三本の流れが、一気に太くなった。


「馬鹿!」


 ミラが叫ぶ。


「沈殿槽の容量を超える!」


 巨大な環の内側で、灰黒色の魔力が膨張する。


 部屋全体が震える。


 天井から石の欠片が落ちた。


「全切断します!」


 セルヴィスが白い環を掲げる。


「駄目です!」


「このままでは破裂します!」


 出口が足りない。


 旧沈殿槽だけでは受けきれない。


 もう一つ、流れを逃がす場所が必要だ。


 視界の端で、青い線がちらついた。


 強い異常に反応した、半自動の魔流視。


 白い封印の向こう。


 第七区画から来ている青い流れが、中央環の膨らみを押し返していた。


「第七区画です!」


「何?」


 セルヴィスが振り返る。


「向こうから来ている青い流れが、黒い環を逆向きに押しています!」


「封印を開けるの?」


 セリアが聞く。


「今開けたら、何が出るか分かりません」


「では、どうする」


 第七区画の流れを出口にするのではない。


 向こうから押している力を利用する。


 中央環の回転を逆向きにぶつければ、速度を落とせる。


「ミラ、第七区画の管は中央環のどこに?」


「図面にない!」


 バルトとジノが保守通路から戻ってくる。


「古い手動弁なら、環の裏だ!」


 バルトが叫んだ。


「下層の作業員と信号をやり取りしていた管につながってる!」


「俺が行く!」


 ジノが中央環の裏へ走る。


「一人で行かない!」


「今は俺が一番近い!」


 黒い魔力が環からこぼれ始める。


 ジノの進む足場が揺れた。


「三つ回して二つ戻す!」


 バルトが叫ぶ。


「信号と同じだ!」


「最初から言って!」


 ジノが手動弁へ飛びつく。


 一回。


 二回。


 三回。


 重い弁を回す。


 少し戻して、一回。


 二回。


 中央環の奥で、青い光が強くなった。


 黒い回転へ、逆向きの力が入る。


 ごおん、と巨大な音が響いた。


 環の回転が一瞬止まる。


「今!」


 俺は叫んだ。


「北区を閉じる! 南区は絞ったまま! 最後に灯り小路!」


「北区、停止!」


 ミラが調整具を引き抜く。


「南区、維持!」


 セルヴィスの白い環が震える。


「灯り小路の線を、街灯側へ逃がしてから切って!」


「戻り止めを反転させる!」


 ミラが最後の工具を差し込む。


 灯り小路から吸われていた青い流れが、一度だけ街灯側へ戻る。


 そして切れた。


 中央環へ入る六本の線が、すべて止まった。


 灰黒色の濁りは旧沈殿槽へ落ち、第七区画からの青い流れに押し返されていく。


 巨大な環が、ゆっくり停止した。


     ◇


 地上から、一番鐘が鳴った。


 ごおん。


 低い音が地下へ届く。


 アルメリアの朝が始まる。


 二度目の鐘。


 遠くで水が流れる音。


 南区の排水ポンプは動いている。


 三度目の鐘。


 灯り小路へ続く管から、弱いが安定した魔力が返ってくる。


 共同井戸も止まっていない。


「地上の記録線、異常なし」


 リリアが携帯記録石を確認する。


「ベルシア商会の荷車も停止命令を受けていません。組合名簿の上書きもありません」


「止まった……?」


 ジノが中央環の裏から顔を出す。


「止まりました」


 俺が答えると、ジノはその場へ座り込んだ。


「よかった。もう腕が動かない」


「三つ回して二つ戻しただけだろ」


 バルトが言う。


「その一回が、俺の全力なんだよ!」


 セルヴィスも白い環を外す。


 右腕の霜が肘近くまで広がっていた。


「治療が必要です」


 俺が言う。


「地上へ戻ってから受けます」


「必ずですよ」


「あなたもです」


「俺は少し休めば――」


「目の奥の痛み、吐き気、脱力。記録済みです」


 リリアが淡々と告げる。


「逃げられませんね」


「逃がしません」


 少し離れた床で、ハインがセリアに拘束されていた。


 折れた操作棒を見つめている。


「なぜだ」


 ハインがつぶやいた。


「一人が命令しなければ、間に合わないはずだ」


「一人が全部をやったわけではありません」


 俺は答えた。


「だから間に合ったんです」


 見る人。


 切る人。


 絞る人。


 逃がし道を開く人。


 戦う人。


 記録する人。


 誰か一人が欠けても、同じ結果にはならなかった。


「責任を分ければ、誰も責任を取らない」


 ハインが言う。


「それは、責任を分けたんじゃありません」


「何?」


「押しつけ合っただけです」


 責任を分ける。


 それは曖昧にすることではない。


 誰が何を決めたか。


 誰が何を確認したか。


 結果を記録し、次に直す。


「あなたがしたことも記録します」


 リリアが言った。


「ですが、地下水路が放置されていたことも、夜勤者が必要な仕事を続けていたことも、同じ記録へ残します」


 バルトが顔を上げる。


「黒環会へ協力したことだけで、全部を消すのかと思った」


「分けて記録します」


「俺たちは処罰されるか」


「その判断は私だけではできません」


 リリアはごまかさなかった。


「ですが、必要だった作業まで存在しなかったことにはさせません」


 バルトはしばらく黙っていた。


 やがて、油と錆で汚れた手を顔へ当てた。


「それだけでも、十分だ」


     ◇


 中央環の停止を確認していたミラが、突然声を上げた。


「待って」


「また動き始めた?」


 セリアが剣へ手を置く。


「違う。第七区画の線だけ、まだ動いてる」


 巨大な環の裏側。


 ジノが回した手動弁の先で、細い青い管が光っていた。


 黒環大循環は止まった。


 それでも青い流れは、一定の間隔で送り込まれている。


「自動式ですか」


 俺が聞く。


 バルトが首を振る。


「この弁は手動だ。向こう側で誰かが圧をかけなきゃ、流れは来ない」


 誰かがいる。


 六年前に封鎖された第七区画。


 白環の記録では、生存者はいないことになっている場所。


 そこから、今も誰かが中央環を押し返していた。


 リリアが環の下に落ちていた細い記録紙を拾う。


「稼働記録です」


 中央環が吐き出した記録。


 黒い文字の間に、青い文字が一列だけ残っている。


 ――第七補正線。


 ――反対制御、継続。


 ――継続日数、二千百九十一日。


「二千百九十一日……」


 セリアが数えるようにつぶやく。


 およそ六年。


 第七区画が封鎖された日から、ほぼ毎日だ。


「補正担当者の欄があります」


 リリアの声が、わずかに揺れた。


 記録紙の端。


 何度も上書きされ、かすれた二文字。


 ――L・G。


 セリアが息をのむ。


 レオン・グランツ。


 同じ頭文字だ。


 もちろん、それだけで兄本人とは断定できない。


 六年前の登録が、そのまま設備へ残っているだけかもしれない。


 別の誰かが使っている可能性もある。


「セリア」


「分かってる」


 彼女は自分へ言い聞かせるように答えた。


「まだ、兄さんだと決まったわけじゃない」


 それでも、記録紙を持つ指は震えていた。


 その時だった。


 第七区画へ続く青い管の奥から、金属音が響いた。


 かん。


 かん。


 かん。


 三回。


 少し間を置いて。


 かん。


 かん。


 二回。


 バルトが顔を上げる。


「生存信号だ」


 六年前、白い封印が閉じた後も二日間だけ続いたという合図。


 水管を三回。


 少し間を置いて二回。


 今、確かに向こう側から届いた。


「返事を!」


 セリアが管へ駆け寄る。


「待って、同じ回数では意味が伝わらない」


 バルトが古い手動弁の脇へしゃがんだ。


「こちらが受け取った時は、二回、三回だ」


 締め具で管を叩く。


 かん。


 かん。


 少し間を置く。


 かん。


 かん。


 かん。


 音が暗い管の中へ吸い込まれていく。


 誰も声を出さない。


 しばらくして、向こうから返事が来た。


 今度は三回、二回ではない。


 短い音が、途切れながら続く。


 バルトの顔色が変わった。


「何と言ってるんですか」


 俺が聞く。


「昔の水路作業員が使っていた符号だ」


「内容は?」


 バルトは音を数える。


 短く二回。


 長く一回。


 また短く二回。


「封印を開けるな、と言っている」


 セリアの表情が固まる。


「どうして」


 管の向こうから、さらに音が届く。


 バルトが一つずつ読み取る。


「下層に……黒い環がある」


 俺たちは、停止した中央環を見上げた。


 これが中心だと思っていた。


 だが、第七区画の向こうには、もう一つの黒い環がある。


「まだ続いてる」


 バルトが管へ耳を当てる。


 次の符号を聞いた瞬間、その顔から血の気が引いた。


「何ですか」


 セリアが聞く。


 バルトは彼女を見た。


「こちらの中央環を止めたことで、下の環が目を覚ました」


 白い封印の向こう。


 深い地下から、今までとは違う振動が伝わってきた。


 ごうん。


 一度。


 より低く。


 より重い音。


 停止した中央環の足元に、細い亀裂が走る。


 その隙間から、青ではない灰黒色の光が漏れ始めた。


 アルメリアの朝は守った。


 けれど、地下のさらに奥では、六年間押さえ込まれていた流れが動き始めている。


 セリアは第七区画の白い封印を見つめ、剣を握り直した。


「兄さんが向こうにいるかは、まだ分からない」


 呼吸を整える。


 焦りに踏み込みを奪われないために。


「でも、生きている人がいる」


「はい」


 俺も封印の向こうを見る。


「次は、この扉を壊さずに開けます」


 切るだけでは、人が残る。


 止めるだけでは、別の流れが動き出す。


 なら、また順番を探す。


 誰を先に逃がすのか。


 どの流れを残すのか。


 何を止め、何をつなぎ直すのか。


 白い封印の奥から、もう一度、生存を知らせる音が響いた。



第33話を読んでいただきありがとうございます。


今回は、朝の一番鐘に合わせて起動しようとした中央環を、街の機能を残しながら段階的に停止する回でした。


中央環には、東門、北区、南市、灯り小路、冒険者組合、ベルシア商会の六つの流れが接続されていました。


すべてを一度に切れば、排水ポンプや共同井戸、保管魔石へ魔力が逆流するため、シュウたちは流れを逃がす旧沈殿槽を先に開き、影響の少ない線から順番に停止しています。


シュウは魔流視で全体を見続けず、必要な入口と出口だけを確認し、その後の作業を仲間へ任せました。


またセルヴィスは、流れを完全に切る白環術式を応用し、南区の排水を残したまま魔力量だけを絞る「白環絞流」を使用しています。


ハインは、一人が命令しなければ何も決まらないと考えていました。


対してシュウたちは、役割と責任を明確に分け、一人の間違いが全体の失敗にならない方法で中央環を止めています。


アルメリアの朝は守られ、共同井戸や排水設備、荷車、組合記録にも大きな被害は出ませんでした。


しかし、第七区画からは六年間にわたって反対制御が続けられ、補正担当欄には「L・G」の文字が残されていました。


さらに封印の向こうから、生存者の信号が届いています。


中央環の停止によって、地下のさらに深い場所にある別の黒い環が動き始めました。


次回は、白環によって封鎖された第七区画を安全に開き、取り残された人々の救出と、六年間隠されていた記録を追います。


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