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納期遅れで死んだ俺、異世界では魔力の詰まりが見えるらしい 〜最弱Eランクだけど、術式を読み替えて世界の流れを変えていく〜  作者: 好山 雪
第1章 月影の森で目覚める

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第27話 蒼い流れの初日

第27話 蒼い流れの初日


ヴァルド・グレイムは、シュウたちへ問いを残しました。


管理者を一人に決めず。


危険な地区を切り離さず。


それでも、本当に必要な物を届けられるのか。


シュウたちは、灯り小路と南市を対象に、小さな共同供給を始めます。


扱うのは、治療に使う魔石と生活用の魔石だけ。


必要量、在庫、品質、価格、配分理由。


そして、本人への説明と同意。


紙の上では、きれいに見えた仕組み。


けれど、実際に物を届けようとした瞬間、数字の向こうから人の声が聞こえ始めます。


 始める前から、机の上は詰まっていた。


「これは、薬の依頼ですか?」


「違います。治療用魔石の貸し出し希望です」


「こっちは?」


「暖房用の小型魔石。昨日から炉が止まっているそうです」


「じゃあ、こっちは……」


「同じ方が三回出しています」


「三回?」


「一枚目を出したあと、不安になって追加で二枚書いたようです」


 リリア・フォルンは、三枚の紙をきれいに重ねた。


 冒険者組合アルメリア支部の一室。


 普段は低額依頼の確認に使われている部屋が、今日だけは臨時の供給調整所になっていた。


 壁には、リリアが作った大きな紙が貼られている。


 必要品。


 必要量。


 保有在庫。


 品質。


 価格。


 配分理由。


 確認者。


 本人への説明。


 同意。


 項目だけ見れば、分かりやすい。


 問題は、その下に並ぶ紙の数だった。


「思ったより多いな……」


 俺がつぶやくと、リリアは手を止めずに答えた。


「必要な方へ申請をお願いした結果です」


「申請できなかった人もいそうですね」


「います」


 横からジノ・バレットが、紙の束を抱えて入ってきた。


 いつもより髪が乱れている。


 朝から灯り小路を歩き回っていたらしい。


「字が書けない人とか、組合まで来られない人とか。あと、こういうの出したら借金になるんじゃないかって怖がってる人」


「説明はした?」


 カレン・ベルシアが聞く。


「した。今回は借金じゃない。無理やり買わせない。断っても仕事を止めないって」


「反応は?」


「半分くらいは信じてくれた」


 ジノは苦い顔をした。


「残りは、前にも似たようなことを言われたってさ」


 安い灯りを届ける。


 生活を楽にする。


 そう言って、黒環会は不完全な補助環を売った。


 説明したと言っても、すぐに信用されるわけがない。


「無理に申請させる必要はありません」


 リリアが言った。


「参加しないことも記録しておきます」


「参加しない人の名前まで?」


「名前は残しません。人数と理由だけです」


 リリアは紙の下へ、小さく書き足す。


 ――申請保留。過去の被害による不信。


「こういうのも必要なんですね」


 ノア・ルミナスが、その文字を見ながら言った。


「必要な物が届いた数だけ記録すると、うまくいったように見えてしまいますから」


 リリアの声は静かだった。


「届かなかった方。申請できなかった方。途中で断った方。それも同じように残します」


 リリアにとって、記録は成功を飾るためのものではない。


 見落としたものを、見えなくしないためのものだ。


 俺は机の上に並んだ依頼書を見た。


 紙の上には、必要量が書かれている。


 治療用魔石、一個。


 暖房用魔石、二個。


 小型魔石、三日分。


 でも、その一個の向こうに誰がいるのかは、数字だけでは分からない。


「ノアさん。治療関係の優先順位は、お願いできますか」


「はい。ただ……」


 ノアは依頼書を胸元に抱き、少し不安そうな顔をした。


「私一人で決めていいんでしょうか」


「診るのはノアさんです。でも、一人で全部決める必要はありません」


 俺は壁の紙を指した。


「緊急性はノアさん。品質はミラ。現在の在庫はカレンさんとリリアさん。決めた理由は全員で確認する」


「でも、最後に誰かを選ばないといけない時は?」


 ノアの声が少し小さくなった。


 部屋が静かになる。


 誰かへ届ける。


 その言葉はきれいだ。


 だが、数が足りなければ、誰かへ届けないという判断も同時に生まれる。


「その時は、ノアさんの判断を基準にします」


 俺は答えた。


「ただし、ノアさん一人の責任にはしません」


 ノアは俺を見る。


「皆で決めたこととして記録する。説明する時も、一人にしない」


 少し間を置いて、ノアはうなずいた。


「……分かりました」


「怖いですか?」


「怖いです」


 ノアは正直に答えた。


「でも、分からない人が決める方が、もっと怖いです」


 最初に会った頃のノアなら、自分が判断すると言えただろうか。


 声はまだ大きくない。


 手も少し震えている。


 それでも、逃げずに依頼書を開いていた。


     ◇


 供給する品は、二種類に絞った。


 一つ目は、治療院で使う低出力の治療用魔石。


 大きな怪我を治すことはできない。


 けれど、治癒術師の負担を減らし、弱った人の呼吸や魔力の乱れを整える助けになる。


 二つ目は、灯りや暖房に使う生活用魔石。


 黒環会の補助環が回収されたあと、灯り小路では正規の魔石が足りていなかった。


「最初から対象を増やしすぎると、絶対に崩れる」


 ミラ・フォルネが言った。


 彼女の前には、北区と南市から集められた魔石が並んでいる。


 青。


 黄色。


 灰色。


 見た目だけなら、どれも同じように光っていた。


 ミラは細い測定具を当て、入口、変換部、出口を順に確認していく。


「これは使える」


 布の右側へ置く。


「これは駄目」


 左側へ。


「何が駄目なんですか?」


 セリア・グランツが、左側へ置かれた魔石をのぞき込んだ。


「出力はある。でも流れが不安定。暖房に使うと、熱が急に上がる」


「見た目はきれいなのに」


「見た目で動くなら、私はいらないでしょ」


 ミラは次の魔石を持ち上げた。


「こっちは欠けてるけど使える。流れは細い。でも一定」


 欠け星堂のマルクが横からうなずく。


「欠けておるからといって、役に立たんとは限らん」


「ただし、長時間は使えない」


 ミラが続ける。


「灯り用なら一晩。暖房なら半日。そこを説明して使ってもらう」


 リリアが品質欄へ書き込む。


 ――使用可。低出力。暖房半日。再確認必要。


 ヴァルドなら、数字だけを見て使える品として流したかもしれない。


 黒環会なら、安価な魔石として説明を省いたかもしれない。


 でも、俺たちは欠点も一緒に伝える。


 それで断られれば、仕方がない。


 流れを作るために、選ぶ権利を奪ってはいけない。


「次」


 ミラがカレンを見る。


 カレンは帳簿を開いた。


「北区の三商会から、生活用魔石が合計十八個。治療用が三個です」


「三個?」


 ノアが顔を上げた。


「申請は五件あります」


「ええ」


 カレンの声も少し重くなった。


「すべてへは届けられません」


 分かっていたことだった。


 それでも、実際に数字が並ぶと胸に重い。


 必要数五。


 在庫三。


 足りないのは二。


「余剰在庫の申告、本当にこれだけですか?」


 俺が聞くと、カレンは少しだけ眉を寄せた。


「申告上は」


「申告上は?」


「北区の一部商会は、治療用魔石の価格が上がると見て、在庫を手放したがりません」


 ジノが顔をしかめる。


「余ってるのに?」


「余っているかどうかは、商会側の判断です。来月の仕入れが遅れれば、自分たちが困ると考えている」


「でも、今困ってる人がいるんだろ」


「ええ」


「じゃあ出せばいいじゃん」


「商人も、明日の不安を抱えています」


 カレンはジノを責めるようには言わなかった。


「今日すべてを出して、来週自分の取引先へ届けられなくなれば、信用を失います」


「分かるけど……」


 ジノは納得できない顔をした。


 母親の薬を心配してきた彼にとって、在庫を持ちながら出さないことは簡単には受け入れられないのだろう。


「だから、全部出せとは言いません」


 カレンは帳簿を閉じた。


「必要な数と返却予定を示します。未使用分は返す。使った分は通常価格で支払う。今後同じ商会が不足した時は、今回受け取った側が優先して協力する」


「貸し借りにする?」


「信用の流れにします」


 カレンは静かに笑った。


「一方だけが善意を出し続ける仕組みは続きません」


 善意だけでは続かない。


 だからといって、命を値段だけで量るわけにもいかない。


 その間に、長く続く形を作らなければならない。


 簡単ではない。


 ヴァルドが一人の管理者を置きたがる理由が、少しだけ分かった。


 一人が命令すれば、早い。


 話し合いも交渉もいらない。


 けれど、その速さのために誰かの意思を消すなら、同じ道は選べない。


     ◇


 昼前。


 最初の配分を決めるため、ノアが治療院から戻ってきた。


 顔が硬い。


「五件、確認しました」


 机の上に依頼書を並べる。


「一件目は、灯り小路のエッダさん。高齢で、魔力がかなり弱っています。急変の可能性は低いですが、治療用魔石があれば体力の消耗を抑えられます」


 一枚目。


「二件目は、南市の鍛冶職人、ボルンさん。炉の事故で胸を強く打っています。呼吸が浅く、今日中に使った方がいいです」


 二枚目。


「三件目は、十二歳のリク君。数日前から高い熱が続き、治癒師の魔力だけでは追いつきません。最優先です」


 三枚目。


 十二歳。


 その言葉に、セリアの表情が少し変わる。


 けれど、ノアは続けた。


「四件目は、ジノさんのお母様です」


 全員の視線がジノへ向いた。


 ジノの顔が固まる。


「母ちゃん?」


「呼吸は今のところ安定しています。ただ、薬だけでは回復が遅く、治療用魔石があれば負担を減らせます」


「じゃあ……」


 ジノが口を開く。


 だが、そこで言葉が止まった。


 ノアは五枚目を置く。


「五件目は、臨時工房で火傷した職人です。傷そのものは治り始めていますが、魔力の乱れが残っています。今日すぐでなくても構いません」


 必要な人が五人。


 使える魔石が三個。


 ノアは紙の上へ手を置いた。


「リク君とボルンさんは、今日必要です」


「残り一個は?」


 セリアが聞く。


 ノアの手が少し震えた。


「エッダさんか、ジノさんのお母様です」


 ジノは黙っていた。


 いつもの早口も出ない。


 机の上の依頼書を見ている。


「母ちゃんは……今日なくても大丈夫なのか」


「絶対とは言えません」


 ノアは逃げずに答えた。


「ただ、今の状態だけを比べれば、エッダさんの方が魔力の消耗が強いです」


 部屋が静まり返った。


 数字なら簡単だった。


 緊急度。


 重症度。


 回復見込み。


 それを並べて高い順に配ればいい。


 でも、紙の横にはジノがいる。


 毎日母親の薬を心配している。


 危険な依頼へ飛びつきそうになったこともある。


 その人へ、今回は後回しだと伝えなければならない。


「……エッダさんに回して」


 ジノが言った。


 声は小さかった。


「いいんですか?」


 ノアが聞く。


「よくはない」


 ジノは正直に答えた。


「母ちゃんにも使ってほしい。でも、エッダ婆さん、灯り小路で一人だろ」


「はい」


「母ちゃんには俺とミナがいる。何かあったらすぐ呼べる」


 ジノは頭をかいた。


「だから、今回はそっちでいい」


 立派な言葉だった。


 でも、無理をしているのも分かった。


「ジノ」


 俺が声をかけると、彼は少し顔をしかめた。


「きれいな話みたいにすんなよ」


「え?」


「俺、納得してるわけじゃないからな」


 ジノは机を見たまま言う。


「何で三個しかないんだよって思ってる。北区には隠してる商会もあるんだろ。ヴァルドのやり方なら、出せって言えるんだろうなとも思う」


 誰も否定できなかった。


「でも、母ちゃんを先にしろって言ったら、今度はエッダ婆さんが後になる。それも嫌だ」


 ジノは苦しそうに笑った。


「こういうの、逃げ道ないじゃん」


 逃げ道を見ることが得意なジノ。


 その彼が、逃げ道がないと言った。


「あります」


 カレンが静かに言った。


 全員が彼女を見る。


「今すぐではありません。でも、残りの在庫を出してもらう道を探します」


「出してくれるのか?」


「出してもらいます」


 カレンの笑みは穏やかだった。


 ただし、目は少しも笑っていない。


「貸し出し条件を持って、もう一度交渉します」


 ジノが少しだけ顔を上げる。


「間に合う?」


「間に合わせます、とは約束できません」


 カレンも、できない約束はしなかった。


「ですが、今日中に答えをもらいます」


「……頼む」


「はい」


 リリアが配分理由を書き始める。


 リク。


 最優先。高熱継続。治癒支援不足。


 ボルン。


 呼吸状態不安定。事故後の急変防止。


 エッダ。


 魔力消耗大。独居。緊急対応困難。


 その下に、届かない二件も書く。


 エレナ。


 本日保留。在庫不足。家族による見守りあり。代替支援継続。


 臨時工房職人。


 翌日再確認。緊急性低。


「保留、か」


 ジノが文字を見た。


「はい」


 リリアが答える。


「却下ではありません」


「何が違う?」


「届くまで追います」


 リリアの声は静かだった。


「今日届かなかったことも、理由も、明日どうするかも残します」


 ジノは少しだけ息を吐いた。


「じゃあ、ちゃんと残して」


「もちろんです」


     ◇


 最初の魔石は、十二歳のリクのもとへ運ばれた。


 灯り小路に近い、小さな治療所。


 ノアが魔石を両手で抱え、セリアが前を歩く。


 俺とリリアも同行した。


 魔石を受け取った治癒師は、すぐに器具へ取り付けた。


 弱い青い光が、寝台の周囲へ広がる。


 少年の荒かった呼吸が、少しずつ落ち着いていく。


 母親らしき女性が、何度も頭を下げた。


「ありがとうございます。本当に……」


「まだ安心はできません」


 ノアは少年の脈を確認しながら言った。


「でも、治癒術を続けやすくなります」


 母親は泣きながらうなずいた。


 届けられた。


 その事実に、胸の奥が少しだけ軽くなる。


 だが、喜んで終わるわけにはいかない。


 同じ頃、別の場所では届かなかった人が待っている。


 リリアも、そのことを忘れていなかった。


 記録板へ時刻を書き込む。


 ――第一便。治療用魔石一個。リク。受領確認。起動確認。


 数字だけなら、一個。


 でも、その横に少年の名前がある。


 誰に届いたのかが残る。


 それが、俺たちの仕組みだった。


 二個目は、南市の鍛冶職人ボルンへ。


 三個目は、灯り小路のエッダへ届けられた。


 エッダは小さな寝台に横になっていた。


 細い手。


 しわの多い顔。


 それでも俺たちを見ると、少しだけ笑った。


「ずいぶん立派な人たちが来たねえ」


「立派じゃないよ」


 セリアが答える。


「魔石を届けに来ただけ」


「届けに来るのが立派なのさ」


 エッダはそう言って、ノアの手を握った。


 治療用魔石が器具へ取り付けられる。


 淡い光が、部屋の中へ広がった。


「これで、楽になります」


 ノアが言う。


「いつまで使えるんだい?」


「今夜までです。明日の朝、状態を見て継続するか決めます」


「ずっとじゃないんだね」


「はい」


 ノアは正直に答えた。


「次に必要な方がいます。状態が落ち着けば、別の方へ回す可能性があります」


 エッダは少し驚いた顔をした。


 それから、ゆっくりうなずく。


「分かったよ。楽になったら、次へ持っていきな」


「説明を聞いたうえで、同意していただけますか」


「ああ」


 リリアが同意欄へ記録する。


 受け取る側にも、返す可能性を伝える。


 善意を強制しない。


 状態が悪ければ無理に返させない。


 簡単そうで、細かな確認が多い。


 ヴァルドなら、非効率と言うだろう。


 でも、エッダの顔を見ずに決めるより、ずっといい。


     ◇


 夕方近くになっても、カレンは戻ってこなかった。


 ジノは調整所の入口を、何度も見ている。


「遅いな」


「交渉してるんだろ」


 ガッシュが言う。


 今日は南市の荷運びを見て回り、怪しい前払い仕事がないか確認していた。


 戻ってからも、部屋の隅で落ち着かないジノを気にしている。


「分かってるけどさ」


「座れよ」


「座ったら余計落ち着かない」


「面倒くせえな」


「お前に言われたくない」


 言い合いながらも、ガッシュはジノのそばを離れなかった。


 俺は壁に貼られた表を見る。


 治療用魔石。


 申請五。


 配分三。


 保留二。


 生活用魔石は、十八個のうち十五個まで配り終えていた。


 暖房。


 街灯。


 治療所の湯沸かし。


 すべてを満たせたわけではない。


 出力の低い魔石を断った人もいた。


 説明を聞いて、今回は参加しないと決めた家もあった。


 そのすべてが記録されている。


「シュウ」


 セリアが隣へ来た。


「顔が怖い」


「考えてました」


「失敗したって?」


「まだ届いてない人がいます」


「でも、届いた人もいる」


「それで満足したら駄目な気がして」


「満足して終わるのは駄目。でも、届いたことまでなかったことにしなくていいんじゃない?」


 セリアは壁の表を見る。


「全部できなかったから失敗、って言ったら、手伝った人も、待ってる人もつらいよ」


 前世の俺は、達成率をよく見ていた。


 計画百に対して、実績八十。


 足りない二十。


 いつも不足ばかりを見ていた。


 八十を作った現場へ、なぜ残りができないと聞いたこともある。


「そうですね」


 俺は息を吐いた。


「届いた三件は、ちゃんと届いた」


「うん」


「でも、残り二件も追う」


「うん。それでいいと思う」


 セリアは少し笑った。


「シュウ、一人だったら、また全部自分で背負ってたでしょ」


「たぶん」


「今も少し背負ってる」


「少しだけです」


「その言い方、ノアに怒られるよ」


 ちょうどノアが部屋へ戻ってきた。


「何が少しなんですか?」


「何でもありません」


「本当ですか?」


「本当です」


 疑われている。


 完全に日頃の行いだった。


 その時、廊下から足音が聞こえた。


 カレンが戻ってきた。


 後ろにはベルシア商会の使用人が二人。


 小さな箱を一つずつ抱えている。


 ジノが立ち上がった。


「それ……」


「治療用魔石です」


 カレンは少し疲れた顔で笑った。


「二個、お借りできました」


「二個とも?」


「はい」


 ジノの顔が明るくなる。


 だが、カレンはすぐに続けた。


「条件があります」


「何でもする」


「そう簡単に言わないでください」


 カレンは苦笑した。


「一つは、三日以内に未使用なら返却。使用した場合は通常価格で支払う。もう一つは、北区側で同じような不足が出た場合、今回受け取った側も可能な範囲で協力する」


「分かった」


「ジノさんだけが決めることではありません。お母様にも説明します」


「そうだった」


 ジノは少し照れたように頭をかく。


「どうして貸してくれたんですか?」


 俺が聞くと、カレンは一枚の紙を見せた。


 今日の供給記録の写しだった。


 どこへ何を届けたか。


 品質。


 価格。


 配分理由。


 返却予定。


 届かなかった件数。


 すべてが書かれている。


「記録を見せました」


「それだけで?」


「それだけではありません。ベルシア商会が保証人になりました」


「カレンさんの商会が?」


「善意だけでは、出してもらえませんから」


 カレンは軽く肩をすくめた。


「ただし、今日の記録がなければ、保証しても信用されなかったでしょう」


 リリアの記録。


 ノアの判断。


 ミラの品質確認。


 届けた証明。


 説明と同意。


 全部がつながって、ようやく次の二個が動いた。


 一人の命令ではない。


 誰か一人の善意でもない。


 いくつもの細い流れが、二個の魔石をここまで運んできた。


「母ちゃんのところ、行ってくる」


 ジノが箱へ手を伸ばす。


「一人では駄目です」


 ノアが言う。


「取り付けと状態確認が必要です」


「俺も行く」


 ガッシュが立ち上がった。


 ジノが目を丸くする。


「何で?」


「荷物持ちだよ」


「治療用魔石、小さいぞ」


「うるせえ。護衛だ」


「ありがとうって言ってほしい?」


「言ったら殴る」


「じゃあ言わない」


 二人は言い合いながら部屋を出ていった。


 ノアがその後を追う。


 もう一個の魔石は、臨時工房で火傷をした職人へ届けられる。


 保留だった二件が、夕方になって動き始めた。


 リリアが壁の表を書き換える。


 保留。


 その二文字に線が引かれる。


 エレナ。


 追加在庫確保。夕刻配送。


 臨時工房職人。


 追加在庫確保。夕刻配送。


 五件。


 配分五。


「全部届きましたね」


 セリアが言う。


「今日は」


 俺は答えた。


「明日も同じ数があるとは限らない」


「うん」


「それに、カレンさんの商会が保証し続けるのも難しい」


「うん」


「仕組みとしては、まだ弱い」


「うん。でも、今日は届いた」


 セリアは何度でも、そこへ戻してくれる。


「今日は、少しくらい喜んでもいいんじゃない?」


 俺は壁の表を見た。


 五件。


 配分五。


 数字だけなら、きれいな結果だ。


 でも、その途中にはジノの迷いがあった。


 ノアの怖さがあった。


 カレンの交渉があった。


 エッダの同意があった。


 北区の商会の不安があった。


 数字をきれいにするために消してはいけないものが、たくさんあった。


「そうですね」


 俺はようやく笑った。


「今日は、届きました」


     ◇


 夜。


 調整所の壁には、その日の結果が貼り出された。


 治療用魔石。


 申請五。


 配分五。


 うち追加借入二。


 生活用魔石。


 申請二十一。


 配分十五。


 辞退三。


 品質不適合二。


 在庫不足一。


 届かなかった一件については、代替として油灯と毛布を届け、翌朝再確認することになった。


 成功だけではない。


 不足も失敗も、そのまま書かれている。


 灯り小路の住民が何人か、紙を見に来ていた。


「うちが断ったのも書いてあるね」


「名前は出てないけどな」


「北区から借りた分は、返すのかい?」


「使わなければ返却。使えば支払いです」


 リリアが一つずつ説明している。


 質問が出れば、その答えも紙の端へ書き足す。


 情報を見せれば、混乱することもある。


 不満も出る。


 それでも、隠して任せろと言うよりはいい。


 エルネスト・ヴァイスが、部屋の入口で腕を組んでいた。


「初日にしては、悪くねえな」


「初日だけです」


 俺が言うと、エルネストは笑う。


「初日も回せねえ仕組みが多いんだ。少しは胸張れ」


「でも、ベルシア商会の保証がなければ、最後の二個は動かなかった」


「じゃあ次は、保証がなくても動く形を考えろ」


「簡単に言いますね」


「考えるのはお前らの仕事だろ」


 大ざっぱだ。


 でも、その通りでもある。


 壁の紙の一番上には、まだ仕組みの正式な名前は書かれていない。


 ただ、誰かが青い炭筆で細い線を描いていた。


 灯り小路。


 南市。


 北区の三商会。


 それぞれをつなぐ、一本の線。


「これ、誰が描いたんですか?」


 俺が聞くと、セリアが少しだけ目をそらした。


「分かりやすいかなと思って」


「蒼い流れ?」


「まだ仮だけど」


 青い線は、まっすぐではなかった。


 途中で曲がり、分かれ、またつながっている。


 きれいな輪にもなっていない。


 それでも、誰か一人のところへ集まってはいなかった。


 それぞれの場所が、それぞれにつながっている。


「悪くないですね」


「でしょ」


 セリアが少しうれしそうに笑った。


 その時、窓の外で黒い鳥が一羽、屋根へ降りた。


 足には、小さな紙が結びつけられている。


 組合の職員が紙を外し、エルネストへ渡した。


 エルネストが目を通す。


 表情が変わった。


「何があったんですか?」


 俺が聞くと、エルネストは紙を机へ置いた。


「東門へ入る予定だった治療用魔石の荷が、届いてねえ」


「遅れている?」


 カレンが聞く。


「護衛だけが戻った。荷馬車は途中で消えたそうだ」


 部屋の空気が変わる。


 今日、ようやく五個を動かした。


 明日以降に必要な治療用魔石は、東門から届く予定だった。


 その荷が消えた。


「事故ですか?」


 セリアが聞く。


「分からん」


 エルネストは紙の最後を指した。


「ただ、道にこれが落ちてた」


 小さな紙片。


 そこには、整った文字で一文だけ書かれていた。


 ――公平な配分は、不足が続く間だけ美しく見える。


 署名はない。


 でも、誰の言葉なのかは分かった。


 ヴァルド・グレイム。


 ジノの母へ魔石が届いた。


 エッダにも、リクにも、ボルンにも届いた。


 今日の流れは、確かに回った。


 だからヴァルドは、次の流れを止めに来た。


「俺たちの仕組みを試してる」


 ミラが低く言った。


「物がある間だけじゃないかって」


「それだけじゃありません」


 カレンが紙を見つめる。


「今日協力した商会へ、不安を与えるつもりです。荷が消えれば、貸し出した魔石が戻らないかもしれない。次から協力をやめる商会も出ます」


 物を奪う。


 信用を削る。


 流れを止めるだけではなく、つなごうとする人の気持ちを止める。


 ヴァルドらしいやり方だった。


 俺は壁の青い線を見る。


 今日、ようやくつながった細い流れ。


 まだ弱い。


 簡単に切れる。


 でも。


「取り戻しましょう」


 俺は言った。


「魔石も。協力してくれた人たちの信用も」


 セリアが剣の柄に手を置く。


「東門へ行く?」


「はい」


 ジノとガッシュは、まだエレナの家から戻っていない。


 ノアも一緒だ。


 全員がそろうまで待つ必要がある。


 焦って、また一人で動いてはいけない。


 俺は息を細く吐きかけて、止めた。


 今は魔流視を使う場面ではない。


 まず、記録を確認する。


 荷の量。


 護衛。


 通った道。


 最後に見られた場所。


 誰が情報を知っていたか。


「リリアさん。荷馬車の記録を」


「すぐに確認します」


「カレンさんは、今日協力してくれた商会へ説明をお願いします。隠さず、でも返却予定は変えないと伝えてください」


「分かりました」


「ミラは、消えた魔石の特徴を」


「追跡できる癖があるか調べる」


「セリアは――」


「シュウが一人で出ないように見てる」


「先に言われた」


 セリアは少しだけ笑った。


 その笑顔に、俺も息を整える。


 ヴァルドは、不足を作った。


 不足があれば、人は強い管理者を求める。


 それを証明するために。


 けれど、ここで焦って人の意思を無視すれば、俺たちも同じになる。


 今日の記録を捨てず。


 明日の約束も切らず。


 仲間と一緒に、消えた流れを追う。


 壁の青い線は、まだ細かった。


 その途中へ、リリアが新しい印を書き加える。


 東門。


 治療用魔石輸送。


 未着。


 蒼い流れの最初の一日は終わった。


 そして二日目は、失われた荷を取り戻すところから始まる。


第27話を読んでいただきありがとうございます。


今回は、シュウたちが始めた小規模な共同供給「蒼い流れ」の初日を描きました。


治療用魔石は五件の申請に対して三個しかなく、ノアは緊急性を判断しなければなりませんでした。


ジノの母エレナも魔石を必要としていましたが、より緊急性が高く、一人暮らしで急変時の対応が難しいエッダへ先に配ることになります。


ジノは納得しきれない気持ちを隠さず、それでも今回はエッダへ回す選択をしました。


その後、カレンが北区の商会と交渉し、記録とベルシア商会の保証を条件に、追加の治療用魔石二個を確保します。


結果として、治療用魔石を必要としていた五人全員へ、その日のうちに届けることができました。


ただし、生活用魔石には在庫不足や品質不適合、受け取り辞退もあり、成功だけでなく届かなかった件数も公開しています。


そして初日の終わり、東門から届く予定だった次の治療用魔石が、荷馬車ごと消えたことが判明しました。


次回は、蒼い流れへの信用が崩れる前に、シュウたちが消えた治療用魔石の輸送経路を追います。


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