第24話 十三個目の月鐘
第24話 十三個目の月鐘
北区にある月鐘会館。
明日の商工連絡会には、アルメリアの商人や工房主たちが集まります。
黒環会が狙っているのは、貧しい地区だけではありません。
南市では、細く弱い流れへ入り込んだ。
今度は北区の太い流れを、まとめて自分たちの方へ向けようとしている。
シュウたちは会合を中止せず、持ち込まれる品物を一つずつ確認する道を選びます。
そして月鐘会館で、記録にない「十三個目」が見つかります。
北区の石畳は、南市のものより白かった。
欠けた場所が少なく、泥もほとんど残っていない。
建物の窓には磨かれた硝子が入り、軒先の看板まできれいに高さが揃えられている。
歩いている人たちの服も、どこか上等に見えた。
荷車の車輪さえ、あまり大きな音を立てない。
「静かすぎて落ち着かねえな」
ジノ・バレットが、小声で言った。
今日はいつもの革鎧ではない。
月鐘会館へ荷物を運び込む作業員に見せるため、灰色の上着と帽子を身につけている。
見た目だけなら、それなりに真面目な荷運び人だ。
口を開かなければ。
「南市なら、もう三回くらい怒鳴り声が聞こえてる時間だぞ」
「お前が怒鳴ってる分も入ってるんじゃねえか?」
隣を歩くガッシュが言った。
ガッシュも今日は、少し地味な格好をしている。
会館の外回りと搬入口を確認するため、ベルシア商会の護衛ということになっていた。
「俺の声は街の活気だよ」
「ただうるせえだけだろ」
「北区に来た途端、言い方が上品になったな」
「どこがだ」
二人はいつも通りだった。
ただ、声はいつもより小さい。
周りの視線を気にしているのだろう。
北区を歩く人々は、俺たちを露骨に見るわけではない。
けれど、見ていないふりをしながら、服や靴や武器を一瞬で確かめている。
南市とは違う息苦しさがあった。
汚いと言われるわけではない。
追い払われるわけでもない。
ただ、最初から自分たちの場所ではないと教えられているような感じがする。
「シュウ、襟が曲がってる」
横からセリア・グランツの手が伸びてきた。
俺の上着の襟を、軽く直してくれる。
「ありがとうございます」
「今日は一応、ベルシア商会の調査補佐なんだから。もう少し堂々として」
「こういう服、慣れてなくて」
「私も慣れてないよ」
そう言うセリアも、今日は普段の革鎧ではなかった。
濃い青の護衛服に、細身の剣。
動きやすそうではあるが、いつもよりずっと整って見える。
ただ、本人は首元が気になるらしく、さっきから何度も指を入れようとしては、カレンに止められていた。
「セリアさん」
少し前を歩くカレン・ベルシアが、振り返らずに言った。
「また襟元に触れましたね」
「触ってない。確認しただけ」
「三回目の確認です」
「苦しいんだもん」
「会館へ入るまで我慢してください」
カレンは今日も余裕のある笑みを浮かべている。
北区の通りに立つと、その姿はいつも以上に堂々として見えた。
ここは彼女の戦場なのだろう。
商会の名。
信用。
契約。
誰と誰がつながっていて、誰の一言がどの店の流れを変えるのか。
俺の目には見えないものを、カレンは知っている。
リリア・フォルンは、その横で書類を確認しながら歩いていた。
月鐘会館へ搬入される品の一覧。
商工連絡会の参加者。
展示品。
会館内の魔道具。
そして、臨時の作業員名簿。
朝から何度も見ているはずなのに、ページをめくる手は止まらない。
「今日は魔流視を使わないんですよね?」
ノア・ルミナスが、俺の隣で確認する。
「基本的には」
「基本的には、ではなく、使わない予定です」
「……使わない予定です」
「必要になった場合は?」
「ノアさん、セリア、ミラの確認を取ります」
「よろしいです」
ノアは満足そうにうなずいた。
昨日決まった三者承認制は、本当に運用されるらしい。
少し前を歩いていたミラ・フォルネが、肩越しにこちらを見る。
「私の確認は、体調じゃなくて見る対象の確認だからね。どこを見るか決めずに発動しないこと」
「分かっています」
「入口と出口を先に絞る」
「はい」
「深視はなし」
「はい」
「返事だけはいいわね」
ひどい言われようだった。
けれど、誰も間違ったことは言っていない。
(見れば早い、は危ない)
昨日、地図を前にして考えたことを思い出す。
俺が一人で見れば解決する。
そんなことはない。
見えたところで、意味を説明するのはミラだ。
証拠として残すのはリリア。
物と金の流れを追うのはカレン。
危険な場所で前に立つのはセリア。
逃げ道を読むのはジノ。
怪我人と俺を止めるのはノア。
そして最近は、ガッシュにもできることが増えている。
一人で全部やろうとすれば、どこかで必ず止まる。
それを、前世で一度思い知っているはずだった。
◇
月鐘会館は、北区の中央広場に面していた。
白い石で造られた三階建ての建物。
正面には大きな円形窓があり、その上に銀色の鐘が飾られている。
名前の通り、月と鐘を模した意匠が多い。
入口の柱。
扉の取っ手。
階段の手すり。
細かな場所に、三日月の模様が刻まれていた。
「きれい……」
ノアが思わずつぶやく。
俺も同じことを思った。
南市の工房や倉庫とは、まるで違う。
危険なものが隠されているようには見えない。
だからこそ、厄介なのだろう。
「見た目がきれいでも、流れまできれいとは限らないわ」
ミラが言った。
「分かってるけど、少しくらい感動してもいいでしょ」
セリアが返す。
「私は別に止めてない」
「言い方が止めてた」
そんなやり取りをしながら、俺たちは会館へ入った。
中では、すでに明日の会合に向けた準備が進んでいる。
長机。
椅子。
商会ごとの名札。
展示品を置く台。
壁際には、会場照明用の魔光灯が並べられていた。
天井の中央には、大きな銀色の灯具が下がっている。
その周囲を囲むように、青い硝子で作られた小さな鐘が十二個。
月鐘会館の名物らしい。
風もないのに、かすかに揺れていた。
「ベルシア商会の方々ですね」
低い声がした。
奥から、背の高い男が歩いてくる。
黒い礼服。
きれいに整えられた口髭。
胸元には、北区商工連絡会の銀章。
五十歳前後だろうか。
男はカレンには丁寧に頭を下げた。
だが、俺たちを見る目には、少しだけ温度がなかった。
「月鐘会館の管理責任者、ベレント・クライスです」
「ベルシア商会のカレン・ベルシアです。本日は搬入品と会場魔道具の確認に参りました」
「伺っております」
ベレントは答えた。
そして、リリアの持つ書類や、ミラの工具箱へ目を向ける。
「ただ、少々大げさではありませんか?」
「大げさ?」
「南市で粗悪な魔道具が見つかったことは聞いております。しかし、ここは北区です」
その言葉に、ジノの眉が少し動いた。
ガッシュも男を見る。
ベレントは気づかないふりをして続けた。
「月鐘会館へ品を持ち込めるのは、身元の確認された商会と工房のみ。灯り小路の行商人や、南市の臨時工房とは違います」
口調は丁寧だ。
けれど、言っていることは分かりやすかった。
ここは違う。
北区の人間は、あんな失敗をしない。
危険は、貧しい場所から来る。
そう言いたいのだろう。
「黒環会は、地区を選んで入るわけではありません」
リリアが静かに言った。
「名称、信用、登録証。そのすべてが偽装される可能性があります」
「組合の受付職員に、北区商会の信用をご心配いただく必要はありません」
ベレントの口元が少しだけ上がる。
リリアは表情を変えなかった。
「信用があるから確認を省いてよい、という規定はありません」
「規定の話ではなく、程度の問題です」
「程度を判断するために確認します」
リリアの声は、どこまでも静かだった。
セリアが俺の横で、小さくつぶやく。
「リリアさん、怒ってる?」
「たぶん」
「敬語だから分かりにくい」
「敬語の時の方が怖いです」
ベレントの視線が、今度は俺へ向いた。
「そちらが、噂のEランクですか」
「シュウ・サエキです」
「魔力の異常が見えるとか」
「常に見えるわけではありません」
「なるほど」
ベレントは、あまり興味がなさそうに答えた。
「北区の会場設備は、専門の魔道具技師が管理しています。新人の感覚に頼る必要はないでしょう」
新人の感覚。
少し前なら、腹が立ったかもしれない。
いや、今も少し腹は立つ。
でも、言い返すより先に、カレンが柔らかく笑った。
「それは安心いたしました」
ベレントも笑みを返す。
「ご理解いただけて何よりです」
「専門の技師が管理しているのであれば、不備が見つかった際の責任も明確ですね」
ベレントの笑みが、ほんの少し止まる。
カレンは続けた。
「明日の参加者は、北区の主要商会と工房主です。会場設備に未登録品があった場合、管理責任は月鐘会館にある。その認識でよろしいでしょうか」
「未登録品などありません」
「では、確認しても問題はありませんね」
「……もちろんです」
カレンは笑顔のままだ。
けれど、もう逃げ道はなかった。
商売は、金だけでは続かない。
信用で続く。
カレンが何度も言ってきた言葉を思い出す。
北区の人間にとって、その信用は南市以上に重いのかもしれない。
「では、搬入記録から始めます」
リリアが書類を開いた。
◇
確認は、思っていた以上に時間がかかった。
展示品。
契約用の見本。
会場へ運び込まれた贈答品。
照明魔道具。
音響用の術式板。
飲み物を冷やす保冷箱。
明日の会合には、ずいぶん多くの品が持ち込まれる。
ミラと欠け星堂のマルクが、魔石を使っている品を順番に確認していく。
入口。
変換部。
出口。
ミラは必ず同じ順番で工具を当てる。
マルクは魔石そのものの傷や削り方を見る。
「これは普通の照明石じゃ」
「こっちは記録機能なし。音を広げるだけ」
「この装飾石は欠けておるが、問題ない。捨てる方がもったいない」
マルクは今日も、欠けた魔石にだけ少し優しい。
リリアは、確認済みの品へ一つずつ印をつけていく。
カレンは、荷札と封印紐、商会印を照合する。
ノアは、会館の職員や作業員の顔色を見ていた。
ジノとガッシュは搬入口へ回り、荷物を運ぶ者たちへ声をかけている。
俺とセリアは、会場の配置図を見ていた。
「何か気になる?」
セリアが聞く。
「まだ何とも」
「魔流視なしで分かる?」
「分からないものは分からないです」
「正直でよろしい」
ノアの言い方を真似したらしい。
少し笑ってしまった。
俺はもう一度、会場を見渡した。
中央の大きな灯具。
それを囲む十二個の青い鐘。
長机は、その真下へ円を描くように並べられている。
参加者は全員、鐘の内側に座る。
「どうしたの?」
「会場全体が、一つの輪みたいだなと思って」
セリアも天井を見上げた。
「鐘が丸く並んでるから?」
「それもあります」
見た目の問題だけではない。
照明の流れ。
音を広げる仕組み。
参加者の座る場所。
もし複数人の反応を測るなら、中央より、周囲から囲んだ方が拾いやすい。
前世で設備配置を考えた時と似ている。
測定したいものがあるなら、どこにセンサーを置くか。
死角はどこか。
入口と出口はどこか。
(魔流視を使わなくても、考えられることはある)
「十二個の鐘は、全部記録にありますか?」
俺はリリアへ聞いた。
リリアは書類をめくる。
「青硝子の月鐘、十二個。会館常設備品です」
「修理や交換は?」
「六日前に、二個の金具交換が行われています。北区のアルマ工房」
カレンがすぐに別の帳簿を確認する。
「アルマ工房は正規登録されています。ただし、金具の納入は別の配送業者ですね」
「どこですか?」
リリアが答える。
「黒鳩便です」
全員の動きが止まった。
ベレントが顔をしかめる。
「黒鳩便は、北区でも一般的に使われる業者です。それだけで疑うのですか」
「疑うのではありません」
リリアは言った。
「確認します」
ミラとマルクが、天井の鐘を一つずつ調べることになった。
高い場所なので、会館職員が移動梯子を持ってくる。
ミラが上ると言ったが、セリアに止められた。
「工具を持って上るの危なくない?」
「じゃあ誰が上るのよ」
「私」
「剣士に術式の確認ができる?」
「ミラが下から言って」
「面倒ね」
「落ちるよりいいでしょ」
結局、セリアが梯子に上り、ミラの指示で測定具を鐘へ当てることになった。
「一番、入口は?」
「正常」
「変換部」
「反応なし」
「出口」
「照明具へつながってる。普通」
一つ目。
二つ目。
三つ目。
十二個の鐘を、一つずつ確認していく。
九個目までは異常なし。
十個目。
「入口は普通」
セリアが答える。
「変換部……少し震えてる」
ミラの顔が変わる。
「工具を金具の裏へ当てて」
「ここ?」
「もう少し右」
小さな金属音がした。
「何かある」
セリアが言った。
「薄い板みたいなものが、金具の裏に挟まってる」
ミラが梯子の下から見上げる。
「外して」
「大丈夫?」
「ゆっくり。引っ張らず、横へずらして」
セリアが慎重に指を動かす。
取り出されたのは、爪ほどの薄い銀板だった。
表面には、青い塗料。
裏側には、細い黒い線が刻まれている。
マルクが受け取り、丸眼鏡の奥で目を細めた。
「記録石の粉を塗り込んでおる」
ミラも測定具を当てる。
「人の魔力反応を拾う術式片。単体ではほとんど何もできない。でも、複数あれば……」
「複数?」
ベレントの声が、少しだけ揺れた。
残りの鐘も確認する。
十一個目。
同じ銀板。
十二個目。
また同じもの。
三個。
黒鳩便が金具を運んだ二個だけではない。
「すでに別の時期から入れられていた?」
カレンが言う。
「あるいは、会館内部に協力者がいます」
リリアのペンが走る。
ベレントの顔色が変わる。
「そんなはずはない。この会館の職員は全員、身元を確認している」
「身元を確認していれば、間違いを起こさないのですか?」
リリアの言葉は静かだった。
「金に困らない人は、脅されないのですか。信用のある人は、利用されないのですか」
ベレントは答えられなかった。
少し前まで、南市とは違うと言っていた男だ。
だが、黒い流れはすでにこの会館へ入っている。
きれいな壁も。
高い信用も。
それだけでは防げなかった。
その時、搬入口の方から大きな声が聞こえた。
「待て!」
ガッシュの声だった。
続いて、何かが倒れる音。
俺たちは会場を飛び出した。
◇
搬入口では、若い荷運び人が床に座り込んでいた。
その前にガッシュが立っている。
ジノは、倒れた木箱の横で息を切らしていた。
「何があった?」
セリアが聞く。
ガッシュは若い男が持っていた小さな包みを指した。
「こいつが、記録にない荷物を中へ持ち込もうとした」
「違う!」
若い男が青い顔で叫ぶ。
「俺は頼まれただけだ! 会場中央の灯具へ渡せって!」
また、その言葉。
頼まれただけ。
ガッシュの表情が、一瞬だけ歪む。
たぶん、自分のことを思い出したのだろう。
けれど、怒鳴らなかった。
「誰に頼まれた」
「知らない。黒い外套の男だ。先に銀貨をくれた。荷物は小さいし、危ないものじゃないって」
「銀貨は?」
リリアが聞く。
若い男が震える手で袋を出した。
古い王冠印の銀貨。
灰鷲両替所で見たものと同じ系統だ。
灰鷲の資金口は押さえたはずなのに、まだ残っていた銀貨が使われている。
ガッシュが低い声で言った。
「中身を知らない仕事は、やめとけって言っただろ」
「俺はお前に言われてない!」
「……そうだな」
ガッシュは少しだけ言葉に詰まった。
「でも、俺も同じだった。金だけ受け取って、中身を見なかった」
若い荷運び人がガッシュを見る。
ガッシュは気まずそうに顔をそらした。
「偉そうに言える立場じゃねえけどよ。今ならまだ、中身を渡して話せる」
ジノが横から続ける。
「あと、逃げてもあっちの細道は白環がいるし、裏は俺が木箱倒したから通れない」
「お前、わざと倒したのか?」
「今回は作戦」
「今回はって何だよ」
若い男の表情が、ほんの少しだけ緩んだ。
ガッシュが手を差し出す。
「包み、渡せ」
男は迷った。
それから、ゆっくり包みを差し出した。
中に入っていたのは、青い硝子で作られた小さな鐘だった。
手のひらに乗るほどの大きさ。
月鐘会館の天井にある十二個と、よく似ている。
リリアが搬入記録を確認する。
「青硝子の月鐘は十二個。追加品の記録はありません」
「十三個目……」
セリアがつぶやいた。
ミラが工具を用意する。
「触らないで」
入口。
変換部。
出口。
測定具を当てた瞬間、ミラの顔が険しくなった。
「これが中核」
「中核?」
「天井の十二個が拾った反応を、これでまとめる。十二個だけでは記録がばらばら。でも十三個目を中央につなげれば、一つの輪になる」
俺は会場を振り返った。
中央の大きな灯具。
その真下には、明日、商工連絡会の代表者たちが座る。
北区の商会。
工房主。
供給網の再編を決める人たち。
全員の反応を拾い、まとめる。
何のために?
「ただ測るだけじゃない」
ミラが鐘を見つめる。
「この変換部、反応を返せるようになってる」
「返す?」
ノアが不安そうに聞く。
「拾った魔力の揺れを、少し整えて会場へ戻す。怒りを弱める。警戒を鈍らせる。安心しやすくする」
カレンの顔から笑みが消えた。
「契約を受け入れやすくするため……」
その言葉で、ヴァルドの狙いが見えた。
会合を襲うのではない。
商人を傷つけるのでもない。
供給網の再編について話し合う場で、参加者の警戒心を鈍らせる。
黒環会に都合のいい契約を、自然に受け入れさせる。
本人たちは、自分で決めたと思ったまま。
「流れの向きを、少しだけ変える」
俺はつぶやいた。
大きく操れば、誰かが気づく。
でも、小さな安心。
少しの迷いの消失。
あと一押しだけあれば、契約は決まる。
ヴァルドはそこを狙っている。
ベレントが青ざめた顔で鐘を見る。
「そんなものが、本当にこの会館へ……」
「南市とは違う、と言いましたね」
リリアが静かに言った。
ベレントの顔がこわばる。
「しかし、黒い流れはすでに入っています。正規業者、会館職員、前払い、黒鳩便。信用のある場所にも、隙はあります」
責める声ではなかった。
だからこそ重かった。
ベレントは何も言い返さなかった。
カレンが十三個目の鐘を見ながら言う。
「会合はどうしますか」
全員の視線が集まる。
セルヴィスなら中止を求めるだろう。
実際、搬入口の奥には白い外套が見えている。
でも、ここで会合を止めれば、仕掛けた人間は逃げる。
ヴァルドも別の場所へ流す。
「仕掛けは外します」
俺は言った。
「でも、会合は予定通り行う」
ベレントが驚いてこちらを見る。
「危険ではないのか?」
「危険な部分は、ミラとマルクさんに止めてもらいます。十三個目は、入ったように見せる」
ミラがすぐに意味を理解した。
「中身を空回りさせるのね」
「できますか?」
「できる。十二個の術式片も、反応を拾わないように変える。その代わり、誰かが起動しようとしたら痕跡が残るようにする」
カレンがうなずく。
「相手は、仕掛けが成功したと思って会合へ現れるか、外から起動を確認するはずです」
リリアが新しい記録紙を出す。
「会館職員、搬入業者、参加者、起動操作が可能な位置。確認項目を追加します」
ジノが手を上げる。
「俺は裏口と地下通路を見る。ここ、逃げ道多そうだし」
ガッシュも言った。
「前払いで雇われた作業員が、他にいないか確認する」
セリアは中央の会場を見た。
「私は会場の中。何か起きたら、参加者を守る」
ノアも小さくうなずく。
「体調が変わった方を見ます。魔力の乱れが出たら、すぐ知らせます」
カレンが俺を見る。
「シュウさんは?」
俺は十三個目の鐘を見た。
魔流視を使えば、もっと詳しく分かるかもしれない。
けれど、今日は使わないと決めた。
今、見るべきものは魔力だけではない。
「全体の流れを見ます」
俺は答えた。
「誰がいつ荷物を入れたか。誰がどこに立つか。誰が仕掛けの成功を確認しようとするか」
セリアが少し笑った。
「今日は目を使わないんだね」
「使わない目もありますから」
「何それ」
「自分でも今、少しかっこつけたと思いました」
ジノが横から言う。
「記録しとく?」
「しなくていいです」
「記録しました」
リリアの声がした。
「本当に?」
「冗談です」
たぶん。
◇
夕方。
月鐘会館の天井には、十二個の鐘が元通りに下がっていた。
ただし、中に隠されていた術式片は、ミラとマルクの手で細工されている。
十三個目の小さな鐘も、中央灯具の内部へ取り付けられた。
見た目は、黒環会が望んだ通り。
だが、中の流れは別の場所へ向けられている。
反応は集めない。
人の心へ戻さない。
代わりに、誰が起動しようとしたかを記録する。
「流れを逆に使うの、二回目ね」
ミラが工具を片づけながら言った。
「ダリオの時ほど派手じゃないですけど」
「派手じゃない方がいいのよ。魔道具は普通に止まるのが一番」
マルクも、中央灯具を見上げながらうなずいた。
「石は静かに働くのがよい。人を騒がせる石など、ろくなもんではない」
ベレントは、少し離れた場所で会館職員へ指示を出していた。
朝よりも声が低い。
表情も硬い。
南市を見下したことを、今さら謝るわけではない。
でも、自分たちも同じように入り込まれたことは理解したようだった。
帰り際、彼は俺たちの前へ来た。
「明日の会合については、あなた方の案を採用する」
カレンが軽く頭を下げる。
「ご協力に感謝します」
ベレントは少し言いづらそうに口を開いた。
「南市の件については……私は、認識を誤っていた部分がある」
謝罪としては、かなり遠回りだった。
ガッシュが小声で言う。
「素直じゃねえな」
「お前が言う?」
ジノが返す。
「俺はもう少しましだ」
「同じくらいだと思う」
「聞こえているぞ」
ベレントが二人を見る。
二人は顔をそらした。
リリアが静かに言う。
「認識の修正も、記録しておきます」
ベレントは複雑な顔をした。
それでも、否定はしなかった。
◇
月鐘会館を出た時には、北区の空は薄紫色に変わっていた。
通りには魔光灯がともり始めている。
白い石畳に、淡い光が反射していた。
南市の灯りとは違う。
明るくて、きれいで、安定している。
でも、その下にも同じように人がいる。
金に困る人。
信用を守りたい人。
地位を失いたくない人。
失敗を認められない人。
黒環会は、その違いに合わせて入り方を変える。
南市では、銀貨と仕事。
北区では、信用と契約。
同じ方法ではない。
けれど、やっていることは同じだ。
人が大事にしているものを見つけて、そこへ流れを差し込む。
「明日、誰が動くと思う?」
セリアが隣で聞いた。
「分かりません」
「ヴァルドは来るかな」
「本人は来ない気がします」
「また誰かを使う?」
「たぶん」
ヴァルドは、流れの先頭には立たない。
人を配置し、役割を分け、失敗すれば切り捨てる。
ダリオでさえ、記憶を焼かれた。
明日、月鐘会館へ来る者も、ヴァルドにとっては部品なのかもしれない。
「でも、今度は記録が残る」
俺は言った。
「誰かが切り捨てられる前に、流れをつかみたい」
セリアがうなずく。
「うん」
少し後ろでは、ガッシュがジノへ何か言っている。
「さっきの荷運び、俺が止めなかったらどうしてた」
「俺が木箱を倒してた」
「何でも木箱で解決すんな」
「便利なんだぞ、木箱」
「剣より使ってるんじゃねえか?」
「俺、剣持ってないし」
二人の声が、静かな北区の通りに少しだけ響く。
何人かがこちらを見る。
でも、もうさっきほど居心地の悪さは感じなかった。
北区も南市も、結局は同じ街だ。
流れが違うだけで、そこにいるのは人だ。
俺は振り返り、月鐘会館を見上げた。
円形窓の向こう。
十二個の青い鐘と、中央に隠された十三個目。
明日、それを起動しようとする者が現れる。
その先に、ヴァルド・グレイムへ続く三番系統がある。
(魔流視を使わなくても、一つ見つけられた)
そのことが、少しだけうれしかった。
でも、油断はできない。
明日の会合には、多くの人が集まる。
黒環会が何を用意しているかも分からない。
十三個目の月鐘は、こちらの手の中にある。
けれど、鳴らそうとする手は、まだ見えていない。
北区の鐘が、夕刻を告げた。
一度。
二度。
三度。
その音は澄んでいた。
それでも俺には、その奥にまだ鳴っていない黒い音が潜んでいるように思えた。
明日。
月鐘会館で、三番系統が動く。
第24話を読んでいただきありがとうございます。
今回は、北区の月鐘会館で会合前の安全確認を行う回でした。
南市では、金や仕事に困っている人たちが黒環会に利用されました。
一方、北区では、商会の信用や契約、供給網の決定権が狙われています。
月鐘会館では、十二個の青い鐘に魔力反応を拾う術式片が隠されていました。
さらに記録にない十三個目の鐘を中央へ取り付けることで、会場にいる人々の警戒心を弱め、契約を受け入れやすくする仕掛けが完成する予定でした。
シュウは今回は魔流視を使わず、会場配置や搬入記録、仲間の調査結果をつないで異常に近づいています。
ガッシュも、自分と同じように前払いで利用されかけた荷運び人を、殴るのではなく言葉で止めました。
次回は、北区商工連絡会が始まります。
仕掛けが成功したと信じる黒環会側の人間が、月鐘会館で動き始めます。




