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納期遅れで死んだ俺、異世界では魔力の詰まりが見えるらしい 〜最弱Eランクだけど、術式を読み替えて世界の流れを変えていく〜  作者: 好山 雪
第1章 月影の森で目覚める

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第23話 焼け残った記録

ダリオ・セインは捕らえられました。


けれど、彼の記憶の一部は、ヴァルド側の術式によって焼かれてしまいました。


南市で追ってきた流れは止まりかけている。


しかし、黒環会はすでに次の流れを北区へ移そうとしていました。


捕まえたのに、届かない。


助けたのに、まだ終わらない。


今回は、シュウたちが焼け残った記録を拾いながら、次に向かうための足場を整える回です。


第23話 焼け残った記録


 目を開けると、白い天井が見えた。


 見覚えのある天井だった。


 アルメリア支部の医務室。


 最近、ここで目を覚ます回数が増えている気がする。


(これは、あまりよくない傾向だな)


 そう思って起き上がろうとした瞬間、横から声が飛んできた。


「動かない」


 短い言葉。


 けれど、かなり強い。


 見ると、椅子に座ったセリア・グランツがこちらを見ていた。


 腕を組んでいる。


 怒っている。


 たぶん、かなり。


「おはよう」


「おはようじゃない」


「……すみません」


「すみませんも、もう聞き飽きた」


 セリアはそう言って、少しだけ視線をそらした。


 窓から朝の光が入っている。


 昨日の夜、南市旧荷捌き場でダリオ・セインをおびき出し、黒鳩便の集荷小屋で捕まえた。


 その時、俺は転送術式の起点を見るために、少し深く魔流視を使った。


 少し。


 ……いや、ノアやセリアから見れば、たぶん少しではなかった。


「どれくらい寝てました?」


「夜明け前まで。今は朝」


「そんなに?」


「そんなに」


 セリアの声がまた少し硬くなる。


「ノアがずっと診てくれてた。今は薬を取りに行ってる」


「そうですか」


「シュウ」


「はい」


「助かった人がいるのは分かってる。ガッシュが転送術式を壊せたのも、シュウが見たからだって分かってる」


 セリアは言葉を選ぶように、一つずつ言った。


「でも、見てるこっちは怖い」


 胸の奥が、きゅっと痛くなった。


 魔流視の反動とは違う痛みだった。


「すみません」


「だから、それは聞き飽きたってば」


 セリアはため息をついた。


 怒っているのに、どこか困ったような顔をしている。


「次からは、倒れる前に止まって」


「はい」


「本当に?」


「本当に」


「今、ちょっと反省してる顔してるから信じる」


「ちょっとだけですか」


「うん。前科があるから」


 何も言えなかった。


 その時、医務室の扉が開いた。


 ノア・ルミナスが、小さな盆を持って入ってくる。


 薬湯らしきものと、薄い粥が乗っていた。


「あ、起きていたんですね」


「おかげさまで」


「まだ起き上がらないでください」


「はい」


 すでに起き上がりかけていた俺は、そっと背中を戻した。


 ノアは薬湯を机に置き、俺の手首に指を当てた。


 呼吸。


 脈。


 それから、目の下。


 まるで毎朝の点検みたいに、順番に確認していく。


「まだ魔力の流れが乱れています。今日は魔流視は禁止です」


「禁止ですか」


「禁止です」


 ノアは珍しくきっぱり言った。


「どうしても必要な時は、私とミラさんとセリアさんの許可を取ってください」


「三者承認制……」


「はい」


 前世の仕事なら、承認ルートが多くて面倒だと思ったかもしれない。


 でも今は、その面倒さがありがたい。


 自分一人の判断だけで突っ走ると、たぶんまた倒れる。


「分かりました」


 俺がそう答えると、ノアは少しだけほっとした顔をした。


 セリアも腕を組んだまま、満足そうにうなずく。


「よし」


「完全に管理されてる」


「管理じゃないよ。見張り」


「もっと厳しい」


 セリアが少し笑った。


 医務室に、ようやく少しだけ普通の空気が戻った。


     ◇


 昼前になって、俺はようやく調査室へ行く許可をもらった。


 ただし、条件付き。


 走らない。


 長時間立たない。


 魔流視を使わない。


 ノアが薬湯を飲ませ、セリアが付き添い、ミラに会ったら体調を報告すること。


 まるで出荷前検査みたいだ。


 調査室に入ると、空気はすでに忙しかった。


 机の上には、昨日回収した証拠品が並んでいる。


 黒鳩便の小箱。


 記録石三つ。


 ダリオが持っていた布袋。


 転送術式に使われた黒い石の破片。


 銀鎖の印がついた小さな金属板。


 リリア・フォルンは、いつものように静かにペンを走らせていた。


 カリ、カリ、カリ。


 その音を聞くと、なぜか少し安心する。


 リリアが記録している限り、昨日の出来事は流れて消えない。


「おはようございます、シュウ様」


「おはようございます。昨日はすみません」


「謝罪は記録しておきますか?」


「それはしなくていいです」


「では、口頭確認のみとします」


 冗談なのか本気なのか分からない。


 たぶん半分本気だ。


 ミラ・フォルネは、記録石を一つずつ測定具にかけていた。


 目の下に少し隈がある。


 かなり遅くまで解析していたのだろう。


「起きたのね」


「はい。ご迷惑をおかけしました」


「迷惑というより、手間」


「すみません」


「あとでノアに怒られなさい」


「もう怒られました」


「足りないわね」


 ミラはそう言いながら、記録石に工具を当てた。


「で、結果だけ言うと、ダリオの記憶はかなり焼かれてる」


「やっぱり……」


「でも、全部じゃない」


 俺は顔を上げた。


 ミラは記録石を指で軽く叩いた。


「ヴァルド側の術式は、ダリオの頭の中にある“直接つながる記憶”を焼いた。ヴァルド本人の居場所、連絡手段、次の受け渡し先。そういう中核情報ね」


「それじゃ、何が残ったんですか?」


「癖」


「癖?」


 ミラは少しだけ口元を上げた。


「人間って、記録石と違ってきれいに消せないのよ。記憶を焼いても、手癖、歩き方、よく使う言葉、怖がるもの、行き慣れた道。そういうものは残る」


 リリアが帳簿を閉じる。


「ダリオ本人は、現在、断片的な記憶混濁状態です。ですが、いくつかの単語には反応しました」


「単語?」


「北区、三番系統、青硝子、白羽橋、そして――」


 リリアのペン先が止まる。


「月鐘会館」


 聞き慣れない名前だった。


「月鐘会館?」


 セリアが首をかしげる。


 カレン・ベルシアが少し表情を変えた。


「北区にある会館です。商人や工房主、資産家たちの会合に使われます。慈善会、展示会、契約会、音楽会。表向きは品の良い場所ですね」


「表向きは」


 ガッシュが壁際からぼそっと言った。


 今日も彼はいる。


 腕を組み、相変わらず不機嫌そうな顔をしているが、帰る気はなさそうだった。


 ジノ・バレットはその隣で椅子に逆向きに座っていた。


「北区って、南市と全然違うよな。道きれいだし、店も高いし、俺みたいなのが歩くと衛兵に見られる」


「見た目の問題じゃないの?」


 ガッシュが言う。


「お前も大して変わらないだろ」


「俺はDランクだ」


「今、それ便利に使うなよ」


 二人の言い合いは、いつもの調子だった。


 けれど、北区という言葉に、みんな少しだけ緊張している。


 南市は、金に困った人や仕事のない職人が狙われた。


 では、北区では何が狙われるのか。


 カレンが地図の北側を指した。


「北区は、流れが太い場所です。金、信用、契約、工房の発注権。南市とは違う形で、黒環会にとって利用価値があります」


「貧しい地区だけじゃないんですね」


 俺が言うと、カレンはうなずいた。


「ええ。南市では弱い流れに入り込んだ。北区では、強い流れの向きを変えるつもりかもしれません」


 強い流れの向きを変える。


 金や信用を押さえれば、街全体の物の流れが変わる。


 南市で実証したものを、北区の商流に乗せる。


 そうなれば、規模が変わる。


 リリアが新しい紙を広げた。


「昨日の記録石には、ヴァルド・グレイムの声で『三番系統へ移せ』『次は北区だ』という記録が残っていました。ダリオの反応と照合すると、北区月鐘会館が次の重要地点である可能性が高いです」


 セリアが眉をひそめる。


「会館で、新型補助環を使うってこと?」


「断定はできません」


 リリアはきちんと言った。


「ただし、商人や工房主が集まる場所で何かを行う可能性があります」


 ミラが記録石の一つを示す。


「それと、これ」


 小さな石の中に、細い線が揺れている。


「雨樋倉庫の記録石とは少し違う。人の魔力反応だけじゃなくて、複数人の反応を同時に拾うように調整されてる」


「複数人?」


 ノアが不安そうに聞く。


「大勢が集まる場所で使う想定かもしれない」


 部屋が静かになった。


 月鐘会館。


 商人や工房主が集まる場所。


 複数人の魔力反応を拾う記録石。


 新型補助環の次の型。


 点が、嫌な形でつながっていく。


「北区の会合はいつですか」


 俺が聞くと、カレンが帳簿を開いた。


「明後日の夕刻です。月鐘会館で、北区商工連絡会があります。議題は、南市での騒動を受けた供給網の再編」


「供給網の再編……」


 前世で聞き慣れた言葉に、少しだけ胃が重くなった。


 供給網。


 サプライチェーン。


 どこから仕入れ、どこで作り、どこへ運ぶか。


 それを握れば、街の流れを握れる。


 ヴァルドが狙うには、ぴったりの場所だ。


 その時、扉が開いた。


 白い外套。


 セルヴィス・アルカードだった。


 相変わらず、音もなく入ってくる。


 セリアが少し嫌そうな顔をする。


「また勝手に」


「扉は開いていました」


「それは言い訳にならないと思う」


 セルヴィスは気にせず、地図の北区を見た。


「月鐘会館。やはりそこですか」


「知っていたんですか?」


 俺が聞くと、セルヴィスは淡々とうなずいた。


「白環にも、北区で黒い流れの兆候があるという報告が入っています」


「じゃあ、なぜ先に言わなかったんですか」


 セリアの声が少し鋭くなる。


「確認中でした」


「こっちは南市でずっと走り回ってたのに?」


「未確認情報を共有すれば、混乱が広がります」


 セリアが一歩出ようとする。


 俺は軽く手で止めた。


 ここで感情だけぶつけても、セルヴィスは動かない。


「白環は、月鐘会館をどうするつもりですか」


 俺が聞くと、セルヴィスは迷いなく答えた。


「会合の中止。会館の封鎖。関係者の出入り制限」


 ジノが小さくつぶやく。


「安定の封鎖」


「封鎖は有効です」


 セルヴィスはジノを見る。


「黒環会の流れは、大勢が集まる場で広がりやすい。ならば、集まりそのものを止める」


「それをやれば、ヴァルドは別の会合へ移すだけです」


 俺は言った。


「南市で見てきました。一つ止めれば、別のルートへ流れる」


「だから、広く止める」


「広く止めれば、北区の商流が詰まります。詰まれば、別の抜け道を探す。そこに黒環会が入る」


 セルヴィスの目が細くなった。


「あなたは、また流れを残すつもりですか」


「はい」


「危険を承知で?」


「危険を見えるようにしながら」


 部屋の空気が張り詰める。


 エルネスト・ヴァイスは、部屋の奥で腕を組んでいた。


 いつからいたのか、気づかなかった。


 彼はしばらく黙っていたが、やがて低く笑った。


「お前ら、毎回同じ喧嘩してんな」


「喧嘩ではありません」


 セルヴィスが言う。


「話し合いだよな」


 ジノが小声で言う。


「半分喧嘩だけど」


 ガッシュが返す。


「お前、そういうこと言うと白いやつに見られるぞ」


「もう見られてる」


 セルヴィスの視線が二人に向いた。


 二人は同時に黙った。


 エルネストは地図の前へ進む。


「月鐘会館を完全に止めれば、ヴァルドは逃げる。かといって何もしなけりゃ、北区の商人どもがまとめて利用されるかもしれん」


「では、どうすると?」


 セルヴィスが聞く。


 エルネストは俺を見た。


「シュウ。お前ならどうする」


 急に振られた。


 でも、たぶん考えるべきことは一つだ。


 止めるか、流すかではない。


 危ない流れだけを見えるところへ出す。


「会合は中止しない」


 俺は言った。


 セリアが少し驚いた顔をする。


 セルヴィスの目が冷たくなる。


 俺は続けた。


「でも、会館に入る魔道具、魔石、記録石、装飾品、贈答品を全部確認する。商人本人の流れじゃなくて、持ち込まれる物の流れを見る」


 リリアがすぐにペンを走らせる。


「搬入物の管理ですね」


「はい。会合そのものを止めると、ヴァルドは逃げる。でも、会合があるなら何かを持ち込むはずです」


 カレンがうなずく。


「北区の商人は、贈答品や展示品、契約用の見本を多く持ち込みます。そこに混ぜる可能性がありますね」


 ミラが続ける。


「新型補助環をそのまま持ち込むとは限らない。装飾品、測定具、会場照明、音響魔道具に偽装するかも」


「なら、検査具が必要です」


 俺はミラを見る。


「作れますか?」


「作るしかないでしょ」


 ミラはため息をついた。


「ただし、全部を見るには人手が足りない。私一人じゃ無理」


「欠け星堂のマルクさんに協力してもらえますか?」


 カレンが言った。


「感応魔石と記録石なら、あの方の目が必要です」


 リリアも紙に書き加える。


「ベルシア商会の監査人、欠け星堂、組合記録、白環監視。四者で確認体制を作れば、会合を止めずに監視できます」


 セルヴィスは黙っていた。


 その顔からは、賛成か反対か読めない。


 やがて、彼は静かに言った。


「非効率です」


「分かってます」


「手間が多い」


「はい」


「穴も残る」


「だから、皆で塞ぎます」


 セルヴィスは俺を見た。


「あなたは、自分が見れば済むとは言わないのですね」


 その言葉に、少しだけ詰まった。


 以前の俺なら、そう言っていたかもしれない。


 自分が見れば早い。


 自分が頑張ればいい。


 自分が無理すれば回る。


 でも、それではまた同じになる。


「俺一人じゃ、たぶん見落とします」


 俺は答えた。


「それに、見えたとしても、俺だけでは止められない」


 セリアが静かにこちらを見た。


 ノアも少しだけ安心した顔をする。


 ミラはふん、と鼻を鳴らした。


「ようやく分かってきたわね」


「教育の成果です」


「まだ途中だけどね」


 リリアがペンを止める。


「では、月鐘会館の確認体制を作ります」


 カレンがうなずく。


「北区の商人たちには、ベルシア商会から話を通します。ただし、黒環会の名前を出しすぎると混乱します。表向きは、南市事件を受けた安全確認ですね」


 ジノが手を上げる。


「俺は?」


「会館の逃げ道と裏口確認」


 俺が言うと、ジノは少し嬉しそうに胸を張った。


「任せろ。怖いけど」


 ガッシュも低く言う。


「俺は荷物運びの連中を見る。怪しい前払いに乗りそうなやつなら、なんとなく分かる」


 それは、少し苦い役割だった。


 自分が利用されかけたからこそ分かる視点。


 ガッシュはそれを口にしたあと、少し気まずそうに顔をそむけた。


 セリアが軽く笑う。


「ちゃんと役に立つじゃない」


「上から言うな」


「だって、前は邪魔だったし」


「はっきり言うな!」


 調査室に小さく笑いが起きる。


 セルヴィスだけは笑わなかった。


 けれど、以前のようにすぐ否定もしなかった。


「白環は外周を監視します」


 彼は言った。


「ただし、黒い流れが会場内で起動する兆候があれば、即時封鎖に切り替えます」


「分かりました」


「シュウ・サエキ」


「はい」


「あなたは明日、魔流視を使わないこと」


「え?」


 思わず声が出た。


 セルヴィスは淡々と言う。


「反動が残っている状態で北区へ入れば、判断が鈍ります。あなたの役割は、見続けることではなく、流れの組み方を考えることです」


 意外だった。


 セルヴィスの言葉としては、かなりまともに聞こえた。


 いや、まともと言うと失礼かもしれない。


 でも、少しだけ見方が変わっている気がした。


「……分かりました」


 俺が答えると、セリアとノアが同時に満足そうにうなずいた。


 ガッシュがぼそっと言う。


「白いやつにまで止められてんじゃねえか」


「本当ですね」


「情けねえ」


「否定できない」


 ジノが笑う。


「シュウ、見張りが増えたな」


「増えすぎている」


 リリアが静かに言った。


「必要であれば、見張り担当表を作成します」


「それは本当にやめてください」


     ◇


 その日の夕方。


 俺たちは一度、灯り小路へ向かった。


 北区へ行く前に、南市と灯り小路の状況を確認しておきたかった。


 灯り小路の入口では、生活通行、商流通行、警戒通行の三つの札がまだ立っている。


 白環の守り手もいる。


 組合員もいる。


 ベルシア商会の荷も入っている。


 完全に元通りではない。


 でも、完全に止まってもいない。


 子どもたちが、弱い街灯の下で遊んでいた。


 その光は、以前より少しだけ安定して見える。


 ジノの妹ミナが、こちらに気づいて手を振った。


「お兄ちゃん!」


 ジノが照れくさそうに手を振り返す。


「おう。ちゃんと母ちゃんの薬、もらえたか?」


「うん。今日は早く通れたよ」


 その言葉に、ジノの顔が少し緩んだ。


「そっか」


 たぶん、それだけで十分だった。


 全部は解決していない。


 でも、今日必要な薬は届いた。


 通れる道が残った。


 それは小さいようで、とても大きい。


 ガッシュは少し離れた場所で、その様子を見ていた。


「俺、前に言ったよな」


「何を?」


 俺が聞くと、ガッシュは気まずそうに目をそらした。


「灯り小路なんか封鎖しちまえばいいって」


「ああ」


「……悪かったとは、まだ言わねえ」


「言わないんですか」


「言いづれえんだよ」


 ガッシュは頭をかいた。


「でも、あの子ら見てると、まあ……簡単に言うもんじゃねえなって思っただけだ」


 それは、彼なりの反省だったのだろう。


 素直ではない。


 けれど、少しずつ変わっている。


「十分です」


「十分じゃねえだろ」


「今は十分です」


 ガッシュはふん、と鼻を鳴らした。


 セリアが横で小さく笑っている。


 空は夕暮れに染まっていた。


 灯り小路の街灯が一つ、また一つとともっていく。


 まだ弱い光だ。


 でも、そこに人がいる。


 声がある。


 暮らしがある。


(北区へ行く前に、ここを見ておいてよかった)


 黒環会は流れを移す。


 南市を切り捨て、北区へ行く。


 でも、切り捨てられた側にも、暮らしは残る。


 そこを見ずに次へ行けば、俺たちも同じになってしまう。


 リリアが記録板に短く何かを書いた。


「何を書いたんですか?」


 俺が聞くと、リリアは少しだけ考えてから答えた。


「灯り小路、管理通行継続。薬の通行確認。子どもの外出確認。街灯、安定傾向」


 淡々とした言葉だった。


 でも、それはただの記録ではない。


 この場所が、まだ生きているという証拠だった。


 ノアが小さく言う。


「記録は、安心にもなるんですね」


 リリアは少しだけ目を細めた。


「そうでありたいと思っています」


 その言葉は、静かに胸に残った。


     ◇


 夜。


 アルメリア支部に戻ると、調査室の地図には新しい線が引かれていた。


 南市から北区へ。


 そして、北区の中心にある月鐘会館へ。


 明日から、準備が始まる。


 明後日の夕刻には、北区商工連絡会。


 ヴァルドが何を仕掛けるのかは、まだ分からない。


 でも、南市で見てきたものがある。


 灯り小路の住民。


 ルベン紐工房。


 灰鷲両替所。


 南市臨時工房。


 赤錆亭。


 ルド革具店。


 欠け星堂。


 ガッシュの銀貨。


 ジノの家族。


 若い職人の火傷。


 マルクの欠けた魔石。


 ダリオの言葉。


 その全部が、ただの事件の記録ではなく、次に向かうための足場になっている。


 俺は地図の前に立った。


 今日は魔流視を使わない。


 見えない目で、地図を見る。


 線の意味を考える。


 どこが詰まり、どこが抜け道になり、誰がそこにいるのか。


(見えるだけじゃ駄目だ)


 俺は静かに息を吐いた。


(考えて、つないで、皆で動ける形にする)


 それが、今の俺にできることだ。


 窓の外では、アルメリアの夜がゆっくり広がっていた。


 南市の灯り。


 灯り小路の細い光。


 そして、北区の高い建物にともる白い灯り。


 流れは、北へ向かっている。


 ヴァルド・グレイムの影も、そこにある。


 けれど、今度は追うだけではない。


 こちらも、準備して向かう。


 焼け残った記録を抱えて。


 まだ消えていない人の声を、置き去りにしないように。


 明日、北区へ行く。


第23話を読んでいただきありがとうございます。


今回は、ダリオ捕縛後の整理回でした。


ダリオの記憶は一部焼かれてしまいましたが、完全に消えたわけではなく、反応した言葉や残された記録から「北区」「三番系統」「月鐘会館」という次の手がかりが見えてきました。


南市で追ってきた流れは、黒環会にとって切り捨て対象となり、次は北区へ移ろうとしています。


一方で、シュウたちは南市や灯り小路を置き去りにせず、管理通行が機能しているか、薬や生活の流れが残っているかを確認しました。


ガッシュも、灯り小路を簡単に封鎖すればいいと言っていた

自分を少しだけ振り返っています。


次回は、北区と月鐘会館に向けた準備に入り、南市とは違う

「太い流れ」の中で黒環会が何を狙っているのかを探っていきます。


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