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納期遅れで死んだ俺、異世界では魔力の詰まりが見えるらしい 〜最弱Eランクだけど、術式を読み替えて世界の流れを変えていく〜  作者: 好山 雪
第1章 月影の森で目覚める

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第22話 流れを逆に流す

感応魔石と記録石を押さえたシュウたち。


封印紐、外枠、固定具、固定ベルト、資金、魔石。


新型補助環を作るための流れは、少しずつ見えてきました。


けれど、ダリオ・セインはまだ逃げています。


仕事を流す男を捕まえるには、こちらからも流れを作るしかない。


今回は、シュウたちが危険な仕事を逆手に取り、ダリオをおびき出すための罠を仕掛けます。


 アルメリア支部の調査室には、いつの間にか一枚の大きな地図が貼られていた。


 灯り小路。


 雨樋倉庫。


 西門の馬車置き場。


 灰鷲両替所。


 南市臨時工房。


 赤錆亭。


 ルド革具店。


 欠け星堂。


 点だったものが、今は線でつながっている。


 リリア・フォルンの字で、細かく書き込みがされていた。


 封印紐。


 外枠。


 固定具。


 固定ベルト。


 感応魔石。


 記録石。


 前払い銀貨。


 それぞれの線が、最終的に一つの名前へ向かっている。


 ダリオ・セイン。


 そして、その奥に小さく書かれた文字。


 V・G。


 ヴァルド・グレイム。


「こうして見ると、腹立つくらい丁寧だな」


 ジノ・バレットが地図を眺めながら言った。


「部品ごとに場所を分けて、金も分けて、運ぶ人も分けて。俺だったら途中で何をどこに頼んだか忘れるぞ」


「お前は忘れそうだな」


 ガッシュがぼそっと言う。


「否定できないからやめて」


 ジノが少し傷ついた顔をした。


 その横で、ミラ・フォルネは欠け星堂で回収した感応魔石を見ていた。


 細い測定具を当て、入口、変換部、出口を順番に確認している。


「これで中核部分はかなり読める。新型補助環は、周囲から魔力を集めるんじゃなくて、対象の揺れを記録するのが主目的ね」


「つまり、人の反応を見るため?」


 セリア・グランツが聞く。


「そう。痛み、疲労、魔力酔い、回復までの時間。そういうものを拾う作り」


 ミラの声には、はっきり嫌悪が混じっていた。


「魔道具としてはよくできてる。でも、使い道が最低」


 ノア・ルミナスが小さく両手を握った。


「そんなものを、子どもや病気の人に使うなんて……」


 ジノの顔から軽さが消えた。


 彼の母エレナも、灯り小路の近くを通っていた。


 妹のミナも、巻き込まれたかもしれない。


 そのことは、たぶんまだ彼の中に残っている。


「で、どうすんだ?」


 ガッシュが腕を組んだ。


「証拠は増えた。でも、ダリオは逃げてる。ヴァルドなんとかってやつも出てこねえ」


「ヴァルド・グレイムです」


 リリアが訂正する。


「そう、それ」


「名前を正確に覚えるのは大切です」


「分かったよ」


 ガッシュは面倒くさそうに言ったが、以前のように反発はしなかった。


 彼も少しずつ変わっている。


 いや、変わろうとしているのかもしれない。


 カレン・ベルシアは、地図の前で静かに考えていた。


 いつもの余裕ある笑みはある。


 けれど、目は真剣だ。


「ダリオは、仕事が必要な場所へ現れます」


「仕事が必要な場所?」


 俺が聞くと、カレンはうなずいた。


「金に困った冒険者。仕事のない職人。急ぎの加工を受ける臨時工房。半端な魔石を扱う問屋。彼は、弱い流れに仕事を差し込む」


「なら、こっちから仕事を流せばいい」


 俺が言うと、全員の視線が集まった。


 自分で言ってから、少しだけ言葉の危うさに気づく。


 仕事を流す。


 それは、ダリオと同じことにも聞こえる。


 セリアが少し眉を寄せた。


「危ない仕事を、誰かに頼むってこと?」


「違う。危ない仕事に見えるけど、中身は安全なものにする」


 俺は地図を見ながら続けた。


「ダリオは、足りない部品や人を探している。だったら、こちらから“足りないものを持っている相手”を作る。そこに食いつかせる」


 ミラが目を細めた。


「囮の部品を作るってこと?」


「はい。新型補助環に使えそうに見えるけど、実際には使えない部品」


「できる」


 ミラは即答した。


 こういう時だけ返事が早い。


「入口と出口を本物っぽく見せて、変換部だけずらす。見た目は使える。でも組み込むと流れが空回りする」


「危険は?」


「起動しないようにする。あと、追跡用の微弱な魔力粉を混ぜられる」


 カレンが静かに微笑んだ。


「それを、商流に流すわけですね」


「ええ。ただし、本当に危険な人には渡さない。ベルシア商会の管理下で、噂だけを流す」


 リリアがペンを持ち上げる。


「噂の文言が重要です」


「文言?」


「ダリオが食いつく程度には魅力的で、無関係な職人や冒険者が巻き込まれない内容にしなければなりません」


 リリアの言う通りだった。


 雑に噂を流せば、金に困った人が本当に集まってしまう。


 それではダリオと同じだ。


 俺たちは、人を餌にしてはいけない。


 カレンが少し考えてから言った。


「こういうのはどうでしょう」


 彼女は帳簿の余白に、さらさらと文字を書いた。


 ――半端な感応魔石を安定させる試作品あり。

 ――急ぎの仲介相談可。

 ――ただし、取引は信用ある仲介人のみ。


 ジノが首をかしげる。


「これで来るのか?」


「来ます」


 カレンは言い切った。


「ダリオは、自分を“信用ある仲介人”だと思っています。もしくは、そう見られたい。こういう言葉には反応します」


 ガッシュが鼻で笑った。


「嫌なやつって、面倒だな」


「あなたも以前は、かなり面倒でしたよ」


 リリアがさらりと言う。


「おい」


「記録上、事実です」


「記録するな、そういうの」


 ジノが横で笑っていた。


「ガッシュ、記録に残る男だな」


「お前も大概残ってるだろ。叫び声とか」


「それは消してほしい」


「残っています」


 リリアが静かに言った。


 ジノががっくり肩を落とす。


 少しだけ、調査室の空気が軽くなった。


 けれど、すぐに扉が開いた。


 入ってきたのは、白い外套の男だった。


 セルヴィス・アルカード。


 白環の守り手。


 彼は地図と机の上の証拠品を見て、静かに言った。


「囮作戦ですか」


「聞いていたんですか?」


 セリアの声が少し尖る。


「扉の外まで聞こえていました」


「勝手に聞かないで」


「聞こえる声量でしたので」


 セリアがむっとする。


 セルヴィスは気にしない。


「反対です。危険な流れを意図的に作るべきではありません。ダリオ・セインの関係先はすべて封鎖し、関係者を拘束する方が早い」


「また封鎖かよ」


 ジノが小さくつぶやく。


 セルヴィスの目がそちらへ向く。


「黒環会は、隙間から入り込みます」


「全部塞いだら、普通に暮らしてる人まで詰まります」


 俺は言った。


「ダリオは、仕事がない人や金に困っている人に入り込む。そこを全部止めれば、次はもっと見えない場所へ行く」


「ならば、より広く止めればいい」


「それだと街が止まる」


「一時的な停止で済みます」


「その“一時的”で困る人がいる」


 セルヴィスの目は冷たい。


 悪意があるわけではない。


 たぶん、本気で街全体を守ろうとしている。


 でも、その全体の中に、一人ひとりの顔はあまり見えていない。


 俺は一度、息を整えた。


「囮には、無関係な人を使いません。ベルシア商会の管理下で流します。部品も安全なものにする。白環にも監視してもらって構いません」


「あなた方は、危険を細かく扱えると考えている」


「扱えるとは言いません。でも、全部切るよりは、流れが見える」


 セルヴィスはしばらく黙った。


 その視線が、机の上の感応魔石へ移る。


「ダリオは逃げ足が速い。失敗すれば、次はさらに深く潜ります」


「だから、逃げ道も見る」


 ジノが手を上げた。


「俺が」


 セルヴィスは少しだけ意外そうにジノを見た。


「あなたが?」


「怖いけどな。でも、逃げ道なら分かる。あいつがどう逃げるかも、少し分かってきた」


 ガッシュも、低く言った。


「俺も行く」


 全員が少し驚いてガッシュを見る。


 彼は気まずそうに視線をそらした。


「何だよ」


「いや、素直に言ったなと思って」


 俺が言うと、ガッシュは舌打ちした。


「俺を利用したやつにつながってるんだろ。だったら、見届ける」


「殴るため?」


 セリアが聞く。


「……殴らねえよ。たぶん」


「たぶん?」


「努力する」


 ミラがぼそっと言った。


「前よりは成長してる」


「上から目線やめろ」


「事実だから」


 セルヴィスは、そんな俺たちを一通り見た。


「妙な集団ですね」


「よく言われます」


 ジノがなぜか得意げに答える。


「褒めていません」


「知ってます」


 セルヴィスは軽く息を吐いた。


「白環の監視をつけます。少しでも危険が広がる兆候があれば、即座に止めます」


「分かりました」


「シュウ・サエキ。あなたは魔流視の使用を最小限にしてください」


「え?」


 意外な言葉に、俺は思わず聞き返した。


 セルヴィスは表情を変えない。


「あなたが倒れると、作戦全体が乱れます。鍵が折れては意味がない」


「鍵じゃありません」


「では、重要部品です」


「もっと嫌です」


 セリアが横で小さく吹き出した。


 セルヴィスは真顔のままだ。


 たぶん、本気で言っている。


 やっぱり少しずれている。


     ◇


 囮の部品作りは、ミラの整備室で行われた。


 小さな金属環。


 感応魔石に似せた青い欠片。


 魔力粉を混ぜた固定材。


 見た目だけなら、本物に近い。


 けれど、ミラいわく「中身は空回りするだけ」らしい。


「これを本物だと思って組み込んだら?」


 セリアが聞く。


「起動しない。流れが輪の中をぐるぐる回って終わり」


「危なくない?」


「危なくないように作ってるの。危なくする方が簡単なんだから、感謝して」


 ミラはそう言いながら、細い工具で溝を刻んだ。


 入口。


 変換部。


 出口。


 彼女は必ず順番に確認する。


 シュウの魔流視とは違う。


 目に見えないものを、手順で見える形にしていく。


 それがミラの強さだった。


「シュウ、見て」


 ミラに呼ばれ、俺は作業台へ近づいた。


「魔流視じゃなくて、普通に見て」


「はい」


「この入口の向き、どう見える?」


「少し右へ流れそうです」


「正解。見なくても分かるようになってきたじゃない」


「褒められてます?」


「少しだけ」


 ガッシュが横で鼻を鳴らす。


「お前も少しだけかよ」


「ミラさんの褒めは貴重だから」


「ありがたがるな」


 ミラは気にせず、部品を布に包んだ。


「これで囮は完成。追跡用の魔力粉も入れた。ダリオが触れば、しばらく薄い跡が残る」


「魔流視で見える?」


「集中視なら見えるはず。深視はいらない」


 それを聞いて、ノアとセリアが同時にうなずいた。


「なら大丈夫ですね」


「深く見たら止める」


「信用がない」


「実績の問題」


 セリアの返しが早い。


 何も言えない。


     ◇


 噂は、カレンの商会から静かに流された。


 大げさに宣伝はしない。


 赤錆亭の女将に一言。


 欠け星堂のマルクに一言。


 南市臨時工房で信頼できる職人に一言。


 そして、ベルシア商会の裏取引を装った短い伝言。


 ――半端な感応魔石を安定させる試作品あり。

 ――信用ある仲介人なら相談可。

 ――今夜、南市旧荷捌き場にて確認。


 南市旧荷捌き場。


 昔は朝市の荷を分ける場所だったらしい。


 今は半分使われなくなり、夜は人通りが少ない。


 ただし、周囲に逃げ道は多い。


 ダリオが好みそうな場所。


 そして、ジノが逃げ道を読みやすい場所でもある。


「ここ、逃げるにはいいけど、追うにもいい」


 ジノは荷捌き場の隅で、木箱の配置を見ながら言った。


「正面、裏路地、水路、屋根。逃げ道は四つ。でも、どれも途中で一回は細くなる。そこを押さえればいける」


「頼りになるな」


 俺が言うと、ジノは少し照れたように鼻をこすった。


「まあな。俺、逃げることに関しては真面目だから」


「そこは胸を張るところなのか?」


 ガッシュが言う。


「胸を張るところだよ。怖くても逃げ道が分かれば、ちょっとだけ前に出られる」


 その言葉に、ガッシュは黙った。


 意外と刺さったのかもしれない。


 セリアは荷捌き場の中央で、足元を確かめていた。


 右足で地面を軽く踏む。


 石畳の滑り。


 木箱の位置。


 人が飛び出してきた時の間合い。


 剣を抜く前に、戦う場所を見ている。


「セリア、今日は無理に追わなくていい」


「分かってる」


「本当に?」


「本当に」


 セリアは俺を見て、少し笑った。


「前に出るだけじゃなくて、止まるのも役目でしょ」


「そうですね」


「何、そのちょっと嬉しそうな顔」


「いや、成長してるなと」


「年下扱いしないで」


 軽く睨まれた。


 でも、怒ってはいない。


 リリアは荷捌き場の隅に小さな記録机を置いていた。


 夜でも書けるように、小さな魔光灯が灯っている。


「時刻、接触者、会話内容、受け渡し物、逃走方向。可能な限り記録します」


「暗いのに書けるんですか?」


 ジノが聞く。


「書けます」


「怖いな」


「なぜですか」


「いや、何でもないです」


 カレンは囮の部品を小箱に入れ、商人らしい落ち着いた顔で待っていた。


 ミラは少し離れた場所で、追跡用の魔力粉に反応する小さな検査具を持っている。


 ノアは奥で待機。


 白環の守り手は、さらに外側で監視していた。


 セルヴィスの姿もある。


 白い外套が月明かりに浮かんで見えた。


 味方。


 のはずだ。


 でも、やはり完全には安心できない。


 黒環会は濁った流れを作る。


 白環はそれを断ち切る。


 俺たちは、その間で細い道を探している。


 面倒で、遅くて、危なっかしい道だ。


 でも、その道しかない気がした。


     ◇


 月が高くなった頃、足音がした。


 一人ではない。


 二人。


 いや、三人。


 ジノが小さく指を立てた。


「正面に一人。右の路地に一人。屋根に……たぶん一人」


「屋根?」


 ガッシュが上を見る。


「見るな。気づかれる」


 ジノが小声で止めた。


 ガッシュは少し悔しそうにしながらも、従った。


 やがて、正面から男が現れた。


 ダリオ・セインではなかった。


 若い男だ。


 仕事を探している職人のような服装。


 ただ、目が落ち着きなく動いている。


 カレンが静かに前へ出る。


「仲介の方ですか?」


「……品を確認しに来た」


 男はそう言った。


「信用ある仲介人の代理、ということでよろしいですか?」


「そうだ」


 声が硬い。


 嘘をつき慣れていない。


 カレンは小箱を開けた。


 囮の部品が、青白く光る。


 男の目が動いた。


 欲しがっている。


 でも、価値を理解している目ではない。


 誰かに言われて取りに来ただけだ。


「本来なら、ご本人に確認いただきたい品です」


 カレンは微笑む。


「ダリオ・セイン様は?」


 男の肩がわずかに跳ねた。


 リリアのペンが動く。


 反応あり。


 そう書いているのが見えた気がした。


「名前は知らない」


 男は答えた。


「そうですか」


 カレンは小箱の蓋を半分閉じる。


「では、お渡しできません」


「待て。金はある」


 男は袋を出した。


 銀貨の音。


 ガッシュの顔がこわばる。


 あの音には、嫌な記憶があるのだろう。


 カレンは袋を見ない。


「信用ある仲介人のみ、とお伝えしたはずです」


「急ぎなんだ」


「何に?」


 男は黙った。


 その時、屋根の上で小さな音がした。


 瓦がずれる音。


 セリアが目だけを動かす。


 ジノが小さくつぶやく。


「屋根、動いた」


 ミラの検査具が、かすかに黒く光る。


「右路地にも反応。術式片を持ってる」


 俺は胸の奥に違和感を覚えた。


 小箱ではない。


 男でもない。


 右の路地の奥。


 そこから、細く嫌な流れが伸びている。


 ダリオか。


 いや、違う。


 もっと薄い。


 追跡用の魔力粉ではない。


 黒輪術式の起動線だ。


 俺は息を細く吐きかけた。


 その瞬間、ノアの声が小さく届く。


「短くです」


 離れているのに、見られている。


 俺はうなずいた。


 視界の焦点を、ほんの少しだけずらす。


 入口と出口だけを見る。


(流れを見ろ)


 夜の色が薄れ、灰黒色の線が浮かんだ。


 右路地の奥。


 木箱の陰。


 そこに、小さな術式片がある。


 起動すれば、小箱の中身を焼く。


 証拠隠滅用。


 深追いはしない。


 俺はすぐに視界を戻した。


「右の木箱。証拠を焼く術式片」


 ミラが即座に動く。


「場所は?」


「路地入口から三つ目の木箱、下」


「分かった」


 ミラが工具を握る。


 だが、路地に入れば屋根の相手に狙われる。


 セリアが剣を握り直した。


 短く息を吸う。


 足裏で地面を掴む。


「私が屋根を見る」


「踏み込みすぎるなよ」


「分かってる」


 セリアが半歩だけ前に出る。


 剣を抜く。


 青い魔力が、足から腰へ、肩から腕へ流れる。


 彼女は跳び出さない。


 屋根の相手が動くのを待つ。


 その一瞬の間が、前のセリアとは違っていた。


 カレンは若い男に向き直る。


「あなたは、何を運ばされているか知っていますか」


「……知らない」


「知らないまま、銀貨を受け取りましたか」


 男は唇を噛む。


 ガッシュが一歩前へ出た。


 セリアが一瞬警戒したが、ガッシュは拳を上げなかった。


 ただ、低い声で言った。


「やめとけ」


 若い男がガッシュを見る。


「は?」


「それ、受け取ったら次も使われる。俺がそうだった」


 男の顔が揺れた。


 ガッシュは不器用に続ける。


「金は欲しいだろうけどよ。中身知らない仕事は、あとで自分の首に巻きつく」


 ジノが小さく驚いた顔をする。


「ガッシュがまともなこと言ってる……」


「うるせえ」


 その瞬間、屋根の上の影が動いた。


 小さな黒い札が、カレンの小箱へ向けて投げられる。


「セリア!」


「見えてる!」


 セリアの剣が横へ走る。


「風切り!」


 斬るのではなく、札の軌道を逸らす。


 黒い札は地面に落ち、ジノが慌てて木箱をかぶせた。


「また俺、木箱係!?」


「助かる!」


「ならいい!」


 ミラが右路地へ飛び込む。


 工具を木箱の下へ差し込み、術式片を押さえた。


「焼失線、止める!」


 リリアのペンが走る。


「屋根上より黒札投擲。右路地に焼失術式片。代理人と思われる若い男、事情を把握していない可能性あり」


 若い男は震えていた。


「俺は……ただ、運べって」


「誰に?」


 カレンが聞く。


 男は答えない。


 いや、答えようとしている。


 けれど、言葉が出ない。


 首元に、薄い黒い線が浮かんだ。


 ミラが叫ぶ。


「口止め術式!」


 ノアが駆け寄る。


 呼吸を見る。


 脈を確認する。


 両手を男の胸元に当てる。


「落ち着いてください。無理に話さないで」


 淡い白い光が広がる。


 黒い線がわずかに薄くなる。


 でも、消えない。


 男は苦しそうに息をする。


「だ……」


「無理に言うな!」


 俺が叫ぶ。


 男は震える指で地面を指した。


 そこに落ちていた銀貨袋。


 袋の紐に、小さな金属板がついている。


 リリアが慎重に拾う。


 そこには、小さく刻印があった。


 銀鎖の印。


 ダリオだ。


 だが、その裏側にもう一つ、別の文字が刻まれていた。


 ――黒鳩便。


 カレンの表情が変わる。


「黒鳩便……」


「知ってるんですか?」


「小口荷物の運び屋です。南市から王都方面まで、書類や小物を運ぶ業者。表向きは合法ですが、匿名配送が多い」


「ダリオは、そこへ流してる?」


 俺が聞くと、カレンはうなずいた。


「おそらく。部品の一部、あるいは記録石を、黒鳩便で街の外へ出すつもりです」


 その瞬間、屋根の影が逃げた。


 セリアが追いかけようとする。


 だが、今度も足を止めた。


 屋根の先には民家がある。


 無理に追えば、瓦を壊す。


 住人を巻き込むかもしれない。


「くっ……!」


「逃げ道は?」


 俺がジノを見る。


 ジノはすでに走り出していた。


「屋根のやつは追わない! 黒鳩便なら西門側に抜ける! 先回りするなら下の道!」


「分かった!」


 俺たちは動いた。


 セリアが前。


 ジノが道案内。


 ガッシュが若い男を抱える。


 ノアがその横につく。


 リリアは証拠を抱え、カレンとミラが続く。


 白環の守り手も外側から動いている。


 荷捌き場の夜が、一気に騒がしくなった。


     ◇


 黒鳩便の集荷小屋に着いた時、そこにはすでに荷車が一台あった。


 黒い鳩の印が入った小箱。


 封がされた書類筒。


 小さな革袋。


 御者台には、顔を隠した男。


 荷台の横には、黒い革鞄ではなく、普通の布袋が置かれている。


 だが、その布袋の紐には、銀色の細い鎖が巻かれていた。


「ダリオ……!」


 セリアが低く言う。


 男がこちらを見た。


 帽子の下で、口元だけが笑う。


「流れは早いですね」


 ダリオ・セインだった。


 今度こそ、本人。


 ジノが息を切らしながら叫ぶ。


「逃げ道、後ろと左! 右は水路で行き止まり!」


「ガッシュ、左!」


「分かってる!」


 ガッシュが左へ走る。


 腕ではなく、足に魔力を流す。


 まだ荒い。


 だが、前よりずっと安定している。


 セリアは正面。


 俺は息を整える。


 見たい。


 ダリオの持つ布袋に何があるのか。


 黒鳩便の荷の中に何が混じっているのか。


 でも、ここで深く見れば倒れる。


 だから、短く。


 入口と出口だけ。


(流れを見ろ)


 視界の色が落ちる。


 布袋から、灰黒色の線が一本。


 それは黒鳩便の小箱へつながっている。


 小箱の中に、記録石。


 しかも、雨樋倉庫で使われたものと似た濁り。


 もう一本の線は、荷車の下。


 逃走用の術式片。


 俺はすぐに視界を戻した。


「小箱! 黒鳩印の小箱に記録石! 荷車の下に逃走術式!」


 ミラが即座に動く。


「荷車の下、押さえる!」


 ダリオは笑った。


「本当に便利な目ですね」


「便利扱いするな!」


 セリアが踏み込む。


 右足が地面を噛む。


 腰が沈み、剣に青い魔力が流れる。


「月閃!」


 薄い光をまとった剣が、ダリオの手元を狙う。


 ダリオは戦わない。


 布袋を投げる。


 まただ。


 証拠を取るか、自分を追うか。


 選ばせる。


 だが、今度は違った。


 ジノが叫ぶ。


「袋は俺!」


 彼は横から飛び込み、布袋を受け止めた。


 勢い余って地面を転がる。


「痛い! けど取った!」


 ガッシュが左の逃げ道を塞ぐ。


「今度は行かせねえ!」


 ダリオは足を止めた。


 ほんの一瞬。


 その一瞬で、セリアが間合いを詰める。


 だが、斬らない。


 剣の切っ先を、ダリオの喉元ではなく、足元へ向ける。


「動かないで」


 ダリオは笑みを浮かべたまま、ゆっくり両手を上げた。


「お見事」


 リリアが追いつき、息を整えながら記録板を開く。


「ダリオ・セイン、黒鳩便への記録石配送を確認。逃走術式片あり。本人身柄確保」


「身柄確保は、まだ早いのでは?」


 ダリオは穏やかに言った。


 その直後、彼の胸元に黒い線が浮かぶ。


 ミラが顔色を変えた。


「口止めじゃない。転送術式!」


 セルヴィスの声が飛ぶ。


「白環術式、展開!」


 白い輪が、外側からダリオを囲む。


 黒い線と白い輪がぶつかり、火花が散った。


 ダリオの笑みが初めて崩れる。


「これは、少し困りましたね」


 セリアが歯を食いしばる。


「逃がさない!」


 白い輪が狭まる。


 黒い線が切れかける。


 けれど、完全には止まらない。


 ダリオの体が薄く揺れる。


 俺は胸の奥に、強い違和感を感じた。


 転送の入口は、ダリオの胸元ではない。


 足元だ。


 地面に埋め込まれた、小さな黒い石。


 でも、これを見るには。


 少しだけ深く見ないといけない。


「シュウさん!」


 ノアの声が聞こえる。


 セリアもこちらを見る。


 俺は息を吐いた。


 分かっている。


 無理はしない。


 でも、ここで見ないと逃げられる。


 視界の焦点をずらす。


 入口。


 出口。


 その奥。


(流れを見ろ)


 目の奥に、鋭い痛みが走った。


 地面の下に、灰黒色の輪が見える。


「足元! 右足の下、黒い石!」


 俺が叫んだ瞬間、ガッシュが動いた。


 腕ではない。


 足から腰へ。


 荒い魔力を、必死に下へ流している。


「うおおっ!」


 彼は地面を踏み抜くように蹴った。


 黒い石が割れる。


 転送術式が乱れた。


 セルヴィスの白い輪が、その隙間を締める。


 黒い線が切れた。


 ダリオの体が、現実に戻る。


 完全には逃げられなかった。


 けれど。


 次の瞬間、ダリオの胸元から黒い煙が噴き出した。


 ノアが叫ぶ。


「下がって!」


 煙が広がる。


 視界が黒く染まる。


 セリアが俺の腕を掴んで引いた。


 数秒後。


 煙が晴れた時、ダリオはそこに倒れていた。


 生きている。


 だが、意識はない。


 そして、胸元に黒い焼き跡が残っていた。


 ミラが膝をついて確認する。


「記憶封じ……一部の記録を焼かれた」


「誰に?」


 俺が聞く。


 ミラは悔しそうに言った。


「たぶん、上から。ヴァルド側に切られた」


 ダリオは捕まった。


 でも、すべては聞けない。


 黒環会は、また流れの途中を焼いた。


 俺は足元が揺れるのを感じた。


 目の奥が痛い。


 深く見すぎた。


 ノアがすぐに支えてくれる。


「座ってください。今すぐ」


「はい……」


 逆らえなかった。


 セリアも横に座り込むように俺を支えた。


「無理した」


「少しだけ」


「今のは少しじゃない」


「……すみません」


 セリアは怒っていた。


 でも、その手は優しかった。


 ガッシュが割れた黒い石を見下ろしている。


 息を荒くしながら、ぽつりと言った。


「今のは……足からいけた」


 ミラが小さくうなずく。


「ええ。良かった」


「また珍しく褒めたな」


「今日は二回目ね」


 ガッシュは照れたように顔をそむけた。


「うるせえ」


 ジノは布袋を抱えたまま地面に座り込んでいた。


「俺も褒めて。袋取った」


「よくやった」


 俺が言うと、ジノは満足げに笑った。


「もっと言って」


「調子に乗らないで」


 リリアが言った。


「はい」


 即答だった。


     ◇


 黒鳩便の小箱からは、記録石が三つ見つかった。


 そのうち一つには、雨樋倉庫の実証記録の続きが入っていた。


 そして、もう一つ。


 短い通信記録が残っていた。


 ミラが慎重に再生すると、低く冷たい声が流れた。


『ダリオが失敗した場合、流れを三番系統へ移せ』


 ヴァルド・グレイムの声だった。


『灯り小路、雨樋、西門、灰鷲、南市は切り捨てる。次は北区だ』


 調査室に、重い沈黙が落ちた。


 北区。


 アルメリアの中でも、比較的裕福な商人や工房が多い地区だ。


 黒環会の流れは、貧しい地区だけを使っていたわけではない。


 次の流れは、もう別の場所へ動いている。


 セルヴィスが低く言った。


「だから、早く広域封鎖すべきでした」


「違います」


 俺は痛む目を押さえながら言った。


「切り捨てると言った。つまり、南市の流れは止まりかけている。今まで追ってきたことは無駄じゃない」


 カレンがうなずく。


「北区へ移るなら、商流が変わります。灰鷲とは違う資金口が必要になる」


 リリアもペンを走らせる。


「三番系統。北区。新しい調査対象です」


 ミラは記録石を見つめる。


「ダリオの持っていた記録石が残ったのは大きい。次の型も読める」


 セリアが俺の隣に立った。


「また、追うんだよね」


「追う」


「でも、今夜は休む」


「はい」


 即答した。


 さすがに、今は逆らえない。


 ジノが小さく笑った。


「シュウが素直だ。珍しい」


「記録しますか?」


 リリアが言う。


「それはしなくていいです」


 俺は苦笑した。


 ダリオは捕まった。


 でも、記憶の一部は焼かれた。


 ヴァルドはまだ遠い。


 そして、黒環会の流れは北区へ移ろうとしている。


 それでも、今日初めて、こちらから流れを作って、黒環会の一部を引きずり出した。


 流されるだけではない。


 追うだけでもない。


 こちらから、流れを変える。


 それは、まだ小さな一歩だった。


 でも、確かに一歩だった。


 俺は痛む目を閉じた。


(流れを支配するんじゃない)


 人を巻き込まないように。


 切り捨てないように。


 それでも、黒い流れを逃がさないように。


(逆に流して、ほどいていく)


 夜の調査室で、地図に新しい線が引かれた。


 南市から、北区へ。


 ヴァルド・グレイムの影は、また少し遠ざかった。


 けれど、その足跡はもう、完全には隠せなくなっていた。


第22話を読んでいただきありがとうございます。


今回は、シュウたちが初めて「こちらから流れを作る」作戦を行いました。


危険な仕事を本当に流すのではなく、安全な囮部品を用意し、ダリオ・セインをおびき出す形です。


ジノは逃げ道を読み、セリアは踏み込みすぎずに札を弾き、ガッシュは足から魔力を流して転送術式を止めました。


ミラの囮部品、リリアの記録、カレンの噂の流し方も、それぞれの強みとして動いています。


ダリオは身柄を押さえられましたが、記憶の一部をヴァルド側に焼かれてしまいました。


そして、黒環会の流れは北区へ移ろうとしています。


次回は、南市で追ってきた流れを整理しつつ、北区へ向かう前の準備と、ダリオから残された情報の解析へ進んでいきます。


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