第21話 欠け星の魔石問屋
ダリオ・セインは逃げた。
けれど、水路に残された黒い革鞄には、まだ小さな手がかりが残っていました。
銀鎖のすき間に入り込んだ、青白い魔石粉。
新型補助環の中核に使われる魔石と、記録石。
黒環会の流れは、職人、両替所、革具店だけでは終わりません。
今度は、魔石を扱う小さな問屋へ。
シュウたちは、ダリオが次に流した仕事を追いかけます。
黒い革鞄は、空っぽだった。
少なくとも、最初はそう見えた。
銀色の鎖がついた、よく手入れされた革鞄。
ダリオ・セインが水路沿いに捨てていったものだ。
中には紙が一枚だけ。
――仕事は、必要な場所へ流れる。
いかにもあの男が言いそうな、腹の立つ言葉だった。
でも、ミラ・フォルネは鞄そのものをじっと見ていた。
俺たちがアルメリア支部の調査室に戻ってからも、彼女は鞄の金具を外し、銀鎖のつなぎ目を細い工具でつついている。
「空っぽじゃないのか?」
ジノ・バレットが机にあごを乗せながら言った。
「手がかり入ってなかったじゃん。紙だけ。嫌味な紙だけ」
「そういう時ほど、嫌味じゃないところを見るの」
ミラは工具の先を鎖の輪に差し込んだ。
小さく、かり、と音がする。
銀鎖のすき間から、青白い粉がほんの少し落ちた。
俺には、ただの埃に見えた。
けれどミラの目つきが変わる。
「……魔石粉ね」
「魔石粉?」
セリア・グランツがのぞき込んだ。
「魔石を削った時に出る粉。普通の粉なら、もっと灰色っぽい。でもこれは青が強い」
ミラは小皿に粉を移し、測定具を当てた。
「入口の反応が弱い。変換部はきれい。出口の流れが細い。たぶん、記録石か感応魔石を削った時のもの」
「感応魔石?」
「人や魔道具の魔力の揺れを拾いやすい魔石。新型補助環みたいな試験具には、かなり相性がいい」
部屋の空気が、少しだけ重くなった。
新型補助環。
人の魔力反応を測る輪。
雨樋倉庫で、子どもたちと青年を縛っていたもの。
それに必要な中核部品が、まだどこかを流れている。
カレン・ベルシアは、粉を光にかざすミラの手元を見ていた。
「この色なら、南市で扱える店は限られます」
「分かるんですか?」
俺が聞くと、カレンはうなずいた。
「高級品ではありませんが、扱いが少し難しい魔石です。普通の雑貨屋では置きません。南市なら、欠け星堂でしょうね」
「欠け星堂?」
ジノが顔を上げた。
「知ってる。小さい魔石問屋だ。割れた魔石とか、半端な記録石とかを買い取ってる店」
「何でも知ってるな」
「街の安い店と逃げ道には強いからな」
ガッシュが鼻を鳴らした。
「自慢になるのか、それ」
「なる。生き残るには大事」
「またそれかよ」
最近、この二人のやり取りにも少し慣れてきた。
最初はただ噛み合わないだけだったのに、今は妙にちょうどいい距離で言い合っている。
リリア・フォルンは、机の端で記録をまとめていた。
紙片。
革固定ベルト。
銀鎖の鞄。
魔石粉。
ダリオ・セイン。
それぞれを細い線でつなぐ。
「欠け星堂への照会が必要ですね」
リリアはそう言って、ペン先を止めた。
「ただし、魔石問屋は正規の商売も多いはずです。踏み込み方を間違えると、通常の取引まで止まります」
セリアが少しだけ顔をしかめた。
「また、全部止めるか、残すかって話?」
「そうなります」
カレンは静かに答えた。
「魔石の流れは、灯りや暖房、治療具にも関わります。下手に止めると、灯り小路どころか南市全体に影響が出ます」
黒環会は、本当に嫌な場所を通る。
止めれば生活が詰まる場所。
見逃せば危険が流れる場所。
その真ん中に、いつも人がいる。
「行きましょう」
俺は言った。
「でも、最初から決めつけない。欠け星堂が黒環会そのものとは限らない」
セリアがうなずく。
「うん。まず聞く」
「珍しく落ち着いてる」
「珍しくは余計」
セリアは少しむっとした顔をした。
でも、笑っている。
ノア・ルミナスが、俺の顔をじっと見た。
「シュウさん、今日は目の痛みは?」
「少し残ってます」
「少し、は危ない言い方です」
「……まだ残ってます」
「はい。正直でよろしいです」
ノアはそう言って、小さく笑った。
その笑い方が少しだけ強くなった気がする。
最初に会った時より、彼女もずいぶん前を向くようになっていた。
「今日はなるべく見ないでください。見る場合は、短く」
「はい」
「深く見ようとしたら止めます」
「分かりました」
セリアも横でうなずく。
「私も止める」
ミラが工具箱を閉じた。
「で、見たらちゃんと説明する。入口、変換部、出口。曖昧なまま進まない」
「はい」
俺は思わず苦笑した。
魔流視を使うだけで、これだけ周囲に確認される主人公も珍しいかもしれない。
でも、それでいい。
能力は便利だけど、万能じゃない。
一人で全部見ようとすれば、またどこかで詰まる。
◇
欠け星堂は、南市の端にある小さな店だった。
店先には、欠けた魔石や半端な魔石片が入った木箱が並んでいる。
青、緑、黄色、薄紫。
どれも完全な宝石のようには光っていない。
でも、陽の光を受けると、小さな星の欠片みたいにちらちら輝いた。
店の看板には、手書きでこう書かれていた。
――欠けても、まだ灯る。
「いい看板だな」
俺がつぶやくと、ジノがうなずいた。
「ここの店主、変わり者だけど悪い人じゃないって聞く」
「変わり者?」
「割れた魔石でも捨てるなって、よく怒ってる。『欠けた石にも仕事はある』って」
その言葉に、少しだけ胸が引っかかった。
欠けたものにも仕事がある。
それは本来、いい言葉のはずだ。
でも、黒環会はそういう言葉さえ、自分たちの流れに利用する。
店の中へ入ると、涼しい空気が肌に触れた。
壁一面に小さな棚。
棚には、魔石片や記録石の欠片が布に包まれて並んでいる。
奥から出てきたのは、丸眼鏡をかけた小柄な老人だった。
白い髭が胸元まで伸びている。
「いらっしゃい。買い取りかね、修理かね、それとも冷やかしかね」
老人は俺たちを見て、少しだけ目を細めた。
カレンが前に出る。
「欠け星堂の店主、マルク・リット様ですね」
「そう呼ばれておるが、面倒なら爺さんでよい」
「ベルシア商会のカレン・ベルシアです」
「ほう。大きな商会のお嬢さんが、うちみたいな欠け石屋に何の用じゃ」
カレンは小皿に入れた青白い粉を見せた。
「この魔石粉に心当たりはありますか」
マルクの表情が変わった。
それは、怯えではなかった。
怒りに近い。
「どこで拾った」
「黒い革鞄の銀鎖からです」
「……ダリオか」
名前がすぐに出た。
セリアの手が剣の柄に動きかける。
でも、抜かない。
店主を敵と決めつけるには、まだ早い。
「ダリオ・セインをご存じですか」
リリアが聞く。
マルクは苦い顔をした。
「知っとる。最近、半端な感応魔石をまとめて買いに来た男じゃ。口はうまい。金払いもいい。だが、石の扱いが悪い」
「石の扱い?」
ミラが反応した。
マルクは棚から小さな青い魔石を取り出した。
「感応魔石は繊細じゃ。削り方を間違えれば、魔力の流れが割れる。あの男は、使い捨てる前提で数を欲しがった」
老人の声には、職人の怒りがあった。
「石は道具じゃ。だが、道具にも向き不向きがある。人の反応を拾う石を、無理やり試験具に入れるなど、乱暴にもほどがある」
ミラがうなずく。
「新型補助環に使うつもりね」
「やはりそうか」
マルクは深く息を吐いた。
「最初は、灯りの調整具に使うと言っておった。貧しい地区でも安定して灯りをつけるためだと」
その言葉に、ジノの顔がこわばる。
灯り小路。
また、そこだ。
「信じたんですか?」
セリアが聞いた。
マルクはまっすぐ彼女を見た。
「半分はな」
「半分?」
「貧しい地区に安い灯りが必要なのは本当じゃ。欠けた魔石でも、組み方次第では役に立つ。わしはそういう仕事をしてきた」
老人は棚の魔石を見回した。
「捨てられる石を、もう一度灯す。それが欠け星堂じゃ」
その声は静かだった。
だからこそ、嘘ではないと分かった。
「でも、途中でおかしいと気づいた」
ミラが言った。
マルクはうなずく。
「追加注文が妙だった。灯り用なら不要な記録石、反応保持用の小片、そして黒灰の固定材。あれは、灯りをつけるためではない。何かを測るための組み合わせじゃ」
「それをダリオに?」
「言った。すると、あの男は笑っておったよ」
マルクの声が低くなる。
「『石は使われる場所を選べませんよ、爺さん』とな」
店の中が静かになった。
俺の胸の奥で、またあの言葉がよみがえる。
仕事は、必要な場所へ流れる。
ダリオはきっと、魔石にも同じことを言うのだろう。
石は選べない。
職人も選べない。
低ランク冒険者も選べない。
だから、流してやる。
そういう顔をして。
「それで、売ったんですか」
ガッシュが低く聞いた。
声に少し刺があった。
自分でも、分かっているのだろう。
責める資格があるのか、と。
マルクは逃げなかった。
「一部は売った」
店内の空気が重くなる。
「最初の分は、確かに売った。灯り用だと思ってな。追加分は断った」
「断れたんですか」
「断っただけじゃ。止められたわけではない」
マルクは棚の奥から帳簿を取り出した。
「だから記録は残した。何を売り、どの魔石を断り、何を怪しいと思ったか」
リリアの目が少しだけ動く。
記録。
それは、今の俺たちにとって何より大事なものだった。
マルクは帳簿を机に置いた。
「持っていけ。あの男が次に来るなら、今夜じゃ」
「今夜?」
カレンが聞く。
「追加の記録石を取りに来ると言っておった。わしが断った分を、別の店から手に入れたのかもしれん。だが、品質確認だけはわしに見せたいらしい」
「なぜですか?」
「この辺で、感応魔石と記録石の相性を見られる者が少ないからじゃ」
ミラが小さくうなる。
「つまり、ダリオはまだ中核部品を完全にはそろえ切っていない」
「じゃろうな」
マルクはそう言って、少しだけ目を細めた。
「ただし、気をつけろ。あの男は人を急がせる。時間がない、金が出る、誰かが困っている。そう言って、人に考える暇を与えん」
その言葉は、やけに胸に刺さった。
時間がない。
急げ。
納期が迫っている。
誰かが困る。
前世の俺がずっと聞いてきた言葉と、少し似ていた。
言葉は違う。
世界も違う。
でも、人を追い詰める流れは同じだ。
◇
その日の夕方、欠け星堂はいつもより早く戸を閉めた。
表向きは棚卸し。
実際には、ダリオを待つためだった。
店の奥に、俺たちは身を隠している。
セリアは入口に近い棚の陰。
ジノは裏口近く。
ガッシュは炉のない作業台の横。
カレンとリリアは帳簿を広げられる机のそば。
ミラは魔石粉と記録石を見るため、マルクの作業台に座っている。
ノアは奥の小部屋で、万一の怪我人に備えていた。
「俺、毎回裏口係じゃね?」
ジノが小声で言った。
「適任だからな」
ガッシュが返す。
「褒めてる?」
「半分だけ」
「半分かあ」
セリアが口元を押さえて笑いそうになる。
こういう緊張の中でも、少しだけ空気が緩む。
俺は作業台に置かれた小さな記録石を見ていた。
青白く、かすかに光っている。
魔流視で見れば、何か分かるかもしれない。
けれど、今は見ない。
必要な時まで置いておく。
それも、最近ようやく覚え始めた使い方だった。
やがて、店の扉が軽く叩かれた。
こん、こん。
乾いた音が二つ。
マルクが杖をつきながら入口へ向かう。
「誰じゃ」
「仕事の流れを持ってきました」
その声。
穏やかで、少し笑っているような声。
ダリオ・セインだった。
扉が開く。
黒い革鞄は持っていない。
代わりに、灰色の布袋を肩にかけている。
銀鎖もない。
だが、立ち姿だけで分かった。
あの、水路沿いでこちらを見ていた男だ。
「おや」
ダリオは店内へ一歩入り、すぐに足を止めた。
目が、ほんのわずかに動く。
棚。
床。
奥の扉。
逃げ道を見ている。
「今日はずいぶん静かですね」
「棚卸しじゃ」
マルクが答える。
「それは良い日を選んでしまいました」
ダリオはにこりと笑った。
「では、品だけ確認していただけますか。急ぎの仕事でして」
急ぎ。
また、その言葉だ。
マルクは布袋を見る。
「中を見せろ」
「もちろん」
ダリオが布袋を開いた。
中には、小さな記録石が三つ。
そして、青白い感応魔石が二つ。
ミラの視線が鋭くなる。
俺にも分かる。
あれは、新型補助環の中核に近いものだ。
マルクが記録石を一つ手に取った。
「これは灯り用ではない」
「ええ。用途が変わりまして」
ダリオは悪びれずに言った。
「流れというものは、状況に応じて変わるものです」
その瞬間、セリアが棚の陰から出た。
「それ、人に使うつもり?」
ダリオは少しだけ眉を上げた。
「これはこれは。先日の剣士さん」
続いて、俺たちも姿を見せる。
ジノが裏口をふさぐ。
ガッシュが作業台横に立つ。
カレンとリリアが机のそばに出る。
ミラは測定具を手にしていた。
ダリオはそれらを見て、困ったように笑った。
「大勢でお出迎えとは。人気者になった気分です」
「ダリオ・セイン」
リリアが名前を呼ぶ。
「赤錆亭、ルド革具店、南市臨時工房、灰鷲両替所。あなたが関わった記録と証言があります」
「仕事柄、いろいろな場所に顔を出しますから」
「新型補助環の部品調達に関与していますね」
「補助環?」
ダリオは首をかしげた。
「私は依頼主と職人をつないだだけです。何に使うかまでは、発注側の問題でしょう」
出た。
だけ。
セリアの表情が険しくなる。
ガッシュも拳を握った。
でも、今度はすぐには飛び出さない。
カレンが静かに言う。
「その言葉は、便利ですね」
「便利?」
「売っただけ。運んだだけ。両替しただけ。場所を貸しただけ。つないだだけ」
カレンは一歩前へ出る。
「その『だけ』を重ねれば、責任は薄くなる。でも、傷つく人は消えません」
ダリオは笑みを崩さない。
「美しいお話です。ですが、現実には仕事を待つ人がいる。職人は金を必要とし、冒険者は報酬を必要とし、商人は流れを必要とする」
彼は布袋の口を軽く握った。
「私は、それを流しているだけです」
「中身が何でも?」
俺は聞いた。
ダリオの視線がこちらへ向く。
「中身を選べる人間は、幸せですね」
その言葉は、柔らかいのに冷たかった。
「仕事がない職人に、これは危険だから断れと言う。金に困った冒険者に、これは怪しいから受けるなと言う。では、その人たちの明日の飯は誰が用意するのですか」
ジノの顔が少しだけ曇る。
ガッシュも黙った。
ダリオはそこを見逃さない。
「きれいな流れだけで生きられる人間ばかりではありませんよ。欠けた石にも、荒れた職人にも、伸び悩んだ冒険者にも、使い道はある」
ガッシュの肩が揺れた。
その言葉は、彼を狙っていた。
俺は一歩前へ出る。
「使い道じゃない」
「では、何と?」
「仕事だ」
ダリオが少しだけ笑う。
「同じでは?」
「違う」
俺は言った。
「仕事は、人を生かすために流すものだ。人を道具にするためじゃない」
店内が静かになる。
ダリオは、初めてほんの少しだけ笑みを薄めた。
「なるほど。あなたが、ヴァルド様の言っていたEランクですか」
ヴァルド。
その名が出た瞬間、全員の空気が変わった。
リリアのペンが止まる。
カレンの目が細くなる。
セリアの手が剣に触れる。
ダリオはしまったという顔をしなかった。
むしろ、わざと出したように見えた。
「おっと、名前を出しすぎましたか」
「記録しました」
リリアが静かに言う。
「ご自由に」
ダリオは肩をすくめた。
「ですが、私は何もしていません。仕事を紹介した。石を運んだ。鞄を捨てた。紙を残した。それだけです」
ミラが測定具を記録石に向ける。
「その袋の中身を渡して」
「お断りします」
「それ、人に害が出る試験具に使われる」
「使い方は、私の仕事ではありません」
ダリオが一歩下がる。
その瞬間、店の床に灰黒色の線が走った。
俺の視界に、半自動的にちらつく。
強い異常だ。
「足元!」
俺が叫ぶ。
セリアが反応する。
短く息を吸う。
足裏で床を掴み、剣を握り直す。
「守り払い!」
剣の腹が、床を走る黒い線を横へ逸らす。
同時に、ジノが裏口の前の木箱を蹴った。
「待て待て待て! こっち来るな!」
倒れた木箱が、裏口へ伸びた線を止める。
ダリオは笑った。
「いい反応です」
ガッシュが動く。
腕ではなく、足に魔力を落とす。
まだぎこちない。
だが、昨日よりましだ。
いや、ミラならこう言うだろう。
良くなっている、と。
「逃がすかよ!」
ガッシュは床を蹴った。
ダリオへ突っ込む。
だが、ダリオは戦わない。
布袋を空中へ放り投げた。
「どちらを取りますか?」
記録石と感応魔石が床へ落ちようとする。
割れれば、証拠も中核部品も壊れる。
ガッシュの足が止まった。
セリアも動きを変える。
ミラが叫ぶ。
「割らないで!」
俺は反射的に息を吐きそうになった。
見るか。
いや、距離は近い。
深く見る必要はない。
入口、出口だけ。
(流れを見ろ)
ほんの一瞬、視界の色が落ちる。
落ちる記録石の周囲に、細い青い線が見える。
着地すれば割れる。
だが、布袋の紐がまだ絡んでいる。
「ジノ、袋の紐!」
「え、俺!?」
「投げろ、木箱の布!」
「たぶん分かった!」
ジノは近くの木箱にかかっていた布を引き抜き、記録石の落下点へ投げた。
布が広がる。
記録石がそこに落ち、鈍い音を立てて転がった。
割れていない。
ミラがすぐに回収する。
「無事!」
だが、その間にダリオは入口へ向かっていた。
セリアが追う。
しかし、店の外には人通りがある。
剣は振れない。
ダリオは帽子を軽く上げた。
「また仕事の流れが合えば、お会いしましょう」
そのまま人混みに溶ける。
セリアが追いかけようとした。
でも、一歩で止まった。
人が多い。
子どももいる。
無理に踏み込めば、巻き込む。
「……っ!」
悔しそうに、セリアは剣の柄を握った。
俺も追いたかった。
けれど、足が動かなかった。
目の奥が少し痛む。
短く見ただけでも、反動が来ている。
ノアがすぐにそばへ来た。
「座ってください」
「でも――」
「座ってください」
やわらかいけれど、逆らえない声だった。
俺は店の椅子に腰を下ろした。
ノアが脈を確認し、両手を俺の背中に当てる。
淡い白い光が広がる。
「短くても、続けると負担になります」
「すみません」
「謝るより、覚えてください」
「はい」
ノアは少しだけ頬を膨らませた。
怒っている。
でも、その怒りはあたたかかった。
◇
ダリオは逃げた。
また。
だが、今回は大きなものが残った。
感応魔石二つ。
記録石三つ。
そして、マルクの帳簿。
さらに、ダリオ自身の口から出たヴァルドの名。
リリアは、欠け星堂の机で記録をまとめていた。
「ダリオ・セイン、ヴァルド様と発言。記録石、感応魔石を所持。床に簡易拘束術式を展開。逃走」
ペン先が止まることはない。
ミラは記録石を測定具で確認している。
「これ、新型補助環の中核に使える。かなり危ない。でも、逆に言えば、これで完成品の構造がほぼ見える」
「追えるんですか?」
俺が聞くと、ミラはうなずいた。
「追える。少なくとも、次に同じ型が出たら分かる」
カレンは感応魔石を見つめていた。
「資金、工房、革具、魔石。流れはかなり見えてきました」
「ヴァルドまで届くか?」
ガッシュが聞く。
カレンは少し考えてから答えた。
「まだ足りません。ですが、ダリオはヴァルドの名前を出した。本人は挑発のつもりかもしれませんが、こちらには記録が残ります」
リリアが静かに言う。
「言葉は消えても、記録は残ります」
マルクは、回収された魔石を見ながら深く息を吐いた。
「欠けた石は、まだ灯せる。だが、使い方を間違えれば、人を焼く」
老人は俺を見た。
「若いの。あの男を止めろ。仕事という言葉で、人を流す者を」
「はい」
俺はうなずいた。
店の外では、南市の夕暮れが始まっていた。
赤い光が、欠け星堂の棚に並ぶ魔石片に反射している。
欠けた石たちは、完全ではない。
でも、それぞれ小さく光っている。
ガッシュがその光をぼんやり見ていた。
「欠けても、まだ灯る、か」
珍しく、静かな声だった。
ジノが横からのぞき込む。
「似合わないこと言った」
「うるせえ」
「でも、ちょっと分かるよな」
「……まあな」
二人はそれ以上、言い合わなかった。
その横で、セリアが俺に近づく。
「また逃がしちゃったね」
「ああ」
「悔しい?」
「悔しい」
「私も」
セリアは店の外を見た。
人混みに消えたダリオの姿は、もうどこにもない。
「でも、次はもう少し近づける気がする」
「うん」
俺もそう思った。
ダリオはまだ逃げている。
ヴァルドはまだ遠い。
黒環会の流れは、まだ街の奥を通っている。
それでも、俺たちは一つずつ拾っている。
封印紐。
接続片。
固定具。
資金。
型板。
革ベルト。
感応魔石。
記録石。
部品だけではない。
関わった人の事情も、怒りも、迷いも、全部。
(仕事は、必要な場所へ流れる)
ダリオの言葉が、また頭に浮かぶ。
俺は、それをもう一度否定した。
(仕事は、人を道具にするためじゃない)
欠け星堂の看板が、夕陽に照らされていた。
――欠けても、まだ灯る。
その小さな光を、黒い流れに渡すわけにはいかない。
俺たちは、次の流れを追う。
ダリオ・セインを。
そして、その先にいるヴァルド・グレイムを。
第21話を読んでいただきありがとうございます。
今回は、ダリオが捨てた黒い革鞄に残っていた魔石粉から、欠け星堂という魔石問屋へつながる回でした。
新型補助環に必要な中核部品として、感応魔石と記録石が出てきました。
欠け星堂の店主マルクは、最初は灯り用だと信じて一部を売ってしまいましたが、途中で用途のおかしさに気づき、追加注文を断って記録を残していました。
ダリオ・セインは今回も逃げましたが、ヴァルドの名前を口にし、感応魔石と記録石を残しました。
これで、資金・工房・革具・魔石の流れが少しずつつながってきました。
次回は、集まった部品と証拠をもとに、ダリオを追い詰めるための作戦へ進んでいきます。




