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納期遅れで死んだ俺、異世界では魔力の詰まりが見えるらしい 〜最弱Eランクだけど、術式を読み替えて世界の流れを変えていく〜  作者: 好山 雪
第1章 月影の森で目覚める

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第20話 銀鎖の鞄を持つ男

南市臨時工房で見つかった、新型補助環の型板。


その図面を持ち込んだのは、黒い革鞄に銀色の鎖をつけた工房仲介人――ダリオ・セインでした。


職人に仕事を回す。


依頼主と工房をつなぐ。


それだけなら、街に必要な仕事です。


けれど、その仲介が責任を薄め、人を危険な流れへ押し込むために使われているのなら。


シュウたちは、ダリオが残した次の足跡を追います。


 南市の昼は、朝よりもずっと騒がしい。


 露店の掛け声。


 荷車の軋む音。


 焼き魚の匂い。


 通りの端で怒鳴り合う商人と、何も見なかったことにして歩いていく職人たち。


 その全部が混ざって、街そのものが大きな鍋みたいに煮えている。


 俺たちは、その中を歩いていた。


 探しているのは一人の男。


 ダリオ・セイン。


 黒い革鞄に銀色の鎖をつけた工房仲介人。


 南市臨時工房に、新型補助環の図面を持ち込んだとされる人物だ。


「銀鎖の鞄なんて、目立ちそうだけどな」


 ジノ・バレットが、通りの人波を背伸びしながら見回した。


 小柄なせいで、人混みでは少し埋もれている。


「そういう人に限って、見つからないように動くんです」


 カレン・ベルシアが静かに答えた。


「目立つ特徴を一つ持つ人は、逆にそれ以外の印象を消しやすい。『銀鎖の鞄の男』として覚えられるだけで、顔や声は残らないことがあります」


「うわ、嫌な技術」


「商売でも交渉でも、印象の残し方は大事ですから」


 カレンはにこりと笑った。


 けれど、その目はずっと通りの奥を見ていた。


 昨日の南市臨時工房で、若い職人が証言した。


 図面を持ってきたのは、黒い革鞄に銀色の鎖をつけた男。


 名前は分からない。


 でも、カレンはその特徴に心当たりがあった。


 工房仲介人、ダリオ・セイン。


 表向きは、仕事のない職人と急ぎの注文をつなぐ便利な男。


 ただし、最近になって南市や西門周辺で、やけに短納期の加工案件を増やしているらしい。


(仕事をつなぐ、か)


 それだけなら悪いことじゃない。


 前世でも、調達先を探すことは大事な仕事だった。


 能力が空いているところへ仕事を流す。


 足りない部品を、作れる場所につなぐ。


 うまく回れば、みんな助かる。


 でも、そこに危険な図面や偽の用途が混ざれば話は変わる。


 仕事をつなぐ人間は、責任もつなぐ。


 それを切ってしまえば、流れるのは危険だけだ。


「シュウ、考え込んでる」


 横を歩くセリア・グランツが、少し心配そうにこちらを見た。


「顔、また難しくなってるよ」


「すみません。つい」


「今日は見すぎ禁止ね」


「まだ見てません」


「まだ、って言った」


 セリアの目が細くなる。


 その後ろから、ノア・ルミナスも小さくうなずいた。


「必要な時だけ、短くお願いします」


「はい」


 最近、俺の魔流視マギヤ・ポトークには監視役が二人ついた。


 ありがたい。


 ありがたいのだが、少しだけ肩身が狭い。


 ミラ・フォルネは、そんな俺を見て鼻で笑った。


「自業自得ね」


「否定できない」


「分かってるならよし」


 ミラは工具箱を肩にかけ直した。


「で、今日見るなら、見る前に言って。見えた流れをこっちで説明できる形にしたいから」


「了解です」


「感覚だけで突っ走られると困るのよ」


「はい」


「素直になったわね」


「だいぶ教育されました」


 少し先で、リリア・フォルンが足を止めた。


 彼女は手元の記録板を見ている。


 南市臨時工房の使用記録。


 灰鷲両替所の隠し帳簿。


 工房職人の証言。


 それらを写した紙が、きれいに留められていた。


「ダリオ・セインがよく使う場所が三つあります」


 リリアは言った。


「一つ目、南市臨時工房の受付。二つ目、灰鷲両替所の裏口。三つ目、この先にある赤錆亭です」


「赤錆亭?」


 ガッシュが眉をひそめた。


 昨日から、彼も同行している。


 相変わらず態度は悪い。


 けれど、以前のようにただ突っかかってくる感じではない。


 今は、どこか落ち着かない顔をしていた。


「知ってるんですか?」


 俺が聞くと、ガッシュは少し嫌そうに目をそらした。


「ああ。安い酒場だ。仕事待ちの職人とか、金に困った冒険者が集まる」


 ジノがすぐ反応した。


「おっ、俺も知ってる。安いけど、豆の煮込みが妙にうまいんだよな」


「お前も行くのかよ」


「情報収集だよ、情報収集」


「ただ飯食ってるだけだろ」


「食べながら集める情報もあるんですー」


 ジノが胸を張る。


 ガッシュは呆れたように舌打ちした。


「まあ、ダリオみたいなやつが仕事をばらまくなら、あそこはちょうどいい」


「金に困った人が集まるから?」


 俺が聞くと、ガッシュの表情が少し硬くなった。


「……そうだよ」


 短い返事だった。


 たぶん、昨日の自分のことを思い出している。


 銀貨二十枚。


 中身を見なくていい荷物。


 あれも、こういう場所から流れてきたのかもしれない。


 リリアが記録板を閉じた。


「まずは赤錆亭で聞き込みをしましょう。ですが、相手に警戒される可能性があります」


 カレンが微笑む。


「では、私が先に話します。商会交渉人としてではなく、仕事を探している職人の代理、という形で」


「嘘をつくんですか?」


 ノアが不安そうに聞く。


「嘘ではありません。確認したい仕事がある、というだけです」


「それ、言い方の問題では……」


「交渉とは、言い方の積み重ねです」


 ノアは納得したような、していないような顔をした。


     ◇


 赤錆亭は、南市の路地裏にあった。


 看板は古く、赤茶けた鉄板に店名が彫られている。


 扉を開けると、むっとした酒と煮込みの匂いが出てきた。


 昼だというのに、店の中は薄暗い。


 職人らしき男たち。


 荷運び。


 低ランクのアヴァントゥリースト。


 みんな、どこか疲れた顔をしている。


 ジノは小声で言った。


「こういう場所で大声出すと、だいたい面倒になる」


「お前が言うと説得力あるな」


 ガッシュがぼそっと言う。


「経験者だからな」


「自慢すんな」


 カレンは店の奥にいる女将へ近づいた。


 年配の女性で、太い腕を組みながらこちらを見ている。


「あんたたち、何の用だい。組合かい?」


「少し仕事のことでお聞きしたくて」


 カレンは柔らかく笑った。


「黒い革鞄に銀鎖をつけた仲介人を探しています」


 女将の目が少し細くなる。


「誰から聞いた」


「南市の職人からです。急ぎの加工仕事を扱っていると」


「……ああ、ダリオか」


 あっさり名前が出た。


 だが、女将の声は明るくなかった。


「あいつなら、たまに来るよ。仕事のない連中に声をかけてる。払うもんは払うから、最初はありがたがられてたけどね」


「最初は?」


 カレンが聞くと、女将は肩をすくめた。


「最近は妙な仕事が多い。中身を聞くな、納期は明日、図面は終わったら返せ。そんなのばっかりさ」


 俺は思わず眉を寄せた。


 短納期。


 図面回収。


 中身不明。


 また同じ流れだ。


「それでも受ける人がいるんですね」


 俺が言うと、女将は俺をじろりと見た。


「若いの。仕事がない時に、明日の飯代を出されて断れるやつばかりじゃないよ」


「……すみません」


「責めたわけじゃない。けど、そこを間違えると、あいつらと同じになる」


 あいつら。


 女将はそれが誰かをはっきり言わなかった。


 でも、だいたい分かった。


 カレンが静かに聞く。


「ダリオは今日、来ましたか?」


「ああ。少し前まで、あの奥の席にいたよ」


 女将が指さしたのは、店の一番奥。


 壁際の小さな席だった。


 今は空いている。


 けれど、机の上に小さな紙片が残っていた。


 リリアがすぐに近づく。


 手袋をはめ、紙片を拾う。


 ペン先が静かに動いた。


「……数字の控えですね」


「何の数字?」


 セリアが覗き込む。


「数量、時刻、場所の略号だと思います。二十、夕刻、西、革。あと、この記号」


 リリアは紙片の端を指した。


 そこには、小さな輪のような印があった。


 ミラが顔を近づける。


「黒輪術式の部品番号かもしれない。革、っていうのは革鞄じゃなくて、革加工品?」


 カレンの表情が変わった。


「革加工品……」


「心当たりが?」


「あります。南市には、魔道具用の固定ベルトを作る革工房があります。補助環を人や柱に取り付ける時に使うものです」


「つまり、次は革工房?」


 ジノが嫌そうな顔をした。


「また工房かよ。南市、どんだけ詰まってんだ」


「詰まっているというより、詰まらせられているのかもしれません」


 リリアが紙片を布に包む。


「ダリオは、必要な部品ごとに別の職人へ仕事を流している」


 俺は奥の席を見た。


 机の端に、薄い灰黒色の染みがある。


 魔力の残り香だろうか。


 胸の奥が、ほんの少し引っかかる。


 セリアがすぐにこちらを見る。


「シュウ」


「まだ見てない」


「まだ、ね」


 ノアも近づいてきた。


 俺は小さく息を吐いた。


「短く見ます。机の周りだけ」


「はい」


 ノアが手首に指を当てる。


 脈を見ている。


 なんだか検査されながら能力を使うみたいだ。


 息を細く吐く。


 机そのものではなく、その奥に残った流れを探す。


 視界の焦点を、少しだけずらす。


 入口と出口を探す。


(流れを見ろ)


 店の喧騒が少し遠くなる。


 机の輪郭が薄れ、灰黒色の細い線が浮かんだ。


 それは席から床へ落ち、壁沿いに裏口へ向かっている。


 深追いはしない。


 ただ、出口だけ見る。


「裏口へ抜けてます。まだ新しい」


 俺はすぐに視界を戻した。


 目の奥が軽く痛む。


 ノアが心配そうに見る。


「大丈夫ですか」


「大丈夫。短く済みました」


 ミラが机の端を確認する。


「残留魔力もある。たぶん黒輪術式片を一時的に置いてたんでしょうね」


 カレンが女将を見る。


「裏口はどこへ?」


「細道を抜けて、革職人通りに出る」


 その答えに、全員が顔を見合わせた。


 紙片の「革」。


 裏口の流れ。


 革職人通り。


 線がつながった。


「追いましょう」


 セリアが短く言った。


 その声には焦りが混じっている。


 でも、もう飛び出してはいない。


 足を一度置き直し、剣を握り直してから、こちらを見る。


「シュウ、行ける?」


「行ける」


「じゃあ、行こう」


     ◇


 革職人通りは、赤錆亭の裏から細い路地を抜けた先にあった。


 革を干す匂い。


 薬品の匂い。


 日差しを遮るように張られた布。


 その下を、職人たちが忙しそうに行き来している。


 ジノが鼻をつまんだ。


「うわ、匂いきついな」


「革工房はこんなもんだ」


 ガッシュが言う。


「来たことあるのか?」


「防具の修理でな。安いやつしか頼めねえけど」


 自分で言って、ガッシュは少し嫌そうな顔をした。


 前なら、そういうことは隠したかもしれない。


 今は、少しだけ変わっている。


 カレンは通りの先にある店を指した。


「固定ベルトを作れる工房なら、あそこです。ルド革具店」


 店の前には、革紐やベルトが並んでいる。


 その中に、妙に新しい箱が一つ置かれていた。


 店主らしき男が、その箱を慌てて奥へ運ぼうとしている。


 俺たちに気づいた瞬間、肩が跳ねた。


「待ってください」


 カレンが声をかける。


 店主は笑顔を作ろうとした。


 だが、うまくいっていない。


「な、何でしょう。今、少し立て込んでおりまして」


「黒い革鞄に銀鎖をつけた仲介人が、ここに来ませんでしたか」


 店主の顔色が変わった。


「知りません」


 早い。


 早すぎる否定だった。


 リリアが記録板を開く。


「ルド革具店、店主。質問前に動揺あり。ダリオ・セインについて即座に否定」


「ちょ、ちょっと待ってください。何を書いているんですか」


「記録です」


「困りますよ、そんな」


「困る内容なら、正確に説明してください」


 店主は言葉に詰まった。


 その時、店の奥から小さな声がした。


「父さん、もう隠せないよ」


 出てきたのは、十代半ばくらいの少女だった。


 手には、革のベルト。


 そのベルトには、細い黒い金具が取り付けられている。


 ミラの表情が変わった。


「見せて」


 少女は少し迷ったが、ベルトを差し出した。


 ミラは工具を当てる。


「入口はベルト金具。変換部はなし。出口は固定用の小環……これ、人や柱に補助環を取り付けるための補助具ね」


 店主が青ざめる。


「うちは、ただベルトを作っただけです! 金具は持ち込みで、用途は聞いていません!」


「また、だけか」


 ガッシュが低く言った。


 自分でも驚いたような顔をしている。


 少し前までなら、たぶん彼も同じような言い訳をしていた。


 店主は必死に言った。


「本当に知らなかったんです! ただ、前金がよくて……娘の治療費が必要で……」


 ノアの顔が変わった。


 少女は気まずそうに袖で腕を隠す。


 そこには、古い傷跡があった。


 黒輪術式ではない。


 けれど、長く治療が必要な怪我なのだろう。


 ジノが小さく息をのんだ。


 彼の母の薬代と、どこか重なるのかもしれない。


 カレンの声が少し柔らかくなる。


「治療費が必要だったのですね」


「はい……」


「ですが、このベルトが誰かを傷つける道具に使われる可能性があります」


 店主は顔を伏せた。


「分かってます。分かってたんです。でも、断ったら、もう仕事は回さないと言われて……」


「誰に?」


 リリアが聞く。


 少女が答えた。


「ダリオ・セインです」


 名前が出た。


 はっきりと。


 その瞬間、通りの向こうで、銀色の何かがきらりと光った。


 黒い革鞄。


 銀色の鎖。


 細身の男が、こちらを見ていた。


 整った髪。


 薄い笑み。


 商人とも職人とも違う、どこにも属さないような立ち姿。


 ダリオ・セイン。


 男は俺たちと目が合うと、軽く帽子を上げた。


 そして、逃げた。


「いた!」


 セリアが動く。


 短く息を吸う。


 足裏で地面を掴む。


 腰が沈み、剣に青い魔力が薄く流れる。


 だが、人通りが多い。


 斬り込めない。


「ジノ!」


 俺が叫ぶ前に、ジノはもう走っていた。


「逃げ道なら任せろ! あいつ、表通りには出ない! 左の布屋の裏から回るぞ!」


 怖いと言いながら、こういう時の判断は早い。


 俺たちはジノの後を追った。


 ダリオは速い。


 ただの商人の走り方ではない。


 人の流れに紛れるのがうまい。


 大きく走らない。


 ぶつからない。


 でも、確実に距離を取る。


「くそ、追いづらいな」


 ガッシュが吐き捨てる。


 腕に魔力を集めかけたが、すぐに足へ落とす。


 昨日、今日の経験が効いている。


 まだ荒いが、力任せだけではなくなっている。


 セリアが横を走りながら言った。


「そのまま。肩に集めすぎない」


「指図すんな!」


「転びたいなら別だけど」


「くそっ!」


 ガッシュは文句を言いながら、言われた通りに足を使った。


 ダリオは路地へ入る。


 その先は、干し布が何枚も垂れている細い道だった。


 視界が悪い。


 俺は胸の奥に嫌な揺れを感じた。


 罠かもしれない。


 けれど、魔流視を使うには走りながらでは危ない。


 俺は叫んだ。


「止まれ! 布の先、何かある!」


 セリアがすぐに足を止めた。


 ジノも慌てて滑り込むように止まる。


「うおっ、急停止!」


 次の瞬間、前方の布の下から黒い線が走った。


 そのまま突っ込んでいたら、足を取られていた。


 ミラが息を切らしながら追いつき、工具を取り出す。


「簡易拘束。起点は布の重り」


「解除できる?」


「切るだけなら」


 ミラが工具を当てた。


 小さな火花が散り、黒い線が消える。


 だが、その間にダリオの姿は遠ざかっていた。


 セリアが悔しそうに歯を噛む。


「逃げられる」


「まだだ」


 俺は息を細く吐いた。


 ノアがいない。


 リリアもカレンも後方だ。


 今見るのは危ない。


 それでも、ダリオを完全に見失えば、次の流れにまた人が巻き込まれる。


 短く。


 深くは見ない。


 逃げる方向だけ。


 視界の焦点をずらす。


(流れを見ろ)


 色が落ちる。


 人混みの中に、細い灰黒色の線が残っていた。


 ダリオの鞄から漏れたものだろう。


 線は右へ曲がっている。


 大通りではない。


 水路沿いへ向かっている。


「右! 水路沿い!」


 俺はすぐに視界を戻した。


 目の奥が痛む。


 でも、立っていられる。


 セリアが俺を見る。


「大丈夫?」


「短く済んだ」


「後でノアに診てもらうからね」


「はい」


 俺たちは水路沿いへ走った。


 だが、そこにダリオの姿はなかった。


 代わりに、黒い革鞄だけが、水路の柵に引っかけられていた。


 銀色の鎖が、風に揺れている。


 ガッシュが舌打ちした。


「捨てて逃げやがった」


「罠かもしれない」


 ミラが慎重に近づく。


 工具を当て、鞄の金具を確認する。


「入口は金具。変換部はなし。出口……ない。爆発系じゃないわね」


「開けられる?」


「ゆっくりなら」


 ミラが鞄を開ける。


 中には、何も入っていなかった。


 いや、一枚だけ紙がある。


 リリアが追いつき、息を整えながらそれを受け取った。


 紙には、整った文字で一言だけ書かれていた。


 ――仕事は、必要な場所へ流れる。


 カレンの顔から笑みが消えた。


「挑発ですね」


 セリアが拳を握る。


「逃げ足の速い男ね」


 ジノが少し息を切らしながら言った。


「俺、逃げ足には自信あったんだけどな。あいつ、逃げ方が仕事みたいだった」


「実際、そうなのかもしれない」


 俺は空の鞄を見た。


 ダリオは逃げた。


 でも、何も残さなかったわけではない。


 革具店の証言。


 固定ベルト。


 紙片。


 そして、挑発の言葉。


 仕事は、必要な場所へ流れる。


(違う)


 俺はその言葉を見つめた。


(必要だから流れるんじゃない。必要だと思い込まされて、流される人がいる)


 治療費。


 薬代。


 生活費。


 見栄。


 承認欲求。


 そこに仕事という形で濁った流れを差し込む。


 ダリオは、その仲介人だ。


 ヴァルドの思想を現場へ流す、細い管のような男。


 カレンが紙を見て言った。


「ダリオは、自分を悪だとは思っていないかもしれません」


「どういうことですか?」


「仕事のない人に仕事を渡す。金のない人に前払いを出す。工房に注文を回す。表だけ見れば、彼は街の流れをよくしているようにも見えます」


「でも、流している中身が危険すぎる」


「ええ」


 カレンは静かにうなずいた。


「だから厄介なのです」


 リリアが記録板に書き込む。


「ダリオ・セイン。赤錆亭、ルド革具店、革固定ベルト、簡易拘束術式、逃走時の残留魔力。証拠は増えました」


 ミラも固定ベルトを布に包む。


「新型補助環に必要な部品が、また一つ揃った。外枠、接続片、固定具、固定ベルト。あとは中核の魔石と記録石ね」


 俺は水路の流れを見た。


 濁った水が、ゆっくりと南へ流れている。


 街の流れは複雑だ。


 良いものも悪いものも、人の事情も弱さも、全部混ざって流れていく。


 黒環会はそこへ入り込む。


 白環なら、まとめて止めようとする。


 でも、俺たちは。


「ダリオを追おう」


 俺は言った。


「ただ捕まえるだけじゃなくて、あいつがどこへ仕事を流しているのかを見る。次に巻き込まれる職人や冒険者を止める」


 ガッシュが鼻を鳴らした。


「また面倒なこと言ってんな、Eランク」


「面倒だから必要なんだと思う」


「……ふん」


 ガッシュはそれ以上言わなかった。


 けれど、反対もしなかった。


 セリアが隣に立つ。


「次は逃がさない」


「無理に踏み込みすぎないように」


「分かってる。今度は、止まるところまで含めて追う」


 その言葉に、俺は少し笑った。


 変わっているのはガッシュだけじゃない。


 セリアも、ジノも、ノアも、みんな少しずつ変わっている。


 俺も、きっと。


 水路の向こうで、夕方の鐘が鳴った。


 ダリオ・セインは逃げた。


 だが、彼の流した仕事の匂いは、まだ街に残っている。


 その先には、ヴァルド・グレイムがいる。


 そして、さらに奥には黒環会の大きな流れがある。


 俺は空の革鞄を見下ろした。


 銀色の鎖が、夕陽を受けて細く光っている。


(仕事は、必要な場所へ流れる)


 紙に書かれた言葉を、心の中で読み返す。


 そして、静かに否定した。


(違う。仕事は、人を生かす場所へ流すものだ)


 南市の水路に、夕陽が揺れていた。


 その光は細かく千切れながら、それでも確かに先へ流れていった。


第20話を読んでいただきありがとうございます。


今回は、工房仲介人ダリオ・セインが本格的に登場しました。


ダリオは、職人や低ランク冒険者に仕事を回す仲介人です。


表向きは、仕事のない人に仕事を渡す便利な存在です。


ですが実際には、治療費や生活費に困った人たちへ危険な仕事を流し、黒環会の製造網を広げています。


今回は、赤錆亭、ルド革具店、固定ベルト、簡易拘束術式を通して、ダリオの流れが少し見えました。


ただし、彼自身はまだ逃走中です。


次回は、ダリオが次に仕事を流した先を追いながら、

新型補助環の中核となる魔石と記録石の流れへ近づいていきます。


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