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納期遅れで死んだ俺、異世界では魔力の詰まりが見えるらしい 〜最弱Eランクだけど、術式を読み替えて世界の流れを変えていく〜  作者: 好山 雪
第1章 月影の森で目覚める

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第17話 西門の馬車置き場


黒環会の荷を運ばされかけたガッシュ。


その届け先として出てきたのは、西門の外れにある古い馬車置き場でした。


灯り小路、雨樋倉庫、そして西門。


黒環会の流れは、一つ止めても別の場所へ逃げるように作られていました。


今回は、シュウたちがその迂回ルートを追い、ガッシュが初めて自分の弱さと向き合い始める回です。



 西門の外れにある馬車置き場は、街の賑わいから少し外れた場所にあった。


 かつては商隊の待機場所として使われていたらしい。


 だが今は、半分朽ちた馬小屋、傾いた荷台、車輪の外れた古い馬車が並ぶだけの寂れた空き地になっている。


 夕方の風が、乾いた土を巻き上げた。


 遠くで西門の鐘が鳴る。


 その音が妙に遠く聞こえた。


「……ここだ」


 ガッシュが低く言った。


 いつものような大声ではない。


 荷袋を担いで怒鳴っていた昼間とは別人のように、肩が少し落ちている。


「あの灰色の帽子の男に言われた。西門を出て、古い馬車置き場の三番小屋へ置けって」


「三番小屋?」


 ジノ・バレットが周囲を見回した。


 怖い時の癖で、言葉が少し早くなる。


「一番は入口側。二番は崩れてる。三番は……あれだな。奥の、屋根が半分落ちてるやつ」


 ジノは古い馬小屋を指さした。


「逃げ道は?」


 俺が聞くと、ジノはすぐに答えた。


「西門側へ戻る道が一つ。裏の草むらを抜ける道が一つ。あと、壊れた馬車の下をくぐれば水路跡に出られる。俺なら通れる」


「また俺なら、か」


「セリアは無理」


「だから聞こえてるって」


 セリア・グランツが軽く睨む。


 それでも、彼女の手は剣の柄に添えられていた。


 呼吸は落ち着いている。


 右足の位置を確かめ、踏み込みすぎないように重心を残している。


 雨樋倉庫での戦い以降、セリアは明らかに動きが変わっていた。


 誰かを助けたい時ほど、前に出すぎる。


 その自覚が、彼女の足を半歩だけ慎重にしている。


 リリア・フォルンは、馬車置き場の入口で小さな記録板を開いていた。


 依頼記録。


 門の通行記録。


 荷馬車の登録表。


 彼女は三つの記録を並べ、ペン先で時刻を追っている。


「ガッシュ様が荷を受けたのは昼前。届け先は西門外れ。ですが、西門の通行記録には、G商会代理の荷馬車が出た記録はありません」


「つまり、荷はまだ街の中にある?」


 俺が聞くと、リリアは首を横に振った。


「断定はできません。ですが、別名義の空荷馬車が二台、昼過ぎに西門を出ています」


「空荷馬車……またか」


 雨樋倉庫でも使われていた手口だ。


 帳簿上は空箱。


 でも実際には、新型補助環や人が隠されていた。


 流れを分ける。


 名義を分ける。


 中身を見えなくする。


 ヴァルド・グレイムのやり方は、嫌になるほど生産管理的だった。


 ただし、人を守るためではない。


 人を数字にするための管理だ。


 カレン・ベルシアは、馬車置き場の端に残っていた古い荷札を拾い上げた。


 指で埃を払い、封印紐の切れ端を確認する。


「この紐、ルベン紐工房の撚りとは違いますね」


「別の工房ですか?」


「ええ。ただ、色の染め方が似ています。黒灰色に見せかけていますが、芯の染料が薄い。急ぎで作らせたものかもしれません」


 カレンは薄く微笑んだ。


「黒環会も、思ったより焦っているようです」


 ミラ・フォルネは三番小屋の扉に近づき、細い測定具を当てた。


 工具箱を開き、入口、変換部、出口を順に確認していく。


「扉そのものには大きな術式はない。入口は……ない。変換部もない。出口もない」


「安全ってこと?」


 ジノが少しほっとした声を出す。


「魔道具としてはね」


 ミラは扉の下に視線を落とした。


「でも、床下に何かある。魔道具じゃなくて、残留魔力。たぶん最近まで何かを置いていた」


「俺が見た方がいいか」


 俺がそう言うと、セリアとノアが同時にこちらを見た。


 ノア・ルミナスは小さく首を横に振る。


「まだ深く見るのはだめです。昨日の反動が残っています」


「集中視だけにします」


「深視に入ったら止めます」


 ノアの声は柔らかい。


 でも、言葉には芯があった。


 セリアも剣を握り直したまま言う。


「息を細く吐いて、焦点をずらして、無理しそうになったら私が止めるからね」


「二人とも発動条件を完全に覚えてるな」


「覚えるよ。心配だから」


 セリアは当然のように言った。


 それが少し照れくさくて、俺は視線を三番小屋へ戻した。


 息を細く吐く。


 小屋を見るのではなく、その奥にある流れを探す。


 視界の焦点を、ほんの少しだけずらす。


 魔力の入口と出口を探す。


(流れを見ろ)


 次の瞬間、朽ちた馬小屋の輪郭が少し薄れた。


 床板の隙間。


 柱の根元。


 そこに、灰黒色の細い線が残っている。


 だが、流れはもう動いていない。


 残り香のようなものだ。


 俺は深追いしないように、そこで視界を戻した。


「ここに何か置かれていた。新型補助環の接続片に近い濁りです。でも、もう運び出された後だ」


 ミラが床板を工具で叩いた。


「場所は?」


「中央の柱の下」


「そこね」


 ミラが床板の隙間に工具を差し込む。


 ギシ、と古い板が持ち上がった。


 中から出てきたのは、小さな金属片だった。


 輪の一部。


 ただし、昼間ガッシュが運ばされかけた接続片よりも細い。


「補助環の固定具ね」


 ミラが顔をしかめる。


「でも、これだけじゃ輪は組めない。部品を分けて運んでる」


「分散搬入」


 俺はつぶやいた。


「一つひとつは小さな部品。見つかっても大した証拠に見えない。でも、全部集めると新型補助環になる」


「その通りでしょうね」


 カレンがうなずいた。


「商流でもよくある手口です。危険品を一括で運ぶと目立つ。だから、部品、封印紐、記録石、接続片、固定具を別々に流す」


 リリアのペンが止まる。


「つまり、雨樋倉庫は組立場所の一つ。西門は中継場所。灯り小路は実証場所」


 言葉にすると、流れが見えてくる。


 作る場所。


 運ぶ場所。


 組み立てる場所。


 試す場所。


 記録を回収する場所。


 黒環会の流れは、街の弱い部分を縫うように通っている。


「なんだよ、それ……」


 ガッシュが小さくつぶやいた。


 その顔は青い。


「俺、そんなもん運ばされてたのかよ」


「そうだと思う」


 俺は答えた。


 ガッシュは拳を握った。


 腕に魔力が集まりかける。


 粗い身体強化。


 怒りと焦りがそのまま腕へ流れている。


 だが、肩のあたりで跳ねているのが見えた気がした。


 魔流視を使わなくても、危ういと分かる。


「俺は知らなかった」


 ガッシュが言った。


「知らなかったんだよ。中身は見るなって言われた。運ぶだけで銀貨二十枚だって。そんなうまい話あるわけねえって、分かってた。でも……」


 そこで言葉が詰まる。


 ジノが気まずそうに視線をそらした。


 その気持ちは、ジノにも分かるのだろう。


 薬代。


 生活費。


 低ランクから抜け出せない焦り。


 ガッシュにも、何か事情があるのかもしれない。


 だが、セリアは甘い顔をしなかった。


「知らなかったから全部許されるわけじゃない」


「分かってるよ!」


 ガッシュは怒鳴った。


 だが、その声はいつもより弱い。


「分かってる……けどよ」


 俺はガッシュを見た。


 嫌なやつだ。


 Eランクを馬鹿にする。


 灯り小路を軽く見る。


 力任せで、自分の弱さを認めない。


 それでも、ここで完全に切り捨てれば、黒環会に流れる。


 詰まった流れは、放っておけば濁る。


「ガッシュ」


「あ?」


「今なら、戻れる」


 ガッシュは俺を睨んだ。


「説教かよ」


「違う。確認だ」


「何の確認だ」


「お前は黒環会側に行きたいのか」


 ガッシュは黙った。


 その沈黙が答えだった。


 行きたいわけではない。


 ただ、流されかけている。


「だったら、知ってることを全部話してくれ。灰色の帽子の男、銀貨を渡された場所、声、匂い、荷袋、馬車。何でもいい」


 リリアが記録板を開く。


「証言として記録します」


 ガッシュはリリアを見て、少しだけ怯んだ。


「……記録って、俺が黒環会の仲間みたいに残るんじゃねえのか」


「事実を残します」


 リリアは静かに言った。


「あなたが荷を受けたことも。中身を知らなかったと主張していることも。ここで協力したことも。すべてです」


「……全部かよ」


「はい。都合よく消すことはしません」


 ガッシュは苦い顔をした。


「受付って怖えな」


「よく言われます」


 ジノが小さくうなずいた。


「分かる」


 リリアの視線がジノに向く。


「何か?」


「何でもないです」


 少しだけ空気が緩んだ。


 だが、その時だった。


 古い馬車置き場の奥。


 壊れた馬車の陰から、拍手の音が聞こえた。


 ぱち、ぱち、ぱち。


「いやあ、感動的だねえ」


 全員が一斉に振り向いた。


 灰色の帽子をかぶった男が、馬車の影から姿を現した。


 細い体。


 薄い笑み。


 黒手袋ではない。


 だが、指先には黒い輪の紋様が刻まれた指輪がある。


 ガッシュの顔色が変わった。


「こいつだ……俺に荷を渡したやつ」


 男は大げさに肩をすくめた。


「ひどいなあ。人聞きが悪い。私はただ、仕事を紹介しただけですよ。Dランクのガッシュさんが、銀貨二十枚で喜んで引き受けた。違いますか?」


 ガッシュが歯を食いしばる。


「中身は言わなかっただろうが!」


「聞かれませんでしたから」


 男は笑った。


 軽い。


 だが、その軽さが腹立たしい。


「見ないで運べば金になる。そういう仕事が好きな方だと思っていましたよ。強いんでしょう? Dランクなんですから。Eランクの新人より、ずっと」


 ガッシュの腕に魔力が集まる。


 粗く、乱暴な流れ。


「てめえ……!」


「ガッシュ、乗るな!」


 俺は叫んだ。


 だが、ガッシュは一歩踏み出していた。


 肩で跳ねていた魔力が腕に集まり、力任せに拳を振り上げる。


 男は笑ったまま、指輪を軽く弾いた。


 灰黒色の線が地面を走る。


 ガッシュの足元へ絡みつく。


「っ!?」


 ガッシュの体が止まった。


 粗い身体強化の魔力が、拘束術式に吸われていく。


 力を入れるほど、黒い線が太くなる。


「力任せの方は扱いやすい」


 男は笑った。


「怒らせれば、勝手に流れを乱してくれる」


 セリアが剣を抜く。


 短く息を吸い、足裏で地面を掴む。


 青い魔力が足から腰へ流れる。


 だが、彼女はすぐには踏み込まなかった。


 地面に黒い線がいくつも見えている。


 踏み込めば、ガッシュと同じになる。


「シュウ」


 セリアが短く呼ぶ。


「見る」


 俺は答えた。


 ノアがすぐに俺の腕に触れる。


「深く見すぎないでください」


「集中視だけです」


 息を細く吐く。


 男ではなく、足元の流れを見る。


 視界の焦点を、少し奥へずらす。


 入口と出口を探す。


(流れを見ろ)


 視界の色が落ちる。


 地面に灰黒色の線が浮かぶ。


 線は男の指輪から出ているのではない。


 指輪は合図だ。


 本体は、壊れた馬車の車輪の裏。


 そこに小さな黒輪術式片が埋め込まれている。


 入口は車輪。


 出口は地面の拘束線。


 ガッシュの粗い魔力を吸って、拘束を強めている。


「本体は車輪の裏! 指輪じゃない!」


「分かった!」


 ミラが工具を構える。


 だが、距離がある。


「遠い! 届かない!」


 カレンが周囲を見た。


「ジノさん、あの車輪の裏へ回れますか」


「行きたくないけど行ける!」


 ジノは叫ぶと、壊れた馬車の下へ滑り込んだ。


「待て待て待て! 狭い! 蜘蛛の巣! 最悪! でも通れる!」


 灰色帽子の男が顔をしかめる。


「小鼠が」


 男が指輪を弾く。


 黒い線がジノの方へ走る。


 セリアが半歩踏み込んだ。


 右足が地面を噛む。


 剣身に薄い光が走る。


「守り払い!」


 セリアの剣が黒い線の進路を横へ逸らした。


 完全には消えない。


 だが、ジノへ向かう流れが一瞬ずれる。


「今!」


 ジノが車輪の裏へ手を伸ばす。


「これか!? これだな!? 違ったらごめん!」


 ミラが叫ぶ。


「黒く光ってる方!」


「どれも汚くて黒いんだよ!」


「輪の欠片!」


「あった!」


 ジノが小さな術式片を引き剥がした。


 その瞬間、ガッシュの足元の黒い線が弱まる。


 だが、完全には消えない。


 男は舌打ちした。


「邪魔をするな!」


 懐から二つ目の術式片を取り出す。


 それを地面へ投げようとした。


 カレンが前へ出る。


 戦闘力はない。


 だが、彼女は男の手元ではなく、腰の荷札を見ていた。


「その荷札」


 男の動きが一瞬止まる。


「西門外れの空荷馬車。南市の仮置き印。ですが、封印紐は北区のもの。ずいぶん雑になりましたね」


 カレンは薄く笑った。


「帳簿は嘘をつかない。嘘をつくのは、人よ」


 男の顔から笑みが消えた。


 その一瞬。


 セリアが動いた。


 短く息を吸う。


 足裏で地面を掴む。


 踏み込みは深すぎない。


 半歩で間合いへ入る。


「風切り!」


 横薙ぎの剣が、男の手首を打った。


 術式片が宙を舞い、地面に落ちる。


 リリアが即座に布で包んだ。


「証拠品として確保します」


「くそっ……!」


 灰色帽子の男が後ろへ下がる。


 だが、そこにはエルネスト・ヴァイスが立っていた。


 いつの間に来たのか。


 大きな体。


 背負った大剣。


 静かな圧。


「逃げ道は、そこの小僧が全部見てたぞ」


 エルネストが顎でジノを示す。


 ジノは馬車の下から顔だけ出していた。


「小僧じゃなくて、ジノ・バレットです。あと、めちゃくちゃ怖かったです」


「よくやった」


「もっと褒めてください」


「後でな」


 エルネストは灰色帽子の男へ視線を戻す。


「さて、話を聞こうか」


 男は笑おうとした。


 だが、その笑みは引きつっていた。


「私はただ、荷運びを頼んだだけですよ」


「その言い訳、最近よく聞くな」


 俺は言った。


 ラドムと同じだ。


 私は売っただけ。


 私は頼んだだけ。


 買った方が悪い。


 運んだ方が悪い。


 そうやって、責任を流れの下流へ押しつける。


「誰の指示ですか」


 リリアが聞く。


 ペンを構え、記録する準備をしている。


 男は黙った。


 その沈黙に、ミラが術式片を測定具で確認する。


「黒輪術式に簡易の口止めが入ってる。強く問い詰めると焼けるかも」


「本人が?」


「たぶん。ラドムよりきつい」


 ガッシュが地面に膝をついたまま、息を荒げている。


 ノアが駆け寄り、彼の呼吸を見る。


 脈を確認し、腕に手を当てる。


「魔力が乱れています。動かないでください」


「俺に触るな……」


「今は私が診ます」


 ノアの声が、静かに強くなった。


 淡い白い光が、ガッシュの腕へ流れる。


 粗く跳ねていた魔力が、少しずつ落ち着いていく。


 ガッシュは悔しそうに顔を伏せた。


「くそ……俺、何やってんだよ」


 俺はその横にしゃがんだ。


「力を入れるほど、術式に吸われてた」


「見えてたのかよ」


「少しだけ」


「だったら早く言え」


「叫んだけど、聞かなかっただろ」


 ガッシュは黙った。


 その沈黙は、さっきよりも重かった。


「俺は……また、利用されたのか」


「今回は、止まれた」


「止まれてねえ。お前らが止めたんだろ」


「それでも、黒環会側には行かなかった」


 ガッシュは顔を上げた。


 怒りと悔しさが混ざった目だった。


「なんで、お前はそういう言い方するんだよ。責めりゃいいだろ。馬鹿だって。Dランクのくせに雑魚だって」


「言ってほしいのか?」


「違えよ!」


 ガッシュは怒鳴った。


 だが、すぐに声を落とした。


「……違う」


 セリアが近くに立っていた。


 剣は下げている。


 だが、油断はしていない。


「ガッシュ。あなたは嫌なやつだけど、まだ戻れる」


「嫌なやつは余計だろ」


「余計じゃない」


「そこははっきり言うのかよ」


 セリアは真っ直ぐに言った。


「でも、戻れるなら戻りなさい。黒環会に使われて終わるなんて、そんなの悔しいでしょ」


 ガッシュは奥歯を噛んだ。


 その拳はまだ震えていた。


 しかし、今度は怒りで魔力を暴走させてはいない。


 自分で抑えようとしている。


 その時、灰色帽子の男が低く笑った。


「戻れる? 甘いですね」


 全員の視線が男に集まる。


 男は口止め術式の痛みに耐えているのか、額に汗を浮かべていた。


 それでも、口元だけは歪んでいる。


「ヴァルド様は、流れに落ちた者を見逃さない。一度でも銀貨を受け取れば、記録に残る。記録に残れば、使える」


 リリアの目が冷たくなった。


「記録を脅しに使っているのですね」


「記録は便利ですよ。誰が金に困っているか。誰が見栄を張るか。誰が自分より下を欲しがっているか」


 男はガッシュを見た。


「あなたは扱いやすかった。Eランクを見下し、Dランクで伸び悩み、金が必要だった」


 ガッシュの顔が歪む。


「黙れ……」


「少し褒めれば、すぐ乗る。少し煽れば、すぐ怒る。力だけはある。荷運びにはちょうどいい」


「黙れ!」


 ガッシュの腕に再び魔力が集まりかける。


 俺は彼の肩を掴んだ。


「流すな!」


「っ……!」


「怒りを腕に流すな。相手の術式に食われる」


 ガッシュは息を荒げながら、拳を下ろした。


 粗い魔力が肩で跳ね、少しずつ散っていく。


 初めて、自分で止めた。


 ミラが小さくつぶやく。


「今のは、少しだけましね」


「まし?」


「いつもより流れが肩で詰まってない」


 ガッシュは複雑な顔をした。


「褒めてんのか、それ」


「解析結果を言っただけ」


 ジノが馬車の下から這い出してきた。


「俺なんか毎回怖くても動いてるんだからな。ガッシュも、怖いなら怖いって言えばいいんだよ」


「誰が怖いって言った!」


「言ってないけど顔が言ってる」


「てめえ!」


 また言い合いが始まりかけたが、リリアのペンの音がそれを止めた。


 カリ。


 全員が少し静かになる。


「灰色帽子の男、身柄確保。黒輪術式片二点、固定具一点、偽装荷札一点、ガッシュ様への前払い銀貨に関する証言」


 リリアは淡々と記録していく。


「加えて、ヴァルド・グレイムの名を出した発言あり」


 灰色帽子の男の顔色が変わった。


「私は、そんなことは――」


「言いました」


 リリアは顔を上げた。


「記録しました」


 その言葉は、剣よりも鋭かった。


     ◇


 日が落ちる頃、灰色帽子の男はエルネストの部下たちに連行された。


 ただし、口止め術式のせいで深い尋問は難しい。


 ミラによれば、無理に聞き出そうとすれば本人の命が危ないらしい。


 黒環会は、末端を切り捨てる準備もしている。


 ラドム。


 ルベン。


 ガッシュ。


 灰色帽子の男。


 誰も同じ立場ではない。


 悪意で動いた者もいる。


 脅された者もいる。


 見栄で流された者もいる。


 しかし、そのすべてをヴァルドは流れの部品として使っている。


 アルメリア支部へ戻る途中、ガッシュは俺たちの後ろを黙って歩いていた。


 いつものように大股ではない。


 肩を落とし、何かを考えているようだった。


 セリアが俺の横に並ぶ。


「ガッシュ、どうするんだろう」


「分からない」


「助けるの?」


「助けるというより、止める」


「止める?」


「黒環会に流れないように。本人が戻りたいなら、戻れる場所を作る。でも、また誰かを傷つけるなら止める」


 セリアは少し考えてから、うなずいた。


「シュウらしいね」


「甘いかな」


「甘いだけじゃないと思う」


 セリアは西門の方を見た。


「ただ、誰かを切り離す前に、一回は手を伸ばす。そういう感じ」


 その言葉は、胸に残った。


 切り離す前に、手を伸ばす。


 白環とは違う。


 黒環とも違う。


 まだ名前もない、俺たちの流れ。


 支部に戻ると、リリアがすぐに記録を整理し始めた。


 カレンは銀貨を確認している。


「この銀貨、刻印が少し古いですね」


「分かるんですか?」


「商会では、銀貨の出どころを見ることもあります。古い刻印の銀貨をまとめて使う場合、両替所か古い商隊資金の可能性があります」


 カレンは一枚の銀貨を光にかざした。


「灰鷲両替所」


「また新しい名前か」


「ええ。南市と西門の商人がよく使う両替所です。表向きは普通の店ですが、古い商隊資金を扱うことがあります」


 リリアがすぐに記録へ書き加える。


「次の調査対象、灰鷲両替所」


 ミラは術式片を布に包んだ。


「こっちの術式片も、雨樋倉庫の新型補助環と同じ系統。接続、固定、拘束。だんだん部品構成が見えてきた」


 ジノが肩をすくめる。


「つまり、まだまだ面倒ってことだな」


「そういうことだ」


 エルネストが調査室の入口で言った。


 いつの間にか戻ってきていたらしい。


「だが、今日の収穫は大きい。ヴァルドの流れは、西門と両替所まで伸びていた。そこを押さえれば、商流の上流に近づける」


「上流……」


 俺は机の上に並べられた証拠を見た。


 雨樋倉庫。


 ルベン紐工房。


 西門の馬車置き場。


 灰鷲両替所。


 点だったものが、少しずつ線になっていく。


 その線の先に、ヴァルド・グレイムがいる。


 そして、おそらくそのさらに奥に、黒環会の大きな流れがある。


 ガッシュが部屋の入口で立ち止まった。


 何か言いたそうにしている。


 だが、言葉が出ない。


 しばらくして、彼は乱暴に頭をかいた。


「……俺は、黒環会の仲間じゃねえ」


 誰も笑わなかった。


 誰もすぐに責めなかった。


 リリアだけが静かに聞く。


「では、今後の調査に協力しますか」


 ガッシュは顔をしかめた。


「なんでそうなるんだよ」


「自分が利用された流れを確認するためです」


「言い方が怖えよ」


「事実です」


 ガッシュは俺を見た。


 セリアを見た。


 ジノを見た。


 最後に、机の上の黒い術式片を見た。


「……一回だけだ」


 ガッシュは低く言った。


「一回だけ、協力してやる。俺を利用したやつの顔を、もう一回見るまではな」


 セリアが腕を組む。


「素直じゃない」


「うるせえ」


 ジノがにやりと笑った。


「ようこそ、怖い目に遭う側へ」


「お前と一緒にするな」


「俺は先輩だぞ。逃げ道案内の」


「情けねえ先輩だな」


「生き残るには大事なんだよ!」


 小さな言い合いが始まった。


 けれど、それは少しだけ救いのある音に聞こえた。


 俺は窓の外を見た。


 西門の向こうに、夜が広がっている。


 街の灯りはまだ頼りない。


 灯り小路も、完全に自由になったわけではない。


 白環の監視は続いている。


 黒環会の流れも止まっていない。


 それでも、今日また一つ、詰まりの場所が見えた。


(灰鷲両替所)


 俺は心の中で新しい名前を刻む。


 流れはまだ続いている。


 なら、追う。


 ほどく。


 つなぎ直す。


 人が、ただの要素として流されないように。


 夜の帳簿に、次の線が引かれた。


第17話を読んでいただきありがとうございます。


今回は、西門の馬車置き場を調査し、黒環会の迂回ルートを追う回でした。


ガッシュはまだ嫌なやつですが、完全な悪ではなく、劣等感や見栄を黒環会に利用されかけた人物として描いています。


怒りで粗い身体強化を暴走させかけましたが、シュウたちの連携で止まり、最後には一度だけ調査に協力する流れになりました。


また、黒環会は危険な魔道具を一括で運ぶのではなく、接続片、固定具、封印紐、記録石などに分けて流していることが見えてきました。


次回は、新たに出てきた「灰鷲両替所」を調査し、ヴァルド・グレイムの資金の流れに迫っていきます。


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