第16話 帳簿は嘘をつかない
雨樋倉庫で、黒環会の新型補助環と記録石を押さえたシュウたち。
子どもたちは救われ、灯り小路の即時完全封鎖はひとまず保留となりました。
しかし、白環の守り手は管理通行を進めようとし、黒環会の流れはまだ街の中に残っています。
必要なのは、感情だけではなく証拠。
リリアの記録、ミラの解析、カレンの商流読解が、ヴァルド・グレイムへ続く包囲網を作り始めます。
雨樋倉庫の夜が明けても、俺の目の奥にはまだ鈍い痛みが残っていた。
深く見すぎた。
新型補助環の入口と出口を追い、天井の梁に隠された記録石まで見つけた。
結果として、子どもたちは助かった。
倉庫に閉じ込められていた青年も、ノアの治癒で呼吸を取り戻した。
それでも、体は正直だった。
目を閉じると、灰黒色の線がまぶたの裏にちらつく。
(見えたから助けられた。でも、見続ければ俺が止まる)
それは、前世の失敗にも似ていた。
納期に間に合わせるため。
現場を止めないため。
誰かを困らせないため。
そう言いながら、自分の限界を後回しにする。
その先にあったものを、俺はもう知っている。
「シュウさん、まだ顔色が悪いです」
声をかけてきたのは、ノア・ルミナスだった。
アルメリア支部の医務室。
白い布のかかった簡易寝台に座る俺の前で、ノアは小さな手を胸元に添えていた。
彼女は俺の呼吸を見て、手首に指を当てる。
脈を確認する指先が、少し震えていた。
「少しだけ、整えますね」
「昨日もやってもらったのに、すみません」
「謝るところではありません」
ノアは思ったよりきっぱりと言った。
淡い白い光が、彼女の両手から広がる。
胸の奥に残っていた重さが、ゆっくりほどけていく。
治るというより、乱れた流れを支えてもらう感じだった。
「怖いです。でも、手を止める方がもっと怖いです」
ノアは小さくそう言った。
雨樋倉庫で聞いた時と同じ言葉。
ただ、その声は昨日より少しだけ強かった。
「だから、シュウさんも止まる時は止まってください。倒れてからでは、治せないこともあります」
「……はい」
何も言い返せなかった。
医務室の扉が開く。
セリア・グランツが顔を出した。
「シュウ、起きて大丈夫なの?」
「座ってるだけなら」
「それ、倒れる人がよく言うやつ」
セリアは眉を寄せながら近づいてきた。
腰には剣。
けれど、今は戦う顔ではない。
心配している顔だった。
「子どもたちは?」
俺が聞くと、セリアは少しだけ表情を緩めた。
「命に別状はないって。魔力酔いがひどいけど、ノアと支部の治癒師が見てくれてる。青年の方も、まだ立てないけど話はできるみたい」
「よかった」
本当に、そう思った。
だが、セリアの表情はすぐに曇った。
「でも、白環の人たちが灯り小路の入口に立ち始めてる。完全封鎖じゃないけど、出入りはかなり制限されてる」
「管理通行、か」
「うん。セルヴィスが言ってた通り」
黒い流れを止めるために、白い輪で締める。
その判断が必要な場面もあるのだろう。
けれど、締められる側の息苦しさを想像できないなら、それは救いではなく管理だ。
俺は寝台から立ち上がろうとした。
その瞬間、セリアとノアの視線が同時に鋭くなる。
「どこ行くの?」
「どこへ行くんですか?」
「……調査室です」
二人の圧が強い。
リリアとは別方向に怖い。
「無理はしません。魔流視も使わない。今は、記録と証拠を見るだけです」
セリアはじっと俺を見た。
「本当に?」
「本当に」
「息を細く吐いて焦点をずらしたら、すぐ止めるからね」
「発動条件を覚えられてる……」
「当たり前でしょ」
セリアは少しだけ頬を膨らませた。
「昨日、見てて怖かったんだから」
その言葉に、胸の奥が少し痛んだ。
魔流視の反動とは違う痛みだ。
「気をつけます」
「うん」
セリアは短く答えた。
そして、少し照れたように視線を逸らした。
「じゃあ、行こ。みんな待ってる」
◇
アルメリア支部の調査室は、朝から戦場のようだった。
ただし、剣や魔法が飛ぶ戦場ではない。
紙と証拠と記録の戦場だ。
机の上には、雨樋倉庫から持ち帰った物が並んでいる。
新型補助環の破損品。
天井梁に隠されていた記録石。
黒手袋の男が持っていた小環。
ルベン紐工房の黒灰封印紐。
G商会代理と書かれた焦げ残りの注文書。
偽装された北倉庫印。
そして、雨樋倉庫の保管料支払い記録。
リリア・フォルンは、その中心にいた。
帳簿を三冊並べる。
依頼記録を横に置く。
証言書を時系列順に揃える。
ペン先が紙の上を静かに滑る。
依頼日。
搬入時刻。
支払い窓口。
荷受名義。
証言者。
その一つひとつが線で結ばれていく。
「……やはり、ここです」
リリアのペン先が止まった。
「何が分かったんですか?」
俺が聞くと、リリアは帳簿の一行を示した。
「雨樋倉庫の保管料は、北区の小口受付で支払われています。ですが、同じ日の同じ時刻に、南市では別の荷運び依頼が出ています」
「別の依頼?」
「はい。依頼主はG商会代理。荷物は空箱六個。搬入先は雨樋倉庫周辺」
ジノが顔をしかめる。
「空箱六個? 昨日、中にあった木箱の数と同じじゃねえか」
「そうです」
リリアは淡々とうなずいた。
「つまり、帳簿上は空箱です。しかし実際には、新型補助環と記録石、そして実験対象者が入っていた可能性があります」
言葉の最後だけ、少し冷たかった。
記録職員としての怒り。
それが静かににじんでいた。
「帳簿に空箱と書けば、中身は見られにくい。低額依頼なら確認も甘い」
俺はつぶやいた。
「前世でも似たようなのがあったな。箱だけ、伝票だけ、名義だけ違う。流れを分断して、全体が見えないようにする」
「その通りです」
リリアは新しい紙に線を書いた。
「ラドム・ヴェイルの販売。ルベン紐工房の封印紐。雨樋倉庫の保管料。空箱の荷運び。G商会代理。これらは一つずつ見ると弱い記録です」
ペン先が、すべての線を一つの丸へ集める。
「ですが、並べれば同じ場所へ向かっています」
リリアは顔を上げた。
「矛盾は、必ずどこかに残ります」
セリアが小さく息を吐いた。
「リリアさんが敵じゃなくてよかった」
「私は受付職員です」
「受付職員って、こんなに怖かったっけ?」
「必要に応じて」
ジノがそっと俺の背後に隠れた。
「俺、今後は依頼書ちゃんと書こう……」
「ぜひ、そうしてください」
リリアがにこりともせずに返した。
やはり怖い。
その横で、ミラ・フォルネは新型補助環の破損品を分解していた。
細い工具を当て、入口、変換部、出口を順番に確認している。
「入口が三つある。床下の魔力脈、拘束対象の魔力、外部記録石。普通の補助環じゃないわね」
「用途は?」
「測定と制御。灯り用よりずっと悪質」
ミラは工具の先で、輪の内側を示した。
「ここが変換部。本来なら魔力を安定させる場所。でもこれは安定させない。わざと揺らして、対象がどれくらい耐えるかを見る作りになってる」
「耐えるかを見る……」
「そう。魔道具じゃなくて、試験具よ」
ミラは唇を噛んだ。
「しかも、作りが妙に整ってる。粗悪品じゃない。分かっていて、こう作ってる」
カレン・ベルシアが封印紐を見ながら言った。
「つまり、末端の行商人が偶然扱った品ではない」
「そういうこと」
ミラは新型補助環の裏側を軽く叩いた。
「設計した工房がある。指示した人間がいる。実験結果を欲しがった人間がいる」
「ヴァルド・グレイム」
セリアが低く名前を出した。
その名前だけで、調査室の空気が変わる。
雨樋倉庫の記録石から流れた声。
人を要素と呼んだ男。
流れはほどくものではなく、管理するものだと言った男。
まだ姿は見せない。
だが、確実にこちらを見ている。
カレンは帳簿を開いた。
表紙にはベルシア商会の印。
その横に、雨樋倉庫から回収した荷札が置かれている。
カレンは荷札、封印紐、価格欄、数量欄を順番に確認した。
細い指が、帳簿の端をなぞる。
「この荷は、北倉庫を通ったことになっています」
「でも、実際は雨樋倉庫だった」
「ええ。そして北倉庫は、ここ数日ベルシア商会の荷も扱っていました」
カレンは薄く微笑んだ。
ただし、目はまったく笑っていない。
「ベルシア商会の信用を、また踏み台にしたということです」
「かなり怒ってます?」
ジノが恐る恐る聞く。
「怒っていませんよ」
「いや、絶対怒ってる顔だってそれ」
カレンは優雅に首を傾けた。
「商売は、金だけでは続きません。信用で続くものです。その信用を汚した相手には、相応の請求をしなければなりません」
「請求って、金の話?」
「金だけではありません」
カレンは帳簿を閉じた。
「取引停止、倉庫使用権の凍結、封印紐の偽装に関わった商会への照会、南市商人会への申し立て。商流から追い詰めます」
リリアが静かに続ける。
「組合側からは、G商会代理名義の依頼受付停止と、関係する低額依頼の再照合を申請します」
ミラが新型補助環を布で包んだ。
「技術側からは、未登録の試験具として危険性を証明する」
セリアが剣の柄に手を置いた。
「逃げようとしたら、私が止める」
ジノが小さく手を上げる。
「俺は……逃げ道を塞がれる前に見つける係で」
「十分だ」
俺は言った。
ジノは少し驚いた顔をした。
「十分、なのか?」
「ああ。昨日、木箱を倒してくれなかったら俺は捕まってた」
「まあ、あれは作戦だからな」
「たぶん、って言ってたけど」
「作戦名が『たぶん』だったんだよ」
「それは無理がある」
セリアが笑った。
少しだけ、調査室の空気が和らぐ。
だが、その空気はすぐに重くなった。
扉が開き、エルネスト・ヴァイスが入ってきたからだ。
その後ろには、白い外套の男。
セルヴィス・アルカード。
白環の守り手だった。
「証拠の整理は進んでいるようですね」
セルヴィスは机の上を見た。
その目は、やはり冷たい。
物も人も、同じように確認対象として見ている。
「灯り小路の管理通行について、白環から通達があります」
エルネストの眉がぴくりと動いた。
「通達?」
「黒環会の流れが完全に断たれるまで、灯り小路への出入りは白環の確認を受けるものとします。荷物、人員、魔道具、魔石。すべてです」
ジノが反射的に声を上げた。
「待てよ! 薬師のところへ行く母ちゃんはどうなるんだよ!」
「許可を得れば通れます」
「許可って、すぐ出るのかよ。薬って、今日いるんだぞ。明日じゃ遅いこともあるんだぞ」
セルヴィスは表情を変えなかった。
「例外を増やせば、黒環会はそこから入り込みます」
「だからって――」
「ジノ」
俺は止めた。
怒るのは当然だ。
だが、ここで感情だけをぶつけても、セルヴィスは動かない。
必要なのは、代案だ。
俺はリリアとカレンを見た。
二人はすでに何かを考えている顔だった。
リリアが帳簿を開く。
「セルヴィス様。完全な白環確認のみでは、灯り小路の生活流量が詰まります」
「生活流量?」
セルヴィスがわずかに眉を動かす。
リリアはペンを走らせた。
「昨日確認した限り、灯り小路から外へ出る必要がある定期用件は、一日あたり平均四十三件です。薬師、日雇い、食料購入、水場管理、修理依頼、子どもの通学補助。すべてを白環確認に回すと、確認待ちが発生します」
リリアは紙を一枚差し出した。
「待ちが発生すれば、無許可通行が増えます。無許可通行が増えれば、白環の監視負荷も増えます。結果として、黒環会の抜け道が増えます」
セルヴィスは黙った。
カレンが続ける。
「そこで、管理通行を三種類に分けます」
彼女は帳簿の余白に線を引いた。
「一つ目、生活通行。薬、食料、仕事など、事前登録された住民の短時間移動。二つ目、商流通行。商会印、荷札、封印紐、数量を確認した荷物。三つ目、警戒通行。未登録者、魔道具、魔石を含む荷物。これは白環確認」
「白環の確認対象を絞るということですか」
「はい」
カレンは穏やかに微笑んだ。
「全てを見ると言いながら何も見えなくなるより、危ない流れに絞った方が効果的です」
エルネストが小さく笑った。
「合理的じゃねえか、セルヴィス」
セルヴィスは表情を変えない。
「黒環会は分類の隙を突きます」
「分類しなければ、住民が詰まります」
俺は言った。
「詰まった人は、抜け道を探す。抜け道が増えれば、黒環会が入り込む。だから、生活の流れは残した方がいい」
セルヴィスの視線が俺に向く。
「あなたは白環の管理を弱めたいだけでは?」
「違います」
「では何を望むのですか」
「黒環会を追うことです。灯り小路を締め上げることじゃない」
調査室が静かになった。
セルヴィスはしばらく黙っていた。
その沈黙は、やはり感情ではなく計算だった。
「試験的に半日だけ認めます」
「半日?」
「生活通行、商流通行、警戒通行の三分類。白環の監視付きです。問題が起きれば即時停止します」
ジノがほっと息を吐いた。
しかし、セルヴィスは続けた。
「ただし、シュウ・サエキ。あなたは白環の要請があれば、黒い流れの確認に協力すること」
セリアの表情が険しくなる。
「それって、シュウを便利な道具みたいに使うってこと?」
「必要な能力を必要な場面で使う。それだけです」
「だから、その言い方が――」
「セリア」
俺はまた彼女を止めた。
セリアは悔しそうに唇を噛む。
俺はセルヴィスを見た。
「協力はします。ただし、条件があります」
「条件?」
「魔流視を使うかどうかは、俺が判断します。深視や干渉が必要な場合は、ノアか治癒師の同席。それと、見えた内容はリリアさんが記録し、ミラが技術確認する。俺一人の感覚だけで判断しない」
ミラが目を丸くした。
「へえ。感覚だけじゃ説明にならないって、やっと分かってきたじゃない」
「だいぶ言われましたから」
「いい傾向ね」
リリアもうなずく。
「記録が残るなら、後で検証できます」
ノアは小さく言った。
「反動が出た時は、私が止めます」
セリアも、俺を見てからセルヴィスに向き直った。
「シュウが無理をしそうになったら、私も止める」
セルヴィスは全員を見た。
「……ずいぶんと、制限の多い鍵ですね」
「鍵じゃありません」
俺は言った。
「人です」
セルヴィスの目が、ほんのわずかに細くなる。
「よいでしょう。条件付きで認めます」
ひとまず、取引は成立した。
だが、安心はできない。
白環の管理通行は始まる。
黒環会の流れはまだ残っている。
ヴァルド・グレイムは、こちらの動きも記録している。
まるで、次の手を待っているように。
◇
その日の昼前、灯り小路の入口には三つの列ができた。
生活通行。
商流通行。
警戒通行。
急ごしらえの木札に、リリアの整った字でそう書かれている。
白環の守り手たちは、白い外套を着て入口に立っていた。
彼らの存在は、住民に安心より緊張を与えている。
その横で、カレンの商会員たちが荷札と封印紐を確認していた。
ミラは簡易検査具を設置している。
小さな輪に荷物を通すと、濁りが強いものだけ淡く黒く光る仕組みらしい。
「完全じゃないけど、何もないよりはまし」
ミラはそう言いながら、工具で検査具の調整を続けていた。
「入口は正常。変換部も許容。出口……ちょっと弱い。あとで直す」
リリアは通行記録をつけている。
名前。
目的。
時刻。
戻り予定。
ペン先が止まることはない。
ジノは生活通行の列で、住民に声をかけていた。
「薬師に行く人はこっち! 仕事の人もこっち! 荷物が多いやつは商流通行! 怪しい魔道具持ってるやつは……いや、持ってくんな!」
早口だが、案内は的確だった。
エレナとミナの姿もあった。
ジノの母は青白い顔をしていたが、ノアがそばについている。
「呼吸は安定しています。無理せず、薬師までゆっくり行きましょう」
ノアはエレナの脈を確認し、淡い白い光を手のひらに灯した。
ミナが心配そうにジノを見る。
「お兄ちゃん、大丈夫?」
「大丈夫大丈夫。兄ちゃん、今日は大活躍だからな」
「昨日、怖くて叫んでたって聞いた」
「誰だ言ったの!?」
ミナが少し笑った。
ジノは照れくさそうに頭をかく。
「怖いに決まってんだろ。でもさ、ここで逃げたら、妹に顔向けできねえんだよ」
その言葉は軽口のようで、軽くなかった。
ジノも変わり始めている。
その時、商流通行の列で声が上がった。
「だから言ってるだろ! 俺は急いでるんだ!」
振り向くと、見覚えのある男がいた。
ガッシュだった。
Dランクのアヴァントゥリースト。
以前からEランクの俺を見下していた、荒っぽい男だ。
大きな荷袋を肩にかけ、白環の守り手に食ってかかっている。
「こんな検査ごっこに付き合ってられるかよ。Eランクがちょっと手柄を立てたからって、街全体が大騒ぎか?」
周囲の視線が集まる。
ガッシュはそれに気づくと、さらに声を大きくした。
「だいたい、灯り小路なんか封鎖しちまえばいいんだよ。面倒なもんを外に出すから、こっちまで迷惑する」
空気が冷えた。
ジノの顔色が変わる。
セリアの手が剣の柄に伸びた。
俺も、胸の奥に怒りが湧く。
だが、リリアが先に動いた。
帳簿を閉じ、ガッシュの前に立つ。
「ガッシュ様。荷袋の確認をお願いします」
「はあ? 俺を疑ってんのか?」
「全員にお願いしています」
「俺はDランクだぞ。そこのEランクとは違う」
ガッシュの視線が俺に向いた。
「見えるだけの役立たずが、偉そうに仕切ってんじゃねえよ」
セリアが一歩出ようとする。
俺は軽く手で止めた。
ここでセリアが怒ると、ガッシュの思うつぼだ。
リリアは表情を変えずに言った。
「では、Dランクとして、規定に従ってください」
「だから急いでるって言ってるだろ!」
ガッシュの腕に、粗い魔力が集まり始めた。
肩のあたりで流れが跳ねている。
荒い身体強化。
怒りと焦りで魔力を押し込んでいるのだろう。
魔流視を使わなくても分かる。
危なっかしい。
セリアが低く言った。
「ガッシュ、やめなさい」
「うるせえ!」
ガッシュが荷袋を強引に持ち上げた瞬間、ミラの簡易検査具が黒く光った。
全員の視線が荷袋に集まる。
ガッシュの顔が強張った。
「……何だよ」
ミラが工具を手に近づく。
「荷袋、開けて」
「知らねえ! 俺は運べって頼まれただけだ!」
その言葉で、空気がさらに変わった。
運べって頼まれただけ。
ラドムの言い訳と同じ匂いがした。
カレンが静かに聞いた。
「誰に頼まれましたか?」
「知らねえよ。南市の男だ。前払いで銀貨をくれた。中身は見なくていいって」
ジノが顔をしかめる。
「それ、一番やばいやつじゃねえか」
「うるせえ! 俺だって金がいるんだよ!」
ガッシュは叫んだ。
その声には、怒りだけではないものが混じっていた。
焦り。
劣等感。
追い詰められた人間の響き。
俺はガッシュを見た。
嫌なやつだ。
でも、完全な悪ではない。
濁った流れに足を取られかけている。
「荷袋を開けよう」
俺は言った。
「今なら、まだ間に合う」
ガッシュは俺を睨んだ。
「何様だよ、お前」
「Eランクだよ」
「ふざけんな」
「でも、昨日その手の荷物で子どもが巻き込まれた。中身を見ないなら、また誰かが巻き込まれる」
ガッシュの腕の魔力が、肩で跳ねた。
力任せに押し切ろうとしている。
危ない。
自分の魔力で自分を傷める流れだ。
俺は息を吐きそうになった。
焦点をずらしかける。
その瞬間、セリアに腕を掴まれた。
「使わない」
「……分かってる」
今は魔流視を使う場面じゃない。
ミラが検査具を示した。
「濁りの反応は荷袋の底。補助環か、黒輪術式片の可能性がある。開けるなら、私が見る」
リリアが記録する。
「ガッシュ様は中身不明の荷を前払いで受託。依頼主不明。検査具に反応あり」
「書くな!」
「記録します」
ガッシュは歯を食いしばった。
やがて、乱暴に荷袋を地面へ置いた。
「勝手にしろ」
ミラが慎重に袋を開ける。
中から出てきたのは、小さな黒い金属片だった。
補助環ではない。
割れた輪の一部。
しかし、その内側には細い術式線が刻まれている。
ミラの表情が険しくなった。
「雨樋倉庫の新型補助環と同じ系統……いや、これは接続片ね」
「接続片?」
「複数の補助環をつなぐ部品。これがあれば、別の場所でも同じ試験具を組める」
その場にいた全員が黙った。
ガッシュは顔を青くした。
「俺は……知らなかった」
セリアが低く言う。
「知らなかったで済むものと、済まないものがある」
ガッシュは何も言い返せなかった。
リリアは静かに記録を続ける。
「依頼主の特徴を話してください」
「……灰色の帽子。黒い手袋じゃなかった。南市の酒場前で声をかけられた。報酬は前払いで銀貨二十枚。届け先は……」
ガッシュは唇を噛んだ。
「西門の外れ。古い馬車置き場」
カレンの目が細くなる。
「西門。雨樋倉庫とは反対方向ですね」
「流れを分けたのか」
俺はつぶやいた。
灯り小路。
雨樋倉庫。
西門の馬車置き場。
黒環会は一つの流れが止まっても、別の流れが残るようにしている。
生産で言えば、代替ライン。
物流で言えば、迂回ルート。
止めたと思っても、別の場所から流れる。
ヴァルドは、やはり浅くない。
その時、セルヴィスが静かに言った。
「やはり、完全封鎖すべきでしたね」
「違います」
俺は即座に返した。
「管理通行にしたから、この荷が見つかった。住民の流れを残しながら、危ない荷を拾えた」
セルヴィスは俺を見る。
「次を拾える保証はありません」
「だから、仕組みを作ります」
俺はガッシュの荷袋を見た。
そして、灯り小路の列を見た。
怖がりながらも通行する住民。
記録するリリア。
検査するミラ。
商流を見るカレン。
逃げ道を案内するジノ。
怪我人を見るノア。
前に出すぎないように構えるセリア。
これはまだ小さな仕組みだ。
でも、完全封鎖でも放置でもない。
第三の流れだ。
「危ない荷を見つけたら、記録する。術式を確認する。商流を追う。住民の生活は止めない。これを続ければ、黒環会の迂回ルートも見えてくる」
セルヴィスは黙った。
リリアが記録紙を差し出す。
「西門の馬車置き場。新しい調査対象です」
カレンがうなずく。
「商流側からも追えます。銀貨二十枚の前払いなら、出どころがあります」
ミラが接続片を布に包む。
「技術側からは、新型補助環との一致を調べる」
セリアが剣の柄を軽く叩いた。
「必要なら、今度は逃がさない」
ジノが肩をすくめる。
「西門なら、逃げ道も知ってる。まあ、知ってるだけで行きたいとは言ってないけどな」
ガッシュは地面を見つめていた。
粗い魔力は消えている。
ただ、拳だけが震えていた。
「俺は……利用されたってことかよ」
「たぶん」
俺は言った。
「でも、ここで止まれた」
ガッシュが俺を睨む。
だが、さっきのような勢いはなかった。
「偉そうに言うな、Eランク」
「そこは変わらないんだな」
「うるせえ」
ガッシュは顔をそむけた。
完全に改心したわけではない。
謝ったわけでもない。
でも、黒環会の流れに飲み込まれる一歩手前で止まった。
それで今は十分だった。
◇
その日の夕方。
アルメリア支部に戻ると、雨樋倉庫の記録石の解析結果が出ていた。
ミラが疲れた顔で工具を置く。
「ヴァルドの声、完全な遠隔通信じゃない。事前に仕込んだ記録よ。でも、一部だけ後から追記されてる」
「後から?」
「雨樋倉庫で何が起きたかを、誰かが途中まで受け取っていた可能性がある」
つまり、ヴァルドはただ仕掛けていただけではない。
どこかで結果を見ていた。
俺たちの動きも。
白環の動きも。
ベルシア商会の反応も。
リリアの記録も。
すべて、次の流れに組み込むと言っていた。
カレンが帳簿を閉じる。
「西門の馬車置き場。G商会代理。前払い銀貨。これで、追う先が増えましたね」
リリアが新しい調査票を作る。
「次の確認項目を整理します。依頼主の特徴、支払いに使われた銀貨の刻印、馬車置き場の使用記録、周辺証言」
セリアが俺を見る。
「また行くんだよね」
「行く」
俺はうなずいた。
「でも、今度は一人で見ない。記録して、解析して、商流を追って、逃げ道を確保して、戦う」
「うん」
セリアは少し安心したように笑った。
「それなら、私も前に出られる」
ノアが横から小さく言った。
「そして、無理をしたら止めます」
「はい」
ジノも手を上げた。
「俺も逃げ道係な。あと、怖くなったら叫ぶ係」
「それはいつも通り」
「役割が安定してるってことだろ?」
少し笑いが起きた。
その時、エルネストが部屋の奥から低い声で言った。
「お前ら、少しずつ形になってきたな」
「形?」
俺が聞くと、エルネストは腕を組んだ。
「黒環会みたいに流れを支配するわけじゃない。白環みたいに流れを断ち切るだけでもない。詰まりを見つけて、ほどいて、別の道を作る」
エルネストは少しだけ目を細めた。
「まだ名前もない小さな流れだがな」
その言葉に、胸の奥が静かに鳴った。
名前もない小さな流れ。
いつか、それは蒼流の環と呼ばれるものになるのかもしれない。
だが、今はまだ遠い。
目の前には、西門の馬車置き場がある。
ヴァルド・グレイムへ続く、新しい詰まりがある。
俺は机の上の接続片を見た。
灰黒色の濁りは、布越しでもまだ嫌な気配を放っている。
(流れを支配するんじゃない)
俺は心の中でつぶやいた。
(詰まった場所を見つけて、人が生きられる道につなぎ直す)
夜のアルメリアに、灯りが一つ、また一つとともり始めていた。
灯り小路の光は、まだ弱い。
それでも、昨日より少しだけ、まっすぐに見えた。
第16話を読んでいただきありがとうございます。
今回は、雨樋倉庫で得た証拠をもとに、黒環会の流通経路をさらに追い始める回でした。
リリアは記録照合で、分断された帳簿や依頼記録をつなぎました。
ミラは新型補助環を解析し、灯り用ではなく人の魔力反応を見る試験具だと確認しました。
カレンは商流読解で、ベルシア商会の信用を利用された流れを追い始めます。
また、白環の守り手セルヴィスとの対立も続いています。
今回は完全封鎖ではなく、生活通行・商流通行・警戒通行という形で、灯り小路の流れを残す方向に進みました。
そして、ガッシュが黒環会に利用されかける形で再登場しました。
彼はまだ嫌なやつですが、完全な悪ではなく、劣等感や焦りから危ない流れに足を取られかけています。
次回は、西門の馬車置き場を調査し、ヴァルド・グレイムの迂回ルートに迫っていきます。




