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仕送り十万円ですのに、なぜ生活が破綻するのですわ?  作者: 櫻木サヱ
見守られていることを、まだ知らないですわ

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28/30

執事の距離、メイドの距離ですわ

 エレナがアパートへ向かう少し前、別の場所では、もう一人――否、一人と一柱――静かに行動しておりました。


 メイドの雪乃は、目立たない服装に身を包み、通りの向こう側からアパートを見上げていました。

 華美な装いを捨てても、立ち姿の所作までは隠せません。

 それでも今は、九条院家の使用人ではなく、「通りすがりの大人」である必要がありました。


「……こちらが、お嬢様のお住まい」


 小さく息を吸い、吐く。

 胸の奥が、きゅっと締め付けられます。


 洗濯物が、ベランダに干されていました。

 きちんと揃ってはいないけれど、乱雑でもない。

 風に揺れるシャツとスカートは、確かに“生活の途中”の匂いがしました。


「……ご自分で、なさっているのですね」


 あたりを見回しながら、雪乃はそっと歩きます。

 ゴミ置き場。

 分別は完璧とは言えませんが、守ろうとした跡がありました。


 胸が痛むと同時に、少しだけ、誇らしい。


 一方、少し離れた場所では、執事・鷹宮が車内に残り、静かに周囲を観察しておりました。

 校門前での姿、歩き方、重そうな鞄。

 必要以上の感情を挟まず、ただ“事実”として受け止める。


「生活は……回っております」


 そう、心の中で確認します。


 やがて、エレナが買い物袋を下げて戻ってきました。

 中身が透けて見えます。

 値引きシールの貼られた食材、必要最低限の量。


 雪乃は思わず、一歩踏み出しかけました。


「エレナ様……」


 呼びたい。

 せめて声だけでも。

 けれど、その足は地面に縫い止められたまま。


 これは“見守る”と決めた行動。

 今、声をかけてしまえば、すべてが変わってしまいます。


 エレナは鍵を開け、アパートの中へ消えていきました。

 その背中が見えなくなるまで、雪乃は立ち尽くします。


 胸の奥が、じんわりと熱くなりました。


「……ちゃんと、前を向いておられます」


 それは、自分に言い聞かせる言葉でもありました。


 車内に戻った雪乃は、短く報告を入れます。

 生活は簡素。

 けれど、破綻はしていない。


 鷹宮はそれを聞き、静かに目を閉じました。


「十分です」


 それだけを告げます。


 親も、使用人も、同じ場所に立っています。

 手を差し伸べたい衝動を、必死に抑えながら。


 エレナは知らない。

 自分の一日が、こんなにも多くの人の胸を揺らしていることを。


 その夜、アパートの一室に灯りがともります。

 質素な部屋。

 静かな時間。


 それを、遠くから、確かに見届ける者たちがいました。

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