第百七話 為すべき事
町を脱出後、青井達は日が落ちたにもかかわらず背の高い草むらに身を隠しながら進んでいた。
多少は寒いが雪が降る程ではないらしく、その辺りは運に恵まれたと言えるだろう。
もう一つの幸いとしては、今日は月明かりが照らす夜であり、火が無くとも何とか進むことが出来るということ。
当然それでも楽な道中であったわけではない。
誰かと交戦しているのか、数回に渡り響く火薬の破裂音に加え、何度も松明を掲げた騎馬兵が横を通り過ぎ肝を冷やしているのだから。
そして今まさに、捜索に当たる騎馬兵がまたも横を駆けて行ったばかりである。
だが、不思議なことに通り過ぎていった騎馬兵は今の所一度も戻ってきたためしがない。
「見えなくなりましたね。皆さん、集合場所に指定された森はすぐそこです。急ぎましょう。」
「…はぁっ、はぁっ、はぁっ……はいっ。」
事ここに至っては、青井はともかく伊吹達の限界はもう目に見えていた。
それを考慮した道中であるため、恐らく順調に脱出出来た者達は既に到着しているであろう。
町を出る際は少数であることが難点になったが、今はそれが利点にもなっている。
これが数十人という集団であったなら、敢え無く見つかり囲まれていたかもしれないのだ。
「一応音を立てないように。着いたら皆さんにはゆっくり休んでもらいますから、それまで頑張ってください。」
「…はい…ですが、小川などはないでしょうか?…喉が渇いて…」
恐らく森まで行けば綺麗な小川も見つかるはずだが、今の状況ではそれを探す余裕はない。
今までは偶然出くわしていないだけで、敵兵がいつ戻ってくるかも分からないのだから。
「す、すみません。弱気が出てしまいました…大丈夫ですので、先に進みましょう。」
青井の困り顔を見てか、文官達は一様に表情を引き締め歩き出す。
万が一ここで捕まりでもしたら、沖村達の頑張りはまさに水泡に帰すのだ。
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月明かりだけが照らす草むらを歩き数刻が経過すると、太陽が昇り目的地である森を照らす。
伊吹達は歓喜の表情を浮かべ走り出そうとするが、それを青井が諫め停止させた。
「待ってくださいっ!…ここが一番危険です。恐らく待ち伏せされているでしょうから。」
「そ、そうでした…申し訳ない、気が急いた。」
皆の気が張りつめた瞬間、草むらの向こうから近づいてくる何者かの気配があった。
一同に緊張が走る中、そこから姿を見せたのは、
「無事であったか……沖村達は?」
それは、北から回り込む様にして進んできた刀一郎だった。
真っ直ぐに森を目指していれば既に辿り着いていたのだが、直前で草むらに身を潜め進む彼らを感知したのだ。
刀一郎の問いに対して、青井は言葉無く只首を横に振るのみ。
それが何を意味するのか分からないはずもなく、一時の沈黙が場を支配した。
だが、いつまでもそうしている訳にも行かず、一行は西へと足を向ける。
森へは約二キロといった所か。
そして刀一郎が少し先を進む形で、その後ろを他の面々が付いて歩いた。
「……むっ?」
「刀一郎さん、どうしました?」
屈んで草むらに身を隠していた刀一郎だったが、何故か急に上体を起こした。
「皆ももうその様に構える必要はない。ここからは楽な道だ。敵はいない。」
その言葉を素直に信じるのは難しい状況だったが、語るのが刀一郎であればそれも別だとばかりに一同は安堵の息を漏らした。
そして速足で草むらを抜けると、そこには衝撃的な光景が広がっていた。
血、血、血。
一面が鮮血に染められ、ただ一人だけがそこに佇んでいたのだ。
「来たか…随分数を減らしちまったな…まあ、俺が巻き込んだんだが。」
立っていたのは、黒い装束と濃密な殺気を纏った男、次良であった。
周りには百を超える兵が馬もろとも倒れ、一面を血の海へと変えている。
その敵兵の殆どが街で見かけた者達よりも明らかに上等な装備をしており、特別な隊の者達であることが伺えた。
その様な者達でさえ中には首から上が消し飛んでいる遺体もあり、その技、最早人の域を越えたとさえ言えるだろう。
「惣万さんだけのせいではありませんよ。」
次良の姿は、纏う殺気とは裏腹に多少の物悲しさを醸し出す。
その背中に哀愁を感じたか、空気を和らげるかのように青井が口を開いた。
以前は一団を率いる重責から糾弾するようなことを言ってしまったが、時が過ぎれば考えが変わるのも人間。
いや、そういう柔軟さが無ければとてもこの旅は乗り切れないだろう。
勿論、あの後アレクシア達から得られた情報も大きいのだが。
「この国の王家は、元を辿ればガラリア帝国王家と同じ血筋らしいですね?」
そう、それこそ帝国が本気でこの国を攻め落とさない理由。
いざとなれば自分達に吸収すること等、簡単だと思っているのだろう。
何故皇国側がそんなことを知っているかと言えば、アーロン自らの証言により、帝国の元に下ることで国家体制を保証するという密約が交わされている事実が分かったのだ。
それを聞いた時は、まだ幼い身だというのに随分深くまで政に関わっているものだと青井は感心した。
とは言え、それがどこまで本気か分からない以上、王国側も一応抵抗の形だけは取っているのが現状らしい。
「聞けばこの国の現王は自らの保身が第一とのこと。その時が来れば民を見捨てて命乞いをするかもしれません。」
そうなれば皇国は挟撃される体勢となり潰されるのは時間の問題。
だからこそ、今しかなかったのだ。
帝国が本土の抵抗勢力に手を焼き、戦力を皇国に傾けることが出来ない今しか。
それを知ってから、青井は初めて次良の行動の意味を理解した。
何故それを自分たちに語ってくれなかったのかと不満にも思ったが、次良にも次良なりの葛藤があったのだろうと自分を納得させた。
「悪い、気を使わせちまったみてえだな…行くぞ。後ろの文官連中、もう限界だろ?」
雰囲気から口を挟めなかった伊吹達が何度も頷くと、一行は足早に森へと向かうのだった。




