第十三話 届かなかった手紙・前編
フィンが革鞄へ戻しかけた手紙を、レオンはもう一度目で追った。紙は日に焼けて茶色く変色し、角も擦れている。五十年近い時間を経たただの古い封筒に見えるのに、その裏側に押された封蝋だけは、今のレオンにとって見過ごせないものだった。
一本の剣と、その左右に広げられた翼。
ヴァルネでリネアが落とした銀片に刻まれていたものと同じ、かつてエリシアたち勇者一行が使っていた印だ。
「その手紙、どこで見つけたって?」
「昨日。この先にある古い中継所だよ。もう使われてない郵便箱を漁ってたら、他の手紙に混じって出てきた」
「漁ってたって言い方すると、一気に怪しくなるな」
「ちゃんと配達人として確認してたんだって。雨が入って駄目になってるのも多かったけど、こいつは箱の奥に引っかかってたおかげで助かったらしい」
フィンは軽い口調のまま話しているが、封筒を扱う指先だけは丁寧だった。レオンはその様子を見ながら、先ほど聞いた「五十年」という言葉を思い出す。
「ずっと、こんなことしてるのか?」
「ずっとって言うと、毎日休まず働いてたみたいで格好いいな。実際は寄り道もしたし、酒場で三年くらい働いてた時期もある」
「三年を寄り道で済ませるなよ」
「死人は時間に寛容なんだ」
フィンは笑い、封筒の表をこちらへ向けた。『旧王立文書庫』までは読めるが、その下は乾いた泥のような汚れに覆われている。
「宛先、もう少し読めないのか?」
「今やる。けど触るなよ」
「取らないって」
「信用してないわけじゃない。人の手紙を勝手に触らせないのが俺の流儀」
鞄から細い布を出し、ほんの少しだけ水で湿らせる。紙を擦らず、汚れの上を何度も押さえるようにしていくと、薄茶色の染みの下から少しずつ文字が現れた。
「そういう道具まで持ってるんだな」
「何年配達人やってると思ってる?」
「さっき自分でも分からなくなってただろ」
「そういうところだけ妙に覚えてるなあ」
やがてフィンが手を止め、封筒へ顔を近づけた。
「読めた。『旧王立文書庫、第三保管室』」
「第三保管室?」
「昔の王立文書庫は、保管する記録ごとに場所を分けてたらしい。王室関係、戸籍や税、軍事記録。細かい分類までは知らないけど、第三保管室には戦争末期の文書がかなり運び込まれたって話を聞いたことがある」
レオンはエリシアを見る。彼女も手紙から目を離していなかった。
「勇者一行の記録もあると思う?」
「可能性はあるんじゃない? その封蝋が本当に勇者一行のものなら、だけど」
「本物」
エリシアが静かに答えると、フィンは目を丸くしたあと、嬉しそうに封筒を見た。
「じゃあ俺、結構すごいもの拾った?」
「五十年近く届いてないけどな」
「今から届ければ遅配で済む」
「五十年は遅配の範囲を超えてるだろ」
「届ければ勝ちなんだよ、配達は」
ずいぶん勝手な理屈だが、本人は本気らしい。
レオンたちが旧王立文書庫へ向かっている以上、ここでフィンと別れる理由はなくなった。こちらは改竄される前の記録を探し、エリシアは自身の失われた記憶と記録を確かめたい。フィンは五十年近く届かなかった手紙を第三保管室へ届けたい。それぞれの目的は違っても、進む方向だけは同じだった。
「じゃあ、しばらく一緒だな」
フィンが右手を差し出してくる。
「もう決定なのか?」
「嫌?」
「嫌ってほどじゃないけど、まだ会って一時間も経ってないぞ」
「一時間あれば人柄くらい分かるって。レオンは心配性、エリシアは無口、俺はいい奴」
「最後だけ自己評価じゃないか」
結局、レオンはその手を握った。フィンの手は死者らしく冷たかったが、その冷たさにも以前ほど驚かなくなっている自分に気づく。
「よろしく、レオン」
「よろしく」
フィンは今度はエリシアへ手を向けた。
「エリシアも?」
彼女は差し出された手をじっと見る。
「……握手だよ」
「知ってる」
「じゃあ、どうぞ」
「必要?」
「絶対必要ってわけじゃないけど、こういう時は普通するかな」
「じゃあ、しなくていい」
フィンは数秒固まり、それから肩を揺らして笑った。
「なるほど。そういう感じか。嫌いじゃない」
「もう気に入ったの?」
「判断が早いのも長所なんだよ」
「初対面で自分の長所を増やすな」
三人は並んで北へ歩き始めた。
◇
しばらくして、レオンはハルヴァンから渡された地図を取り出した。ヴァルネから北へ延びる街道と川、森、そして旧王立文書庫までの大まかな位置が描かれている。
「このまま街道を行けば着くんだよな?」
隣からフィンが覗き込み、すぐに首を傾げた。
「随分きれいな地図だな」
「これでも古いって聞いたけど」
「俺のと比べたら新しいよ」
フィンが鞄から出した地図は、レオンのものより小さく、何度も折り畳まれた跡から今にも裂けそうだった。ただ、描かれている道の数は明らかに多い。現在の地図にはない細い線が森の中を縫い、そのうち何本かは旧王立文書庫へ向かっている。
「この細いのは?」
「旧郵便路。昔は主要街道とは別に、郵便馬車用の道が何本もあったんだ。戦争がひどくなってからは軍の伝令や文書の運搬にも使われてた」
フィンの指が一本の細い道を辿り、その途中で止まった。かすれた文字で『第三街道』と書かれている。
「第三街道……また第三か」
「役人って番号振るの好きだからな。第三保管室へ運ぶ書類にも使われてたんじゃないかとは言われてる」
「確定じゃないんだ?」
「五十年前の配達人に完璧を求めないでくれ」
現在の街道を進んでも文書庫には着くらしいが、途中で崩れている箇所があり、大きく迂回する必要があるという。フィンの知る旧郵便路なら距離は短い。
「今も通れる?」
「たぶん」
レオンは隣のエリシアを見る。
「『たぶん』って言う人がまた増えたな」
「私は言ってない」
「今回はフィンに言ってる」
「旅なんて大体たぶんで進むもんだって」
「絶対違うと思う」
それでも道を知る者が増えたのはありがたい。三人はフィンの案内で主要街道から外れ、森の中へ延びる旧郵便路へ入った。




