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死者の国で、俺だけが生きている  作者: ななせゆう


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プロローグ 世界が死んだ日

 魔王は倒された。


 その報せが王都へ届いたのは、昼を少し過ぎた頃だった。城門を駆け抜けてきた伝令は、泥と血にまみれた馬から転げ落ちるように降りると、息を切らしながら何度も同じ言葉を叫んだ。


「勝ったぞ! 魔王が倒れた! 勇者たちがやった! 戦争は終わりだ!」


 その声は門前の商人へ伝わり、荷を運んでいた男たちへ伝わり、やがて市場全体へ広がっていった。長かった戦争が終わったのだ。最初は信じられずにいた人々も、城から勝利を告げる旗が掲げられると、堰《せき》を切ったように歓声を上げた。


 店先には酒樽が運び出され、知らない者同士が抱き合った。泣きながら空を見上げる老人の隣では、事情をよく分かっていない子供たちまで大人の真似をして喜んでいる。何年ぶりかも分からないほど、王都には笑い声が満ちていた。


「父ちゃん、帰ってくる?」


 市場の端で、小さな少女が母親の袖を引いた。母親は一瞬だけ言葉に詰まったものの、すぐに笑って娘の頭を撫でる。


「ええ。戦争が終わったんだから、きっと帰ってくるわ」


「いつ?」


「さあ。でも、もう少しよ」


 少女は嬉しそうに頷くと、人で溢れる広場へ駆けていった。頭上では何羽もの鳥が円を描き、荷車を引く馬は騒がしくなった街に驚いて鼻を鳴らしている。パン屋からは焼きたてのパンの匂いが漂い、広場の噴水では昼の日差しを受けた水が白く輝いていた。


 戦争は終わった。これから少しずつ、元の暮らしへ戻っていく。今日まで生き延びた誰もが、疑うことなくそう思っていた。


 異変に最初に気づいたのが誰だったのかは、後になっても分からなかった。


 空だったと語る者もいた。奇妙な音を聞いたのが始まりだったと記した者もいた。しかし歓声に満ちていたその時、広場を走っていた少女がふと足を止めたのは確かだった。


「お母さん?」


 母親は答えなかった。少女ではなく、空を見上げている。周囲でも一人、また一人と会話を止め、同じように顔を上げ始めた。


 空は晴れていた。雲も少なく、太陽も変わらず王都を照らしている。それなのに、太陽とは別の場所に小さな白い光が浮かんでいた。


「何だ、あれ……」


 誰かが呟いた。


 星のように見えた光は、瞬きをする間に大きくなった。青かった空がそこから白く滲み始めると、鳥の群れが一斉に方向を変え、風もないのに街路樹の葉が激しく揺れた。荷車に繋がれた馬たちも何かを恐れるように地面を蹴り、甲高い声で鳴き始める。


 そして、鐘が鳴った。


 王都の鐘楼《しょうろう》ではなかった。誰かが鐘を打ったわけでもない。どこか遠くから響いたようでもあり、耳のすぐそばで鳴ったようでもある低く重い音が、街そのものを震わせた。


 ゴォン――。


 歓声が消えた。


 少女は不安になり、母親のところへ戻ろうとした。その一歩目で、母親が胸を押さえながら膝をついた。


「え?」


 苦しそうに口を開き、息を吸おうとしている。けれど何度胸を上下させても、空気が入ってこないようだった。そのすぐ近くでは男が一人倒れ、続いて女も崩れ落ちた。酒杯を持っていた老人の指から陶器が滑り落ち、石畳で砕ける。


「お母さん!」


 少女が駆け寄り、倒れた母親の身体を抱く。


「ねえ、どうしたの? お母さん?」


 返事はなかった。


 周囲でも人々が次々と倒れていた。兵士も、商人も、職人も、老人も子供も関係ない。一人ずつ病に倒れていくのではなく、王都中の人間が同じ瞬間に身体から力を奪われたようだった。


 悲鳴は長く続かなかった。助けを求めて走り出した者も、数歩進んだところで胸を押さえて倒れる。少女もやがて苦しそうに顔を歪め、母親の身体へ覆い被さるようにして動かなくなった。


 白い光が王都を覆った。



          ◇



 どれほど時間が経ったのか。


 王都は静まり返っていた。広場には数え切れないほどの人間が倒れているのに、噴水だけは変わらず水を流し、風は市場に残された布を揺らしていた。


 鳥が一羽、屋根へ降りた。何度か首を動かして下の広場を眺めたあと、何事もなかったように鳴く。荷車に繋がれた馬も怯えた様子ではあったが生きており、鼻から白い息を吐きながら地面を踏んでいた。


 人間だけが動かなかった。


 夕方になれば空は赤く染まり、やがて夜が来た。街灯に火を入れる者はいなかったが、月は昨日までと同じように昇り、誰も歩かない石畳を青白く照らした。


 そして翌朝。


 広場で、昨日までとは違う音がした。


 衣擦れの音だった。


 娘を抱いたまま倒れていた女の指が震え、ゆっくりと石畳を掴む。やがて女は身体を起こし、何が起きたのか分からないように周囲を見回した。


 胸は動いていなかった。


 息もしていない。


 それでも、女は目を開けていた。


 自分の腕の中へ視線を落とすと、小さな身体がある。女は震える手で娘の頬へ触れた。その肌は、自分の指と同じように冷たかった。


「……ねえ」


 少女の瞼が動いた。


「お母さん?」


 女は答えようとして、自分の身体の異変に気づいた。呼吸をしていない。胸へ手を当てても、そこにあるはずの鼓動がない。


 少女も同じだった。


 それでも二人は動いている。


 広場の別の場所でも、倒れていた人々が一人、また一人と身体を起こし始めていた。昨日と同じ顔をし、昨日までの記憶を持ったまま、死んだ身体で朝の王都を見回している。


 なぜ死んだのか、誰にも分からなかった。なぜ死んだ後に目を覚ましたのかも、魔王を倒した勇者たちに何が起きたのかも、誰一人として知らなかった。


 ただ、その日から世界は変わった。


 魔王は倒された。


 ――そして、世界は滅びた。

ここまで読んでいただき、ありがとうございます。


初めての小説執筆ということもあり、試行錯誤しながら書いています。

感想や気になった点などありましたら、気軽にお聞かせいただけると嬉しいです。


続きも楽しんでいただけましたら幸いです。

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