EP 8
砕け散る大理石と、魔導録音機が暴く『真実の愛』の正体
ルナミス皇城の空中庭園。
美しい花々と柔らかな日差しに包まれたその場所は、今や完全に『ゴルド商会最高法務顧問・リベラ』の独壇場と化していた。
「——ん。やっぱり、お城の出がらしよりも、うちのポポロ・コーヒーの方が数段美味しいわね」
キャルルが魔導コンロで手早く淹れたコーヒーを一口含み、リベラはほうと優雅な吐息を漏らした。
その優雅さとは裏腹に、彼女の向かいに座るユリウス皇子とミラ男爵令嬢の顔色は、死人のように青ざめていた。
無理もない。つい先ほど、彼らの横領と密輸、そして皇室財産の私的流用という『国家反逆レベルの犯罪の証拠』を、完全無欠のロジックで突きつけられたのだから。
「ゆ、ユリウス様ぁ……どうしましょう、ミラ、こんなの知らないっ、本当にリベラ様が捏造したんですぅ!」
「だ、黙れミラ! 今、私が考えている!」
すがりつくミラを苛立たしげに振り払い、ユリウスはギリッと歯を食いしばった。
温室育ちで、プライドばかりが肥大化した彼の脳は、この絶望的な状況を処理しきれずにショート寸前だった。
(ば、馬鹿な……。私が、この私が犯罪の片棒を担がされていただと? そんなことがあってたまるか! 私は帝国の次期皇帝だぞ! 全ては、全てはこの女が私を陥れるために仕組んだ罠だ!)
極限のストレスは、人間の思考を最も安易で愚かな方向へと向かわせる。
ユリウスは血走った目でリベラを睨みつけると、突然バンッ! とティーテーブルを両手で叩いて立ち上がった。
「き、貴様ぁぁっ! よくもぬけぬけと、そんな出鱈目な書類を! 皇族である私を謀略で陥れようとは、万死に値するぞ!」
「……はぁ。出鱈目だと思うなら、帝国情報部の監査を入れてもよろしくてよ? ルーファス公爵閣下が、喜んで特務部隊を派遣してくださるでしょうけれど」
リベラが冷ややかに応じると、ユリウスの怒りの矛先は、彼女の隣で呑気に人参クッキーを齧っているキャルルへと向かった。
「ええい、うるさい! そもそも、神聖なる皇城の庭園に、そのような薄汚い獣人の女を引き入れること自体が不敬なのだ! 獣人の分際で、私を見下すような真似を……!」
ユリウスは完全に理性を失っていた。
リベラには法論理で勝てない。ならば、彼女が連れている「護衛の獣人」を権力と暴力で屈服させ、自分の優位性を取り戻そうという、あまりにも浅はかで醜悪な八つ当たりだった。
「おい、近衛兵! その兎耳の女を今すぐ捕縛しろ! 抵抗するなら斬り捨てても構わん!」
ユリウスの怒声に、庭園の入り口で待機していた数名の近衛兵がビクッと肩を震わせた。しかし、彼らは昨夜のボールルームでの惨劇(同僚数十名が瞬殺された光景)を伝え聞いており、誰一人としてキャルルに向かって踏み出そうとはしない。
「ちぃっ! 役立たずどもめ! ならば私が直々に処断してくれる!」
ユリウスは腰に佩いていた装飾用の細剣を引き抜き、キャルルに向かって切先を突きつけた。
「おい、やめなさい。お前、死にたいの?」
キャルルはクッキーを飲み込むと、長い兎耳をピクリと動かし、心底面倒くさそうにユリウスを見上げた。
「死ぬのは貴様だ、獣人風情がぁっ!」
ユリウスが剣を振り上げ、キャルルに斬りかかろうとした、その刹那。
キャルルはトンファーを抜くことすら無かった。彼女はただ、ティーテーブル——厚さ十センチはある、頑強な純白の大理石でできたテーブル——の端に、トンと『人差し指』を一本立てた。
そして、軽く闘気を指先に込め、デコピンの要領で大理石を弾いた。
——パァァァァァァンッッ!!!!
爆音。
それはまるで、至近距離で魔導バズーカが炸裂したかのような轟音だった。
キャルルの指先から放たれた衝撃波が、純白の大理石のテーブルを文字通り『粉砕』したのだ。
細かい石の破片と粉塵が宙を舞い、ユリウスとミラの顔を情けなく白く染め上げる。
「え……?」
ユリウスは、振り上げた剣を空中で止めたまま、目の前で跡形もなく消滅した大理石のテーブル(だった砂利の山)を呆然と見下ろした。
「あーあ。お城の備品、壊しちゃった。ごめんねリベラ、後で請求書に上乗せしといて」
キャルルは指先についた石の粉をフッと吹き飛ばすと、瞳に一切の光を持たない冷酷な捕食者の目で、ユリウスを真っ直ぐに射抜いた。
「おい、バカ皇子。次はアンタの顎の骨なんだけど? それとも、その見掛け倒しの剣ごと、全身の骨を粉々にしてほしい?」
「ひぃっ……!? あ、あぁぁ……っ」
圧倒的、絶対的な『暴力の格差』。
一国の次期皇帝という肩書も、きらびやかな衣装も、物理的な破壊力を前には何の役にも立たないことを、ユリウスは骨の髄まで思い知らされた。
彼はガシャンと剣を取り落とし、腰を抜かして無様に地面にへたり込んだ。
「キャルル、やりすぎよ。清掃の方の身にもなりなさい」
「だってこいつ、私の大好きなリベラに剣を向けたんだよ? これでもかなり手加減した方なんだけどなー」
リベラは小さく息を吐き、砂利まみれになったユリウスとミラを見下ろした。
「……暴力というカードは、自分より強い相手には通用しないと、これで学習していただけましたか? 殿下」
「うぅっ、あぁ……っ」
「では、物理的な教育が終わったところで、本題の『精神的な教育』に戻りましょうか」
リベラは自身のイブニングバッグから、先ほどとは違う小さな魔導具を取り出した。
それは、ドワーフの最先端技術とゴルド商会の情報網の結晶——超小型の『魔導録音機』であった。
「ユリウス殿下。あなたは先ほどから、ミラ男爵令嬢との関係を『真実の愛』だと声高に主張しておられますね」
「そ、それがどうした……! 私はミラを愛しているし、ミラも私を……っ」
「本当にそうでしょうか?」
リベラは冷酷に微笑み、魔導録音機の再生ボタンを押した。
——ジジッ……というノイズの後。
庭園に響き渡ったのは、他でもない『ミラ男爵令嬢』の、ひどく甲高く、下品な笑い声だった。
『あははははっ! お父様、見ました!? あのバカ皇子、私がちょっと上目遣いで「領民が可哀想なの」って泣き真似しただけで、あっさり国庫から金貨を引き出してくれましたわ!』
『おお、でかしたぞミラ! これで闇金融への返済もできるし、残った金で新作のドレスも買えるな!』
『ええ! 本当にあのユリウス様ってチョロいんですのよ? プライドばっかり高くて、頭の中身はスライム以下。私が「すごいですぅ」って持ち上げておけば、何でも言うことを聞くんですから! 婚約者のリベラ様に全部仕事を丸投げしてるくせに、自分が偉いと勘違いしてるんですもの。滑稽で笑いが止まりませんわ!』
静まり返った空中庭園に、ミラの生々しい『本音』がクリアな音質で響き渡る。
これは、ゴルド商会が闇金融の動向を探るために仕掛けていた魔導盗聴器が拾った、ミラと彼女の父親との密談の音声であった。
「な……っ!?」
ユリウスの顔が、今度こそ完全に死人のように白くなった。
彼の拠り所であった『真実の愛』。自分を無条件に尊敬し、愛してくれていると信じていた可憐な令嬢の正体は、自分を『スライム以下の金蔓』としか見ていない、性悪な詐欺師だったのだ。
「み、ミラ……? これ、は……お前の声、だよな……?」
「ち、ちが、違いますぅぅっ! 嘘です、こんなの私じゃありませんっ! リベラ様が、声帯模写の魔法かなんかで捏造したんですぅ!」
ミラは真っ青になりながら、必死に首を振って否定する。
だが、その声のトーン、話し方の癖、全てが録音機から流れる声と完全に一致していた。
「捏造などではありません。これは、男爵邸の応接間に仕掛けられていた魔導盗聴器の公式な記録です。必要であれば、声紋鑑定の魔法使いをお呼びしましょうか?」
リベラがトドメを刺すように言い放つ。
「嘘だ……嘘だ嘘だ嘘だっ! ミラ、お前、私を騙していたのか!? 私の愛を、私の権力を利用して……っ!」
「ひぃっ! ゆ、ユリウス様、やめて、そんな怖い顔しないで!」
ユリウスは怒りと絶望で顔を歪め、ミラの細い肩を激しく揺さぶった。
もはやそこに『真実の愛』など微塵も残っていない。あるのは、互いに責任をなすりつけ合い、破滅の淵で醜く足掻く、哀れな男女の泥沼だけだった。
「お前がっ! お前が私を唆したんだ! お前のような薄汚い女のせいで、私はリベラを失い、帝国の国庫を空にしてしまったんだぞ!」
「痛いっ、離して! そもそもユリウス様がバカなのがいけないんじゃないですか! いい歳して仕事の書類も読めないくせに、皇子ぶって威張ってるから騙されるんですぅ!」
ついに本性を現し、逆ギレしてユリウスを罵倒し始めるミラ。
その醜悪な昼ドラ顔負けの修羅場を見下ろしながら、リベラは純金製の煙管(無臭タイプ)を取り出し、ふぅと優雅に咥えた。
「——さて、ユリウス・ルナミス」
リベラの声が、一段と低く、ドスの利いたものに変わる。
元レディース総長の『極妻魂』が、再び顔を出そうとしていた。
「あなたの言う『真実の愛』のメッキも完全に剥がれ落ちたところで、法的な現実に話を戻しましょうか。
あなたが私に支払うべき慰謝料と賠償金、金貨350万枚。そして、ミラ男爵家が国庫から横領した資金の補填。これをどうやって精算するおつもりですか?」
「…………っ!」
ユリウスはミラの肩から手を離し、ガクガクと震えながらリベラを見上げた。
もはや言い訳も、暴力も、ミラの愛も、彼を守るものは何一つ残されていない。
完全なる敗北。中ざまぁの完了である。
だが、究極の温室育ちであるユリウスは、この期に及んでまだ『最後の一手』が残されていると錯覚していた。
「……ふ、ふざけるな。私は皇族だぞ……っ! こんな証拠、父上……皇帝陛下に直訴すれば、全て揉み消せる! 皇室の権威を守るためにな!
私が土下座して頼み込めば、父上は必ずゴルド商会を国家反逆罪で潰し、この借金も帳消しにしてくれるはずだ! そうだ、私は皇帝の息子なのだから!」
狂ったように高笑いをし、皇帝という『究極の上位権力』にすがろうとするユリウス。
リベラは呆れ果てて言葉を失ったが、その直後——。
「——ほう。私の前で、法と正義を力で揉み消すと申すか、愚息よ」
地を這うような、重厚で威厳に満ちた声。
庭園の奥から、数多の近衛騎士を引き連れて現れたのは、ルナミス帝国の絶対権力者・皇帝マルクス。
そしてその隣には、冷ややかな笑みを浮かべた『氷の公爵』ルーファス・アバロンが、完璧なタイミングで付き従っていたのである。
読んでいただきありがとうございます。
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