EP 3
氷の公爵様は、極上マカロンと共に甘く囁く
「……見苦しいな、ユリウス皇子。己の無能を棚に上げ、背後から女性を狙うとは。帝国の恥さらしめ」
凍てつくような、しかし底知れぬ威厳と色気を孕んだ低い声が、水を打ったように静まり返ったホールに響き渡る。
開け放たれた大扉の前に立っていたのは、ルナミス帝国筆頭公爵にして、帝国議会を裏から牛耳る若き宰相。
『氷の公爵』の異名を持つ男、ルーファス・アバロンであった。
漆黒の軍服に、極上の魔獣の毛皮で作られたマントを羽織った彼の姿は、まさに夜の支配者そのもの。切れ長の涼やかな双眸が、床にへたり込むユリウス皇子を冷酷に射抜いていた。
「ル、ルーファス公爵……っ! なぜ貴様がここに……!」
ユリウスは凍りついて粉々に砕け散った魔導護身銃の残骸を見つめながら、ガチガチと歯の根を鳴らした。
帝国において、皇族であるユリウスに対して堂々と見下した態度を取れる人間は数少ない。皇帝マルクスを除けば、このルーファス公爵くらいのものである。
コツ、コツ、と軍靴の音を響かせ、ルーファスはゆっくりと二人の間へ歩みを進めた。
その圧倒的な覇気と、周囲の気温すら下げる強力な氷魔法の残滓に、周囲の貴族たちは無意識に道を空け、深く頭を垂れる。
「皇帝陛下の名代として、夜会の様子を見に来てみれば……とんだ三文芝居を見せられたものだ。次期皇帝ともあろう者が、丸腰の令嬢の背後から銃を向ける。それが帝国法においてどれほどの重罪か、理解しているのか?」
「ち、違う! これは正当防衛だ! そこの女が、一介の商人の分際で皇室を脅迫し——」
「黙れ」
ルーファスの静かで、しかし絶対的な命令が下る。
それだけで、ユリウスの喉は氷を詰め込まれたように凍りつき、反論の言葉を失った。
「全てのやり取りは聞かせてもらった。契約不履行、名誉毀損、果ては国家予算の私的流用。……リベラ嬢が提示した請求は、帝国法に照らし合わせても一切の非がない正当なものだ」
「なっ……! 公爵である貴様が、商会の肩を持つというのか!」
「私は『法と正義』の肩を持っているだけだ。……それに」
ルーファスはそこで言葉を切り、ユリウスから視線を外した。
そして、彼が振り返り、リベラへと視線を向けた瞬間——周囲を支配していた「絶対零度の冷気」が、まるで春の陽だまりのように、ふわりと甘く溶け落ちた。
「お怪我はありませんか、リベラ嬢。……いや、今はただの『リベラ』と呼ぶべきかな」
ルーファスはリベラの前に片膝をつき、彼女の手を恭しく取ると、手袋越しにその甲へとそっと口づけを落とした。
ホールにいた令嬢たちから「ひゃっ」と黄色い悲鳴が上がる。氷の公爵と呼ばれる彼が、女性に対してこれほど甘く情熱的な態度を見せるなど、前代未聞だったからだ。
「……お気遣い痛み入りますわ、ルーファス公爵様。キャルルが庇ってくれましたし、怪我など一切ございません」
リベラは完璧な淑女の微笑みを崩さず応えたが、内心では(ちょっと、大勢の前で何やってんのよこの人は!)と盛大にツッコミを入れていた。
ルーファスとは、ゴルド商会の法務顧問として、帝国議会で何度か激しい法案のすり合わせ(という名のレスバ)を行った仲である。彼の有能さは認めているが、まさかこんな少女漫画のヒーローのような登場をするとは思っていなかったのだ。
「それは重畳。……さあ、行こうか。こんな埃っぽく、無能の匂いが充満する場所に、君のような至宝を置いておくわけにはいかない」
「えっ、あ、ちょっと……っ」
ルーファスはリベラの腰をそっと抱き寄せると、有無を言わさぬ強引さで彼女をエスコートし始めた。
その隣で、ポリポリと人参を齧り終えたキャルルが、ジロリとルーファスを睨みつける。
「アンタがルーファス公爵ね。……リベラを助けてくれたことには感謝するけど、もしリベラを泣かせるような真似をしたら、アンタのその端正な顔面に私の『流星脚』をお見舞いするから。覚悟しときなさいよ?」
「ふっ……頼もしい親友だ。安心するといい、ウサギのお姫様。私は私の全てを懸けて、彼女を甘やかすつもりだからね」
ルーファスはキャルルの威嚇を余裕の笑みで受け流し、三人は唖然とするユリウスとミラ、そして言葉を失った貴族たちを置き去りにして、華麗にボールルームを後にした。
***
皇城の門前に待機していたのは、アバロン公爵家の紋章が刻まれた、最高級の漆黒の馬車だった。
ドワーフの最先端技術で作られたその馬車は、完璧な防音・防振魔法が施されており、外の喧騒が嘘のように静かで快適な空間が広がっていた。
向かいの席にはキャルルが座り、すでに備え付けのテーブルに用意されていた「最高級人参ケーキ」に目を輝かせて齧り付いている。
そして、リベラの隣には、当然のようにルーファスが腰掛けていた。
「——はぁっ。ようやく息がつけましたわ」
馬車が走り出したのを確認すると、リベラはピンと張っていた背筋を少しだけ緩め、完璧令嬢の仮面を一枚剥ぎ取った。
「相変わらず、容赦がないな。あそこで『口座凍結』のカードを切るとは。ユリウスの絶望した顔といったらなかったよ。……見事な手際だ、リベラ」
「ふふっ。お褒めにあずかり光栄ですわ。契約書を読まない愚か者に、社会の厳しさを教えて差し上げただけです。……でも、公爵様こそ、良いタイミングでのご登場でしたわね。まるで、私があのバカ皇子に婚約破棄されるのを、どこかで待っていたかのような」
リベラが少しだけジト目で睨むと、ルーファスは悪びれもせずにくすりと笑った。
「ああ、待っていたとも。君の有能さをただ搾取するだけの愚か者が、自らその手を離すこの瞬間を、私はずっと虎視眈々と狙っていたんだ。——だから、お祝いを用意しておいたよ」
そう言うと、ルーファスは空間魔法を展開し、一つの美しい小箱を取り出した。
箱の蓋が開けられると、中には宝石のように輝く色とりどりの丸い焼き菓子が並んでいた。
「あっ……!」
その瞬間、リベラの冷静沈着な法務官としての顔が、完全な『乙女』へと変貌した。
瞳がきらきらと輝き、思わず身を乗り出す。
「これ、王都で一番人気のスイーツ店『エトワール』の新作マカロン……!? 予約三ヶ月待ちで、ゴルド商会のコネを使ってもなかなか手に入らないという幻の……!」
「君が好きだと言っていたからね。専属パティシエを直接派遣して、最高級の素材で作らせた。さあ、口を開けて」
ルーファスは美しい指先で淡いピンク色のマカロンをつまむと、あろうことか、リベラの口元へと直接差し出したのだ。
「えっ……!? わ、私、自分で食べられますわっ! 子供扱いしないでください!」
「いいから。戦い終えた君を甘やかすのは、これからの私の義務であり特権だ。……ほら、あーん」
「~~っ!」
抗議しようとしたリベラだったが、鼻先をくすぐるフランボワーズと極上のバタークリームの香りに、強靭な理性が敗北した。
前世からの大の甘党である彼女にとって、目の前の極上スイーツは不可抗力である。
リベラは顔を真っ赤にしながら、パクリと、小さく口を開けてマカロンをかじった。
「……っ! お、美味しい……」
「そうだろう。……可愛いな、君は」
サクッとした軽やかな歯触りの後、舌の上でとろける濃厚な甘さに、リベラはふにゃりと頬を緩める。
先ほどまで、純金製の煙管を取り出して極妻モードで大立ち回りを演じようとしていた「悪人専門の弁護士」とは到底思えない、無防備で愛らしい表情だった。
ルーファスはその表情を熱っぽい視線で見つめながら、優しく彼女の髪を撫でた。
「君の叩きつけたあの請求書と口座凍結のコンボは完璧だ。……だが、忘れるなリベラ。相手は腐っても皇室だ。法を捻じ曲げ、特権を振りかざし、強引に君をねじ伏せようと悪あがきをしてくるだろう」
「……ええ。想定内です。むしろ、そこからが本番ですから」
マカロンを飲み込み、リベラは弁護士としての鋭い目つきを取り戻す。
しかし、ルーファスは彼女の肩を抱き寄せ、耳元で低く甘く囁いた。
「君が戦うなら、私は止めない。だが、君を傷つけるような理不尽な権力は、この帝国筆頭公爵である私が全て握り潰そう。……君の望む通りに、あの一家を完膚なきまでに合法的に破滅させるといい。私の権力も、財力も、全て君に預けよう」
「ルーファス様……」
「だから君は、安心して私の腕の中で好きに生き、そして私に甘やかされてくれ」
法廷でも、修羅場でも、決して怯むことのなかった無敵の元レディース総長・桜田リベラ。
しかし、この氷の公爵様が仕掛けてくる、極上スイーツと権力を織り交ぜた『規格外の溺愛』という甘い毒牙に対してだけは、彼女はどうやら勝てそうになかった。
(もう……。こんな風に甘やかされたら、弁護士としての闘争心が鈍ってしまいますわ……っ)
頬を染め、次のマカロンを促されるがままに口へ運ぶリベラ。
その向かいの席では、キャルルが人参ケーキを頬張りながら、「うんうん、リベラが幸せならそれでいいや」と、親友の幸せな未来を確信して兎耳を揺らしていたのだった。
読んでいただきありがとうございます。
面白いと思っていただけましたら、★評価やブックマークで応援していただけると励みになります。




