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EP 2

ウサギの鉄拳と、凍結される国家予算

「う、うおおぉぉ……っ」

「あ、足が……折れてる……?」

先ほどまで威風堂々と魔導ライフルを構えていた数十名の近衛兵たちが、大理石の床の上で折り重なるように倒れ、呻き声を上げている。

彼らの装備は帝国軍が誇る最新鋭の魔導防弾チョッキだったが、キャルルの放った『月影流・乱れ鐘打ち』の異常な衝撃は、装甲の隙間を的確に縫い、彼らの急所と関節を正確に打ち据えていた。

「もー、せっかくの美味しいビュッフェが台無しじゃない。この後、ルナキン(ルナミスキング)の苺パフェを食べに行く約束だったのに……リベラの時間を奪う奴は、私がタローマンの特注安全靴で全員踏み潰すからね」

キャルルは両手に構えたダブルトンファーをくるりと回して腰に収めると、どこから取り出したのか、ポリポリと人参スティックを齧り始めた。

頭の長い兎耳が、不機嫌そうにピコピコと揺れている。

「ば、化け物……っ! 貴様、帝国の近衛兵に刃向かって、ただで済むと思っているのか! 逆賊だ、こいつらを直ちにその場で処刑しろ!!」

腰を抜かしたまま、ユリウス皇子がパニックに陥ったように叫ぶ。

しかし、倒れた近衛兵たちは誰一人として立ち上がれない。それどころか、周囲を取り囲んでいた貴族たちすら、キャルルの圧倒的な武力を前に後ずさりしていた。

「処刑、ですか? それは少々、国際問題に発展するかと存じますが」

リベラはドレスの裾を優雅に翻し、キャルルの隣へと歩み寄った。

「彼女はキャルル・ムーンハート。元レオンハート獣人王国の第三姫君であり、現在は我が国とアバロン魔皇国の緩衝地帯である『ポポロ村』の村長を務める、いわば要人です。正当な理由もなく彼女を攻撃したとなれば、獣人王国に対する『明白な宣戦布告』とみなされますよ? 殿下ご自身の不始末で、この国を戦争に巻き込むおつもりですか?」

「な、なに……っ!?」

獣人王国の姫、という肩書に、ユリウスだけでなく周囲の貴族たちも息を呑んだ。

キャルルは「えへへ、姫っていうか今はただの村長だけどね」と人参を齧りながら笑っているが、その足元に転がる近衛兵の山を見れば、彼女がどれほど危険な存在かは一目瞭然だった。

「ひぃっ……ユリウス様ぁ、あの獣人、怖いですぅ……っ」

「だ、大丈夫だミラ。私がついている……! ええい、リベラ! 貴様がどれほど詭弁を弄そうと、私はこの国の次期皇帝だ! ゴルド商会ごときが、皇族である私に借金を突きつけるなど不敬の極み! そのふざけた請求書など、私の権限で今すぐ紙屑にしてくれるわ!」

ユリウスは完全に開き直り、リベラが叩きつけた分厚い請求書を床に払い落とそうとした。

しかし、リベラは動じない。

それどころか、彼女は深い、本当に心の底からの哀れみを込めたため息をついた。

「……前々から思ってはおりましたが。殿下は本当に、ご自身が『誰のお金で』その豪華な服を着て、美味しい食事を摂り、帝国の運営を回しているのか、全く理解されていなかったのですね」

「何を言っている……帝国の金は、皇族たる私のものだろうが!」

「いいえ。帝国の経済は、『ゴルド商会』の物流と信用によって回っているのです」

リベラはイブニングバッグの中から、ハンドバックサイズの『魔導通信石』を取り出した。ドワーフの最先端技術で作られた、手のひらに収まる長方形のデバイスだ。

彼女は流れるような手つきで画面を操作し、通信を繋いだ。

『——はい、こちらゴルド商会本店、総務部です』

「私です、リベラです。ユリウス殿下との婚約が、ただいま正式に破棄されました。……ええ、残念ながら話し合いによる慰謝料の支払いは拒否されました。事前の通達通り、ただちに『プランJ』を実行に移してください」

『承知いたしました、リベラ様。直ちにルナミス帝国皇室名義の全口座を凍結、ならびに国庫への全融資をストップいたします』

ブチッ、と通信を切る。

静まり返ったホールに、リベラの冷徹な声だけが響いた。

「ハッ、見え透いたハッタリを……! 皇室の口座が、一介の商人に凍結などできるわけが——」

「で、殿下ァァァーッ!!!」

ユリウスの嘲笑を遮るように、ホールの巨大な扉がバンッと乱暴に開かれた。

血相を変えて転がり込んできたのは、宮廷の財務を預かる財務大臣と、数名の文官たちだった。彼らは手にした魔導タブレットをガクガクと震わせながら、ユリウスの元へと這い寄った。

「ど、どうした騒々しい! 今は私の婚約破棄という神聖な儀式の最中だぞ!」

「そ、それどころではありません殿下! た、たった今、帝国中央銀行から緊急の連絡が! 皇室名義の口座が全て『凍結』されました!」

「は……?」

「それだけではありません! ゴルド商会が、我が国への食料、日用雑貨、魔導兵器の部品、その全ての卸売りをストップすると通達してきました! 明日の朝には、軍の兵站も、街のタローマートの棚も完全に空っぽになります! こ、国家予算が……ショートしましたぁぁっ!!」

財務大臣の絶叫に、ボールルームは阿鼻叫喚の渦に包まれた。

貴族たちは顔面を蒼白にしてざわめき始め、中にはその場で気絶する者まで出始めた。

「な、なんだと……? 嘘だろ、そんな権限が、なぜお前たちに……」

ユリウスは震える指でリベラを指差した。

「なぜ、とおっしゃられましても。ゴルド商会基本契約第12条、『皇室への融資は、次期皇帝とゴルド商会直系親族の婚姻関係を担保とする』という一文が明記されております。殿下はあの契約書、読まずにサインなさいましたよね?」

「あ、あんな分厚い書類、読めるわけないだろうが!!」

「……法を司る次期皇帝が、契約書も読まずにサインするとは。呆れて言葉も出ませんわ」

リベラは心底呆れたように肩をすくめた。

前世の弁護士時代、こういう「契約書を読まないで後から文句を言うバカ」を何人も相手にしてきたが、一国の皇子がこのレベルだとは、もはや帝国にとってのバグ、いや災厄でしかない。

「ユ、ユリウス様……どういうことですか? 明日、王都で一番高いドレスと、ピラダイのフルコースをご馳走してくれると約束したじゃないですか……っ」

空気を読まないミラが、涙目でユリウスの腕を引く。

「う、うるさいっ! 今それどころじゃないだろうが!!」

「ひぐっ……ひどい……っ」

八つ当たりで怒鳴りつけられ、ミラが嘘泣きではない本物の涙を流し始める。

先ほどまでの「真実の愛」とやらは、資金ショートという物理的現実の前に、わずか数分で崩壊したらしい。

「さて、殿下」

リベラはゆっくりと歩み寄り、ユリウスの足元に落ちていた分厚い請求書を拾い上げ、彼の胸元に優しく(しかし逃げられないような威圧感で)押し付けた。

「口座は凍結されましたが、ゴルド商会の窓口での『現金一括払い』は受け付けております。明日の正午までに金貨350万枚をお持ちいただけない場合、皇室の所有する王都の土地、ならびに美術品を全て差し押さえさせていただきますので」

「そ、そんな馬鹿なことが許されるかっ! 私は皇族だぞ!!」

「法の下では、皇族も一般市民も等しく平等の扱いです。お支払い、お待ちしておりますね」

完璧なカーテシー(淑女の礼)をして見せるリベラ。

その横で、キャルルが「リベラ、人参いる?」と呑気に差し出してくる。

(ふふ、とりあえず第一段階の『資金封鎖(小ざまぁ)』は完了ね。あとはこのバカ皇子がどう動くかだけど……)

リベラが勝利を確信し、キャルルと共に会場を後にしようと踵を返した、その時だった。

「……待て、リベラ!! 貴様、ただで帰れると思うなよ!!」

完全に理性を失い、プライドを粉々にされたユリウスが、懐から小型の『魔導護身銃』を引き抜いた。

銃口が、無防備に背を向けたリベラの背中へと向けられる。

キャルルが「っ!」と反応し、トンファーを構え直そうとした、まさにその刹那。

——ヒュォォォォンッ!!

突如、ホールの気温が急激に下がり、ユリウスの持つ魔導護身銃が、一瞬にして分厚い『氷』に覆われ、粉々に砕け散った。

「ひぎぃっ!?」

「……見苦しいな、ユリウス皇子。己の無能を棚に上げ、背後から女性を狙うとは。帝国の恥さらしめ」

凍てつくような、しかし底知れぬ威厳と色気を孕んだ低い声が、ホール全体を制圧した。

誰もがその声の方向に顔を向ける。

開け放たれた大扉の前に立っていたのは、漆黒の軍服の上に、極上の魔獣の毛皮で作られたマントを羽織った、長身で怜悧な美貌の青年。

ルナミス帝国筆頭公爵にして、若き宰相。

『氷の公爵』の異名を持つ男、ルーファス・アバロンであった。

読んでいただきありがとうございます。

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