EP 10
残りの1割は、甘すぎる劇薬――氷の公爵の限界突破と、スパチャの予感
ポポロ村の夜空に、宮廷錬金術師たちが打ち上げる極彩色の魔法花火が大輪の花を咲かせていた。
『絶対無敵スパチャアイドル・リーザ』のデビューライブは大成功を収め、村の中央広場に特設された巨大な大理石のパビリオンでは、盛大な祝賀会が夜を徹して行われていた。
「オ・レ・の! リーザちゃぁぁぁん!!」
「グラスを空けろ! 女王様に我らの忠誠を示すのだぁっ!」
パビリオンの中から聞こえてくるのは、完全にタガが外れたアバロン公爵家・精鋭騎士団による野太いコールと、それに負けじとイモッカ(芋酒)を煽る村のお年寄りたちの歓声である。
主役であるリーザは、山盛りのフライドチキンとローストビーフ(ケータリングの最高峰)に囲まれ、「食べても食べても減りませんの! 奇跡ですわ!」と幸せそうに頬張っていた。
そんな狂騒から少しだけ離れた、パビリオンの2階バルコニー。
夜風に吹かれながら、リベラは一人、グラスに注がれた葡萄水を静かに揺らしていた。
「……ふぅ」
心地よい疲労感が、全身を包み込んでいる。
ガリック男爵の逮捕と、その後の法的処理の段取りは、すでに王都の部下たちに魔法通信で完璧に手配済みだ。悪党は地獄へ落ち、才能あるアイドルは最高の舞台で輝いた。
プロデューサーとして、そして特命法務官として、これ以上ない完璧な一日だった。
「——おや、美しいプロデューサー殿。このような場所で一人、祝杯を挙げているのか?」
背後から、鼓膜を優しく撫でるようなテノールボイスが響いた。
振り返ると、漆黒の軍服を見事に着こなした『氷の公爵』ルーファスが、手にした銀のトレイを掲げて微笑んでいた。
トレイの上に乗っているのは、王都から空間魔法で取り寄せたであろう、最高級の『星屑のショコラテリーヌ』だ。
「ルーファス様……」
「宴の主役である君がいないと、下の騎士団どもが暴走しそうでね。……甘いものでも食べて、少し休むといい」
ルーファスはリベラの隣に並び立ち、バルコニーの手すりに寄りかかった。
リベラは素直にフォークを受け取り、ショコラテリーヌを一口運ぶ。濃厚なカカオの香りと、口の中でとろける甘さが、酷使した脳と身体にじんわりと染み渡っていく。
「……美味しいですわ」
「それは良かった。君のその9割の塩対応を少しでも甘く溶かせるのなら、私はパティシエを何百人でも雇い入れよう」
ルーファスがクスリと笑う。
リベラは呆れたように小さくため息をつき、夜空に咲く花火を見上げた。
「……今日は、本当にありがとうございました」
ぽつりと、リベラの口からこぼれ落ちたその言葉に、ルーファスは少しだけ驚いたように目を瞬かせた。
「あのガリック男爵の一件。私が『お留守番していてください』と言った通り、あなたは本当に、最後まで手を出さずに見守っていてくれました」
「君の命令だからね。それに、私の特命法務官が、どれほど美しく獰猛に悪党を叩きのめすのか……特等席でじっくりと鑑賞させてもらったよ」
「悪趣味ですわね。……でも」
リベラはフォークを置き、スッとルーファスに向き直った。
いつもなら、ここで「これ以上の会話は業務外です」と冷たくあしらい、9割の塩対応の壁を築くところだ。
しかし、今日だけは違った。
彼女は、自分を信じて待機し、最高の大舞台を用意し、どんな時でも絶対的な味方でいてくれたこの規格外の男に対し、自らの内にある『素直な感情』を少しだけ解放することにしたのだ。
「……今日のこと。ほんの少しだけ、あなたを頼りにしていました」
リベラは上目遣いでルーファスを見つめ、そっと、彼の手を自らの両手で包み込むように握った。
「え……?」
ルーファスの動きが、完全に停止した。
リベラの手は小さく、ひんやりとしていたが、そこには確かな体温と、彼に対する『信頼』が込められていた。
「いつも冷たくしてしまっていますけれど……。あなたが背後にいてくれるからこそ、私は安心して、法廷でも現場でも無茶ができるんです。……1割くらいは、あなたのこと、信頼して……その……慕っておりますので」
頬をほんのりと薄紅に染め、目を逸らしながら紡がれた、あまりにも破壊力の高い『デレ』。
9割の塩対応という極寒の防壁があったからこそ、その奥から差し込んだ1割の熱(恋愛感情)は、ルーファスにとって致死量の劇薬に等しかった。
「————っ!!!」
ドクンッ、ドクンッ、ドクンッ!!
ルーファス・アバロン公爵の心臓が、早鐘のように打ち鳴らされる。
彼の頭の中で、何かが物理的にショートし、爆発する音がした。
氷の宰相。冷徹なる完全無欠の貴族。
そんな彼の仮面が、たった数秒の間にガラガラと音を立てて崩れ去っていく。
「こ、こ、こ、この……っ! このリベラの為なら、私は……っ!!」
ルーファスは握られた手をガクガクと震わせ、信じられないほどの肺活量で、夜空に向かって絶叫した。
「国を一つ滅ぼしてでも、君を守り抜く!! いや、それだけでは足りない!! おお、我が麗しの女王よ! どうか君のその気高き靴の裏を、私に舐めさせ——」
「ストップ」
限界を突破し、完全にドMのバケモノと化した公爵が膝から崩れ落ちそうになった瞬間、リベラは握っていた手をバッと離し、冷徹な法務官の顔で一歩後ずさった。
「っあぁぁ……!? なぜ手を離すのだリベラァァァッ!!」
そのまま崩れ落ち、バルコニーの床に四つん這いになって悶絶するルーファス。
帝国最高の権力者が、一人の令嬢の『1割のデレ』に耐えきれず、自らの限界(性癖)を超えて呼吸困難に陥っているという、大惨事であった。
「……やっぱり、1割でも与えすぎたみたいですね。キャパオーバーもいいところです」
リベラがこめかみを押さえて深いため息をついた、その時だった。
「うわぁ……」
バルコニーの入り口から、ドン引きした声が響いた。
現れたのは、両手に巨大な骨付き肉を持ったキャルルと、フライドチキンを咥えたリーザだった。
キャルルは床で「リベラ……私の女神……」と呻いているルーファスを一瞥すると、スッと手を伸ばし、隣にいたリーザの両目を塞いだ。
「ダメだよリーザ、見ちゃいけない。あれは完全なドM公爵が羽化(限界突破)した姿だ。純真な君には刺激が強すぎるし、教育に悪いからね」
「ふごっ? ふぇ?」
目隠しをされ、チキンをモグモグと飲み込んだリーザは、小首を傾げて聞き返した。
「羽化……? よくわかりませんけれど、あの偉そうな公爵様、そんなに興奮しているなら……私に『スパチャ(お布施)』してくれるんですの?」
「……うん。今のあの人に口座番号教えたら、公爵領の資産ごと振り込んでくるんじゃないかな」
「なんですって!? それはすぐにでもお賽銭箱を——」
強欲な人魚姫が目の色を変えて飛びつこうとするのを、キャルルが「やめときなさい、色々と面倒なことになるから」と必死に羽交い締めにして止める。
「ふふっ……」
そのカオス極まる光景を見て。
リベラは思わず、口元を隠してクスクスと吹き出してしまった。
床で愛を叫び続けるドMな権力者。
物理最強で常識人(?)な兎耳の親友。
そして、逞しくも強欲な底辺アイドル。
第一章でバカ皇子との泥沼の婚約破棄を切り抜けた時には、こんなに騒がしく、そして笑いに満ちた日々が待っているとは想像もしていなかった。
(……まぁ、悪くないわね。こんな非日常も)
前世では、たった一人で悪と戦い、孤独の中で死んでいった。
だが今世では、彼女の背中を預けられる、少しばかり(かなり)変態で頼もしい仲間たちがいるのだ。
「ルーファス様。そろそろ起きてください。みっともないですよ」
「は、はいっ……! 君にそう冷たく見下ろされるのも、また極上……!」
「次ふざけたら、明日の朝食のタルトは抜きですからね」
「それだけはご勘弁を!」
慌てて立ち上がり、居住まいを正す氷の公爵。
リベラは再び夜空に咲く花火を見上げ、純金製の煙管(無臭タイプ)を懐の中で指先で弄んだ。
彼女の周りには、これからも次々と、帝国を食い物にしようとする『バグ(悪党)』が現れるだろう。
しかし、完璧令嬢にして元・悪人専門の天才弁護士たる彼女に、一切の恐れはない。
「さあ、明日は王都に戻って、ガリック男爵の資産の『強制執行』よ。リーザ、キャルル、準備はいいわね?」
「おおーっ! 全財産、お賽銭箱で吸い尽くしてやりますわーっ!」
「私はトンファーの素振りしとくね」
天才プロデューサー(弁護士)と、絶対無敵のアイドル、そして過保護すぎるドM公爵。
彼らが織りなす、帝国全土を巻き込んだ『法と溺愛と物理ざまぁの無双劇』は、いよいよ王都のド真ん中へと舞台を移していく。
だが、その前に。
「……ルーファス様。ショコラテリーヌ、もう一口いただいても?」
「ああ、もちろん。さあ、あーんして」
「……自分で食べますっ!」
9割の塩対応と、1割の激甘な恋愛攻防戦も、まだまだ続くのである。
(第二章:完璧令嬢のリーガル・バスター 完)
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