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EP 7

オドレ、誰に口聞いとんじゃあ?――極妻弁護士の合気道と、空砲のワルサー

 真っ二つに砕け散り、泥にまみれた『みかん箱』の残骸。

 それは、リーザがアイドルとしての第一歩を踏み出すための、何よりも大切なステージだった。

「ひっぐ、うぅっ……私の、ステージが……っ」

 土の上に這いつくばり、破片をかき集めて泣きじゃくるリーザ。

 その頭上から、ガリック男爵は豚のような腹を揺らして、さらに容赦のない嘲笑を浴びせかけた。

「ギャハハハッ! いい気味だ! こんなゴミみたいな人魚が、アイドルになれるか! お前らみたいな底辺はな、一生泥水を啜って、私のような高貴な人間に搾取されるのがお似合いなんだよ!」

 傲慢。冷酷。そして、圧倒的なまでの下劣さ。

 その言葉が広場に響き渡った瞬間。

 ——スッ。

 それまで静かに事態を見守っていたリベラが、一歩、前に出た。

 純金製の煙管(無臭タイプ)を唇から離し、指先でクルリと回す。ミッドナイトブルーの細身のパンツスーツに身を包んだ彼女の姿は、あまりにも優雅で、この泥臭い乱闘騒ぎには決定的に不釣り合いだった。

 だが、その洗練された佇まいとは裏腹に、彼女から放たれる『気迫』は、周囲の空気を物理的に凍らせるほどの異常な密度を持っていた。

「……あぁ? なんだお前、やる気か? 女だてらに私に逆らうなら、この傭兵どもに手ひどく可愛がって——」

「オドレ、誰に口聞いとんじゃあ?」

 ピシャリと。

 ガリックの言葉を遮ったのは、完璧な標準語でも、貴族令嬢のたおやかな言葉遣いでもなかった。

 地獄の底から響いてくるような、極限までドスの利いた岡山弁。

 前世において、関東一円の不良たちを震え上がらせた『元レディース総長』桜田リベラの、リミッターが完全に吹き飛んだ声だった。

「……は?」

 ガリックが間の抜けた声を漏らす。

 リベラは煙管を懐にしまうと、ゆっくりと、しかし一切の隙のない足取りで、傭兵たちの群れへと真っ直ぐに歩みを進めた。

「こ、このアマ……! ぶっ殺せ!」

 ガリックの指示を受け、最前列にいた三人の重武装した私兵が、一斉にリベラへと襲いかかった。

 一人は大剣を振りかぶり、二人は両脇から彼女を拘束しようと手を伸ばす。普通の令嬢であれば、悲鳴を上げてしゃがみ込むしかない絶望的な状況だ。

 しかし。

 リベラは魔法陣を展開するでもなく、武器を抜くでもなく。

 ただ、スッと『半身』の構えを取った。

「シィッ!」

 短い呼気と共に、リベラの身体がブレた。

 彼女が使ったのは魔法ではない。前世で徹底的に叩き込まれ、今世でも密かに鍛え上げ続けていた『合気道』の絶技である。

 向かってきた大男の腕を、下から柔らかく絡め取るように掴む。

 男の突進する『ベクトル(力)』を一切殺さず、自らの円運動に巻き込むようにして、スッと中心軸をズラす。

「なっ……!?」

 大男からすれば、まるで空気を掴んだかのような感覚だっただろう。

 次の瞬間、彼自身の巨大な質量と突進力が、リベラの小さな手首の返し一つで完全に反転させられた。

 ——ドゴォォォォンッ!!

「ぐあぁっ!?」

 見事な『四方投げ』。

 重さ百キロを超えるであろう巨漢が、まるで羽虫のように軽々と宙を舞い、頭から地面に激突して白目を剥いた。

「な、何をした!?」

「魔法か!? 詠唱なしで……っ」

 残る二人が怯んだ隙を、リベラは見逃さない。

 滑るような足運び(入り身)で一人の懐に潜り込むと、相手の顎と後頭部を両手で挟み込むように捉え、テコの原理で思い切り捻り倒す。

 同時に、背後から迫ったもう一人の水月みぞおちに、完璧なタイミングでヒールによる後ろ蹴りを叩き込んだ。

「ごふっ……!」

「あべばっ!?」

 バタバタと、面白いように巨漢たちが沈んでいく。

 魔法を一切使わない、純粋な『物理的質量と重心のコントロール』。法廷での論戦と同じく、相手の力(主張)を利用して自滅させる、理にかなったリーガル・バスター(物理)である。

「うわぁ……」

 少し離れた場所で見ていたキャルルが、思わず兎耳をぺたんと伏せて呟いた。

「私のトンファーは力業だけど、リベラのあれは完全に『技術テクニック』だよね……。本気でキレたリベラ、私より怖いかもしれない」

 わずか十秒足らず。

 ガリックが誇っていた精鋭の私兵たちは、誰一人としてリベラに指一本触れることすらできず、手足の関節を外され、あるいは脳震盪を起こして、広場の土に折り重なるように倒れ伏していた。

「ひぃっ……! ば、馬鹿な! たかが女一人に、十人の傭兵が……っ!」

 ガリック男爵の顔から、完全に血の気が引いた。

 彼の前に立つリベラは、息一つ乱しておらず、スーツの皺一つすら崩れていない。

 ただ、その瞳だけが、絶対零度の殺気を帯びてガリックを見据えていた。

「さあ、次はオドレの番じゃ」

 コツ、コツ、とヒールの音を響かせ、リベラが歩み寄る。

 それは、ガリックにとって死神の足音に等しかった。

「く、来るな! 私は男爵だぞ! 貴族の私に手を出せば、帝国法が——」

「法? どの口が言うとんじゃ」

 リベラはガリックの胸ぐら——最高級の毛皮のコートの襟——を、片手でむんずと掴み上げた。

「ひぃっ!」

「他人の夢を笑うて、弱者から搾取して、法を自分の都合のええように捻じ曲げる……。そういう腐ったバグを駆除デバッグするのが、私の『仕事』なんじゃ」

 言うが早いか。

 リベラはガリックの襟首を掴んだまま、足を刈り、自身の体重を乗せて豪快な『巴投げ』を放った。

 ——ズガァァァァァンッ!!

「ごっ、ぶぉぉぉっ!?」

 見事な弧を描き、ガリックの肥え太った身体が宙を舞う。

 そして、先ほど彼自身が蹴り壊した『みかん箱』の残骸のすぐ横の泥溜まりへと、無様に背中から叩きつけられた。

 肺から空気が強制的に押し出され、ガリックはカエルのように手足をバタつかせて喘いだ。

 高価なコートは泥にまみれ、指輪は吹き飛び、もはや三流貴族の威厳など微塵も残っていない。

「あ、あぐっ……ひぃぃっ……た、助け……っ」

 這いつくばって逃げようとするガリックの背中に、リベラの鋭いヒールが容赦なく突き立てられた。

 そして彼女は、懐から『それ』を取り出した。

 ドワーフの最先端技術とゴルド商会の財力を結集して極秘裏に造り上げられた、前世の相棒のレプリカ。

 冷たい鋼の輝きを放つ、9mm拳銃(ワルサーPPK/S型魔導銃)。

 チャキッ。

 硬質な金属音が広場に響き、リベラは銃口を、恐怖で顔を引き攣らせて振り返ったガリックの眉間へと、ピタリと突きつけた。

「ひ、ひぃぃぃぃぃぃっ!!?」

 ガリックの口から、もはや言葉にならない絶叫が漏れた。

 魔法の杖でも、剣でもない。未知の、しかし絶対的な『死』を予感させる黒い筒を額に押し当てられ、彼は恐怖のあまり完全にパニックに陥った。

「ま、待ってくれ! 命だけはっ! 金ならある、いくらでも払う! この村の権利も全部お前に——」

「遅いわ」

 リベラの声には、一切の慈悲がなかった。

 彼女の指が、引きトリガーにスッと掛けられる。

「アイドルのステージを壊した罪。夢を笑った罪。……きっちり地獄で精算してきな」

「いやだぁぁぁぁぁぁっ!!」

 ——パーァァァァァァンッッ!!!!

 鼓膜を破るような、凄まじい発砲音。

 銃口から閃光が迸り、硝煙の匂いがポポロ村の広場を一瞬にして支配した。

「あ、あぁ……あぁぁぁぁ……っ」

 ガリックは目を剥き、全身を硬直させ、ガクガクと激しく痙攣した。

 自らの頭が吹き飛ばされたと錯覚し、死の恐怖に完全に精神を破壊された彼は……ズボンに生温かい染みを広げながら、そのまま白目を剥いて失神した。

 しかし。

 ガリックの額には、一滴の血も流れてはいなかった。

「……フン。ただの空砲ブラフで失禁とは、本当に度胸のない男ね」

 リベラは銃口から立ち上る硝煙をふっと吹き消し、安全装置をかけて懐へとしまった。

 そう。彼女が撃ったのは、音と光だけが発せられる威嚇用の空砲である。法務官たる彼女が、こんな大衆の面前で本物の殺人を犯すわけがない。

 これは、相手の精神を完全に破壊するための、計算し尽くされた極限の『脅迫リーガル・ハック』だった。

 静まり返る広場。

 村人たちも、倒れた傭兵たちも、あまりの出来事に言葉を失い、恐怖と畏敬の眼差しでリベラを見上げている。

 リベラは気絶し、泥とアンモニア臭にまみれたガリックを見下ろしたまま、冷酷に、そして誰よりもはっきりと響く声で宣言した。

「よく覚えときな。……うちのツレ(リーザ)に舐めた口聞くと、次は本当に頭を弾くぞ?」

 それは、法務官としての警告ではない。

 仲間ファミリーを傷つける者には絶対に容赦しない、元レディース総長としての『絶対の掟』であった。

「プ、プロデューサー……っ」

 みかん箱の破片を抱きしめたまま、リーザが信じられないものを見るような目でリベラを見上げていた。

 自分のために、あんな恐ろしい悪党どもをたった一人で叩きのめしてくれた。

 その事実が、リーザの純真な心に、絶対的な『忠誠』と『愛』を深く、深く刻み込んだ瞬間だった。

「さあ、お掃除は終わったわよ」

 リベラはふぅと息を吐き、乱れたミッドナイトブルーのスーツの襟元をスッと正した。

 完璧な令嬢の顔に戻り、イブニングバッグを拾い上げる。

「さて……。法的な証拠も、物理的な制圧も完璧に完了しました。あとは、彼らを法廷という名の処理場へ運ぶだけですね」

 彼女がそう呟いた、まさにその完璧なタイミングで。

「——そこまでだ、悪党ども!! このアバロン公爵が、直々に貴様らを裁いてやろう!!」

 広場の奥から、地を揺らすような馬蹄の音と共に。

 白馬に跨り、数十名の精鋭騎士団を引き連れたルーファス公爵が、まるで劇の主役のような顔をして、颯爽と(そして満を持して)登場したのである。

読んでいただきありがとうございます。

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