EP 6
迫る開演時間と、壊されたみかん箱――そして天才弁護士は煙管を咥える
ポポロ村の広場は、かつてないほどの熱気と活気に包まれていた。
普段はのどかな農村であるこの場所が、今日ばかりは色鮮やかなのぼり旗で飾られ、屋台からは香ばしい焼き鳥やイモッカ(芋酒)の匂いが漂っている。
広場の中央にぽつんと置かれた、八百屋のおじさんから譲り受けた『みかん箱』。
それが、本日の主役——絶対無敵スパチャアイドル・リーザの公式デビューライブを飾る、栄えある特設ステージである。
「すぅーっ、はぁーっ……緊張しますの。でも、プロデューサーが用意してくれたこの大舞台、絶対に成功させてみせますわ!」
舞台裏(という名の村役場のテント裏)で、リーザは深呼吸を繰り返していた。
今日の彼女は、いつもの芋ジャージではない。ゴルド商会のツテを頼り、タローマンの布地を使って村の女性陣が徹夜で縫い上げてくれた、海を思わせるフリルたっぷりの『アクアブルーのアイドル衣装』に身を包んでいた。
元々が絶世の美少女である人魚姫だ。ちゃんとした衣装を着て少しメイクを施すだけで、帝国中がひれ伏すほどの圧倒的なオーラが放たれている。
「ええ、自信を持ちなさいリーザ。あなたはゴルド商会が誇る最高のエンターテイナーよ。……それに、今日は『特別なお客様』が、自ら首を突っ込みにいらっしゃるはずだから」
プロデューサー腕章をつけたリベラは、魔導録音機のスイッチを入れながら、冷たく美しい笑みを浮かべた。
「特別なお客様?」
「気にしなくていいわ。あなたはただ、みかん箱の上で全力で歌いなさい」
リベラがリーザの背中をポンと押す。
一方で、広場から少し離れた小高い丘の上——村人たちからは見えない絶好のVIP席(木陰)には、異様なオーラを放つ一団が待機していた。
アバロン公爵家の精鋭騎士団。
そしてその中央に設えられた最高級のソファには、『氷の公爵』ルーファスが優雅に腰を下ろしていた。彼の手には、すでに決裁印が押された『ガリック男爵の事前逮捕令状』が握られている。
「……閣下。よろしいのですか? 我々が今すぐ広場を制圧し、あの三流貴族が来る前に警備を固めた方が、リベラ様も安全かと存じますが」
側近の騎士が控えめに進言するが、ルーファスは陶酔しきった瞳で、広場に立つリベラの姿を見つめたまま、首を横に振った。
「馬鹿を言うな。私の愛する女王が、『大人しく椅子に座って、ハンコを押してお留守番していろ』と命じられたのだ。……ああ、なんと甘美な響きだろうか。帝国最高の権力を持つこの私に、一切の介入を許さず『待て』と命じるその圧倒的な冷遇……っ! 私は彼女からの『よし』の合図があるまで、ここから一歩も動くつもりはない!」
「は、はぁ……(うちの主君、完全に手遅れだ……)」
忠誠心とドン引きの間で揺れ動く騎士たちをよそに、ルーファスはドM全開で待機状態を維持していた。
***
「——それでは皆様、お待たせいたしました! ゴルド商会専属・絶対無敵のスパチャアイドル、リーザの登場ですの!」
広場に村人たちの歓声が響き渡る。
リーザが輝く笑顔でみかん箱の上に飛び乗り、大根マイクを構えた、まさにその瞬間だった。
——ドガァァァァンッ!!
広場の入り口に設置されていた木製のアーチが、巨大な魔導装甲車によって粉々に粉砕された。
悲鳴を上げて逃げ惑う村人たち。
もうもうと舞い上がる土煙の中から現れたのは、先日ポポロ村から逃げ帰ったはずの、ガリック男爵だった。
しかし、今日の彼は前回とは気合いが違った。彼の背後には、数十人規模の重武装した私兵部隊——王都の裏社会から金でかき集めた、本職の暗殺者や傭兵崩れたちがズラリと並んでいたのだ。
「ギャハハハッ! やってるな、底辺ども! 私の警告を無視して、本当にこんなゴミみたいなライブを開催するとは、いい度胸だ!」
ガリック男爵は魔導装甲車のルーフから身を乗り出し、下劣な笑い声を広場に響かせた。
「ガ、ガリック男爵……! なぜまた……っ」
みかん箱の上のリーザが、恐怖に少しだけ声を震わせる。
「先日、私が放った偵察部隊が、謎の魔導具(掃除機)に全財産を吸い取られたと泣きついてきおってな。小賢しい真似を! だがな、今日連れてきたのは、金貨百枚で雇った本物の殺し屋どもだ! 吸い取られる前に、貴様らの四肢を切り刻んでやる!」
ガリックはズンズンと私兵を率いて広場の中央へと歩み寄る。
「聞け、愚民ども! この土地の開発許可書を持つ私の権限により、この不法集会をただちに強制解散とする! 逆らう者は、この傭兵たちに物理的に排除させる! 文句はないな!」
「横暴じゃ! 村長のキャルル様がおらぬのをいいことに!」
「だ、誰か助けてくれぇっ!」
村のお年寄りたちがパニックに陥る中、プロデューサー腕章をつけたリベラは、ただ静かに、魔導録音機のマイクをガリックに向けていた。
(……『威力業務妨害』『不法侵入』『器物損壊』『脅迫罪』。……ええ、完璧な自白ね。これでもう、あなたの全財産は合法的に私のものよ)
リベラの冷徹な法務官としての計算が完了した。
だが、ガリックの暴走はそこでは止まらなかった。
彼は、みかん箱の上で震えながらも、懸命に両手を広げて村人たちを庇おうとしているリーザを見下ろした。
「チッ。着飾ってみたところで、所詮は貧乏くせぇ底辺アイドルだ。私がプロデュースする高級娼婦たちに比べれば、色気も価値も何一つねぇ!」
「私は、娼婦じゃありませんの……! みんなを笑顔にする、アイドルですわ!」
「黙れゴミが! そもそも、こんな果物の空き箱に乗って歌うなど、エンターテインメントに対する冒涜だ! 見ているだけで吐き気がするわ!」
ガリックは顔を真っ赤にして怒鳴りつけると、無慈悲にも足を高く振り上げた。
そして。
——バキィィィィッ!!
「あ……」
ガリックの分厚い革靴が、リーザの乗っていた『みかん箱』を横から思い切り蹴り飛ばした。
安物の薄い木板でできていた箱は、鈍い音を立てて無残に砕け散り、木っ端微塵になって吹き飛んだ。
「きゃあっ!?」
足場を失ったリーザは、バランスを崩して地面へと投げ出された。
せっかく村の女性たちが徹夜で作ってくれたアクアブルーの衣装が土に汚れ、彼女の白い膝から血が滲む。
「あ、あぁっ……私の、私のステージが……っ」
リーザは地面に這いつくばり、バラバラになったみかん箱の破片を、震える手で掻き集めようとした。
八百屋のおじさんが「これで頑張れよ」と笑ってくれた箱。
キャルルとリベラが、夜遅くまで綺麗に磨いてくれた箱。
彼女にとって、それはただの空き箱ではなく、夢の第一歩となる大切な、本当に大切な『ステージ』だったのだ。
ポロポロと、リーザの大きな瞳から大粒の涙が溢れ落ち、土を濡らす。
「ギャハハハッ! 見ろ、ゴミがゴミを拾って泣いているぞ! 傑作だな! さあ、さっさとこの広場を更地に——」
ガリックが高笑いをした、まさにその時だった。
「……あーあ。私、もう我慢しないからね」
広場の隅の屋台で焼きそばを食べていたキャルルが、割り箸をへし折り、腰のダブルトンファーを引き抜こうと闘気を爆発させた。
しかし。
キャルルが動くよりも、ほんのコンマ数秒早く。
「待ちなさい、キャルル。……あなたは手を出さなくていいわ」
静かに、だが周囲の空気を凍てつかせるような声が響いた。
プロデューサーの腕章を外し、イブニングバッグを地面にコトリと置いたリベラが、ゆっくりと、ガリックたちの前へと歩み出た。
「あぁ? なんだお前は。先日の生意気な女か。お前もこのみかん箱の破片と一緒に、泥水に沈めてやろうか?」
下劣な笑みを浮かべるガリック。
だが、リベラは何も答えない。
彼女はただ、懐にスッと手を差し入れ……カチャリ、と小気味良い音を立てて、純金製の煙管(無臭タイプ)を取り出した。
その瞬間。
ポポロ村の広場を支配していた空気が、完全に異質なものへと変貌した。
先ほどまでの「完璧な令嬢」でも、「冷徹な法務官」でもない。
前世で修羅場を仕切り、裏社会の連中を震え上がらせた、悪人専門の弁護士にして『元レディース総長』——桜田リベラの、リミッターが完全に外れた瞬間だった。
「……法的な証拠は完全に取れた。これで、法的にも社会的にも、お前らの息の根を止める準備は整ったわ」
リベラは煙管を唇に咥え、ふぅ……と、見えない紫煙を吐き出すように息を漏らした。
そして、氷点下を突き抜けるような、極限までドスの効いた声で、地上げ屋たちを見据えた。
「だから……ここから先は『課外授業』の時間よ。三流のクズども」
悪徳プロデューサーの暴挙が、絶対に踏んではならない地雷(極妻魂)を完全に踏み抜いた。
天才弁護士による、合法かつ凄惨な『物理ざまぁ』の幕が、今まさに切って落とされようとしていた。
読んでいただきありがとうございます。
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