EP 2
底辺人魚アイドル、リーザ見参!――パンの耳と五円玉狙撃、そして契約という名のハンバーグ
ルナミス帝国とアバロン公爵領、そしてレオンハート獣人王国の境界に位置する緩衝地帯『ポポロ村』。
のどかな田園風景と、特産品のポポロ・シガーの甘い香りが漂うこの平和な村の中心にある公園で、その日、血で血を洗う(?)凄惨な縄張り争いが繰り広げられていた。
「ほーれ、ポッポポッポ。お前たち、今日も元気だねぇ」
ベンチに座る人の良い『鳩餌やりおじさん』が、袋からパンの耳を取り出し、ちぎって地面へと放り投げる。
平和の象徴である鳩たちが一斉に群がろうとした、まさにその刹那だった。
「だあぁぁぁーっ!! それは私の朝ごはんですのぉぉぉっ!!」
茂みの中から、弾丸のような速度で何かが飛び出してきた。
ルナミスデパートの特売ワゴンで買われたであろう、強烈なえんじ色の『芋ジャージ』。そして足元には、健康サンダル。
その絶望的にダサい出で立ちとは裏腹に、彼女の顔立ちは深海で輝く真珠のように可憐で、長く美しい水色の髪が朝日にキラキラと輝いている。
彼女の名は、リーザ・シーラン・リヴァイアサン。
海中国家シーランの女王リヴァイアサンの愛娘であり、由緒正しき『人魚姫』。
そして現在は——自称・絶対無敵のスパチャアイドルとして、ポポロ村の底辺を地ずり回るプロのサバイバーであった。
「クルッポォォウ!」
「痛いっ! 突っつかないでくださいませ! このパンの耳は、私が昨日から目をつけていた物件ですの! アイドルには炭水化物が必要なんですのぉ!」
群がる鳩たちと、パンの耳を巡って壮絶な奪い合いを展開するリーザ。
彼女は健康サンダルで巧みなステップを踏みながら、鳩のくちばし攻撃を紙一重で躱し、見事にひときわ大きなパンの耳をむんずと掴み取った。
「やりましたわ……っ! これで今日のカロリーは——」
ウゥゥゥ……、ワンッ!!
勝利の喜びに浸る間もなく、今度は茂みの奥から、丸々と太った野良犬が牙を剥いて飛び出してきた。タローソンの廃棄弁当を食い漁って育った、ポポロ村の裏ボス的存在である。
「ヒッ……! ぽ、ポチ男! 今日こそは負けませんの! アイドルは、どんな逆境にも屈してはならないのです!」
野良犬が唸り声を上げて飛びかかろうとした瞬間。
リーザはジャージのポケットから、ピカピカに磨き上げられた『五円玉』を取り出すと、あろうことか自分の『鼻の穴』にスッと装填した。
「喰らいなさいっ! ご縁(五円)の重み! フンッ!!」
——ピュンッ!!
鼻息と共に射出された真鍮の五円玉が、空気を切り裂き、見事に野良犬の鼻っ柱に命中した。
「キャンッ!?」
「やりましたわ! ホップ・ステップ・スパチャの精神ですの!」
野良犬が尻尾を巻いて逃げ出し、鳩たちも散り散りになる中、リーザは泥だらけのパンの耳を天高く掲げ、勝利のポーズ(アイドル風)を決めた。
「……ね? リベラ。私、嘘は言ってないでしょ?」
その光景を、公園の入り口で呆然と立ち尽くしながら見ていたリベラに、キャルルがため息まじりに声をかけた。
リベラは片手でこめかみを強く揉みほぐしている。
つい昨日まで、金貨850万枚(850億円)という国家予算規模のリーガル・バトルを繰り広げ、優雅な公爵邸で最高級のミルフィーユを食していた特命最高法務執行官の頭脳が、目の前で繰り広げられた『偏差値ゼロの底辺サバイバル』を処理しきれずに、激しいエラーを起こしていたのだ。
「……キャルル。あれは、幻覚よね? いくらルナミス帝国のアイドルブームが去ったとはいえ、一国の姫君が芋ジャージ姿で野良犬を鼻息(五円玉)で狙撃し、パンの耳を貪っているなんて。そんなバグみたいな現実、私の知る六法全書のどこにも載っていないわ」
「現実だよ。あれがリーザの日常。ちなみに昨日のお昼は、公園で雑草サラダ食べてた」
「……」
リベラは深呼吸をし、完璧な令嬢の仮面を(強引に)貼り付けると、コツ、コツとヒールを鳴らして公園の中へと歩みを進めた。
「あ! キャルル! それに、リベラ様!」
リベラの姿を認めたリーザは、パァッと顔を輝かせ、パンの耳を大事そうにジャージの胸元にしまい込みながら駆け寄ってきた。
「お久しぶりですの! 見てください、今日のファンミーティング(鳩と犬との乱闘)も大盛況でしたわ! 私の歌声と魅力で、彼らも大熱狂でしたの!」
「……ええ。とてもエキサイティングな縄張り争いでしたね。あなたのたくましさには、法務官としての想像力を超えるものがありますわ」
リベラは引きつる頬を必死に抑え込みながら、リーザを上から下まで観察した。
着古された芋ジャージ、健康サンダル、そして少し痩せた頬。
シーラン国の女王リヴァイアサンは、娘がルナミス帝国で「大人気アイドルとして華やかな生活を送っている」と信じ込んでいるはずだ。もし今のこの姿を見られたら、国際問題どころか、ルナミス帝国がシーラン国からの宣戦布告を受けかねない。
「リーザ。あなた、昨日からまともな食事を摂っていないのではなくて?」
「そ、そんなことありませんの! 昨日はタローマートの試食コーナーで、ウインナーを三切れもいただきましたわ! それに、交番の前で反復横跳びをしていたら、優しいお巡りさんがカツ丼を出してくれましたし!」
「それは食事ではなく、補導と取り調べです」
リベラは冷酷な事実を突きつけると、自身の高級なイブニングバッグを開き、中から輝く銀貨を数枚取り出した。
「いいですか、リーザ。あんな泥だらけのパンの耳など捨てなさい。今から『ルナキン(ルナミスキング)』へ行って、朝定食でも、特大のハンバーグでも、好きなものを奢ってあげますから」
「ハ、ハンバーグ……!」
その単語を聞いた瞬間、リーザの口からダラァッと盛大なヨダレが垂れた。
肉汁たっぷりのハンバーグ、目玉焼き、そしてアツアツのライス。想像しただけで、彼女のお腹が「ギュルルルルルルッ!」と、大型魔獣の咆哮のような轟音を響かせた。
しかし。
リーザはブルブルッと頭を振り、パンの耳をギュッと抱きしめ直した。
「だ、ダメですの!」
「……は?」
「私はアイドルですの! アイドルは、ファンからの『愛』によってのみ生かされるべき存在! 哀れみによる『施し』なんて、絶対に受け取りませんわ!」
「いや、私、あなたのファンではないのですが……」
「リベラ様のその銀貨は、私を哀れんでの施しです! そんなものを食べてしまったら、私のアイドルとしての矜持が死んでしまいますの! だから、お気持ちだけ……お気持ちだけ、ありがたく……うぅぅっ、ハンバァァーグゥゥッ!!」
号泣しながらヨダレを垂らし、それでも銀貨を受け取ろうとしないリーザ。
この極限状態にあっても曲げない謎のプライド。ある意味で、強靭なメンタルの持ち主と言えるだろう。
「あーあ、めんどくさいスイッチ入っちゃった。リベラ、リーザはこういう所だけは頑固なんだよ。私だって、月末に家賃で土下座されるまでは、絶対に奢らせてくれないんだから」
「……なるほど。状況は理解しました」
キャルルが呆れたように言う横で、リベラの瞳に、スッと『法務官』としての冷徹な光が宿った。
哀れみや施しが通用しないのであれば、話は簡単だ。
前世で、幾多の気難しいクライアントを言葉巧みに丸め込んできた彼女にとって、この程度の「言葉のすり替え(リーガル・ハック)」など朝飯前である。
「リーザ・シーラン・リヴァイアサン。あなたは、私の銀貨が『施し』だから受け取れないと言いましたね?」
「は、はいですの。私は孤高のアイドルですから……っ」
リベラは銀貨をバッグにしまい、代わりに、常に持ち歩いている『分厚い契約書の束』と『魔導ペン』を取り出した。
「わかりました。ならば、施しはいたしません。……私は今、ゴルド商会の最高法務顧問として、あなたに『ビジネス』の提案をしています」
「ビ、ビジネス……?」
「ええ」
リベラはにっこりと、完璧な営業スマイルを浮かべた。
「あなたのその強靭なメンタル、サバイバル能力、そして何より、鳩と野良犬を熱狂させるほどの(?)カリスマ性。これらはゴルド商会にとって、極めて有用な『エンターテインメント資産』になり得ると判断いたしました。
つきましては、本日ただいまこの瞬間をもって、あなたとゴルド商会との間で『専属アイドルマネジメント契約』を締結いたします。よろしいですね?」
「せ、専属契約!? 私が、ゴルド商会の公式アイドルに……!?」
夢にまで見た『事務所所属』という言葉に、リーザの瞳がキラキラと星のように輝き出す。
「ですが、私はまだ何も……!」
「細かいことは後でいいのです。サインはこちらへ。……はい、契約完了です」
リベラは魔法のように素早い手つきで、リーザの指にインクをつけ、契約書に拇印を押させた。
そして、リベラは再びバッグから銀貨を取り出し、堂々とリーザの目の前に突きつけた。
「さて、リーザ。あなたは今から、我がゴルド商会の『専属タレント』となりました。
これは決して哀れみや施しではありません。専属タレントの健康と体力を維持し、最高のパフォーマンスを発揮させるための、正当なる『業務経費』です」
リベラは言葉を区切り、最強のキラーワードを放った。
「業界用語で言うところの、**『ケータリング』**というやつですわ。……さあ、プロのアイドルとして、このハンバーグ定食を堂々と平らげなさい!」
「け……っ! けー・たー・りん・ぐ……!!」
その四文字の響きが、リーザの全身を稲妻のように貫いた。
『ケータリング』。
それは、一流のプロアイドルだけが現場で許される、無限の食料供給システム。施しではなく、自らの実力で勝ち取った正当な対価……!
「わ、私……プロになったんですのね……っ! 施しじゃなくて、ケータリング……っ!!」
リーザはボロボロと大粒の涙をこぼし、握りしめていたパンの耳をそっと公園のベンチに置いた。
そして、リベラの足元にすがりつき、顔をぐしゃぐしゃにして叫んだ。
「食べますぅぅっ!! 私、プロのアイドルとして、ケータリングのハンバーグ定食、ライス大盛りでいただきますのぉぉぉっ!!」
「ええ、よろしい。プロとしての自覚が芽生えたようですね」
リベラは満足げに頷き、泣き叫ぶリーザの頭を優しく撫でた。
「ちょろっ……。リベラの口車、相変わらず悪徳弁護士そのものだね」
一部始終を見ていたキャルルが、呆れ半分、感心半分で呟く。
「人聞きの悪いことを言わないで、キャルル。私はただ、彼女の『アイドルとしての誇り』を法的に定義し直してあげただけよ。……それに」
リベラは立ち上がり、周囲をぐるりと見渡した。
のどかなポポロ村の公園だが、先ほどからリベラの法務官としての鋭い勘が、ある『不快な視線』を捉えていた。
「彼女をゴルド商会の所属にしておいた方が、後々都合が良いのよ。……どうやら、この村の平和を脅かそうとしている『三流のバグ(悪党)』が、裏でコソコソと動いているみたいだから」
リベラの冷徹な視線の先。
公園から少し離れた路地の陰で、高価なスーツに身を包んだ怪しげな男たち——王都の悪徳エンタメ貴族、ガリック男爵の私兵たち——が、舌打ちをして姿を消すのが見えた。
かくして、完璧令嬢(元・悪人専門弁護士)と、底辺人魚アイドルの異色のタッグがここに結成された。
彼女たちの次なる標的が、自らノコノコと罠に足を踏み入れようとしていることなど、まだ誰も知らない。
読んでいただきありがとうございます。
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