第二章 完璧令嬢のリーガル・バスター ~底辺人魚アイドルをプロデュースしたら、悪徳プロデューサーを物理(合気道)で粉砕することになりました。ついでに氷の公爵様がドMに覚醒したようです~
特命法務官の優雅なる朝と、塩対応9割の極意
ルナミス帝国の朝は、皇城の鐘の音と共に始まる。
しかし、ここアバロン公爵邸における『朝の号砲』は、もっと極めて私的で、そして甘ったるいものだった。
「——おはよう、私の愛しい特命最高法務執行官殿。今日も君の理知的な美しさに、朝陽すら嫉妬して陰ってしまいそうだ」
重厚なオーク材の扉を開け、優雅な足取りで自らの執務室へと入ってきたルーファス・アバロン公爵は、開口一番、帝国中の令嬢が聞けば卒倒するような甘いセリフを吐いた。
漆黒の軍服を見事に着こなし、銀糸の髪を揺らすその姿は、まさしく帝国筆頭公爵にして『氷の宰相』の異名にふさわしい。
だが、その『氷』は、特定の人物の前では完全にドロドロに溶け落ちていた。
「おはようございます、公爵閣下。本日のアバロン領内の税収報告と、第一級経済事犯の起訴状草案は既に貴方のデスクに提出済みです。……それと、業務開始前の無意味な世辞は、タイムマネジメントの観点から非効率極まりないので以後ご遠慮ください」
部屋の中心に据えられたデスクから、一切の感情を排した冷徹な声が返ってくる。
声の主は、リベラ・ゴルド。
昨日、バカ皇子ユリウスを完膚なきまでに合法的に破滅させ、アバロン公爵領の『特命最高法務執行官』に就任した、元・悪人専門の天才弁護士である。
彼女はタローマン特製の機能性生地を一流の職人に仕立てさせた、ミッドナイトブルーの細身のパンツスーツに身を包み、背筋をピンと伸ばして書類の山と格闘していた。
その光景は、有能な法務官の鑑と言える。
たった一つの、致命的かつ視覚的な異常を除けば。
「……ルーファス様。再三申し上げておりますが」
リベラは魔導ペンを置き、ツンと冷ややかな視線を横に向けた。
「なぜ、私のデスクが、あなたのデスクと『2メートル』しか離れていないのですか? いくらなんでも近すぎます。私のパーソナルスペースをこれ以上侵食するなら、接近禁止命令の仮処分を申請しますよ」
そう。リベラの『専用執務室』として用意されたのは、あろうことかルーファスの執務室のど真ん中だったのだ。
広大な部屋であるにも関わらず、二つのデスクはまるでお見合い席のようにピタリと寄り添うように配置されている。
「おや、これでも最大限譲歩した結果なのだがね」
ルーファスは一切悪びれる様子もなく、むしろ嬉しそうに自身のデスク(リベラの真横)に腰を下ろした。
「本来なら、君の指定席は『私の膝の上』だと提案したはずだ。それに、帝国の未来を担う宰相と特命法務官が、こうして密に連携を取れる配置は極めて合理的だろう?」
「合理的という言葉の定義を辞書で引き直してきてください。これはただの公私混同です。……いいですか、業務中の私語は原則禁止です。不要な接触も控えていただきます。もし破った場合は……」
「破った場合は?」
「あなたのポケットマネーから、罰金として金貨百枚を『ポポロ村の農業支援基金』に強制徴収します」
冷酷無比な罰金制度。
並の男であれば、そのにべもない『塩対応』にプライドをへし折られ、退散するところである。
しかし、リベラの目の前にいる男は、帝国最高の権力者にして、彼女の冷たさに底知れぬ喜びを見出す『手遅れな変態』であった。
「……素晴らしい」
ルーファスはほうっ、と熱っぽい吐息を漏らし、自らの額に手を当てた。
「私を一切特別扱いせず、金銭的なペナルティで容赦なく縛り付けようとするその冷徹さ。ああ、君に冷たくあしらわれるたびに、私の心は心地よい痺れに満たされるようだ……。もっとだ、リベラ。もっと私を法理と冷酷な視線で踏みにじってくれ」
「……頭の病院、紹介しましょうか?」
完全にドMのスイッチが入ってしまった公爵を前に、リベラは心底呆れ果ててこめかみを押さえた。
前世でどんな凶悪な半グレや悪徳政治家を相手にしても怯まなかった彼女だが、この『圧倒的な権力と美貌を持ったドM』という存在は、彼女の想定するリーガル・バトルの範疇を完全に超えていた。
「冗談だよ、愛しい君。罰金でもなんでも払おう。私の財産は全て君のものなのだから。……さあ、朝から書類仕事に没頭する優秀な法務官殿に、私からの差し入れだ」
ルーファスは空間魔法を展開し、一つの美しい小箱を取り出した。
蓋を開けると、そこには王都の超高級スイーツ店『エトワール』の朝限定メニュー、幻の「朝摘み苺のクリスタル・ミルフィーユ」が鎮座していた。ドワーフの魔法保冷技術により、パイ生地のサクサク感とクリームの冷たさが完璧な状態で維持されている。
「なっ……!」
その瞬間、リベラの瞳孔がわずかに開いた。
9割の塩対応を貫く彼女だが、前世からの大の甘党という『1割の隙』だけは、どうしても隠しきれない。
「ふふ、良い反応だ。脳が糖分を求めているのだろう? 業務効率を上げるためにも、私が直々にエネルギーを補給してあげよう。……さあ、口を開けて。あーん」
ルーファスは銀のフォークでミルフィーユを完璧な一口サイズに切り分け、リベラの口元へと優しく差し出した。
極上のスイーツと、極上の男による餌付け。
だが。
「……お気遣い痛み入ります。ですが」
リベラはスッ、とルーファスの手から銀のフォークを『ひったくった』。
「私には、自らの手で食事を摂取するための健全な四肢が備わっております。給仕など不要です。あーん? 自分で食べられます!」
パクッ!
リベラはフォークに刺さったミルフィーユを自らの手で口に運び、勢いよく咀嚼した。
(……んんん〜っ! パイ生地がサクサクで、苺の酸味とカスタードの甘みが絶妙! さすがエトワール、最高だわ!)
内心では極上の味に悶絶し、幸せの鐘が鳴り響いていたが、彼女の顔面は完璧なポーカーフェイスを維持していた。むしろ、少しだけ眉間に皺を寄せてルーファスを睨みつける。
「……味は悪くありません。ですが、職務中の過度なスイーツの提供は、私の判断能力を鈍らせる目的があると見なし、業務妨害にあたります。次からは保冷ボックスに入れておいてください。好きな時に食べますので」
「やれやれ。君のその鉄壁のガードには、私の愛も弾かれてしまうな」
ルーファスは大げさに肩をすくめてみせたが、その切れ長の瞳は最高に楽しそうに弧を描いていた。
エサ(スイーツ)には釣られるが、決して手懐けられはしない。その誇り高き猫のような態度こそが、彼の狩猟本能と変態性をこれ以上なく刺激するのだ。
「まぁいい。君がそうして私の用意した菓子を頬張ってくれているだけで、今日の公務も完璧にこなせそうだよ。……さて、仕事に戻ろうか」
「ええ。早急にこの領地にはびこる悪徳貴族どもの裏帳簿を精査し、差し押さえの令状を乱発しなければなりませんからね」
ミルフィーユを飲み込み、再び冷徹な法務官の顔に戻るリベラ。
書類をめくる音と、魔導ペンが走る音だけが、静かな執務室に響き渡る。
「……おい、そこ。第三派閥のダミー会社の帳簿、数字が合っていないぞ。……ふん、浅はかな。魔法通信石の通話記録から、裏金の流れは完全に補足済みよ」
リベラがブツブツと独り言をこぼしながら、次々と悪党どもの逃げ道を塞いでいく。
その横顔を、ルーファスは時折うっとりとした眼差しで見つめていた。
(ああ、なんと冷酷で、なんと美しいギロチンのような法解釈だ。……私の妻となる女性は、こうでなくては)
冷たい塩対応(9割)と、極上のスイーツによる餌付け攻防戦。
特命最高法務執行官の朝は、こうして優雅に、そして極めて不健全に更けていく——はずだった。
バンッ!!!
突如、執務室の重厚なオーク材の扉が、蝶番が悲鳴を上げるほどの勢いで蹴り開けられた。
ルーファスが不快げに眉をひそめ、リベラが「器物破損で請求書を回しますよ」と冷たい声を出そうとした、その時。
「リ、リベラァァァッ!! 大変、緊急事態!!」
飛び込んできたのは、親友のキャルルだった。
彼女はいつも背負っているダブルトンファーをガチャガチャと鳴らしながら、長い兎耳を限界までピンと立てて、慌てふためいた様子でデスクにすがりついてきた。
「どうしたの、キャルル。落ち着きなさい。……ユリウスの残党が暴動でも起こした?」
リベラが冷静に問いかけると、キャルルはブンブンと首を横に振った。
「違う、そうじゃないの! ポポロ村の公園で、あの『元同居人』が……!」
「元同居人……?」
リベラの脳裏に、かつてルナミス帝国のシェアハウスで共に過ごした、一人の少女の顔が浮かんだ。
海中国家シーランの姫君でありながら、なぜか『アイドル』という概念に脳を焼かれ、極貧生活を送りながらも「施しは受けませんの!」と謎のプライドを貫いていた、あの純真にして強欲な人魚のことだ。
「リーザがどうかしたの?」
「今、ポポロ村の公園で、おばあちゃんが撒いた『パンの耳』を巡って、リーザが鳩の群れと野良犬を相手に死闘を繰り広げてるのよ! しかも、鼻の穴に五円玉詰めて『フンッ!』って発射して犬を狙撃してるの! このままじゃ、アイドルの前に人間としての尊厳が終わる!」
——ピシッ。
リベラの手元で、最高級の魔導ペンが真っ二つにへし折れた。
「……は?」
「だから! 早く止めに行かないと、リーザがパンの耳と一緒に鳩を丸呑みしかねない勢いなのよ!」
優雅で静謐だった執務室の空気が、一瞬にして俗世間の、それも極限の底辺の泥臭さによってぶち壊された。
リベラは両手でこめかみを強く揉みほぐした。
前世で幾多の修羅場を潜り抜けてきた彼女の脳内でも、今のキャルルの報告は「状況がカオスすぎて処理落ち」を引き起こしていた。
「……ルーファス様。大変申し訳ありませんが、午前中の業務は休止とし、有給休暇を半日分消化させていただきます」
リベラはスッと立ち上がり、ミッドナイトブルーのジャケットを翻した。
「おや、それは構わないが……私の私兵部隊を出動させようか? 鳩の駆除くらい造作もないが」
「不要です。私が物理的……いえ、直接説得して連れ戻してきます。あの『自称・絶対無敵のスパチャアイドル』の目を覚まさせるには、法ではなく、現実という名の鉄槌が必要ですから」
リベラは純金製の煙管を懐に忍ばせると、極妻モードの片鱗を滲ませながらズンズンと扉へ向かって歩き出した。
完璧令嬢のリーガル・バスター、第二の事件。
それは、法廷での華麗な論破ではなく、底辺を這いずる人魚アイドルとの、パンの耳を巡る泥沼の遭遇から幕を開けようとしていた。
読んでいただきありがとうございます。
面白いと思っていただけましたら、★評価やブックマークで応援していただけると励みになります。




