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EP 14

元婚約者たちの無間地獄と、過保護すぎる『専用執務室』の罠

 その頃、ルナミス帝国の遥か地下深く——友好国である『ドンガン地下帝国』の最下層採掘場では、けたたましいツルハシの音が響き渡っていた。

「おい、新入り! 手が止まってるぞ! さっさとそのミスリル鉱石を掘り出せ!」

 気温五十度を超える灼熱の地底。

 ドワーフの現場監督が振るう鞭の音にビクッと肩を震わせたのは、ボロボロの粗末な麻布を身に纏い、煤と泥に塗れた一人の青年だった。

「ひぃっ、あぁっ……や、やめてくれ! 私はルナミス帝国の皇族、ユリウスだぞ! なぜ私がこんな下賤な真似を……っ」

「はんっ! 皇族だぁ? 寝言は寝て言え! お前さんはただの『借金850万ゴールドを抱えた債務奴隷』だ! ゴルド商会からの特別委託で、完済するまでここから一歩も出さねぇ契約になってるんだよ!」

 無情なドワーフの宣告に、ユリウスは絶望の涙を流しながらツルハシを握り直した。

 彼の手はすでにマメが潰れ、血が滲んでいる。豪華なシルクの服も、取り巻きたちの賞賛も、甘いお茶会も、もうここにはない。

 あるのは、終わりの見えない過酷な強制労働と、一生かかっても返しきれない莫大な借金という『合法的な無間地獄』だけだった。

 一方、帝国の最北端に位置する『極寒の修道院』。

 一年中吹雪が吹き荒れるその場所で、一人の少女が氷水を張った桶に手を突っ込み、凍えながら陽薬草の繊維を洗っていた。

「あうぅっ……冷たい、冷たいですぅ……ユリウス様ぁ、助けて……」

 かつてピンク色のふんわりとした髪を誇っていたミラ元男爵令嬢は、修道院の厳しい戒律により、その髪を無惨にも丸刈りにされていた。

 粗末なウールの修道服に身を包み、嘘泣きをして同情を引こうとするが、周囲の修道女たちは一切の感情を交えず、ただ冷酷に鞭を鳴らす。

「私語は厳禁です。あなたの横領の罪は、一生をかけて神と帝国に償うべきもの。さあ、ノルマが終わるまで夕食の麦粥はお預けですよ」

「い、嫌ぁぁぁっ! 私は男爵令嬢なのよぉっ!」

 いくら叫ぼうが、泣き喚こうが、もはや彼女に騙される「温室育ちの愚か者」はこの修道院には一人もいない。

 彼女もまた、自らが犯した罪の重さを、一生をかけて物理的・精神的に清算していく運命にあった。

 ——こうして、帝国を揺るがした愚か者たちは、誰の記憶にも残ることなく、社会の最底辺へと完璧に消え去っていったのである。

***

「……ふくしゅんっ!」

 アバロン公爵邸の美しい廊下を歩いていたリベラは、突如として小さく可愛らしいくしゃみをした。

「おや、風邪かな? リベラ。温かいハーブティーを用意させようか」

「いえ、大丈夫です。どこかの誰かが、地下深くか雪山で私の悪口でも言っているのでしょう」

 リベラは片手で口元を押さえながら、隣を歩くルーファス公爵を見上げた。

 本日は、彼女がアバロン公爵領の『特命最高法務執行官』に就任して初日の朝である。

 リベラはタローマン特製の機能性生地を使用しつつ、一流の仕立て職人に作らせた『ミッドナイトブルーのパンツスーツ』に身を包んでいた。

 完璧な令嬢としてのドレス姿も美しいが、動きやすさと法務官としての威厳を兼ね備えたこの戦闘服スーツ姿は、ルーファスのストライクゾーンをど真ん中で撃ち抜いていた。

(……ああ、美しい。その冷徹な視線と引き締まったスタイルで、私を法廷で容赦なく論破してほしい)

 ルーファスは内心の変態的な願望を完璧なポーカーフェイスで隠しつつ、彼女をエスコートする。

 ちなみに、親友のキャルルは「公爵邸の騎士団の朝稽古に混ざってくる!」と嬉々としてダブルトンファーを構え、庭へ飛び出していった。(数分後には騎士たちが全滅する未来が見えるが、今は気にしないでおく)。

「さあ、ここが今日から君の新しい『執務室』だ。最高法務執行官に相応しい環境を整えさせたつもりだよ」

 ルーファスが重厚なオーク材の扉を開ける。

 リベラは「どれどれ」と足を踏み入れ——その瞬間、ピタリと動きを止めた。

「…………ルーファス様?」

「どうだい? 気に入ってくれたかな」

 部屋自体は素晴らしいものだった。

 壁一面の魔導本棚、陽の光が差し込む大きな窓、人間工学に基づいてドワーフの技術で作られた最高級の執務椅子。

 デスクの横には、ゴルド商会の最新型である『魔導通信石アレイ』と、スイーツを常に最適な温度で保存できる『魔法保冷ボックス』まで完備されている。

 だが、問題はそこではない。

「なぜ、私のデスクが……あなたのデスクと『2メートル』しか離れていないのですか?」

 そう。

 リベラの専用執務室として用意されたのは、あろうことか『ルーファス公爵の執務室のど真ん中』だったのである。

 巨大な宰相用デスクのすぐ隣に、リベラ用のデスクがぴったりと寄り添うように配置されていた。

「これでは、完全に同室ではないですか! 特命法務官の部屋は独立しているべきです!」

「これでも最大限に譲歩した結果なのだがね。私としては、君の指定席は『私の膝の上』だと提案したはずだ」

 ルーファスは一切悪びれることなく、むしろ「2メートルも離れてしまって寂しい」と言わんばかりに肩をすくめた。

「そもそも、君は私の婚約者だ。宰相である私と、特命法務官である君が常に連携を取り合えるこの配置は、帝国の国益から見ても極めて合理的だろう?」

「詭弁です! これはただの公私混同、ならびに職権濫用ですわ!」

 リベラは抗議の声を上げながらも、ルーファスに半ば強引に椅子へと座らされた。

 座ってみると、椅子のクッション性は完璧で、デスクの高さも彼女の身長に寸分の狂いもなく調整されている。腹が立つほど快適だった。

「さあ、特命最高法務執行官殿。君の初仕事だ。……まずは、これを捌いてもらおうか」

 ルーファスがリベラのデスクに置いたのは、数十冊に及ぶ分厚い魔導バインダーの束だった。

「これは?」

「我がアバロン公爵領内で、法網を潜り抜けて脱税や不法な領民搾取を行っている『悪徳貴族たち』のリストと、その不正の証拠だ」

 ルーファスの声から、甘さがスッと消え、冷徹な為政者の顔が現れた。

「奴らは帝国の古い法律の穴を突き、狡猾に私腹を肥やしている。私の権力で力業で潰すことも可能だが、それでは反発を招く。……君のその完璧な『法務知識』で、奴らを合法的に、完膚なきまでに追い詰め、全財産を差し押さえてほしい」

 その言葉を聞いた瞬間。

 リベラの内面に眠っていた『悪人専門弁護士』の血が、ドクンと音を立てて沸き立った。

 完璧な証拠。絶対的な権力を持つ後ろ盾。そして、裁かれるべき悪党たちのリスト。

 これほど法務官の腕が鳴るシチュエーションはない。

「……なるほど。私に、公爵領のゴミ掃除リーガル・クリーニングをしろと」

 リベラの唇に、極妻顔負けの、しかし最高に知的な獰猛な笑みが浮かんだ。

 先ほどまでの「2メートル近すぎる!」という抗議など一瞬で頭から吹き飛び、彼女はバインダーを勢いよく開いた。

「いいでしょう。商会の契約書一つまともに読めないバカ皇子の相手よりは、いくらか歯ごたえがありそうですわね。……ルーファス様、全件、起訴状と財産差し押さえ命令の草案を本日中に作成いたします。印鑑のご用意を」

「ふっ……頼もしいことだ。私の見込んだ通りの美しき猛獣だよ」

 猛烈な勢いで書類を読み込み、魔導ペンを走らせるリベラ。

 彼女が仕事モードに入ると、周囲の音が一切耳に入らなくなる前世からのワーカホリックな癖が発動する。

 ルーファスは自らの執務を進めつつも、隣で完璧な横顔を見せるリベラを、時折熱っぽい視線で見つめていた。

 数時間が経過し。

「……よし。これで第三派閥の脱税ルートの論破は完了。次は——んっ?」

 集中していたリベラの口元に、突如として何かが差し出された。

 それは、サクサクのシュー生地に、最高級のチョコレートがコーティングされた『王室御用達の特製エクレア』だった。

「仕事に没頭するのは素晴らしいが、脳が糖分を欲している頃だろう? さあ、あーんして」

 ルーファスが、自らの執務の手を止め、身を乗り出してリベラにエクレアを差し出していた。

「っ! る、ルーファス様! 私は今、極めて重要な起訴状を——」

「いいから。これを食べないと、書類の決裁印は押さないよ」

「なっ、そんな公私混同な……っ!」

 抗議しようとしたリベラだったが、エクレアから漂う芳醇なカカオの香りに、強靭な理性がまたしても敗北した。

 彼女は周囲を見回し(部屋には二人きりだが)、顔を真っ赤にしながら、パクリとエクレアに噛み付いた。

「……んっ、美味しい……」

「そうだろう? 口元にチョコレートがついているよ。……ふふ、仕事中は冷徹な判事殿なのに、お菓子を食べると途端に小動物のようになる。本当に君は飽きないな」

 親指でリベラの唇を拭い、嬉しそうに微笑む氷の公爵。

 リベラは「もうっ!」とそっぽを向きながらも、その手から逃れることはしなかった。

 五割の塩対応と、二割のデレ。

 そして、三割の絶対的な信頼。

 バカ皇子との無意味な日々は終わりを告げた。

 ここからは、最強の天才弁護士と、底知れぬ執着を抱く冷徹公爵による、帝国全土を巻き込んだ『法と溺愛の無双劇』が始まるのだ。

読んでいただきありがとうございます。

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