EP 13
戦い終えて、極上のスイーツタイム――悪徳弁護士の休息と、公爵様の過保護な膝の上
ルナミス皇城の空中庭園での『一方的な大虐殺(合法)』から数十分後。
アバロン公爵家の紋章が刻まれた豪奢な漆黒の馬車は、王都の石畳を滑るように進んでいた。
ドワーフの最先端技術による完璧な防振魔法のおかげで、車内には揺れ一つなく、静寂と優雅な時間が流れている。
——ただし、その車内の座席の配置は、極めて『非日常的』なものだった。
「…………っ、〜〜〜っ!」
リベラ・ゴルドは、顔から火が出るほどの羞恥に耐えながら、銀の匙を動かしていた。
口に運ばれるのは、王都で最も予約が取れない名店『エトワール』の季節限定・特製フルーツパフェ。みずみずしい桃と、最高級の乳牛から絞られた濃厚なクリーム、そしてサクサクのパイ生地が織りなすハーモニーは、まさに至福の味である。
スイーツの味は完璧だ。
しかし、問題は彼女の『座っている場所』である。
「どうだい、リベラ。パティシエには特別に糖度を調整させたのだが、君の口に合ったかな?」
「……味は、完璧です。ですがっ、ルーファス様!」
リベラは匙をピタリと止め、自身の腰にしっかりと回されている逞しい腕をジト目で睨みつけた。
そう。彼女は今、馬車のふかふかなソファではなく、ルーファス・アバロン公爵の『膝の上』にすっぽりと収まり、彼に背中を預ける形で座らされていたのである。
「もうパフェの氷魔法は解けかけていますし、話し合いも終わりました! そろそろ降ろしてください! いくらなんでも、馬車の中で成人男性の膝の上に座り続けるなど、淑女の……いえ、法務官の矜持に反します!」
「おや、まだ『雇用条件のすり合わせ』が終わっていないじゃないか。特命最高法務執行官殿」
ルーファスは一切降ろす気配を見せず、むしろリベラの華奢な身体をさらに深く自分の胸に引き寄せた。
彼の低い笑い声が、背中越しにリベラの身体へと直接響いてくる。
「それに、君は先ほど『優秀な弁護士たるもの、クライアントの要望には耳を傾けなければならない』と言ったはずだ。私の今の最大の要望は、戦い終えて疲れた君を、こうして心ゆくまで甘やかすことなのだから」
「それは、パフェをいただくための口実であって……っ!」
「さあ、クリームが溶けてしまうよ? あーん」
ルーファスはリベラの手からスッと銀の匙を奪い取ると、パフェをすくい、彼女の口元へと運んだ。
逃げ場のない密室。背後からは極上のオスの匂いと体温。そして目の前には、抗いがたい極上スイーツ。
(……くっ、この男、私の弱点を完全に掌握している……!)
リベラは前世からの『甘いものへの執着』と『弁護士としての理性』の間で数秒間激しく葛藤したが、最終的には抗議の声を飲み込み、パクリと匙に噛み付いた。
「……んっ、美味しいですけど……職権濫用で訴えますからね」
「ああ、喜んで受けて立とう。私の法廷(領地)でね」
ぷいっとそっぽを向くリベラ(ただし口の周りには少しクリームがついている)と、それを愛おしそうに見つめるルーファス。
そんな糖度過多な二人を向かいの席から見ていたキャルルは、呆れたように長いため息をついた。
「……公爵サマ。アンタ、リベラが『塩対応』すればするほど嬉しそうに笑うよね。控えめに言ってドMなの?」
「失礼な。私はただ、彼女の知性と誇り高き魂を愛しているだけだ。簡単に靡かないからこそ、こうして甘やかして絆していく過程がたまらなく愛おしいのだよ」
「うわぁ、本物の変態だ。リベラ、こんな奴に騙されちゃダメだよ?」
「騙されてなどいません! 私はただ、労働対価としてパフェをいただいているだけです!」
顔を真っ赤にして言い張るリベラに、キャルルは「はいはい」と兎耳を揺らした。
「まぁ、あのバカ皇子一家をボコボコにしてスッキリしたし、リベラが楽しそう(?)だからいっか。……で? 公爵サマ、私への『報酬』はちゃんと用意してあるんでしょうね? リベラの護衛と、大理石のテーブル粉砕作業、結構闘気を使ったんだけど」
「無論だとも、ウサギのお姫様。屋敷に着いたら、君のために最高の品を用意してある」
ルーファスが不敵に微笑んだ直後、馬車はゆっくりと速度を落とし、アバロン公爵邸の広大なエントランスへと滑り込んだ。
***
「——おおおぉぉぉっ!! なにこれ、すごい!!」
公爵邸のプライベート・サロンに通された瞬間、キャルルの瞳が星のように輝いた。
彼女の目の前のテーブルに鎮座していたのは、高さ五十センチはあろうかという、巨大な『特製キャロットケーキ』だった。
ポポロ村で採れた最高級の甘い月見人参をふんだんに使用し、間にはハニーかぼちゃの濃厚なクリームがたっぷりと挟み込まれている。一番上には、マジパンで作られた可愛いウサギの飾りが乗っていた。
「アバロン公爵家お抱えのパティシエに、君の好みを徹底的にリサーチして作らせた、三段重ねの特製キャロットケーキだ。心ゆくまで堪能してくれ」
「やったぁぁっ! 公爵サマ、最高! アンタいい奴じゃん!」
キャルルは歓喜の声を上げ、凄まじい勢いでケーキに入刀し、頬張り始めた。
「んん〜っ! スポンジがふわっふわ! 人参の甘みとクリームのコクが絶妙! やばい、これ無限に食べられる!」
「キャルル、少しは落ち着いて食べなさい。喉に詰まらせるわよ」
ようやくルーファスの膝の上から解放され、サロンのふかふかのソファに深々と腰を下ろしたリベラが、呆れたように声をかける。
「だって美味しいんだもん! ねぇリベラ、私、このケーキを作れるパティシエがいるなら、公爵サマとの結婚に賛成する! 午後はゆっくり二人でイチャイチャしてていいよ!」
「ちょっと! 人参ケーキ一つで親友を売らないでちょうだい!」
「ふっ……安い交渉だったな。今後もパティシエには腕を振るわせよう」
ルーファスは愉快そうに笑い、リベラの隣に腰を下ろした。
キャルルが巨大なケーキに夢中になっているため、実質的に二人の世界である。
リベラはソファの背もたれに体重を預け、ようやく『完璧な令嬢』と『冷徹な法務官』の鎧を少しだけ脱ぎ捨てた。
小さく、しかし深い安堵のため息を漏らす。
「……お疲れかな? 私の無敗の弁護士殿」
ルーファスが、最高級のダージリン・ティーが注がれたティーカップをリベラへと差し出した。
「ありがとうございます。……ええ、少しだけ。頭脳労働というよりは、あのユリウスの『お花畑な思考回路』を理解し、論破するための精神的な疲労が大きいですわね。前世……いえ、今まで色々な悪党を見てきましたが、あそこまで底の浅い無能は珍しいです」
「同感だ。だが、君の『おんどれ』から始まる怒涛の尋問は、芸術的なまでに美しかった。あの場にいた全員が、君の迫力に震え上がっていたよ」
ルーファスのからかうような言葉に、リベラはティーカップを口元に運んだまま、ピタリと動きを止めた。
「…………忘れてください」
「ん?」
「あれは、その、極限のストレスによって引き起こされた、一時的な人格のバグです! 私の弁護士としての信条は『罪を憎んで人を憎まず』。あのような下品な言葉遣いで恫喝するなど、本来の私ではありませんっ!」
赤面しながら必死に言い訳をするリベラ。
前世の『元レディース総長』の血が騒いでしまったのは事実だが、今の彼女はあくまで完璧な公爵令嬢(設定)なのだ。あの極妻モードを大絶賛されるのは、ひどく居心地が悪かった。
「バグでもなんでも構わないさ。私を魅了するには十分すぎるスパイスだった」
ルーファスはリベラの髪にそっと手を伸ばし、解けかかっていた後れ毛を優しく耳にかけた。
その体温の籠もった指先が、リベラの首筋をかすめる。
「ひゃっ……」
「リベラ。君は今日、帝国を一つ救った。君が裏で全てを回していたという事実を、皇帝陛下自らが公式に認められたのだ。……これで、君を不当に貶める者は、この帝国のどこにもいなくなった」
ルーファスの声は、どこまでも優しく、そして深かった。
リベラはカップをソーサーに置き、小さく息をついた。
「……ユリウスとミラ。彼らの処遇はどうなりましたか?」
「情報部からの報告によれば、ユリウスの身柄は既にゴルド商会の私兵部隊に引き渡され、ドンガン地下帝国へ向かう護送馬車に詰め込まれたそうだ。皇帝陛下の勅命とあっては、誰も彼を庇う者はいない。……文字通り、彼は一生地下でツルハシを振るうことになるだろう」
「ミラ男爵令嬢は?」
「彼女の生家は即日取り潰しだ。父親は闇金融への詐欺罪で投獄。ミラ本人は、君の指定した通り『極寒の修道院』へと送られた。……彼女の髪を丸刈りにする際、ずいぶんと泣き叫んでいたそうだがね」
ルーファスの報告を聞き、リベラの唇に『悪人専門弁護士』としての、冷たくも満足げな笑みが浮かんだ。
「妥当な判決です。国家予算を私物化し、あまつさえ私の名誉を傷つけたのですから。借金850万ゴールドの重みと共に、底辺から己の罪を見つめ直していただきましょう」
「ああ。君の描いた完全包囲網は、見事に完成した」
ルーファスは微笑み、ふと、リベラの肩に自らの手を置いた。
そして、彼女の凝り固まった肩の筋肉を、絶妙な力加減で揉みほぐし始めたのだ。
「えっ? る、ルーファス様……?」
「肩が張っている。ずっと気を張っていたのだろう。少し力を抜け、リベラ」
彼の大きく温かい手が、リベラの華奢な肩を優しく、しかし確かな技術で解していく。
そのあまりの心地よさに、リベラの口から「あっ……んん……っ」という、艶っぽい声が漏れそうになる。
「ちょっ、まっ……ストップです! 帝国筆頭公爵たるお方に、肩揉みをさせるわけにはいきません!」
「私の婚約者を労って何が悪い。それに、君は私の『特命最高法務執行官』だろう? 優秀な部下のメンテナンスも上司の務めだ」
「それは詭弁です! は、離して……っ」
リベラは必死に身を捩ろうとするが、ルーファスの手技が的確すぎて、身体からすっかり力が抜けてしまっていた。
前世からのワーカホリックな気質ゆえに、彼女の肩は慢性的なコリに悩まされていたのだ。そこをピンポイントで狙い撃ちされては、強靭な理性も白旗を上げるしかない。
「……どうだ? 痛くはないか?」
「い、痛くは……ありません……。むしろ、すごく……気持ち、いい、です……」
抗うのを諦め、ふにゃりとソファに沈み込むリベラ。
彼女の5割を占めていた『塩対応』の防壁が、ルーファスの過保護すぎるマッサージによってトロトロに溶かされていく。
「ふふ、素直でよろしい。君は有能すぎるがゆえに、一人で全てを背負い込みすぎる。……これからは、私という『逃げ道』を存分に使うといい。君が世界中を敵に回して法廷で無双するなら、私が君の絶対的な盾となろう」
「……ルーファス様は、本当に変わり者ですね」
リベラは目を細め、心地よい微睡みの中でポツリと呟いた。
「普通、私のような可愛げのない、理屈っぽくて計算高い女を妻にしようだなんて思いませんよ? ましや、850万ゴールドの借金を笑顔で叩きつけるような女を」
「計算高くて大いに結構。理屈っぽいのも大歓迎だ。……私は、自分の隣に立つ女性には『私と同じか、それ以上の知性と野心』を求めている。君のその牙は、私にとってどんな宝石よりも美しく輝いて見えるのだよ」
ルーファスの手が、肩からゆっくりと下り、リベラの手を優しく包み込んだ。
そして、彼女の手の甲に、誓いの口づけを落とす。
「君を愛している、リベラ。私の生涯をかけて、君のその優秀な頭脳に最高の舞台を用意し、そして……君の全てを甘やかして堕落させてみせよう」
「……っ。本当に、タチの悪いお方……」
顔を真っ赤に染めながら、リベラはついにルーファスの肩にコテンと頭を預けた。
彼女の心の中に秘められていた『2割の恋愛感情』が、ゆっくりと、しかし確実に3割、4割へと膨らんでいくのを自覚しながら。
(……まぁ、いいわ。たまにはこうして、無制限に甘やかされるのも悪くないかもしれないわね。……今日だけは、特別に)
暖かな日差しが差し込むサロン。
特大のキャロットケーキを幸せそうに頬張る兎耳の親友の傍らで。
無敗を誇る悪人専門の天才弁護士は、氷の公爵が仕掛ける『極上の過保護』という名の牢獄に、自ら喜んで囚われていくのだった。




