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EP 11

合法的な完全包囲網——八百五十万ゴールドの絶望と、完璧な強制労働プラン

「……は、はっぴゃく、ごじゅうまん、まい……?」

 ユリウス・ルナミスの口から、焦点の定まらない虚ろな声が漏れた。

 金貨850万枚。日本円にして約850億円。

 一国の次期皇帝であった彼ですら、見たことも聞いたこともない天文学的な数字である。国庫を空にしてまで贅沢を尽くしてきた彼だが、個人の資産としてそれほどの額を捻出できるはずがない。

「る、ルーファス公爵……正気ですか……っ! そんな額、払えるわけが……」

「払えるわけがない? 奇遇だな。私もそう思う」

 ルーファスは美しい唇に冷酷な弧を描き、ゴミ虫でも見るような目でユリウスを見下ろした。

「だが、君はそれだけの重罪を犯したのだ。帝国を裏で支え続けたゴルド商会への債務不履行、そして帝国筆頭公爵たる私の『未来の妻』に対する重大な名誉毀損。……ああ、そうだ。皇帝陛下」

 ルーファスはスッと視線をずらし、背後に立つマルクス皇帝へと声をかけた。

「この請求、まさか皇室の国庫からお支払いいただけるわけではありませんよね? 今の帝国に、そのような余剰資金はないはずですが」

「当然だ」

 マルクス皇帝は腕を組み、実の息子に対して完全なる『切り捨て』の宣告を下した。

「先ほども申した通り、ユリウスはもはや帝国の次期皇帝ではない。本日この刻をもって、皇族としての身分を剥奪し、平民へと降格させる。よって、この莫大な負債は『ユリウス個人の責任』において返済させるものとする。皇室は一ゴールドたりとも補填せぬ!」

「ち、父上ぇぇっ!? そ、そんな殺生な! 皇室を追放されたら、私はどうやって生きていけばいいのですか!」

 完全に退路を断たれ、地べたに這いつくばって泣き叫ぶユリウス。

 そんな彼の姿を、リベラは冷え切った法務官の目で見下ろしていた。極妻モードのドスを利かせた恫喝はすでに収まり、彼女の頭脳は再び氷のような『法的処理』のフェーズへと移行している。

「どうやって生きていくか、ですか? 心配ご無用ですわ、元・殿下」

 リベラはイブニングバッグから新たな書類を取り出し、パラリと広げた。

「ゴルド商会は、債務者に対して非常に手厚い『就業支援プログラム』をご用意しております。あなたが一生涯、雨風を凌ぎ、三食の温かい(とは限らない)ご飯を食べながら、健全に借金を返済できる素晴らしいプランです」

「しゅう、ぎょう……?」

「ええ。まずプランA。我が商会と友好条約を結んでいる『ドンガン地下帝国』での鉱山労働です。気温五十度を超える灼熱の地下深くで、一日十八時間、ツルハシを振るってミスリル鉱石を掘り出していただきます。時給は銅貨一枚。このペースで行けば、おおよそ四百年ほどで完済できますわね」

「よ、よんひゃくねん……っ!?」

「そしてプランB。海中国家シーランの近海で操業している『マグローザ漁船』への乗船です。巨大な人食い魚であるマグローザを、命綱一本で一本釣りしていただく非常にエキサイティングな職場ですわ。こちらは危険手当がつきますので、時給は銅貨三枚。完済までは約百五十年。いかがでしょう?」

 リベラが完璧な営業スマイルで提示した二つの選択肢は、どちらも文字通りの『地獄行き』であった。

「な、なんだそれは! 私は元皇族だぞ! そんな奴隷のような真似ができるか!」

「おや、働かざる者食うべからずですよ? それとも、臓器と魂を売却して一括返済なさいますか? まぁ、あなたの空っぽの脳みそでは二束三文にしかならないでしょうけれど」

「ひぃっ……!」

 淡々と、しかし一切の慈悲を持たないリベラの追い込みに、ユリウスは完全に心を折られた。

 法網を潜り抜け、あらゆる証拠を揃え、さらに上位の権力(公爵と皇帝)で外堀を完璧に埋め尽くす。

 これこそが、悪人専門弁護士・桜田リベラの真骨頂『合法的な完全包囲網』である。

「ゆ、ユリウス様ぁ……っ」

 そこに、気絶から目を覚ましたミラが、ふらふらと身を起こした。

 彼女は状況が完全に絶望的であることを察し、泣きじゃくりながらユリウスにすがりつこうとした。

「ミラも、ミラも一緒に働きますぅっ! だから、見捨てないで——」

「触るなっ、この疫病神がぁっ!」

 バシッ!

 ユリウスは、あろうことかミラの顔を平手で思い切り打ち払った。

「きゃああっ!?」

「お前がっ、お前のような詐欺師の女が私に近づかなければ、こんなことにはならなかったんだ! 全てはお前が私を唆したせいだ! 私は騙された被害者だぞ!!」

 つい先ほどまで「真実の愛」とやらを語り合っていた二人が、泥沼の責任のなすりつけ合いを始める。

 見苦しいことこの上ないその修羅場を、リベラは冷たい目で見下ろした。

「ミラ元男爵令嬢。あなたにも、もちろん相応の『就業支援』をご用意してありますわよ」

「え……?」

「あなたは国庫からの横領と、密輸という国家反逆罪の共犯。本来ならば即刻処刑ですが……私は『罪を憎んで人を憎まず』を信条としておりますので。命だけは助けて差し上げます」

 リベラはにっこりと、悪魔よりも恐ろしい微笑みを浮かべた。

「帝国の最北端にある『極寒の修道院』にて、一生涯、朝から晩まで陽薬草の栽培と糸紡ぎに従事していただきます。私語は厳禁、食事は一日一回の麦粥のみ。そこで、ご自身の犯した罪と向き合い、魂を浄化してくださいませ」

「い、いやぁぁぁっ! そんなの嫌ぁぁっ! 私は男爵令嬢なのよぉっ!」

 髪を振り乱して絶叫するミラ。

 しかし、その無様な抵抗を終わらせたのは、リベラの後ろで退屈そうにあくびをしていたキャルルだった。

「うるさい。少しは静かにしろ、この三流詐欺師」

 ドンッ!!

 キャルルが床を軽く踏み鳴らすだけで、大理石が砕け、凄まじい衝撃波がユリウスとミラを襲った。

 物理的な圧倒的格差を前に、二人は完全に沈黙する。

「……見事な手際だ。まさに完全なる勝利だな、リベラ」

 ルーファスが、うっとりとした眼差しでリベラの肩を抱き寄せた。

「これで、彼らの一生は帝国法とゴルド商会の債務によって完全に縛り付けられた。逃げることも、死ぬことすら許されない、合法的な無間地獄だ」

「ええ。これこそが、私から彼らへの『最大のざまぁ』ですわ。法と契約を蔑ろにする者には、法と契約によって破滅していただく。それが最も美しく、社会のためになる解決法ですから」

 リベラはルーファスの腕の中で、満足げに微笑んだ。

 彼女の計算通り、元婚約者一家は社会的に、そして経済的に完全に抹殺された。帝国を揺るがした婚約破棄事件は、これ以上ないほど鮮やかな『合法的な逆襲』によって幕を下ろしたのだ。

「連れて行け。二度と私の視界に入れるな」

 マルクス皇帝の重々しい命令が下る。

 近衛兵たちが一斉に動き、手足を縛られたユリウスとミラが、無様に引きずられながら空中庭園から連行されていく。

 彼らの口から漏れる絶望の呻き声が、遠ざかるにつれて小さくなっていくのを、リベラは静かに見送った。

「さて……」

 厄介払いが完了し、庭園に爽やかな風が吹き抜ける。

 リベラはふぅ、と息を吐き、完璧令嬢の姿勢を崩して、隣のルーファスを見上げた。

「これで私の『公務』は全て終了いたしました。ご協力感謝いたしますわ、ルーファス様。……ですが」

 リベラは、自分の腰に回されているルーファスの腕を、ジト目で睨みつけた。

「先ほどの『求婚』とやら。あれは、ユリウスを追い詰めるためのブラフ(法廷戦術)ですよね? 事前に打ち合わせになかったカードを切られると、法務官としては少々困るのですが」

「ブラフ? とんでもない」

 ルーファスは一切悪びれる様子もなく、むしろリベラをさらに強く引き寄せた。

 その切れ長の美しい瞳には、隠しきれない独占欲と、狂気すら孕んだ極甘の熱が宿っていた。

「私は本気だ。君のその有能さ、その獰猛さ、そして甘いお菓子を頬張る時の無防備な可愛らしさ……全てを私のものにしたいと、ずっと望んでいたのだから」

「なっ……!?」

「皇帝陛下の御前で、堂々と宣言したのだ。帝国法においても、もはや君は私の『正式な婚約者』だよ。……さあ、戦い終えた美しい猛獣よ。私の腕の中で、一生涯甘やかされる覚悟はできているかな?」

 法廷(修羅場)では無敵を誇る元・悪人専門弁護士。

 しかし、この帝国最高の権力者による『合法的な逃げ道封じの溺愛』という名の包囲網からは、どうやら彼女自身も逃れることはできそうになかった。

読んでいただきありがとうございます。

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