EP 10
目覚める極妻魂——「おんどれ、誰に向かって口叩いとんじゃ、あぁ?」
「おんどれ、誰に向かって口叩いとんじゃ、あぁ?」
ルナミス皇城の最上層に位置する空中庭園。
美しい花々と、神聖な静寂に包まれるべきその場所は、たった一言の、地獄の底から響くような『方言』によって、完全に支配された。
「ひぃっ……!?」
ユリウス皇子は、自らをトンと小突いた純金製の煙管(無臭タイプ)と、それを持つリベラの顔を見て、思わず情けない悲鳴を上げた。
そこにあるのは、常に完璧な微笑みを絶やさなかった『ゴルド商会の令嬢』の顔ではない。
前世で日本政府の首席国際法務官として幾多の悪徳政治家を震え上がらせ、それ以前はレディース総長として修羅場を仕切ってきた、桜田リベラの『本性』。
背後に般若の幻影すら見えそうな、極限までドスの利いた凄みが、圧倒的なプレッシャーとなってユリウスを押し潰そうとしていた。
「き、貴様……っ、なんだその言葉遣いは! 私は皇族だぞ! 生まれながらにして高貴なる血を引く——」
「ええ加減にせえよ、温室育ちのクソガキが」
リベラの一喝が、ユリウスの言葉を物理的な暴力のように叩き切った。
「血筋じゃと? 生まれじゃと? 笑かすなや。おどれのその『高貴な血』とやらが、この三年間、帝国の経済に一ゴールドでも利益を生み出したんか? あぁ?」
「な……っ」
「おどれが偉そうにハンコ押しとる裏で、誰が徹夜で魔導兵器の関税交渉をまとめあげたんじゃ。誰が他国との戦争の火種を揉み消してやったんじゃ。全部、おどれが『平民上がり』と見下しとる、このゴルド商会の娘の頭脳じゃろうが!」
リベラは煙管の先で、ユリウスの胸元——豪華な勲章が飾られた式服を、ガンッ、ガンッと容赦なく小突いた。
「おどれがふんぞり返って着とるその服も、毎日飲んどる高級な茶も、全部うちら商人が血反吐吐いて回しとる経済の上に乗っかっとるだけじゃ。生まれがええだけで、努力もせえへん、法も学ばん、契約書すらまともに読めん無能が、どの口下げて血筋を語るんじゃ、ボケェ!」
圧倒的な迫力と、一切の反論を許さない正論の絨毯爆撃。
ユリウスは完全に言葉を失い、ガチガチと歯を鳴らすことしかできない。
リベラの放つ気迫は、ただの怒りではない。修羅場を潜り抜けてきた絶対的強者の『殺気』そのものだった。
「ひ、ひぃぃ……っ、ごめんなさい、ごめんなさいぃっ!」
傍でへたり込んでいたミラ男爵令嬢が、リベラの恐ろしさに耐えきれず、ガタガタと震えながら命乞いを始めた。
「おんどれもじゃ、三流の詐欺師」
リベラの冷酷な一瞥が、ミラを射抜く。
「男に媚びて金引き出すんが悪いとは言わん。それも一つの生存戦略じゃ。……じゃがな、国庫の金に手ェ出して、あまつさえ横領と密輸で私腹肥やすたぁ、ええ度胸しとるのう。おどれらのやっとることは、法治国家の根幹を揺るがす『害悪』なんじゃ」
「あうぅっ……! リベラ様、お助けを、お助けをぉ……っ!」
「泣いて済むなら警察はいらんのじゃ。おどれらが犯した国家反逆罪と横領罪。新六法全書の規定に従うて、きっちり骨の髄まで責任取らしたるから覚悟せえよ」
完全に極妻モードが仕上がったリベラの恫喝に、ミラはついに白目を剥いてその場に気絶してしまった。
その惨状を少し離れた場所から見ていたキャルルは、魔導コンロで淹れたポポロ・コーヒーをずずっ、と啜りながら、兎耳をピコピコと揺らした。
「あーあ。リベラのスイッチ、完全に入っちゃった。あのモードになったリベラ、私でも止められないんだよねー」
「……見事だ」
キャルルの呟きに重なるように、熱のこもった低い声が響いた。
皇帝マルクスの背後に立つ『氷の公爵』ルーファスである。
彼はリベラの豹変に驚くどころか、むしろその暴力的で獰猛な美しさに完全に魅了されていた。
普段の完璧な令嬢の仮面をかなぐり捨て、自らの正義と法理を、魂を削るような迫力で叩きつける彼女の姿。それは、ルーファスが求めてやまない『真の有能さ』の究極の形だった。
「ああ、なんという美しさだ……。あの燃え盛る炎のような覇気。私の氷でさえも溶かしてしまいそうな、圧倒的なまでの魂の輝き。……ますます君を手放せなくなったよ、リベラ」
「ちょっと公爵サマ。アンタ、趣味悪くない? あそこまでガチ切れしてるリベラを見て恍惚としてるとか、変態の領域だよ?」
キャルルがジト目でツッコミを入れるが、ルーファスは気にも留めない。
一方、皇帝マルクスは、リベラのあまりの迫力と口調の変化に目を丸くし、軽く冷や汗を流していた。
(……ゴルド商会の令嬢は、優秀な法務官だとばかり思っていたが。あの凄まじい気迫……。若い頃の戦場を思い出すほどの殺気ではないか。ユリウスの奴、とんでもない地雷を踏み抜きおって……)
皇帝ですらたじろぐプレッシャーの中、リベラは煙管をふぅと一吹きし、再びユリウスへと冷酷な視線を落とした。
「さて、ユリウス・ルナミス」
リベラの声が、極道のドスから、再び冷徹な『法務官』のトーンへとシームレスに切り替わる。
感情を爆発させたように見せて、彼女の頭脳は常に『法と契約』という氷のような冷静さを保っているのだ。
「あなたの言う『皇族の特権』は、先ほど皇帝陛下によって公式に否定されました。そして、私に対する不当な侮辱も、この場にいる全員が証人です。
……改めて、法に基づきご請求申し上げます。私の業務代行費、精神的苦痛の慰謝料、ならびにゴルド商会への債務返済。しめて金貨350万枚」
リベラはイブニングバッグから、すでに作成済みの『債務承認ならびに財産差し押さえ同意書』を取り出し、ユリウスの目の前に突きつけた。
「お支払いの意志がない、もしくは不可能である場合、帝国法に基づき、あなたの所有する私有地、美術品、ならびに『皇族としての身分』を担保として差し押さえさせていただきます。……サインを」
「あ、あぁ……っ。い、嫌だ……私は、私は次期皇帝……っ。こんなものに、サインなど……っ!」
ユリウスはガクガクと震える手で頭を抱え、後ずさろうとした。
まだ現実を受け入れられない、哀れな男の最後の逃避。
だが、その逃げ道を塞ぐように。
コツ、コツ、と重厚な足音を響かせ、漆黒のマントを翻したルーファス公爵が進み出た。
「——まだ自分の立場が理解できていないようだな、愚物め」
ルーファスはユリウスを見下ろし、絶対零度の冷気を纏った声で告げた。
「君は、私の愛する婚約者——いや、未来の『アバロン公爵夫人』を、平民上がりと侮辱した。
リベラ嬢が突きつけた350万ゴールドは、あくまで『ゴルド商会と彼女個人』に対する賠償だ。そこに、帝国筆頭公爵家に対する『名誉毀損』の罪を追加させてもらおう」
「なっ……!?」
ルーファスの言葉に、ユリウスだけでなく、リベラすらもピクリと眉を動かした。
(……ルーファス様? 今、さらっと『未来の公爵夫人』と言いませんでした?)
「帝国筆頭公爵家への名誉毀損。これは国家反逆罪に準ずる重罪だ。賠償額は……そうだな。キリよく金貨500万枚(約500億円)を追加、合計で『金貨850万枚』を請求しよう」
「は、はっぴゃくごじゅうまんっ!?」
ユリウスが泡を吹いて倒れそうになる。
一国の国家予算の数年分が吹っ飛ぶ、天文学的な数字。もはや皇室の資産を全て売り払っても足りるかどうかという、完全なる破滅の金額である。
「る、ルーファス公爵……っ! いくらなんでも、それは横暴だ! 私はまだ、お前の婚約者を侮辱した覚えは——」
「今、ここで正式に求婚したのだ。だから彼女は私の婚約者だ。文句があるか?」
ルーファスは事もなげに言い放ち、リベラに向かって極上の、甘く蕩けるような微笑みを向けた。
「そうだね、リベラ? 君の計算高い法務戦術に、私の『権力と財力』を上乗せしよう。さあ、共にこの愚か者を、完全なる絶望の底へと叩き落としてやろうじゃないか」
悪魔のように美しく、そしてタチの悪い氷の宰相の介入。
リベラは一瞬ポカンとしたが、すぐにフッと極妻の笑みを深めた。
「……ええ。お言葉に甘えさせていただきますわ、ルーファス様。法と権力の完全包囲網……これぞまさに、最高の『ざまぁ』ですものね」
二人の最凶タッグを前に、ユリウスの心は、大理石のテーブルと同じように完全に粉々に砕け散ったのである。
読んでいただきありがとうございます。
面白いと思っていただけましたら、★評価やブックマークで応援していただけると励みになります。




