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星間戦争史 ~人類文明の多極化について~  作者: 三田来栖
第一部 シリウス事変

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2/15

プロローグ 「火星の空は赤く」

連邦標準時

2314年3月14日 21時15分


 火星の空は、常にどこか鈍く赤い。


 薄い大気を透かして届く光は弱く、夕暮れのような陰影で覆っている。その低軌道上には、互いに噛み合うように重なった二重環の軌道軍港が広がっていた。その内側では、数百隻の艦艇と無数の補給艇が忙しなく動き続けている。ここは太陽系の要衝――火星軍港。地球連邦最大の軍港だ。


 その日、外周警戒網を抜けた三隻の艦が、静かに入港コースへ乗った。


「識別信号確認。シリウス艦隊所属、駆逐艦『アルクトゥルス』、護衛哨戒艦『ミラ』『プロキオン』」


 通信士の報告に、当直士官の神崎少尉はわずかに視線を上げた。


「シリウス艦隊……」


 短く繰り返す。その響きには、微かな違和感があった。


 先月を最後に、シリウスからの定時連絡は途絶えている。表向きは通信障害と処理されているが、同時期に伝わってきた断片的な報告――現地での大規模な混乱と統制強化――が、頭の片隅に引っかかっていた。


 それでも、目の前の艦は正規の識別コードを発し、規定通りの軌道で帰還してきている。


「損傷報告は?」


「軽微な外装損傷のみ。機関・兵装ともに正常です。ただし……」


「ただし?」


「乗員応答がありません。自動応答のみです」


 神崎は眉をひそめた。


「音声リンクは」


「全チャンネル不通。テキスト応答はありますが、定型文のみです」


「熱源スキャン」


「機関部は正常稼働。ですが……生命反応は検出できません」


 神崎は一瞬だけ考え、そして言った。


「……音声リンク、再試行。艦長を呼び出せ」


「了解。アルクトゥルス、こちら火星管制。艦長応答を求む」


 数秒の空白。


 ノイズすらない、異様に整った沈黙。


 そして――


『……あー、こちら駆逐艦アルクトゥルス、艦長のアルマンド・バルデス少佐だ……やっと繋がったか……』


 軽く息を吐くような声だった。


 少し掠れているが、不自然ではない。むしろ長時間任務帰りの疲労を感じさせる、生々しい声。


 管制室の空気が、わずかに緩む。


「バルデス艦長、こちら火星管制。当直士官の神崎少尉です。状況報告を」


『神崎少尉、か。……悪いな、こっちはちょっとした“地獄帰り”でね』


 わずかに笑う気配。


『通信系がずっと死んでた。ログ見りゃ分かるだろうが、まともに話すのはこれが初めてだ』


 言い回しは砕けているが、階級への配慮は崩していない。事前に閲覧した記録にある艦長の人物像と、完全に一致していた。


「乗員の状態は?」


 神崎の問いに、わずかな間。


 ほんの一拍。


『……ああ、それか』


 声のトーンが少しだけ落ちる。


『医療区画にまとめてる。減圧事故があってな。軽症がほとんどだが、全員が動ける状態じゃない』


 説明は簡潔で、曖昧さもある。だが現実の戦闘後としてはむしろ自然だった。


「生命反応が検出できませんが」


 通信士が小声で付け加える。


 神崎はそれをそのまま投げた。


『センサーの問題だろう。こっちも似たような不具合が出てる』


 即答だった。迷いがない。


『正直、機関以外はボロボロだ。ドックに入れてもらわないと話にならん』


 そして少しだけ、軽口が混じる。


『歓迎パレードは後にしてくれ。今は寝かせてくれればそれでいい』


 管制室の数人が、わずかに笑った。


 あまりにも“いつもの帰還艦長”だった。神崎も、無意識に肩の力を抜いていた。


「了解。ドッキングを許可する。接舷後、医療班を投入――」


『助かる』


 短く、しかしはっきりとした礼。その声音には、安堵すら滲んでいた。


『……ああ、それと』


「何でしょう」


『ドック内、できれば人を減らしてくれ。機関の状態が安定してない。余計なリスクは避けたい』


 もっともらしい理由。むしろ合理的ですらある。


 神崎は一瞬だけ考え――頷いた。


「了解。最低限の要員で対応する」


『Gracias(助かる)』


 ほんの少しだけ、陽気さが混じる。それが逆に、“本人らしさ”を強く印象づけた。


『じゃあな、少尉。着いたら起こしてくれ』


 通信が切れる。


 静寂。だが先ほどまでとは違う。そこには、確かに“人がいた”という感覚が残っていた。


「……ひとまず問題なしだな」


 誰かが呟く。神崎も否定しなかった。


 ログは正常。応答も自然。状況説明も合理的。疑う理由は――どこにもない。


「ドッキング誘導、続行。医療班、準備」


 命令は、いつも通りの調子で発せられた。どこか気の抜けた、日常の延長のような声音で。


 五分後、バルデス少佐率いるシリウス艦隊は火星軍港外環の23番ドックに接舷した。ドッキングポートが完全に繋がり、作業員と医療班が乗り込む。


「……ん? 接舷したってのに誰もいないなんて、この船は怠け者しかいないのか?」


 移乗した作業班長が呆れ気味にぼやき、神崎にコールを入れた。


「神崎少尉、あの〜接舷したってのに誰も出迎えてくれやしませんよ……そちらからも呼びかけをお願いできますか?」


「分かった。移乗要員には追って指示をする。それまでは待機。」


「…了解です」


 班長も神崎も、やや呆れ気味だった。


 神崎は一瞬溜息を吐き、通信士官に顎で合図した。通信士官は苦笑いで頷き、チャンネルを切り替える。


「アルクトゥルス、バルデス艦長?接舷完了しました。お疲れなのは分かりますがいい加減にしてください……」


 数秒間応答を待ったが、静寂のみが返ってきた。


 管制室の全員が訝しむ表情を浮かべる。


 そしてバルデスの応答より先に、別のアラートが点灯した。


「神崎少尉! アルクトゥルス機関部に異常! 反応炉の内部防御系が――」


 言葉が最後まで続かなかった。


 スクリーンの中で、《アルクトゥルス》の炉心温度が、静かに、しかし確実に跳ね上がる。


「制御不能です! 遮断応答なし!」


 刹那、神崎は通信士官を押し退けてマイクに飛びついた。


「バルデス艦長!そちらの機関に暴走の予兆が出ている!直ちに状況報告と対処を求む!」


 普段は冷静な神崎が滅多に見せない焦りだった。


『……すまない! こっちも訳が分からん! 機関部に対処を急がせてい――』


 不明瞭な返信は、反物質炉の内部防御を貫通した多量の放射線によるノイズに飲み込まれ、最後まで続かなかった。


 既に神崎は、バルデスから応答の遅延に対する謝罪と説明がないことに違和感を抱く余裕すらなかった。


 そして苦悶の表情を浮かべながら士官に命令を出した。


「直ちに切り離せ!それと軍港全体に緊急警報発令!アルクトゥルスはもうダメだ!」


「……了解!」


 通信士官も苦悶の表情で応えたが、直後に顔色を変えた。


「ダメです! こちらのシステムが外部からの干渉を受けています! 一切の操作を受け付けません!」


 神崎は端末を操作し、移乗した作業班長のボディカメラ映像を開いた。


 そこには、悶絶し這いつくばる作業員たちの姿が映っていた。


 その場の全員が黙るしかなかった。もう、どうしようもなかった。


 神崎は立ち尽くしたまま、スクリーンを見つめる。そして彼の中に最悪のシナリオが浮かぶ。


 眼前にあるのは、帰還した艦。だが中には、誰もいない。


 最初から、バルデス艦長も乗員たちも存在していなかった。つまり、事前に設定された生成AIによる応答で入港していたのだ。それでもなお、命令だけは正確に遂行されている。


 まるで――


 その瞬間、光が膨張した。


 音は、なかった。


 ただ視界を埋め尽くす白。


 火星軍港のすべてを呑み込む、静かな閃光。


 そして、何もかもが消えた。


 神崎を含む火星軍港の人員の意識は、そこで途切れた。


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