第十二話 「亀裂」
連邦標準時
2314年3月9日 09時20分
太陽系
タイタン地表 ドーム都市「ニュー・ロンドン」
タイタンでは、メタンの雨が鈍い音を立てながら絶え間なく降り続いている。
その雨音がドームを叩く音は、止むことがない。
気温は氷点下を大きく下回り、露出した地表は鋭い岩と氷に覆われていた。
その荒涼とした平原の中に、異様なまでに巨大なドームが鎮座している。
それが、タイタン自治政府の首都――ニュー・ロンドンである。
地上のドーム都市と、地下深くに広がる都市。
その多層構造に加え、灰色の空と雨に煙る景観は、旧時代のロンドンを思わせた。
ドーム外周には、同心円状に広がる物資集積場。
その中心から天へ伸びる巨大構造物――軌道エレベーターは、この衛星の生命線だった。
その基部地下にある複合施設の一室では――
紺色の制服を着た自治政府軍の幕僚と、深青の制服を着た連邦海軍の幕僚たちが、大型テーブルモニターを囲み、激しい議論を交わしていた。
「何度も言いますが、我々の戦力は木星圏の警備で限界です!」
「これ以上の増派は不可能です。連邦海軍の皆様も、現場の状況をご理解いただきたい!」
紺色の幕僚が、疲労を滲ませながら抗議する。
「心外な! 我々とて現場の苦労は理解している!」
「だが今はそんな悠長なことを言っている場合か?」
「連邦の最重要哨戒線が消えたのだぞ!」
深青の幕僚が即座に反論した。
「……それとも、タイタン自治政府は連邦に逆らうつもりか?」
その一言で、空気が凍りついた。
「……なんだと?」
紺色の幕僚が拳を握りかけた、その瞬間――
コツン、と小さな音が室内に響いた。
電子式パイプがテーブルに置かれた音だった。
場が一瞬で静まり返る。
パイプを置いた老紳士――フィリップ中将が、静かに口を開いた。
「いいですかな? そもそも我々自治政府軍は、連邦海軍と対等な関係のはずだ」
「頼み事があるのなら、それ相応の態度で臨んでいただきたい」
柔らかな口調とは裏腹に、その視線は一切揺らがない。
「まさか我々を見下しているとは思いませんが……」
「もう一度、要望を述べていただけますかな?」
口元だけで微笑みながら、深青の幕僚へ視線を向ける。
その圧に押され、深青の幕僚は一瞬言葉を失った。
やがて姿勢を正し、口を開く。
「……先程の非礼をお詫びします。フィリップ中将」
「我々連邦海軍は、エリス宙域からの通信途絶を重く受け止めております」
「未知の勢力による侵攻も想定し、派遣計画を立案中です」
「ゆえに、第四艦隊だけでなく、自治政府防衛軍の皆様にもご助力をお願いしたい」
態度を改めた説明に、フィリップは満足げに頷いた。
「なるほど。哨戒線の消失は確かに重大ですな」
「しかし、先ほど述べた通り、我々は木星圏警備で手一杯です」
「連邦が戦力を補填するのであれば、我々も協力は可能ですが……」
そこで一拍置く。
「それで、タイタンへの増援は可能なのですかな? ニミッツ少将?」
名を呼ばれたニミッツは、苦い表情を浮かべる。
「……最短で一週間。火星司令部に要請すれば、それ以内には」
フィリップはゆっくり頷いた。
「では、我々は一個戦隊を提供しましょう。それが最大限の譲歩です」
ニミッツが思案に沈む。
フィリップはパイプから蒸気を吐き、静かに問いを重ねた。
「……それで、その未知の敵について、本当に何も情報はないのですか?」
(ここは連邦領域だ。だが上下関係などあってはならん)
(それを許せば、この先は持たん……)
フィリップの内心をよそに、ニミッツは首を振る。
「……本当に何もありません。
その宙域だけ、切り取られたかのように――
民間船を含め、すべての通信が消失しました」
「では、その情報は我が戦隊にも共有させていただきます」
連邦側は顔を見合わせ、やがて頷いた。
フィリップは紺色の幕僚に向き直る。
「これでよろしいかな?」
「……はい。ありがとうございます、閣下」
しばらくして――
頭上の軌道軍港から、連邦第四艦隊と自治政府の一個戦隊が静かに出港した。
だがその頃、木星圏の監視網には、原因不明のノイズが現れ始めていた――
◆5日後
連邦標準時
2314年3月14日 21時25分
火星から約300光秒の宙域
地球連邦 火星自治政府防衛軍
デルタ戦隊旗艦 装甲巡航艦「エレバス」
艦長 イヴァン・コスチェンコ中佐
デルタ戦隊は通常通りの哨戒任務を遂行していた。
だが――
「……なんだこれは……」
通信士官がモニターを何度も確認しながら、呟きを繰り返している。
「ありえない……そんな……」
イヴァンはその様子を訝しげに見つめていた。
やがて通信士官が顔を上げる。
「艦長……火星司令部との通信を完全にロストしました」
「加えて、大規模な対消滅反応を検知……爆心地は火星軍港と推定されます」
沈黙。
「……今、何と言った?」
イヴァンの声は低かった。
「火星軍港が……消滅した可能性があります」
理解が追いつかない。
その時――
「索敵システムに転写反応! 240光秒先、一個戦隊規模!」
船務長の報告が飛び込む。
「……なるほど。故障ではないな」
イヴァンは短く息を吐いた。
「地球へ平文で打電」
「『火星軍港、消滅。至急救援求む』」
「了解」
「しかし……星系内ジャンプなど……」と副長が呟く。
「そんなことは後でいい!」
イヴァンが一喝した。
「火星軍港が消えたんだぞ!」
「そしてこの転写反応……犯人だ。追跡しろ!」
CICに緊張が走る。
数分後――
「……座標特定。進行方向、地球圏」
スクリーンには、地球-月L1へ伸びる航跡が表示された。
「航海長、地球へ針路変更」
「機関長、出力最大」
「追撃する」
そして通信が開かれる。
「戦隊諸君。エレバス艦長イヴァン・コスチェンコだ」
「火星軍港が消滅した。犯人は地球へ向かった」
一拍。
「……地球がどうなろうと知ったことではない」
「あそこにいるのは旧時代の残骸だ」
だが次の瞬間、声色が変わる。
「だが火星は違う!」
「我々の故郷だ!」
「それが破壊された!」
「ならば――やることはひとつだ!」
通信が切れる。
一瞬の静寂。
そして――
「Ураааааааа!!!」
怒りに満ちた歓声が艦内に響いた。
復讐の炎は、瞬く間に戦隊全体へと広がる。
指揮系統を失った彼らは、もはや軍隊ではない。
怒りに駆られた“群れ”だった。
――地球連邦。
その内部に潜んでいた亀裂は、今まさに表面へと浮かび上がろうとしていた。
最後までお読みいただきありがとうございます。作者の三田来栖です。
ちょっとあからさまだったような気もしますが...
冒頭のタイタンでの人物は連邦側はアメリカ、タイタン自治政府側はイギリスみたいなイメージです。火星は…まあ、はい…某連邦がモデルです。




