第六十六話
コハナをデートに誘うとします。どこへ行く?
たとえばペロリやルカルー、ナコなら真っ先に思いつくのはルーミリアだろう。出身地だし。
クロリアは生粋の魔族だから魔界もわるくないが、意外に人間世界を希望しそう。破壊しまくったりしてないだけに、どこかに愛着を感じてそうだからな。
クルルとクラリスはどこでも楽しんでくれそうだ。とはいえクルルあたりは魔界にあった二人の部屋を希望しそうでもある。
さて、話を戻そう。
コハナはどこがいいのだろう。長くいたらしきルーミリア? それとも第二の故郷みたいになっていたスフレ王国の港町ハルブ?
凄く悩んで仲間に助言を聞いた末に俺はコハナを魔界に誘った。俺たちが元々生まれた世界にとてもよく似た世界だから。
当のコハナの反応はというと、
「……」
終始、無言。
デートに行かないかと誘った時には頷くだけ。門を抜けて魔界に来てもむすっとしてる。
笑顔すらない。超絶不機嫌。いや、笑顔になられても困る。怒ってるのか楽しんでくれているのかわからないから。
助言を思い出す。
『少しでも喜ぶ様子があるなら、遊園地とかどうでしょう。テレビで見て興味を持ちました』
クラリスの言葉にすかさずクロリアが言葉を返していたな。えっと、確か。
『いや、ああいうのはお互いに楽しもうと決めているか、相手を思い合える相性のいい奴同士が行くべきだ。不機嫌になる可能性があるならやめといた方が無難だぞ、間が持たない』
だったな。コハナの機嫌は様子を見るまでもなく悪い。遊園地却下で。
となると、どうする。
『ケンカしたなら雰囲気ある場所でのんびりしたら?』
ペロリたまに大人すぎない? 大丈夫?
はらはらするが、ここはペロリ案でいこう。
「ちょっと休憩しようか」
「いやらしいですね」
ええええ。やっと今日はじめて返事をしてくれたと思ったら、そういう返しなの?
「いや違うから。そういうご休憩じゃないから。御苑? ってのがあるんだって。そこでのんびりしようぜ」
「……」
また無言。
ううん。先日やられて迎えに来てもらって以来、ずっとこうだ。
クルルに相談したらあいつはこう言っていた。
『怒りを笑顔でごまかす人が、その笑顔すら取り繕わなくなったら相当あぶないよ』
さっさとなんとかして、ということだろう。
二人で都心を歩く。魔界に行くのだからと魔界にそぐう服を着せられた。コハナも今日ばかりはメイド服じゃなく、カットソーとホットパンツ姿である。生足が実にいい。いいのだが、しかし見てはならない空気である。早くどうにかしなければ。
自動車が行き交う道で信号が変わる。もうすぐそこに御苑がある。
天気はいい。黒い鳥は妙に多いが、しかし鳴き声がうるさいほどでもない。草むらの上にシートを広げてのんびり過ごしながら、コハナとしっかり向き合おう。
そう思って横断歩道を渡りきった。コハナの様子を見ようと隣を見たら、
「あれ」
いない。え? なんで?
ふり返ると後ろで俯いたコハナがとぼとぼと歩いている。しかし信号が切り替わってしまった。慌てて駆け寄り、コハナの手を引いて横断歩道を渡りきった。
少しだけ驚いた顔をして俺を見ているが、しかしコハナは口を開こうとしない。
重傷だ。明らかに。
切っ掛けは明白。俺がうっかりやられたせいだ。別にこっちの世界に来てから死ぬのは初めてじゃないのだが。
文句を言わず、俺の手を振り払おうともしない女の子を連れて入場代を支払い、御苑に入る。
のどかな巨大庭園ゾーン、池と古びた木造建築物の雅なゾーン、そして林のゾーン。
せっかくシートを持ってきたし巨大庭園ゾーンへ、と思ったのだが……やめよう。
「……」
俯いて喋らないコハナの前でシートを広げてどうこうするなんて、いたたまれなさに死んじゃう。素直に椅子とかがある池の周りの建物を目指そう。
のんびり歩いていたら、池に浮かぶ鳥や庭を歩く猫の姿が目についた。
「……雨」
コハナの呟きに視線を隣に向ける。俺の横を歩くコハナが空を見上げていた。
「……雨が降っていて、そこでチョコとビールを楽しむんです」
何かを懐かしむような声に悩む。
返事をするべきかどうか。その合間にもコハナは喋り続けた。
「靴を……足の形をスケッチするシーンが好きで」
きゅ、と握られた彼女の手は激務や強さに見合わない柔らかいものだった。よほど念入りに手入れしてあるのか。けど、思えばコハナはそういう女の子だった。いつ触れてもその魅力に陰りのさす時はない。
「最新作に同じ声優さんの先生がでてきて、すごく嬉しかったなあ……」
戸惑う。コハナが語る昔話の内容はきっと、この世界での出来事じゃない。
元の世界でのことだ。
「……でも、一センチさえ進まずに別れて」
映画の内容なんて覚えていない。そんな弱音も吐いてはいられない。
場所が引き金になったのか。コハナの感傷にいま応えられるようにならないと、俺は大事な機会を逃してしまうのだろう。思い出せ。
「最新作のように出会わず、あの映画のように女性だけ幸せを掴むことさえないまま……永遠に待ち続けるのかと、思ってたんです」
コハナの話だ。そう理解して浮かぶ、一人の監督の作品群。正直ファンタジーものは見てないのだ。コハナが誘って、俺に見せてくれたのは恋愛を描いているであろう三作品だけ。最後の一作は、死ぬ前に映画館で見たんだろう。その帰りに事故に?
とりとめもない思考の中から俺を連れ出すように、コハナがはじめて俺の手を引いて先へと進んでいく。
「元の世界に似すぎていて……帰ってきたかのように錯覚してしまいます」
幼なじみ。同じ勇者で、けれど俺とは違う死神少女。
永遠のような時を、俺を待つために過ごしてきた女の子。
クルルに言われるまで向き合おうとしてこなかった。どこかで距離を置いていた。
コハナがいいと言ってくれたとして……彼女が過ごした長すぎる時間に報いるだけの方法を思いつかなくて。
でも、クルルが元気づけてくれた時に思ったんだよな。難しく考えすぎてるだけかもしれないってさ。
答えはコハナが既に与えてくれていた。自分たちもきちんと縁を結びたいという提案をこいつは既にしてくれていた。もちろんいきなり言い出す流れでもないけども、ゴールは見えた。
「桜が咲いていますね」
コハナの言葉に周囲を見渡す。
確かに妙に郷愁を誘う、淡く色づいた花びらを散らす木々が生えていた。
「元いた世界なら……お花見の時期でしょうね」
「帰りたいか?」
俺の問い掛けにコハナは足を止めた。俯いてしまう。
「……帰りたいとずっと思っていました。あなたに会うまで。でも……諦めていました」
「どうして」
「女神さまから聞いていませんか? ……元の世界で、私たちは既に死を迎えています。戻りようがないんです」
いや、今こうして肉体があるなら。
そんな俺の考えなんて吹き飛ばすように、彼女は言ったよ。
「こちらの世界の肉体では……空気があわなくて、生きられないから」
その言葉の意味を理解するまでには時間がかかった。
けれどコハナは待ってさえくれなかった。
「勇者の力を使えば使うほど、致命的に合わなくなるんです。まともに呼吸できずに死んじゃう身体になるんです」
死んだ魂を引き寄せられて、まともに生きられるならその方がマシ?
どうだろうな。そのへんをぼかしてごまかして。そうするしかないのかもしれない。
済んだことは変えられない。
俺はもうすでに、そう選択していた。その選択を……最初の旅が終わる間際に尋ねてきたのは誰だった?
「――……お前」
コハナだ。
「あなたしか……コハナの生きる目的がないんです」
狂おしいまでの熱情。
死神として彼女が本気を出した時、その髪が真紅に燃える理由はただ一つ。
俺に対する激情。それだけだった。
重いと忌避して逃げるだけの軽薄さ、浅薄さが俺にあったなら……俺たちはもっと以前に戦って致命的な結末を迎えていたに違いない。けれど、そうはならなかった。
結局、スフレで最初に会った時から……記憶を失ってなお、俺はコハナに惹かれた。それが答えだ。コハナにとっても、同じなのだろう。
俺しか生きる目的がない、そして俺に尽くそうとしてくれている。
コハナを歪め、苦しめているのは過ごしてきた長い時間だ。時間こそが茨なのだ。
コハナにまとわりつく鎖がやっと見えた気がする。
彼女の前に立って、向き合った。不安げに顔をあげるコハナに告げる。
「なら、永遠に生きるなんてやめよう」
両手を取る。
「俺と普通に歳を取っていこう」
もしそういう時がきたらと思って用意した言葉は投げて、素直な気持ちを告げた。
「……そう、できたら」
「できない理由があるなら、俺が全部なんとかする」
「――……勇者さま」
違うだろ、と笑ってから言ったよ。
「もっと早くにこうすりゃよかった。コハナ、お前を苦しめるすべてをなんとかするから、俺と一緒になってくれるか?」
目に涙を浮かべたコハナが口を開いた。
強い風が吹く。
それは舞い散る桜の中で、俺の心に溶けていく。
彼女は確かに俺との幸せを願ったのだ。
つづく。




