Ep.8 望まぬ来客。
伝説に謳われる”勇者”。
それは、祝福の女神によって、人間界・魔界・妖精界の均衡が崩れてしまう予兆が現れた時にこの世界に送り出される異分子的な存在。
長きに渡る有史のなかで数えるほどにその存在が記され、そしてその印象は今の時代を生きる人々にも強烈に植え付けられているところだ。
なぜならば、人間界最大の都市、アースグラードを拠点として、現在進行形で”勇者”が世界の均衡を取り戻すべく活動している最中だからである。
「――失礼」
アースグラードの広大な街中の片隅にひっそりと佇む宿屋兼酒場の『黄昏のひさし亭』にて。
いつものようにカードゲームに興じるカイとデリオラ、そしてカイの膝を枕にして連結した椅子のうえに丸まってまどろむリルの三人のみがいる昼間の酒場のフロアに、珍しく来客があった。
スイングドアを押し開けて立ち入ったのは、身なりのいい老年の男女二人組と、後ろに控える体格のいい男たちという団体だった。
寂れた酒場に真昼間からぞろぞろと押しかけてくる一団というのはかなり物珍しいものだが、その人物の訪れというのは『黄昏のひさし亭』において定例的なものであって看板娘のシャーリーも一切動じることはなかった。
「茶をふたつ、いただけるかな」
「……だからウチはカフェじゃないんですけどっ」
「申し訳ない、シャーリー殿。これでも公務であるために、我々も昼から酒盛りというわけにもいかず……」
注文するのと同時に、老年の二人組はカイたちの横の卓へとついた。
屈強な男たちはその左右を固めるように休めの体勢で立つ。
ただひとり、老人たちの護衛と思しき男たちのなかでも一際立派な身体つきで立ち居振る舞いにも洗練された気品を感じさせる壮年の男性がシャーリーに向かって申し訳なさそうに頭を下げていた。
その男は腰に下げた布袋から小さな巾着をひとつ取り出すと、シャーリーの手を取り握らせる。
中身は金貨が詰まっているであろうことが窺えた。
茶を二人分嗜むにはいささか過ぎた額だろう。
公務、という言葉からも重要な会談の場を提供させることに対する謝礼や、そのほかにも口の端がだらしなくゆるんでいる男の他意なども含まれていそうな一幕だ。
「ブリング。本題を」
眼鏡を光らせた老人が、その男――ジャック・ブリングを呼び戻す。
都市国家アースグラードの実権を掌握する六人の権力者、六賢人を護衛するための近衛兵、『金獅子の騎士団』第一師団長ジャック・ブリングはゆるんだ口許をしっかり引き締めると、老人の横へと改めて侍った。
「さてご一行。改めてご相談に参りました。もう何度目かわかりかねますが、此度は色よい返事がいただけることを祈って……と、スヴァルジェリヴル殿は?」
「まだ寝てンだろ」
「……はてさて、さっそく暗礁に乗り上げましたな」
「構わぬ。このようなこともあるかと思うて昼まで空けてきた。茶でもいただきながら待たせてもらうとしよう」
困ったように老人に目線を向けたジャックに対して、軽く手をあげて老人は応じた。
そのやりとりだけでこの場の力関係は一目瞭然だった。
実際、カイたちはジャックの言葉の通りに、もう何度もこの訪問を受けており、一団の正体と目的は嫌と言うほど知っていた。
六賢人のひとり、『偉大なる魔女』マーガレット・マレフィセレナ。
魔法師の素養ある若者を適切に導く学術院、”塔”の創設者であり、人間界の最高権威である六賢人の一席を埋める者。
カイもデリオラも話が弾む相手ではないため、いつも通り無視を決め込むことに決めたようだった。
カードゲームの試合の展開に集中するよう手元に目を落とす。
「うーむ。盤面は……かなり苦しいですな? グランツ殿。ハインケス殿の手勢の支配力が整いつつあるようにお見受けしますが」
魔女も茶を嗜みながら待つ姿勢に入ったいま、役者が揃うまで互いに干渉しない……という空気のなかで、ただひとりお構いなしといった様子のジャック。
手札を覗き込もうとする髭面を押しやるように、カイは嫌そうな顔をした。
「うっせー、素人が口出しするンじゃねェ」
「はは、不肖の身なれど私も多少の心得はありますぞ! ほら、多少の犠牲を省みず場を確保しにいかねば」
「ゲームプレイ中の助言は困りますね師団長殿。まぁ、カイさんが気付いたところで一手遅いです、が」
「んな⁉ ここで【環濠】だとォ……?」
「ンフフ……。【深き泥濘】、【環濠】のシナジーでカイさんの誇る勇士部隊は足止めですね? では続けて手札から【地滑り】をプレイ」
「あちゃー。勝ち筋がありませんぞグランツ殿」
「ぐ……ぬぬ! 性悪クソ眼鏡テメーコラ、友達いねェだろカス!」
「ええ。ご覧の通りカイさんだけが私の数少ないフレンドですね。感謝申し上げます」
「ニタニタ笑うのやめやがれ気持ちわりィ!」
白熱する一幕を横目に、老女は優雅に茶を楽しみながら目を伏した。
「まったく、騒がしい」
その感想を同じくするものが、奇しくも時同じくして階段を下りてきた。
「毎朝毎朝うっせーな。んげっ、なんかめんどくせーのもいるジャン」
ほぼ裸のような薄着のまま、スヴァルジェリヴル――通称、ヴルはいつもの光景を寝ぼけ眼で眺め、いつもと違う一団の姿を認めて顔をしかめた。
そして同様に顔をしかめた人物がもうひとり。
老女はヴルの乱れた寝間着を見咎めるように、目つき鋭く睨みつけていた。
「なんとはしたない……。さあ、席におつきなさい。彼女にも茶を」




