Ep.9 密談
その老女、マーガレット・マレフィセレナは重苦しい口調で告げた。
「――『無為の魔女』スヴァルジェリヴル、及び、『龍殺し』カイ・グランツ。両名に”勇者様”との魔神狩りへの同行を要請します」
内容に関しては、当人たち、それと呼ばれたふたり以外のこの場に居合わせたものたちにとって特別驚くようなものでもなかった。
なぜならば、これが都合四度目となる訪問であったからだ。
前回は一年前、”勇者”が”逆さ星の魔神”の討伐に向かうことが決まった時だった。
そしてその時の返答は、あえて言うまでもないことだ。
「ヤだね」
ヴルはにべもなく断った。
卓に突っ伏した体勢で手だけをぷらぷらと振り、あくまで興味なさげな様子だ。
カイもまた、言葉にはしないが同じだろう。
マーガレットもこの展開は想定していたようで、間をおかず背後に控える二名の男たちに手で合図をした。
合図を受けた男たちは一度酒場の外へ出ていったかと思うと、すぐさまその両手に大きな木箱を携えて戻ってきた。
床が軋むほどの重量があるその木箱は、カイたちの見える位置に置かれた。
マーガレットが指をぱちんと鳴らすと、木箱の蓋を厳重に閉めていたかんぬきがひとりでに外れ、勢いよく開く。
「これまた凄まじい……。底まで金貨がぎっしり詰まっているのだとすれば……カイさん、これだけあればしばらくは遊んで暮らせますよ?」
普段は芝居がかった身振りや口調で諧謔的なところが鼻につくデリオラでさえも、一瞬驚きを隠せていない様子だ。
それも一瞬のことで、すぐさまからかうようなにやけ声でカイをおちょくろうとしているが。
「興味ねェな。オマエがいけば?」
「これは手厳しい」
金でなびくようであれば与しやすいと思っていたが、これもまたある種想定の範囲内で、一切動じることのないカイたちの様子にマーガレットは深い嘆息を禁じ得なかった。
崇高な志を期待しないわけではない。
彼らとてアースグラードに住まう人間だ。
人間種の生存を賭けた戦いで『金のため』という大義名分を与えれば腰も上げやすいだろうという目論見だった。
しかし一方で、このロクでもない者どもは人間種の存亡などに関心はなく、ただただ刹那的な事柄のためだけに力を振るう輩だということも理解していた。
それでもやれるだけのことをやるのが、六賢人などと祭り上げられた老人が後世のためにしてやれる数少ない責務だと信じて、彼女はわざわざ時間を作ってうらぶれた場末の酒場くんだりまで直接赴いているのだ。
「――これはまだ公にしていない事実だが、『神鎗』が先の戦いで亡くなった」
おもむろに告げられたその言葉に、さすがの面々にも一定の衝撃をもたらした様子だった。
一様に見開かれたその目は明らかな動揺を思わせ、マーガレットもどこかで胸を撫でおろしていた。
どこまでも非常識なごろつき紛いの者どもであろうと自身の理解が及ぶ存在なのだと確認できたのだから。
「おおよそ常人の辿り着ける域を逸脱した、その神に祝福されし槍さばきをして『三英雄』と称される『神鎗』が、死んだ……?」
デリオラの訝しげな声音だけが場に響く。
「”逆さ星の魔神”との激闘の末に深手を負い、当代聖女様の懸命な治療も叶わず、彼女は身罷られました。ご遺体が都市に運び込まれ、確認され次第、国葬が執り行われる予定です。彼女の御霊はアースグラードの英霊として、末代までその名誉と共に祀られることでしょう」
マーガレットの護衛のために居合わせた第一師団の精兵たちの装備が、持ち主の悲愴な震えに呼応して金属質の泣き声をあげる。
『神鎗』グレイシア・エインズワースは元々金獅子の騎士団の筆頭だった。
高潔な魂、清廉な意志、実直で誠実な振る舞いに多くのものが彼女を慕い、彼女もまた多くのものを愛していた。
彼女の死を悼まないものなど、彼女と付き合いのあった者のなかにはいないだろう。
それだけにこの衝撃は大きい。
しばらくは都市中に悲哀の雨が降り続くことが想像に難くない。
”逆さ星の魔神”は彼女の献身もあって見事に討ち果たされたとの報であったが、無邪気に喜ぶには大きすぎる犠牲だった。
頼れる仲間を失った”勇者様”一行の精神状況も懸念される。
新たな魔神の胎動も神秘学術院の星見に予見されている。
決して楽観していられないというのが六賢人の総意だ。
たとえごろつき紛いの者であっても、選り好みしていられない。
「我々は偉大なる英雄をまたひとり失った。”勇者様”も、それに付き従うものたちも、皆家族があって、護りたいものがあって、帰りを待つ家がある。それはそなたらとて同じことであろう。ゆえに私は乞い願う。どうか、そなたらの力を貸してほしい」
そう言い、マーガレットは頭を下げた。
歳を取って、性分に合わず高い地位に就いて、柄にもなく大勢を率いて先導するようになって、頭も随分と重たくなった。
軽々に下げることなどなくなった頭は心配事に抜け毛も増え、なぜ自分がこんなことをと思わない日はない。
それでも、若者たちを死地へと見送ることしかできない老骨にできることならばと顔を下げることなく歩み続けてきた。
その頭を、深く深く下げた。
護衛のものたちの息を呑む音がかすかに聞こえる。
六賢人たるもの、たとえ何があろうと弱みは見せない。
背負うものがそれほどまでに多いのだから。
これが単なるポーズではないことは稚児であっても判ることだ。
重々しい沈黙を破ったのは、カイのがさついた声だった。
「過分な評価、身に余る光栄だ。だがオレの答えは変わらん。断らせてもらう」
騎士団の精兵たちはあらゆる感情をコントロールする鍛錬も欠かすことはないという。
だが、カイの言葉を聞いて、マーガレットの周囲では一気に不穏な気配が立ち込め始めた。
ともすれば腰に佩いた剣を抜く者さえ現れかねない一触即発の空気。
それをなだめたのは師団長のジャックだった。
「変わらないねぇ、グランツ殿は。相変わらず頑固で、相変わらずカードゲームが弱くて。そして、相変わらず不器用なお方だ」
「ほっとけ。テメーになにが判るってンだ」
「判りますとも。ええ、貴方のことであればなんだって」
奇妙な空気が両者の間に流れる。
一瞬殺気だった騎士団員たちの目線も、戸惑うようにジャックとカイの間で揺れた。
「貴様はどうだい? スヴァルジェリヴル」
「うーん。あんま興味ないかな~☆ お仕事も忙しいし~、お風呂も毎日入れなさそうなのはちょっと、ねェ~?」
「フン。貴様も変わらないね」
結果は明らかになった。
会談はここまでとばかりに立ち上がると、マーガレットは正面に座る老人に目配せすると連れ立ってローブを翻した。
「ひとつだけ言わせてもらうけどね、歳を考えな」
「……ちょっと~? それってどゆコト?」
「ハッ。いくよ」
鈍色のピアスが輝く眦をぴくりと引き攣らせて問い返したヴルであったが、その返事は鼻を鳴らした皮肉な笑いだけだった。
やってきた時同様にぞろぞろと物々しく退室していく一団。
最後に残ったジャックが、カイたちに向けて茶目っ気たっぷりにウインクをして、
「言うに及ばないと思うが、今回の話は他言無用だ。あぁ、シャーリーさん。突然大勢で押しかけてしまって申し訳ない。今度時間を作って、プライベートでこちらに来ますゆえ、なにとぞご容赦を」
釘を刺すようにそう言い、端の方でで面倒ごとに居合わせたというような微妙な表情で見送ろうとしていたシャーリーの手を流れるように取ると、その手の甲に軽く口づけした。
「テメーおい、シャーリーが困ってんだろうが! はよいけ!」
ジャックの首根っこを引っ掴んで投げ出すと、カイは吐き捨てるように言う。
「オレらはオレらの仕事をする。爺婆どもにはそう伝えとけ」
「また来るよ、グランツ殿」
「二度と来んなっつーことだ、わざわざ言わすなボケ」
来客を表に叩きだしたカイは大股で席へと戻ると、無造作にどかっと腰を下ろした。
有無を言わさずリルが首元に絡みついてきて、もはや諦めたと言わんばかりに無視を決め込む。
正面ではいつものようににやにやと含み笑いを浮かべた嫌な顔がカイを覗き込んでいた。
「良かったんですか? せっかくの一攫千金の機会を棒に振って」
「なにが言いてーんだよテメーは」
「いいえ別に? しかしショックですねぇ、英雄がこの世を去るというのは、いつの時代も」
「……あァ。殺しても死にそうにねェと思ってても、死んじまうモンなんだな」
「……うー?」
「なに、花のひとつくらいは手向けてやるさ。それで十分だろ」
「律儀ねェ」
「テメーは他人事みてーに言ってねェであのババアが二度とこねーようになんとかしろ」
「無理じゃなーい? あの様子だと来月にはまたくるカモね~?」
「チッ。冗談じゃねェ」
一団は、うらぶれた小路を抜けて大通りに戻ってきていた。
停めていた馬車に乗り込む要人を介助して、準備が整うとゆっくりと歩き始める。
停車させていた馬車のもとで留守を預けていたふたりの部下を除いて、面々は憤懣遣る方ないといった様子だ。
「団長! なんなのですか、あの無礼な者どもは!」
特に、一番若い青年アンドリューはしきりにその怒りを言葉に出していた。
「アンディ、そう怒るな。訓練が足りていないぞ」
「お言葉ですが! 彼奴らには自覚がないのです! 誰しもが大任を背負えるわけではないというのに、あのようにいい加減な……! 所詮は卑しき労働者、大義を知らぬ下賤の輩です!」
彼ら傭兵が端金で請け負う仕事も様々だが、いずれも人が助かる仕事だ。
それをいまのアンドリューに言い含めたところで、若き義憤は収まらないだろうな、と苦笑いを湛えて、ジャックは馬車が向かう先を見据えた。
「そもそも、なぜあのような者たちに白羽の矢が立ったのですか。たしかに腕は立つかもしれませんが、品性に欠ける! 神鎗様の代わりなど土台務まるとは思えない!」
「そう思われていることを理解してのことだろうねー」
「はァ? どういうことです?」
「スヴァルジェリヴル殿を取り込もうと決めたのは、誰あろうマレフィセレナ様ご本人だ。彼女らは共に魔法の極みを見るもの。我々には知り得ないなにかがあるんだろうさ。それにグランツ殿は、神鎗様に剣聖様、それから”勇者様”――我らが戴く英雄たちの意向を汲んだ人選でもある」
「それは……ですが、到底理解に苦しみます。それほどまでにあの者たちは……」
「強いよ」
はっきりと、若者の疑念を断ち切るように言い放つ。
ジャックの知る限り、魔法や魔導などの人知を越えた力に頼らない、人間の枠組みのなかでのひとりの武力を比較するのであれば、間違いなく五本の指に入る。
それを知らない世代というのは、喜ばしいことなのか嘆かわしいことなのか。
「まっ、グランツ殿に関しては、さしもの”勇者様”も女傑だらけのなか年頃の男ひとりというのもいろいろとツラいがゆえなのかもね」
「団長、冗談も程々になさってください!」
「ゴメンゴメン」
いずれにせよ、目論見は成らなかった。
此度の彼らの休息は長引くかもしれない。
英雄がその身命を賭してもぎ取った平穏が、束の間で終わらないことをいまはただ祈るしかない。




