Ep.4 駆逐
「オラオラオラオラァ! 逃げてンじゃねーぞ!」
武骨な黒鉄の塊が轟と唸る。圧倒的な質量で風を切るグレートソードが、小柄な人型の魔物――ゴブリンの群れへと迫る。
落ち窪んだ眼窩、白濁した眼球、尖り下がった鼻梁、大きく歪んだ口、荒れ果てくすんだ肌。
人間種の美醜観で言えば間違いなく醜悪そのものといった見てくれのその魔物たちは、一様にある感情を集団で共有していた。
それは、”怖れ”だ。
魔物は人間種と比べて、その体格がいくら小さかろうと単純な膂力だけ見れば比較にもならない。
人間の子どもほどの体格のゴブリンでも、その力は成人した男性の一般的なそれよりも勝ることが多い。
その上、彼らは賢しい。複雑で体系的な学習まではさすがに難しいのか農業や酪農、調理、建築……そういった分野を習得しえたことは過去に例がないが、一方で集団で狩りをする、仕掛けられた罠を看破する、獲物を狩り尽くさず継続的な搾取を企図するなどの知恵は魔物の集団の中にあるのだ。
そして魔物にとって困難な営みも、人間が長けることを知っている。それゆえに人間は滅多に狙われない。家畜や農作物といった成果のみを奪い去っていくために、農民たちからは特に忌み嫌われていた。
そのような腕力と悪知恵に長けた数の多い魔物――ゴブリンであったが、今は明確に怖れの感情に駆られて、恐慌に陥っていた。
なぜか? 理由は明白だ。
突如縄張りに現れたひとりの人間。大柄なそのシルエットは、有無を言わさず襲い掛かってきた。
哨兵のような役割を負っていた一匹のゴブリンが騒ぎ立てるも空しく、叩き潰された。
その様子を見て激高した一団が、反撃に出るもやはり空しく、一薙ぎでまっぷたつだ。
そこまで来て、ようやく魔物たちの中にその空気感が漂い始めたのだ。
この人間はほかとは違う、と。
ゴブリンたちは木っ端の魔獣を使役していた。魔犬だ。野犬と違って非常に獰猛で、もはや狼に近い。尾は太く長く、逆巻く。その双眸は不穏に赤く輝き、口内に収まりきらないほどに鋭利に伸びた牙からおどろおどろしいほどの唾液がしたたっている。
数頭の魔犬がしなやかな身のこなしでその人間へと躍りかかるが、文字通り歯が立たない。
人間の身の丈ほどの長大な剣によって、その頭蓋を嚙み砕かんとめいっぱいに開かれた顎は防がれ、首根っこを掴まれた一頭は地面に叩き伏せられ力なく横たわった。
一頭は派手に蹴り飛ばされ悲痛な鳴き声と共に吹き飛んでもんどりうつ。
それらの様子を見て、残りの魔犬たちは完全に戦意喪失してしまったのか立派な尻尾はいまや地面を掃くのみだ。
そして戦意が失われてしまったのはゴブリンたちも同様だ。
尻込みしてしまったゴブリンの群れを、容赦なく切り裂いていく。
「小物ばっかだなァ。こりゃー外れか」
振り下ろされる凶器のその刃に、魔物の絶望が映る。
血飛沫に彩られた剣筋がその絶望ごと断ち切っていく。
「……さすが、だなぁ」
遠巻きに、気配を遮断する魔法具に全身すっぽり覆われたカイルが呟く。
”証人”は、魔物に狙われないように気配を覆い隠す外套、魔物に勘づかれないよう夜闇を仄かに破るランタン、たとえ人間界の外であろうと精確な方角を示す方位磁針、質量を無視して物を運搬できるバッグなど、組合の管理資産である稀少な魔法具を持ち出すことができる。
これらを駆使して危険な依頼に帯同する際の安全を確保しているのだ。
外套に身を隠したカイルの目に映るのは、カイによる魔物の一方的な掃討だった。
どこまでも圧倒的なその様子はなるほど駆除という言葉以外で表現のしようがない。
慣れない者が目の当たりにしたら凄惨な光景に目を背けたくなるであろう。カイルは仕事柄慣れていたために顔をしかめる程度で済んでいた。
もはや集落といって差し支えないほどの数でまとまっていた魔物たちを鎧袖一触に蹴散らしていく。
圧巻であった。
息を呑んでその光景を見届けていたカイルが、あることに気付く。
「――危ない!」
逃げまどうゴブリンの群れの影から、怪しげな光が迸る。
それは魔法や魔導の放つ輝きだった。
放たれた小さな火種が空を裂いて蛇行し、ゴブリンの群れを蹴散らすカイの側面で大きく爆ぜた。
強烈な炸裂によって煙が立ち上がり、ゴブリンたちを襲う剣撃が一時止む。
「■■■■■■!」
反撃を放ったゴブリンの上位種、ゴブリンメイジの喝采が上がる。
人間の解する言語とは異なり、発声のみで意味のある言葉を含まないためにカイルにはなんと言ったのか理解はできない。
しかし攻撃が命中したことによる嗜虐心を伴った喜色の声音であったことは窺えた。
カイルの知るカイ・グランツという男は類稀な打たれ強さの持ち主だ。不意打ちだろうと魔法だろうとそうそう死んだりはしないと思っている。
しかし横合いから放たれた魔法が直撃したのであれば怪我のひとつでも負ったかもしれない。
懸念を胸に抱きながらも見ていることしかできないカイルは、息を呑んで見守る。
「――痛ェじゃねーかよ。やっぱ隠れてやがったか」
無傷。ほぼ無傷であった。
炸裂が直撃した利き手の肩付近は装備が破れ、露出した肌に威力を物語る痕跡こそ残れど、深手を負った様子はなく、むしろ先程よりも激しく剣を振り回している。
メイジを庇うように立ち尽くしていたゴブリンたちを一振りで撫で斬りにしていく。
もはや一縷の希望さえ無惨に打ち砕かれた彼らの目には、その男は死神に見えていたことだろう。




