Ep.1 『黄昏のひさし亭』にて。
人間の営む都市アースグラードの広大な街中の片隅にひっそりと佇む宿屋兼酒場の『黄昏のひさし亭』にて。
日陰者たちが集いがちなうらぶれた集会所は、その日も朝から騒がしかった。
「コラ、リルてめっ、オレの皿から食うんじゃねえよ!」
「あー?」
がさついた声で怒鳴っている粗野な印象の男はカイ・グランツ。
短く刈り揃えた黒髪、黒のインナーに黒のジャケット、黒のグローブに黒のレギンス。全身黒で固めたむさ苦しい男だ。
ちらりと見える首や二の腕から判る骨太かつ筋骨隆々な鍛え上げられた肉体。目許を縦に切り裂く大きなキズ痕と、威圧感を振りまく仏頂面と、睨みつけるような三白眼とがもたらす印象はやはり粗野のひとことに尽きる。
そんなカイが引き離そうと両腕で締め上げるもびくともしない女が、リルと呼ばれたフードを目深に被った少女(?)。
――リ・ル・ロロララ。彼女を知る者はリルと呼ぶ。
フードの襟で隠れた口許は、その両端が縫い付けられていて、さも大きな口を制限しているかのようだ。実際にそれがほつれて口が全開になった様を見た者はカイたちを含めて誰もいない為に真実を知る者はいない。
リルが自分の皿を彩っていた朝食の数々を瞬く間にたいらげてしまい、新聞を読むカイの目を盗んで盗み食いをしていた、というのが騒動の顛末だ。
リルが器用にフードの襟の内側に目玉焼き、腸詰肉、燻製肉と次々に吸い込んでいく。カイの皿に残されたのは葉菜だけ。
「ふざけんじゃねえよボケ! 食いすぎだデブ!」
怒りにまなじりを吊り上げて再三怒鳴りつけるカイであったが、当のリルはどこ吹く風だ。
宿屋の看板娘のシャーリーは苦笑いを浮かべて、追加の一皿をカイのテーブルに給仕した。
「すまねえシャーリー。代金はコイツにツケとけ」
「はいはい。大変だねグランツさんも」
ここまですべていつものやりとりだ。
『黄昏のひさし亭』の一部屋をずっと借り続けているカイは決まった時間に目を覚まして、一階の酒場で朝食を取る。
その時間に合わせてリルがやってくる。ふたり(というより主にカイが)いつも同じメニューを頼み、リルがカイの分まで食べ尽くしてしまうので、一皿追加で注文する。
リルが多く食べた分をリルにツケるようカイは言うが、金に無頓着なリルの資産はカイが世話を焼いているので結局のところはカイから支払われる。
予定調和はまだまだ続く。
ふたりが食事を終えて一息つく頃に、決まって酒場のスイングドアが押し開けられる。
外から差し込む陽光を背後に、洗練された所作で入店するのは、酒場の常連客のデリオラ・ハインケスという男だ。
艶やかな金色の長髪をゆったりと束ねて、静かに揺らしながらきびきびと歩く。
その外見だけ見れば、巡り合う場所が場所ならば高貴な立場の人と言われても納得できるほどだ。
場末の酒場の娘であるシャーリーは、このデリオラという人物が少々苦手であった。
カイのような荒々しい人物であれば、酒場という場所柄慣れっこだったが、どうもこの手の外面が良く内では何を考えているやら想像がつかない手合いはあまり慣れないためだ。
「おはようございます。ご機嫌はいかがですか?」
口調は柔和。声音は穏和。気品の感じる所作でカイとリルが相席する席へと歩み寄る。
すれ違い様に、「コーヒーで」とシャーリーへ注文が入る。「うちはカフェじゃないんだけどなあ」、と苦笑いと共に独り言ちていた。
「おう来たか。座れよ、さっそく一戦だ。おいリルどけ!」
カイは懐からカードの束――デッキを取り出して、獰猛に唸る。
そう。カイとデリオラは同業者――以上に、カードゲーム仲間だった。(本人たちは仲間と呼ばず、互いをサンドバックと称してはばからないが)
雑に足で向かいの席から追い出されたリルは所在なげに卓を回り込み、カイの太い首に絡みつく。
そこはもはやリルの特等席となりつつあった。
カイは鬱陶しそうに身をよじるが、抗議をしても無駄、振り払ってもすぐにまた纏わりついてくるので諦めていた。
そうして空いた席へ、デリオラが腰を下ろす。袖元から取り出したカードを卓へと恭しく置いた。
「さて。私ごときが『漆黒の進撃者』殿の猛烈なるビートダウンを、此度も防ぎきれるかが見ものですね?」
「ケッ。嫌味ったらしいてめえの姑息なコントロールデッキを粉砕するための手を昨晩二〇個考えた。今日こそ吠え面かかせてやるよォ!」
吼えるように言い切り、カードの束をシャッフルしていくカイ。
デリオラはその様子を前に、眼鏡とグラスチェーンを光らせ、含み笑いを押し殺す。
きっとこの先の展開も、いつも通りだろう。
カイがイカサマだクソゲーだと喚き始める。その前に、彼女が起きて降りてくるだろう。
はたしてシャーリーの予想通りに、二階の宿屋から降りてくる、階段を軋ませる足音が聴こえてくる。
「あ”~~~~~っ、アっっ……タマいったァ……。水ぅ……」
ほぼ下着・肌着といった様相の薄着のまま、降りてきたのはカイ同様にひと部屋貸し切り同然に使っている女性――スヴァルジェリヴル。
長い名前をなかなか覚えられないために、周囲のひとには自ら『ヴル』と呼ぶように言って回っている。
「はい、お水です」
「あんがとシャーリー……」
ボサボサの髪を手櫛ですきながら寝ぼけ眼で室内を見回し、3人の座る卓にヴルの目が留まる。
「まーた今日も今日とてカードゲーム……ガキどもは飽きないわねェ……。朝ごはんおねがーい」
すこし離れた席に座ると、ヴルはどこから取り出したのか手鏡で身だしなみをチェックし始めた。
注文を受けて、厨房へと引っ込みながら、シャーリーは窓の外を眺める。
小鳥がさえずり、広い空を千々と雲がゆっくり渡る。
ああ、今日も平和かな。




