5. 悪女化
ーーパシンッ
「ひゃっ」
突然、手に持っていた紙を乱暴に取り上げられミルディが小さな悲鳴をあげる。
それをした人物が自分である事に、リーフィニアは驚愕した。
更には、言いたくもない言葉が自分の口から勝手に流れ出る。
「参考にした?それでこの程度のサインなんて…馬鹿にしているの?」
「え…?お、お姉様…?」
普段なら絶対に言わないようなリーフィニアの台詞に、ミルディは動揺してたじろいだ。
追い討ちをかけるようにリーフィニアはミルディが懸命に書いた練習用紙をビリビリと破く。
「次からはもっとまともな物を持ってきなさい。それから…」
本人の意思に関係なく動く体は、終いにはミルディを片手で突き飛ばした。
「わたくしの婚約者に近づきすぎないで。馴れ馴れしいのよ」
ミルディやクリード、使用人達まで含めてその場の全員がリーフィニアの豹変ぶりに唖然とする。
悪意を一番に向けられたミルディは震えながら涙を浮かべた。
「ご、ごめんなさいお姉様。ごめんなさい…っ」
謝りながら、ショックを受けたミルディが部屋を飛び出していく。
(ま、待って!ミルディ…!)
心の中で悲痛に叫ぶも、実際の行動は馬鹿にするように鼻で息を吐くだけ。
追いかけたいのに身体は全く言うことを聞いてくれなかった。
「リ、リーフィニア?一体どうしたんだ?」
先程までと打って変わったリーフィニアの態度にクリードも信じられないまま質問する。
きっと一時の気の迷いだろうと思いながら伺うが、リーフィニアは腕を組んで鋭い視線をクリードに向けた。
「どうしたも何も、これからもっとミルディを大事にしたいって言ったではありませんか。時には厳しくするのもあの子の為ではなくって?」
「いや、それにしたって先程のは流石に…」
「これはわたくしとあの子の問題です。口出ししないでくださいませ」
ピシャリと言い放たれ、圧倒されたクリードも何も言えなくなってしまう。
呆然とするクリードに背を向けてリーフィニアは冷たくあしらった。
「不愉快なので部屋へ戻りますわ。クリード様もお帰りくださいな」
言うや否や本当に部屋を後にしてしまうリーフィニア。
そしてこの日を境に、リーフィニアは完全に悪女と化してしまった。
「ミルディ、気安く話しかけないで!目障りなのよ」
嫌…ミルディに酷いこと言わないで…!
「クリード様?わたくしの婚約者なのですからちゃんと弁えてくださいな」
どうしてそんな態度を取るの…!?
「お父様、お母様、お小言はウンザリです!好きにさせてくださいませ!」
心配してくれる両親にまでなんて事を…!
「わたくしの言う事が聞けないの!?本当、使えない使用人達ね!」
やめて!もうやめて…!
大好きな人達に、傷つける言葉を投げ続け酷い態度を取り続けるリーフィニア。
周囲の者達も初めはどうにかしようと動いていたが、いつしか1人…また1人と諦めていった。
それは当然とも言えるだろう。
リーフィニア本人でさえ、どうする事も出来なかったのだから。
そしてついには家族や婚約者からも見放され、婚約破棄という悲しいこの日を迎えてしまったのである。
「あーあー分かりました。愛する婚約者に捨てられてお辛いから俺に当たるんですね?お可哀想に」
「馬鹿にしてますの?貴方のような下級の者に同情される謂れなんてなくってよ」
「その下級の者に絡んできたのはどこの誰ですかねぇ?」
「そのお口はワインだけでなくグラスごと含みたいようね?」
リーフィニアの意思に反した令息との罵り合いがどんどんとエスカレートする。
見るに見かねた父、エルネスト侯爵が止めに入った。
「リーフィニア、いい加減にしなさい!これ以上迷惑をかけるんじゃない!」
「まあ、お父様は娘であるわたくしを悪者にしますのね?」
尚も反抗的な態度のリーフィニアに、侯爵は焦りと怒りを滲ませる。
「お前の為にも言っているんだ!度を越してしまっている!王室だって流石に見過ごしてくれなくなるぞ!?」
その言葉を侯爵が口にした直後、会場の雰囲気がガラッと変わった。
突然に緊張感が走り、空気が静かになる。
「あぁ、その通りだな」
静まった空間に響き渡った威厳のある声。
会場中の貴族達がこうべを垂れ、声の主に敬意を表した。
視線を向けられたエルネスト侯爵が挨拶をする。
「偉大なる国王陛下にご挨拶申し上げます。我が愚女が騒ぎを起こしてしまい申し訳ありません」
そう、声を掛けてきたのはこの国の王であるジークマイヤー・デュバルナークだ。
深々と頭を下げる侯爵にジークマイヤーは1つ頷いて言葉を掛けた。
「うむ、エルネスト侯爵。其方の貢献は私も理解しているが、流石にこの騒ぎはいただけないな?」
実はエルネスト侯爵はこの国の宰相も務めており、献身的な仕事ぶりを国王も評価している。
その為ある程度の事は見逃してくれていたのだが、流石に許容範囲を超えてしまったようだ。
「ごもっともでございます。長女は直ぐに退出させますのでご容赦くださいませ。しかし…次女は今日がデビュタントでございます。どうか留まれるようご温情をいただけませんでしょうか?」
「あぁ、デビュタントは特別なものだからな。それくらいは許可しよう」
「恐れ入ります」
ミルディがこの場に残れる事に安堵しながら、エルネスト侯爵は陛下の気が変わらない内にとリーフィニアの背を押した。
「さあリーフィニア、帰るぞ」
「なっ、お父様…!」
「陛下の命に逆らう気か?」
「っ」
悪女であるリーフィニアとて、国王陛下に逆らう事など出来るはずがない。
渋々と会場を後にする。
その後騒ぎの根源であるリーフィニアの居なくなった舞踏会は筒がなく進行した。
とはいえこれまでの出来事までが消えてなくなる訳ではない。
国王であるジークマイヤーは、数日後にも執務室で溜め息を吐く事となった。
「はぁ…参ったな」
書類を見ながら1人頭が痛そうに悩むジークマイヤー。
するとそこに、ヒョッコリととある人物が顔を出した。
「どうしたんじゃ?何か悩んでおるようじゃの」
「父上」
現れたのは、ジークマイヤーの父親である先王のユーバーだ。
国王の地位からは退いたものの、時折こうして様子を見に来てくれる面倒見の良い人物である。
ただし、少々掴みどころがない性格でもあるが。
「実は、エルネスト侯爵のご息女の事で参っていて」
「あー、あのここ最近有名なヤンチャ娘か。不思議じゃのう。エルネスト侯爵はあんなに誠実なのに、娘はあんな性格になるなんてな」
「ええ…本当に…」
また深く溜め息を吐き、ジークマイヤーは机の書類に目を落とした。
「エルネスト侯爵は本当によくやってくれている。宰相として、この国に無くてはならない存在だ。だが…複数の貴族から不満の声が上がっているのを無視するわけにもいかない。果たしてどうすべきか…」
問題が起きているのを知っていて何のお咎めも無しとすれば、上に立つ者としての信頼も失われていくだろう。
かといって優秀な人材を手放せばそれはそれで国に大きな損失となってしまう。
対応に悩み頭が痛そうにするジークマイヤー。
が、先王ユーバーは少しばかり考えてから飄々とした様子で提案した。
「ふむ、それならばワシに1ついい考えがあるぞ」
そう言ってジークマイヤーの耳元に近付きこそこそと内容を告げる。
聞いたジークマイヤーは少々の動揺を見せた。
「な、それは…いや、皆の不満を抑えるには効果的か…。だが…」
良い考えと思う反面、犠牲も伴う内容だった為に罪悪感で迷いが生じるジークマイヤー。
もちろん何の犠牲も無しに事を運ぶ方法など存在しないと分かってもいるが、他にも良い手が残っているのではと考えてしまう。
だが、後押しするようにユーバーはニッと笑って言った。
「ワシの第六感を信じぃ。こういう時の思いつきが外れた事はないからな」
これまで国王として国の頂点に君臨してきた父の背を見てきたジークマイヤーにとって、その言葉は充分に信用できるものだ。
ならば提案に乗らない手は無い。
ジークマイヤーは深く頷いて先王の意見に同意する意思を見せ、その内容は直ぐに侯爵邸へと届けられたのだった。




