32. 香水瓶
「り、リーフィニア…驚いたよ。もしかしてそれ程辺境の暮らしで苦労したのかい?」
反射的にアッシュは心の中で『は?』と苛立ちを見せたが、リーフィニアが慌ててフォローする。
「いっ、いえとんでもないです!寧ろとても良くしていただいてます。アッシュ様達のお陰で、以前の自分を取り戻せました」
「そ、そうか…」
理由を聞いてもなお目を泳がせているクリードを、アッシュとユーゾフは少々訝しむ。
とはいえただ単に混乱してるだけかもしれず、判断がつかないので顔には笑顔を貼り続けた。
と、リーフィニアがハッと思い出してミルディと目を合わせる。
「そうだわミルディ。お祝いに渡したい物があるの」
「え?渡したい物?」
きょとんとするミルディの涙をハンカチで拭い、リーフィニアはマジックバックを漁った。
崩さないように慎重に中身を取り出す。
「はい、これ」
差し出したのは、リアムと一緒に作ったバスケットの花束だ。
花畑に埋もれるクマの姿にミルディは目を輝かせた。
「…!わぁっ、可愛い!!お姉様、ありがとう!!」
一目で気に入ってくれたようで、ミルディは両手で抱きしめるようにバスケットを持つ。
恍惚とした瞳で眺めるミルディが愛らしくてリーフィニアも相好を崩した。
家族皆んなと予想以上にすんなり和解でき、温かな空間が出来上がる。
と、ここで気まずそうにコホンと1人の老人が咳払いした。
「水を差すようで申し訳ないが…そろそろ始めても良いかね?」
言ったのはエルネスト侯爵家の依頼で派遣された司祭だ。
今回の婚約披露パーティーの為に呼んでいたのである。
待たせてしまっていたエルネスト侯爵夫妻は慌てて返事をした。
「も、申し訳ありません。よろしくお願いします」
「リーフィニア、パーティーが終わったらまたゆっくり話しましょうね」
「はい」
リーフィニアから離れ、司祭を庭園に設置した壇上へと促す侯爵夫妻。
主役であるクリードとミルディも行かなければならないので、その前にとリーフィニアは一声掛けた。
「それじゃあ、私達はあちらで見守ってますね」
「あ、ああ」
「ありがとうお姉様!」
見送られ腕を組んで壇上へ向かうクリードとミルディ。
リーフィニア達は招待客側の配置へと移動する。
そうして歩きながら、ユーゾフが首を傾げて質問した。
「今日って結婚式じゃないよね?それなのに司祭さま呼ぶの??兄上たちこんなんやったっけ??」
こういった行事に初めて参加するユーゾフは分からないのも当然で、リーフィニア達は優しく説明する。
「今回はね、パーティーだけじゃなく婚約式もするのよ。みんなの前で婚約契約書にサインをして誓い合うの。簡易版の結婚式って感じね」
「まあ書類へのサインだけで婚約自体はできるから、こうして正式に婚約式までする家の方が珍しいんだけどな」
「へえ~、なるほどぉ」
理解したユーゾフも含めて3人は並んで立つ。
皆の準備が整ったのを見越して、司祭が口を開いた。
「それでは、クリード・ブレガー及びミルディ・エルネストの婚約式を執り行います」
いよいよ始まった婚約式。
しかし、周囲の貴族達はそれに集中できずにいた。
あまりに様変わりした悪女が気になり過ぎて、壇上の2人をそっちのけでリーフィニアにチラチラ視線を寄越していたのだ。
この状況には流石にアッシュも頬を引くつかせた。
「…これじゃあ、どっちが主役かわかったもんじゃねえな」
「うぅ…皆さん集中してほしいです」
折角の婚約式だというのに、明らかにこちらの方が注目度が高い。
本来あってはならない事である。
恐らくそれは壇上の司祭も感じ取っていたのだろう。
ゴホンと態とらしい咳払いをし、注目を集めるように目の前のサイン台を手で指した。
「では、こちらの婚約契約書にサインを」
サイン台の上に予め用意されていた2枚の婚約契約書。
婚約の場合は家ごとに書類を提出するため、クリードとミルディはそれぞれ自分用の書類にサインをする。
そして署名が済むなり向かい合った。
「ミルディ…これからずっと、君のために力を尽くすと誓うよ」
「嬉しいです。私も、クリード様に尽くすと誓います」
婚約式の場合は誓いの言葉に決まりもなく、それぞれ独自の誓いを立てるのが醍醐味でもある。
けれども招待客はそれさえ半分うわの空で、言い終わるなり形式上の拍手だけを送った。
あまり心のこもっていない祝福の中、一応礼をするクリードとミルディ。
そして婚約式が終わって普通のパーティーに戻った瞬間、リーフィニアを主体とする流れが顕著に現れた。
「夫人、良かったら私と踊りませんか?」
「い、いえ。今日は夫としか踊らないつもりなので」
「でしたら、あちらで歓談いたしませんか?」
「すみません。この子から離れたくないんです」
興味津々な様子で近付いてくる令息達の誘いを、アッシュやユーゾフを言い訳にして必死に断るリーフィニア。
普通なら婚約披露をしたミルディ達が囲まれる筈なのに、こちらにばかり人が集まっていた。
アッシュも比較的仲の良い令息達に「なあ、本当に同一人物なのか!?」「どうやったらこんな変わるんだよ!?」と質問責めにされている。
とはいえ好意的な者ばかりではなく、卑下た笑みも多く向けられた。
「結婚してあんな変わるんなら、僕が妻にしたかったよ」
「あんな夫よりは俺らの方がマシだろ?誘えば一夜の相手ぐらいしてくれるんじゃないか?」
今のリーフィニアならば悪くないとニヤニヤして狙いを定める令息達。
更に、状況が面白くない令嬢達も聞こえるように嫌味を放つ。
「いくら取り繕ったって、あの冴えない辺境の男に嫁いだ事実に変わりはありませんわ」
「そうよねぇ。みじめで可哀想ですこと」
他に欠点が無いからと貶める理由に夫を使った為、巻き添えにされたアッシュは『悪かったな』と胸中で吐き捨てる。
とはいえ今さら自身の容姿や出身地を蔑まれても言い返そうとは思わない。
だが、リーフィニアの方はあからさまにムッとしてぼそりと呟いた。
「…アッシュ様は、格好良いですよ」
これに驚いたのはしっかり聞こえていたアッシュだ。
不意打ちの褒め言葉に頬を赤くして、顔を逸らし言葉を返す。
「リーフィニア…急にそんな可愛いこと言うのは反則だろ」
「え!?かっ、可愛っ…!?」
リーフィニアも真っ赤になり甘い空気を漂わせる2人。
はたから見れば完全に新婚ラブラブ夫婦で、リーフィニアに声を掛けようとしていた令息達も尻込みした。
顔を合わせる度に喧嘩をしていた2人とは思えない変わりぶりだ。
なんて2人を少し離れたところから眺めながら、ミルディもしみじみと言った。
「わあ。さすがお姉様、大人気ね」
「そうだな…」
自分達よりも人集りが出来ているリーフィニアをクリードもジッと見る。
その状況を懸念して、近くにいたメイドが気を遣い声を掛けた。
「み、ミルディお嬢様。そちらのお花はお部屋に飾りますか?」
「あ、うん。そうしようかしら」
先程リーフィニアから貰ったバスケットをミルディはニコニコとしながらメイドに手渡そうと差し出す。
と、受け取る寸前にメイドがある事に気付いた。
「あら?お嬢様、花の中に香水瓶のような物が入ってますよ?」
「え?」
そこにあったのは、赤と紫の硝子で作られた細長い水晶型の瓶だ。
液体の入った綺麗な瓶を見て、ミルディは顔を綻ばせる。
「本当だわ!お姉様、花だけじゃなくこんなプレゼントまで用意してくれてたのね!」
ウキウキとしながらミルディは花の中から瓶を取り出し、早速とばかりに蓋を開けて香りを確かめた。
しかし、すぐに小首を傾げる。
「? なんだか独特な香り…。何の香りなのかしら」
聞かれたメイドも嗅いでみるが、初めて嗅ぐ香りに頭を左右に振った。
隣のクリードも分からないようで「直接聞いてみたらどうだ?」と提案する。
言われるがままにミルディは瓶を高く掲げ、リーフィニアへと声を掛けた。
「お姉様ー!バスケットに入ってたこの香水瓶って、何の香りなんですかー!?」
大きな声で呼び掛けられ、即座に目を向けるリーフィニア。
ミルディが手に持つ瓶を視認する。
「…?」
けれどそれは全く身に覚えのない物で、答えを返せず戸惑った。
だが、リーフィニアの横でアッシュがザッと顔色を変える。
まさかと目を疑いながら、瓶の中身を告げた。
「あれ…は、魔物誘引薬…!?」
瞬間、会場中にざわめきが走った。




